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其の三百四 巌然の苦手
しおりを挟む夜中に動く人形……。
普通ならばこんなものを前にしたら、腰を抜かすか、あたふた逃げ出すかであろう。
しかし若だんなは違った。書物狂いは伊達ではない。怪談奇譚の類もごまんと読み込んでいる。ゆえに物怖じするよりも先に「あぁ、いかにもありそう。話の筋としてはわりとありふれて、ちょいと面白味にかけるかも。う~ん、ここはもうひとひねり欲しいところだね」なんぞと考えたあげくに、持ち前の好奇心が勝ってしまった。
ぺこりと頭をさげる人形に、「おや、これはこれはご丁寧に」と若だんな応じたばかりか、つらつらと人形と語り明かす。
人形は「あたいは照(てる)、よろしくね!」と快活に挨拶した。
聞けば、どこぞの庄屋の娘であったのだが、九つの頃に風邪をこじらせてぽっくり逝った。
両親はたいそう悲しみ、若くして逝った娘を不憫がって、藩下でも名の知れた職人に頼み冥婚人形をこしらえ、せめていい夫をつけて、あの世に送り出してやろうとしたのだけれども……。
「いやぁ、おとうたちの気持ちはありがたいんだけど、いくらなんでも相手があれじゃあねえ。成仏できるもんもできやしない。本当にどうしようもないろくでなしなんだよ。食い詰め田舎侍のくせして、いばりん坊なんだ。ことあるごとに身分をひけらかしては、えらそうに。あぁ、もうっ! 思い出すだけで腹が立ってきた! きーっ、むかつく!」
冥婚は死者に生者をあてがうだけでなく、死者同士をくっつけることもある。
たまさか都合が良さげな相手がいたもので、冥婚を成立させたものの、当の両人の反りがどうにも合わず、ついに照の方が三行半を突きつけてやったんだとか。
でもって照だけ魂が人形に宿ったままにて、こうして現世に取り残されている。そしてときおりがさごそ動くものだから、怯えられるやら、面白がられるやら。幾人もの好事家らの手を経て、ご隠居のところにまで流れてきていたそうな。
それにしても、よく喋る人形である。
事情を聞いた若だんなの感想は「へぇ、あの世でも離縁ってあるんだ」というものであった。
なんにせよ、このままというはよくない気がする。照を成仏させて輪廻転生の輪へと戻してやるのがいいだろう。
そう考えた若だんなは、妖退治で勇名を馳せる巌然和尚に相談しようと、知念寺へ人形を持ち込んだ。
だが市松人形を一瞥するなり巌然は「放っておけ、とくに害があるでなし」と素っ気ない。
あんまりにもつれない態度に若だんなが「そんなことを言わずに」となおも縋ると、巌然は頬をかきながらぼそり。
「わしは子どもの霊が苦手なんだ」
まず大人の理屈が通用しない。
それに相手が恐ろしい魑魅魍魎や妖であれば、がつんと豪腕で黙らせ調伏できるが、これが子どもの霊となるとそうはいかない。いや、やろうと思えば出来る、だが、やれば罪悪感にて己の方が潰れてしまいそう。
あと巨漢の入道ゆえに、怖がられてよく泣かれる。
歩く仁王像との異名を持つ巌然和尚の意外な弱点がここに発覚した。
なお苦手ではあるが嫌いではない。
「……だから、わしには無理だ。一筆書いてやるから幽海のところへ行け」
こういうのはあいつの方が得意だからと、若だんなは知念寺から追い払われた。
しようがないので貰った紹介状を持って若だんなは芝増上寺に向かうも……。
「ふむ。事情はわかった。でしたら存分にかまって、照という娘のやりたいようにしてあげなさい。さすれば、じきに満足して成仏するじゃろう」
幽海にそう言われてしまった。
強引に祓って、あの世へ送ることはできるが、相手はまだ九つの娘である。
特に悪さをするでなし。悪戯に気味悪がって目くじらを立てるのは、いささか大人げがないというもの。ここは寛容と慈愛とでもって応じるべし。
とどのつまりは、しばらく照に付き合ってやれということ。
かくしてしばらく様子を見ることにしたのだけれども……。
若だんなは店を切り盛りしている身にて、なにかと忙しい。
だから人形を自室に置いていたのだけれども、こうなると今度は照の方が退屈する。ゆえにがさごそしていたら、それを店の者に見咎められて「きゃーっ」と騒ぎになった。
これはいかんと箱に閉じ込めれば「ここから出せ!」と照はいっそう暴れる。
うかつに目が離せない。かといって仕事もしなくてはならない。
悩んだ結果、つねに側に置くことでどうにか一件落着したのではあるが、そのせいで若だんなは周囲から好奇な目を向けられることになってしまった、という次第である。
にしてもいい歳をした男が人形を抱いている姿は、なんともはや。
ぷぷぷぷぷ、話を聞き終えるなり堪え切れなくなった藤士郎は吹き出す。
銅鑼は腹を見せて遠慮なくげらげら大笑い。
若だんなは「むぅ」と口をへの字にし、抱かれている市松人形の照は「失礼しちゃうわ」とぷんすか。
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