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258 比翼の刃
しおりを挟むこちらを刺し貫こうと猛然と迫る影の触手。
刹那のことゆえに避けることは不可能。しゅんじにこれをさとったラナは、とっさに急所だけはかばうように、身をよじり緑氷の粒にて致命傷となる攻撃をそらすのが精一杯。
計八か所も同時に凶刃がふるわれ、翡翠(ひすい)のオオカミの全身が紅に染まる。
傷口から流れ出た血と、全身を突き抜けた痛みによりグラリと傾いたカラダ。
だがラナは倒れない。
それどころかふたたび足を動かし駆け出しました。
彼女を支えていたのは最愛の者への想い。
このままではあまりにもかなしすぎる。だから自分が身命を賭してもここで終わりにする。彼を魔女王の呪縛より解き放つのだという、強い想いがラナをつき動かす。
ラナの気迫に答えるかのようにして出現した緑氷の剣。これをくわえ緑風が血風となりて、敢然と黒まだらオオカミへと向かっていく。
確実に仕留めたと油断したガロン。漆黒の剣にてあわてて受けとめようとするも、反応がわずかに遅れた。
文字通り全身全霊を込めて放たれた翡翠のオオカミの一刀。
緑の風は赤き鮮血をまとい、ついに緑の閃光へといたる。
ガロンとラナの命運を分けたのは、たった半歩の差。
半歩深く敵陣へと踏み込んだ者と、半歩深く自陣へと踏み込まれた者と。
荒れ狂うチカラの濁流が盤石であった堤を破る。
最初の衝突にて、はじかれたのは漆黒の剣。あまりにも重たい一撃にて、くわえていたガロンの牙を数本ヘシ折って道連れにし、それごと吹き飛ばしてしまう。
武器を手放してしまい無防備な姿をさらす黒まだらオオカミ。
その体表にふるわれた緑氷の剣の動きは、これまでの荒々しさがまるでウソのように、おだやかな清流のように見えました。
相手のカラダをやさしくなでる指先のごとく剣が走る。
ガロンの首筋と胴体の二か所に浮かんだ線。
目を凝らさないと見えないほどの細いモノが、赤い筋となったのちに、線の上から泉のごとく血があふれだす。
「強くなったな……、ラナ」
そうつぶやいて自身の血溜りに倒れた黒まだらオオカミ。
懐かしい声音に、ハッとしたラナ。「ガロン……、あんた、いつから意識が」
「キミの声はずっと聞こえていた。だがレクトラムの呪法に囚われたカラダがどうにもならなくてな。すまない、ずいぶんと苦労をかけてしまった。ぐっ」
苦しそうにうめいて、ガロンが咳とともにゴボリと吐き出したのは、胃液と混じり合ってドロリとした血の塊。
あわてて彼のもとにかけよったラナ。ですが翡翠のオオカミの身からも大量の血が流れており、こちらもかなり危ない状況。
長い苦難の旅路の果てに、ようやくそろった比翼。
にもかかわらず、ガロンが口にしたのは愛の言葉でもなく、労りの言葉でもなく、相手の身を案じる言葉でもありませんでした、
いまにも命の灯火が消えようとしている、その瞳にあったのは強い決意の光。
なんとか呼吸を整え、気力をふりしぼってガロンがラナに伝えたのは、ここにある時の止まった古時計のこと。
「あれはかつて、レクトラムがクラフト王の都から盗んだ技術によって造られたモノ。針が止まっているだろう? これは文字通り刻を止めているんだ、白銀の魔女王の刻を」
西の森の魔女エライザと同世代だというのに、片やしわくちゃの老婆、片や二十歳前後の美貌を持つ若々しい姿。そのヒミツがこれであったのです。
時が止まっているがゆえに歳をとらない。
世の理から外れ、隔絶された存在となることで、永遠を手に入れたレクトラム。
ですが何よりも脅威なのは、その身の時が止まっているがゆえに、外部からのいかなる干渉をも受けつけないこと。
時が止まるとは、変化しないということ。
もとから膨大であった魔力はいくら使っても減ることがなくて、ずっとそのまま。
こわれることも、傷つくこともなく、最強の結界に守られているのと同じ。
地の国における最強種族たるドラゴンやグリフォンたちが束になって攻撃したとして、はたしてどれほどの効果があるのかわからないほどに、強固な守り。
このままでは到底、勝ち目はない。
しかし欠点がないわけではありません。
それは有効範囲がかぎられること。しっかりと時の制約が機能するのはこの浮島内のみ。そこから離れれば、離れるほどに古時計の影響力は弱まっていく。
だからこそレクトラムはいかなるときにも、この地より動こうとはしなかったのです。
ですから彼女を倒そうとするならば、その身をこの浮島より外へとおびき出すか、この古時計をどうにかする以外に方法はありません。
よしんば彼女を出し抜き、いったんはその魔の手から逃れようとも、執念深い白銀の魔女王のこと。きっと狙われつづけて、いずれはそのチカラに屈し、水色オオカミの子どもがレクトラムの手に落ちてしまう。
魔女王は決して浮島から出ない。
ならば残す手段はただひとつ。
なんとしてもこの古時計をこわさなければなりません。
「わかった。どうあってもコイツを破壊する必要があるんだね。なぁに、こんなモノ……」
さっそく時計をこわそうとするラナ。
しかし飛ばした緑氷の剣はいともたやすくはじかれてしまいました。
「わかったか。こいつ自身もまた時が止まっているんだ。レクトラムと同じように」
「そんな……、ならどうすれば」
「あぁ、ふつうならば破壊は不可能だろう。だが、いま、ここには、オレたちがそろっている」
「私たち?」
「そう。オレたちだ。影にて空間に干渉できるチカラを持つオレと、最上の剣技を持つキミが」
乱れる呼吸をなんとか抑えて、最後のチカラをふり絞り、ガロンが出現させたのは、ひと振りの漆黒の剣。
「これを使え。オレの影を錬成して造ったモノだ。こいつとラナの腕があれば、きっとアレを叩き斬れるハズだ」
「わかった、やってみるよ」
「……すまない、ラナ。最後まで面倒をかける」
「気にするな。夫の尻拭いは妻の務めだ」
ガロンが口にした謝罪の言葉。
それはこれまで苦労をかけただけでなく、この一刀が翡翠のオオカミの身にもたらす、ある結果についての意味も込められておりました。
ラナもまたすべてをのみ込んで、漆黒の剣を口にくわえました。
時を止めた古時計。
からくり王の技術に魔女王の魔法が合わさった禁忌の魔道具にして、レクトラムのチカラの源。
これをまえにしてラナのココロは、とてもおだやかでした。
ついに欲しいモノはとりもどせたのですから。
カラダは散々に血が流れたせいか、すでに感覚はとうに失せている。
でもそのおかげで全身からよけいなチカラが抜けて、とても軽い。
おもいのほかに自然体にて振り抜かれた比翼の刃。
音もなく見事に目標を両断したのちに、漆黒の剣は粉々に砕けて消えてしまう。
「……ったく。せっかちだな。あとちょっとぐらい待てなかったのかい」
先に逝ってしまった夫のもとへと向かった妻。
黒まだらオオカミのとなりにて、寄り添うように身をふせた翡翠のオオカミ。
その頬がクスリと緩んだのは、ルクの姿をおもい出したから。
「フフッ、もしも私たちに子があれば、あの子みたいに元気でやさしい……」
手に入れられなかった楽しい世界。
それを夢想しつつ、ラナは静かにまぶたを閉じました。
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