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第2章 過去の文明への干渉開始
23.2023年8月、石山ベース2
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仁科は、石山ベース内の武道場に来ていた。そこで、剣道の練習をしているというので覗きに来たのだ。
彼は高校から剣道を始めて、大学では3段の段位を取得していた。高校は進学校だったし、大学は地方の国立大学だったので、とても強豪とは呼べないクラブだったが、それなりに打ち込んで剣道に思い入れはあった。
彼は、所属していた部では強い方ではあったが、やはり強豪校の選手と戦うと分が悪く、対外試合は勝敗は大体において5分5分であった。社会に出てからは、会社に剣道部はなかったので、会社のある地区の体育館に集まる剣道クラブに入って活動していた。そこで、同じ段位では、それなりに強い方であったが、相手が5段レベルになるととても敵わないということが正直なところで、もっと上を目指そうというほどの気はなかった。
ベトナムでは首都ハノイまで行けば在留日本人のクラブがあるらしいが、ハイフォンではそのようなものはなかった。だから、木剣と竹刀はベトナムにも持っていって、型の稽古に素振りとランニングは欠かさないようにしてきたが、気分としては、体調を保つための運動という程度のつもりであった。
仁科は、石山ベースに来るに当たっては、この時代の武士に必ず会えるはずなので、その刀法がどの程度が知るのが楽しみであった。剣道には日本刀の存在が欠かせないが、15世紀末のこの時期にはすでに日本刀は出現していて、普通に使われているはずだ。そして、この時代には治安が乱れ、数多くの戦があったことは事実であるが、その戦いにどのような剣道としての技が使われたかは判然としない。
そこは体育館に隣接する武道場で、30畳程度の畳敷きの柔道場と、同じ程度の板張りの剣道場があって、柔道場では8人、剣道場では12人が稽古をしている。仁科が注目した剣道場には、15歳以下程度の少年が5名で、後は少年か大人が稽古をしている。皆竹刀は持っているが、胴と小手に袴の剣道具をつけているのは大人の2人のみで、2人とも有段者である。
暫く見ていると、教えている有段者らしき男が仁科を気にして声をかけ、仁科も稽古の人々に加わったことで様子が分かった。防具を付けている2人がベース守備隊の20代の自衛隊員で、2段の山下と初段の佐々木である。他はすべて現地の者達で、その内の15歳以上の大人は5人で多少心得がある者達である。
4人は20歳前後で実戦経験もあるというが、力任せで技は殆ど身に付いていない。聞くと、実際に使うのは槍が多く、持っている刀はなまくららしく人を切ると歪むそうだ。
「まだ、皆の防具がないので危なくて掛かり稽古も相掛かり稽古も出来ませんが、次の便で北海道から子供の防具が着くはずです。それからも大人には当分型と、軽い掛かり稽古だけですね。いずれにせよ、3段の仁科さんが加わってもらえるのは心強い」
自衛隊2曹の山下が言うのに仁科が応じる。
「私も久しぶりの人との稽古になるけど、こっちの人のレベルはどうなの?」
「うーん、技術はないですねえ。だけど切りあい殺し合いの実戦経験があるせいか、そういう人とやると迫力があった怖いと思う面はありますね」
「まだ、剣術の『術』が未開発の時代だもんね。でも、竹刀だったら相掛かりをやってもいいのでは?」
「いや、彼らは実戦感覚で突っ込んできますから、相手をするには手加減ができないのですよ。相掛かりをやれば、相手を戦闘不能まで叩く必要があります」
「なるほど、それは無理だな。人を銃でなく刀剣で実際に殺した相手とやるのに手加減はできないよね」
そうした会話の後に、仁科は山下と立ち会ってみた。山下は、段位は仁科より低いが流石に自衛隊で鍛えているだけに、今は自分より強いかなという感じであった。しかし、仁科は2ヶ月ほど鍛えて感を戻せば、互角以上に戦えるという自信はあった。
その日から、仁科は週に4回開いているクラブに大体毎回参加して稽古を始めた。子供用の防具は、その後まもなく山下の手配で手に入ったが、大人の防具は簡単には入手できなかった。
そこで、エンジニアの腕を生かして、防具の胴と面を樹脂板と補強鋼材で作り、小手などはお手のものの縫製技術で作った。こうして、人数分がそろったので、激しい掛かり稽古ができるようになった。ただ、剣道の防具を使ってきたもの達からすれば、奇妙な防具ではあったが、北海道では生産能力が限られていたやむを得ない。
「ちょっと、抵抗はありますね。ジャージの上に樹脂の防具をつけて、樹脂のファイスガードの面ですからね。恩師には見せられませんよ」
そうぼやく山下と、仁科は互角以上の戦いができるようになってきた。
ある日の稽古の時、仁科は3人のものが、山下が若者に相掛かりで稽古をつけているのを、じっと見ているのに気づいた。山下と稽古をしている若者は、18歳の現地出身で油井という郷士の一族の者で真面目に稽古に励んではいるが、まだ習い始めて2ヶ月足らずでは、たいした腕ではない。
見ている3人は、1人は顔に刀傷があり、その濃く日に焼けた肌と雰囲気から地元のこの時代の者と分かる。彼らは、長身の男と、平均的な身長の2人で、明らかに長身の男が強そうだ。この男の身長は178cmある仁科より5cmほど小さいくらいだから、この時代の者としてはかなり大きい。肩幅は広く鍛えた体である。何よりの特徴は頬に斜めに走る傷跡と、濃い眉の下の鋭い目である。
取り巻きの2人が笑ってその男に話しかけ、最初は真面目に見ていた男も、そのうち笑いを浮かべて稽古を見始めた。彼らの服装はベースの人々の作業着だから、ベースに雇われた者であることは間違いないようだ。
その内に、取り巻きの男が声高に言う。
「なんだ!その妙なものを付けての、そのような温い稽古は、それは剣術か?」
その声に稽古中の8人ほどが動作を止めて、その男たちを見るが、手を止めていた仁科が応じる。
「邪魔をしないでい頂きたい。見学は自由だが、稽古中に許可なく声をかけるのは禁止している。あなた方は、農作班の人たちだな。出て行ってほしい」
面は外して胴と小手を付けた稽古着(自作)の仁科が、作業着のマークで彼らの所属を確認して言い返すのに、やや怯みながらもさっき喋った男が更に言い募る。
「な、なにを。戦いの先達としてのち、忠告よ。そげな温い稽古は何の役にも立たん」
「役に立たなくて結構、邪魔だから出て行ってほしい。何だったら、農作班の班長の斎藤さんを通じて言ってもらおうか?」
ベースで働く者達は、秩序を乱すものは放逐するという条項に同意する誓約書を書かされている。そして、一たび放逐されたものは二度と他のベースにも雇われることはない。
そこで、長身の男がしゃべっていた男に頭に拳骨を落として頭を下げて言う。
「山名小太夫と申す。この美輪が失礼いたした。我らの稽古と余りに違うので、あざけるようなことを申したようだ。確かに我らの知らぬ技を使っておられるようだ。できれば一手お教え願いたい。これ、美輪、謝れ!」
殴った男の頭を掴んで下げさせる。頭を引き下げられた男が、もがもが言うのを聞いて仁科は応じる。
「我々もあなた方の学んだ剣には興味がある。しかし、先ほどの美輪氏の言ったことは、お気づきだろうが極めて失礼なことだ。我々の学んでいるのは『剣道』と言って、長い年月に内に練り上げられたものだ」
「うむ、たしかに、言ってはならんことだった。では、稽古はよろしいか?」
「ええ、よろしいでしょう。ただお断りしておきますが、私は10段位まである、剣道の位の3段と言う位置で、多少使えるという程度です」
「おお、なんと、剣道では10段まで!それで、今稽古されていた方は?」
それに対して山下が応える。
「私は山下です。私は2段です。ええと、北海道に居られる最高段位の方は8段ですが、ただお一人です。大部分の方は日本列島と共に消えてしまいました」
結局、話し合った結果、最初に山下と美輪が戦うことになったが、面が足りないのもあって、お互い面はつけずに胴と小手の防具はつけての戦いになった。むろん使うのは竹刀である。
審判は仁科が勤めた。お互いに向き合って、相正眼を指示して手を挙げて「始め!」と始めさせた。ずんぐりしている美輪は、思いのほか素早い動きで、いきなり竹刀を振りかぶって踏み込み、足を狙って竹刀を振り回す。しかし、この時代の人々のトリッキーな動きに慣れている山下は軽やかに横に躱して、振り下ろした手を早く小さい動きで竹刀で払う。
「小手あり!勝者山下!」
仁科の審判に美輪は「まだまだ!」と叫ぶ。
「手を切られてなくなったものが戦える訳はない!」
仁科が返し、「美輪、引っ込め!」山名も言う。
不満そうにしぶしぶ引っ込む美輪を見ながら山名が言う。
「なるほど、防具をつければ、けがもなく何度も稽古が続けられる訳ですな。では次は私が」
山名はそう言って進みでるが続けて言う。
「申し訳ないがその面というものをつけて欲しい、私は面が得意なので。ただ私は慣れないので面は無しにさせてほしい」
少しやり取りはあったが、山名の希望通りとして再度試合が始まった。
開始の合図と共に、山名は正眼からすっと竹刀をあげて大上段に振りかぶって静止する。まさに気迫に満ちた一撃必殺の構えだ。山下は正眼のまま気合を上げて、相手を睨みつけて細かく前後に動くが、殺気に負けて踏み込めない。しばらくの睨み合いの後両者は同時に踏み込み、山名は神速の打ち下し、山下は斜めに踏み込んで、相手の打ち下しを躱しつつ横なぎの胴を狙った。
しかし、山下は山名の打ち下しに面はかろうじて避けたが、完全には躱しきれず、肩への打撃を防ぐために必死に竹刀を立てた。しかし、それをしないで跳ね飛ばされた。竹刀を手放すことはなかったが、構えが崩れたところを胴を抜かれた。これは山名が、振り下ろした竹刀を跳ね上げて横に振った結果である。
「胴あり!勝者山名!」
仁科の判定である。勝者に手を挙げながら、彼は山下が殺気に負けたと思った。おそらく竹刀を扱う技術で言えば、山下が上だろうし、こうした試合の場数でも上であろう。しかし、山名は間違いなく何人もの人を刀で切っているし、槍で突いて屠っているだろう。
そして、彼は大上段の一撃という最も単純な戦法に出て、小回りが利かない自分の欠点を消したのだ。自分の場合、この竹刀の試合では勝てるかも知れないが、真剣を持った殺し合いではまず負けるだろうと思う。幕末の新選組の近藤勇や土方歳三は道場ではごく弱かったらしいが、真剣勝負ではめっぽう強かったらしい。
この山名はそういう『人切り』なのだ。だから、真剣を持って戦うのはまっぴらだが、ここでこの『人切り』と竹刀を持って戦ってみたかった。仁科は自作の面をつけて正眼で山名を睨みつけた。山下が「始め!」と手を挙げると同時に、「ケア!」と気合を発しつつ相手の周りを動き回る。
一撃や二撃で決まるような勝負をしてはいけないのだ。相手を翻弄しなくてはならない。山名は大上段に構えたまま、仁科の向きに合わせて体を回している。暫くのそうしたやり取りの後に、仁科が気合と共に踏み出すと、山名も合わせて踏み込み必殺の振り下ろしを決めようとする。
だが、仁科はさっと大きく横に跳び、その勢いを使って胴を狙って竹刀を水平に振る。山名は、振り下ろしかけた竹刀を横に振って仁科の竹刀を払うが、仁科はそのまま相手の横を走り抜けて、踏ん張り、振り向こうとする相手の胴を突く。面をしていない相手の喉は避けたのだ。
山名はしかし、それも必死に上から打ち落とす。仁科は払われて斜めに下りようとする竹刀を払いあげて、横胴に下斜めから打ち込むと、それはパアンという音を立てて胴に打ち当たる。
山下の手がサッと上がって「胴あり!勝者仁科!」の声が上がる。
山名は一瞬、硬直していたが、表情を緩めてニコリとして言う。
「いや、愉快だ。面白いなあ。負けたが、剣道は面白い」
山名は、三河の豪族の一族の者であったが、妾腹であるためにごく軽い身分として遇されていた。素早さと膂力で、戦さ働きは得意であったが、一族の本家の者から嫌われており、手柄を上げても認められなかった。
それに、血まみれになって人を殺してまわることには嫌悪感があったし、つまらないことで、すぐに戦をする大名という存在に嫌気がさしていた。特にその思いが強かったのは荒れ果てた京の都の姿であり、飢えた多くの子供がさまようのを見て、戦ということに嫌悪感が募るのを感じた。
その京で知ったのは、そうした子供を集めて世話をするという「日本」という集団の存在である。そして彼らは、自動車というもので京を走り回り、御所の警備をしている上に、新しい御所の建設を進めている。山名は、彼らが石山城塞で働く人を募集しているという話を聞いて、果たして集められた子供がちゃんとした扱いをされているかという思いもあって応募したのだ。
顔に傷があり、子供に泣かれてこともある自分が、果たして受け入れられるかという思いはあったが、読み書き算術が出来るのを確認されたこともあって、簡単に採用が決まった。後で聞くと、自分の戦が嫌いなどの考えが「日本」の連中の考えに合っていたらしい。
石山城塞に来てからは、食事や住居などここでの生活は大いに気に入った。それに、農作班として自分の全く理解の外の考え方で農作をすることで、日々学べることに喜びを感じていた。美輪ともう一人の金谷はここに来てからの仲間で、別のものからいじられていたのを山名が助けたことで、慕って追いてくるようになったのだ。
彼らに言わせると、腕っぷしが強く親分肌の彼の周りが良いということだ。特に美輪はおっちょこちょいで軽率なところはあるし、おとなしい金谷を含めて余り頼りになる2人ではないが、可愛げはある。
そして、この『剣道』というのは、実際に血まみれになって戦場を駆け抜けた自分からすれば、見た感じ生温くは感じたが、やってみると適度に緊張感もあって楽しい。なにより、何度でもやり直せるから、数多く稽古をこなせるから、稽古を続ければどんどん強くなっていくことは間違いないと思う。
山名も従来から木刀を持って稽古はしていたが、対人ということになると、真剣になると相手が大けがをするので、軽くにしかできない。しかし剣道ではいくら真剣にやっても、あれだけ道具で守られていれば心配ない。
山名と取り巻きの2人はその日から剣道クラブに入って、稽古に加わったが、22歳という山名の年齢もあってどんどん強くなり、1ヵ月後には仁科と山下が2人で掛かっても敵わなくなった。1年半後には、山名は実質全日本選手権になった北海道の剣道大会で優勝するまでになった。
また、21世紀の社会人としての大先輩の仁科は、山名と美輪と金谷の3人を可愛がり、毎晩のような飲み方の中で、この世紀での社会人の在り方をじっくり伝えたので、彼らにとっては非常に実りの多い付き合いになった。
彼は高校から剣道を始めて、大学では3段の段位を取得していた。高校は進学校だったし、大学は地方の国立大学だったので、とても強豪とは呼べないクラブだったが、それなりに打ち込んで剣道に思い入れはあった。
彼は、所属していた部では強い方ではあったが、やはり強豪校の選手と戦うと分が悪く、対外試合は勝敗は大体において5分5分であった。社会に出てからは、会社に剣道部はなかったので、会社のある地区の体育館に集まる剣道クラブに入って活動していた。そこで、同じ段位では、それなりに強い方であったが、相手が5段レベルになるととても敵わないということが正直なところで、もっと上を目指そうというほどの気はなかった。
ベトナムでは首都ハノイまで行けば在留日本人のクラブがあるらしいが、ハイフォンではそのようなものはなかった。だから、木剣と竹刀はベトナムにも持っていって、型の稽古に素振りとランニングは欠かさないようにしてきたが、気分としては、体調を保つための運動という程度のつもりであった。
仁科は、石山ベースに来るに当たっては、この時代の武士に必ず会えるはずなので、その刀法がどの程度が知るのが楽しみであった。剣道には日本刀の存在が欠かせないが、15世紀末のこの時期にはすでに日本刀は出現していて、普通に使われているはずだ。そして、この時代には治安が乱れ、数多くの戦があったことは事実であるが、その戦いにどのような剣道としての技が使われたかは判然としない。
そこは体育館に隣接する武道場で、30畳程度の畳敷きの柔道場と、同じ程度の板張りの剣道場があって、柔道場では8人、剣道場では12人が稽古をしている。仁科が注目した剣道場には、15歳以下程度の少年が5名で、後は少年か大人が稽古をしている。皆竹刀は持っているが、胴と小手に袴の剣道具をつけているのは大人の2人のみで、2人とも有段者である。
暫く見ていると、教えている有段者らしき男が仁科を気にして声をかけ、仁科も稽古の人々に加わったことで様子が分かった。防具を付けている2人がベース守備隊の20代の自衛隊員で、2段の山下と初段の佐々木である。他はすべて現地の者達で、その内の15歳以上の大人は5人で多少心得がある者達である。
4人は20歳前後で実戦経験もあるというが、力任せで技は殆ど身に付いていない。聞くと、実際に使うのは槍が多く、持っている刀はなまくららしく人を切ると歪むそうだ。
「まだ、皆の防具がないので危なくて掛かり稽古も相掛かり稽古も出来ませんが、次の便で北海道から子供の防具が着くはずです。それからも大人には当分型と、軽い掛かり稽古だけですね。いずれにせよ、3段の仁科さんが加わってもらえるのは心強い」
自衛隊2曹の山下が言うのに仁科が応じる。
「私も久しぶりの人との稽古になるけど、こっちの人のレベルはどうなの?」
「うーん、技術はないですねえ。だけど切りあい殺し合いの実戦経験があるせいか、そういう人とやると迫力があった怖いと思う面はありますね」
「まだ、剣術の『術』が未開発の時代だもんね。でも、竹刀だったら相掛かりをやってもいいのでは?」
「いや、彼らは実戦感覚で突っ込んできますから、相手をするには手加減ができないのですよ。相掛かりをやれば、相手を戦闘不能まで叩く必要があります」
「なるほど、それは無理だな。人を銃でなく刀剣で実際に殺した相手とやるのに手加減はできないよね」
そうした会話の後に、仁科は山下と立ち会ってみた。山下は、段位は仁科より低いが流石に自衛隊で鍛えているだけに、今は自分より強いかなという感じであった。しかし、仁科は2ヶ月ほど鍛えて感を戻せば、互角以上に戦えるという自信はあった。
その日から、仁科は週に4回開いているクラブに大体毎回参加して稽古を始めた。子供用の防具は、その後まもなく山下の手配で手に入ったが、大人の防具は簡単には入手できなかった。
そこで、エンジニアの腕を生かして、防具の胴と面を樹脂板と補強鋼材で作り、小手などはお手のものの縫製技術で作った。こうして、人数分がそろったので、激しい掛かり稽古ができるようになった。ただ、剣道の防具を使ってきたもの達からすれば、奇妙な防具ではあったが、北海道では生産能力が限られていたやむを得ない。
「ちょっと、抵抗はありますね。ジャージの上に樹脂の防具をつけて、樹脂のファイスガードの面ですからね。恩師には見せられませんよ」
そうぼやく山下と、仁科は互角以上の戦いができるようになってきた。
ある日の稽古の時、仁科は3人のものが、山下が若者に相掛かりで稽古をつけているのを、じっと見ているのに気づいた。山下と稽古をしている若者は、18歳の現地出身で油井という郷士の一族の者で真面目に稽古に励んではいるが、まだ習い始めて2ヶ月足らずでは、たいした腕ではない。
見ている3人は、1人は顔に刀傷があり、その濃く日に焼けた肌と雰囲気から地元のこの時代の者と分かる。彼らは、長身の男と、平均的な身長の2人で、明らかに長身の男が強そうだ。この男の身長は178cmある仁科より5cmほど小さいくらいだから、この時代の者としてはかなり大きい。肩幅は広く鍛えた体である。何よりの特徴は頬に斜めに走る傷跡と、濃い眉の下の鋭い目である。
取り巻きの2人が笑ってその男に話しかけ、最初は真面目に見ていた男も、そのうち笑いを浮かべて稽古を見始めた。彼らの服装はベースの人々の作業着だから、ベースに雇われた者であることは間違いないようだ。
その内に、取り巻きの男が声高に言う。
「なんだ!その妙なものを付けての、そのような温い稽古は、それは剣術か?」
その声に稽古中の8人ほどが動作を止めて、その男たちを見るが、手を止めていた仁科が応じる。
「邪魔をしないでい頂きたい。見学は自由だが、稽古中に許可なく声をかけるのは禁止している。あなた方は、農作班の人たちだな。出て行ってほしい」
面は外して胴と小手を付けた稽古着(自作)の仁科が、作業着のマークで彼らの所属を確認して言い返すのに、やや怯みながらもさっき喋った男が更に言い募る。
「な、なにを。戦いの先達としてのち、忠告よ。そげな温い稽古は何の役にも立たん」
「役に立たなくて結構、邪魔だから出て行ってほしい。何だったら、農作班の班長の斎藤さんを通じて言ってもらおうか?」
ベースで働く者達は、秩序を乱すものは放逐するという条項に同意する誓約書を書かされている。そして、一たび放逐されたものは二度と他のベースにも雇われることはない。
そこで、長身の男がしゃべっていた男に頭に拳骨を落として頭を下げて言う。
「山名小太夫と申す。この美輪が失礼いたした。我らの稽古と余りに違うので、あざけるようなことを申したようだ。確かに我らの知らぬ技を使っておられるようだ。できれば一手お教え願いたい。これ、美輪、謝れ!」
殴った男の頭を掴んで下げさせる。頭を引き下げられた男が、もがもが言うのを聞いて仁科は応じる。
「我々もあなた方の学んだ剣には興味がある。しかし、先ほどの美輪氏の言ったことは、お気づきだろうが極めて失礼なことだ。我々の学んでいるのは『剣道』と言って、長い年月に内に練り上げられたものだ」
「うむ、たしかに、言ってはならんことだった。では、稽古はよろしいか?」
「ええ、よろしいでしょう。ただお断りしておきますが、私は10段位まである、剣道の位の3段と言う位置で、多少使えるという程度です」
「おお、なんと、剣道では10段まで!それで、今稽古されていた方は?」
それに対して山下が応える。
「私は山下です。私は2段です。ええと、北海道に居られる最高段位の方は8段ですが、ただお一人です。大部分の方は日本列島と共に消えてしまいました」
結局、話し合った結果、最初に山下と美輪が戦うことになったが、面が足りないのもあって、お互い面はつけずに胴と小手の防具はつけての戦いになった。むろん使うのは竹刀である。
審判は仁科が勤めた。お互いに向き合って、相正眼を指示して手を挙げて「始め!」と始めさせた。ずんぐりしている美輪は、思いのほか素早い動きで、いきなり竹刀を振りかぶって踏み込み、足を狙って竹刀を振り回す。しかし、この時代の人々のトリッキーな動きに慣れている山下は軽やかに横に躱して、振り下ろした手を早く小さい動きで竹刀で払う。
「小手あり!勝者山下!」
仁科の審判に美輪は「まだまだ!」と叫ぶ。
「手を切られてなくなったものが戦える訳はない!」
仁科が返し、「美輪、引っ込め!」山名も言う。
不満そうにしぶしぶ引っ込む美輪を見ながら山名が言う。
「なるほど、防具をつければ、けがもなく何度も稽古が続けられる訳ですな。では次は私が」
山名はそう言って進みでるが続けて言う。
「申し訳ないがその面というものをつけて欲しい、私は面が得意なので。ただ私は慣れないので面は無しにさせてほしい」
少しやり取りはあったが、山名の希望通りとして再度試合が始まった。
開始の合図と共に、山名は正眼からすっと竹刀をあげて大上段に振りかぶって静止する。まさに気迫に満ちた一撃必殺の構えだ。山下は正眼のまま気合を上げて、相手を睨みつけて細かく前後に動くが、殺気に負けて踏み込めない。しばらくの睨み合いの後両者は同時に踏み込み、山名は神速の打ち下し、山下は斜めに踏み込んで、相手の打ち下しを躱しつつ横なぎの胴を狙った。
しかし、山下は山名の打ち下しに面はかろうじて避けたが、完全には躱しきれず、肩への打撃を防ぐために必死に竹刀を立てた。しかし、それをしないで跳ね飛ばされた。竹刀を手放すことはなかったが、構えが崩れたところを胴を抜かれた。これは山名が、振り下ろした竹刀を跳ね上げて横に振った結果である。
「胴あり!勝者山名!」
仁科の判定である。勝者に手を挙げながら、彼は山下が殺気に負けたと思った。おそらく竹刀を扱う技術で言えば、山下が上だろうし、こうした試合の場数でも上であろう。しかし、山名は間違いなく何人もの人を刀で切っているし、槍で突いて屠っているだろう。
そして、彼は大上段の一撃という最も単純な戦法に出て、小回りが利かない自分の欠点を消したのだ。自分の場合、この竹刀の試合では勝てるかも知れないが、真剣を持った殺し合いではまず負けるだろうと思う。幕末の新選組の近藤勇や土方歳三は道場ではごく弱かったらしいが、真剣勝負ではめっぽう強かったらしい。
この山名はそういう『人切り』なのだ。だから、真剣を持って戦うのはまっぴらだが、ここでこの『人切り』と竹刀を持って戦ってみたかった。仁科は自作の面をつけて正眼で山名を睨みつけた。山下が「始め!」と手を挙げると同時に、「ケア!」と気合を発しつつ相手の周りを動き回る。
一撃や二撃で決まるような勝負をしてはいけないのだ。相手を翻弄しなくてはならない。山名は大上段に構えたまま、仁科の向きに合わせて体を回している。暫くのそうしたやり取りの後に、仁科が気合と共に踏み出すと、山名も合わせて踏み込み必殺の振り下ろしを決めようとする。
だが、仁科はさっと大きく横に跳び、その勢いを使って胴を狙って竹刀を水平に振る。山名は、振り下ろしかけた竹刀を横に振って仁科の竹刀を払うが、仁科はそのまま相手の横を走り抜けて、踏ん張り、振り向こうとする相手の胴を突く。面をしていない相手の喉は避けたのだ。
山名はしかし、それも必死に上から打ち落とす。仁科は払われて斜めに下りようとする竹刀を払いあげて、横胴に下斜めから打ち込むと、それはパアンという音を立てて胴に打ち当たる。
山下の手がサッと上がって「胴あり!勝者仁科!」の声が上がる。
山名は一瞬、硬直していたが、表情を緩めてニコリとして言う。
「いや、愉快だ。面白いなあ。負けたが、剣道は面白い」
山名は、三河の豪族の一族の者であったが、妾腹であるためにごく軽い身分として遇されていた。素早さと膂力で、戦さ働きは得意であったが、一族の本家の者から嫌われており、手柄を上げても認められなかった。
それに、血まみれになって人を殺してまわることには嫌悪感があったし、つまらないことで、すぐに戦をする大名という存在に嫌気がさしていた。特にその思いが強かったのは荒れ果てた京の都の姿であり、飢えた多くの子供がさまようのを見て、戦ということに嫌悪感が募るのを感じた。
その京で知ったのは、そうした子供を集めて世話をするという「日本」という集団の存在である。そして彼らは、自動車というもので京を走り回り、御所の警備をしている上に、新しい御所の建設を進めている。山名は、彼らが石山城塞で働く人を募集しているという話を聞いて、果たして集められた子供がちゃんとした扱いをされているかという思いもあって応募したのだ。
顔に傷があり、子供に泣かれてこともある自分が、果たして受け入れられるかという思いはあったが、読み書き算術が出来るのを確認されたこともあって、簡単に採用が決まった。後で聞くと、自分の戦が嫌いなどの考えが「日本」の連中の考えに合っていたらしい。
石山城塞に来てからは、食事や住居などここでの生活は大いに気に入った。それに、農作班として自分の全く理解の外の考え方で農作をすることで、日々学べることに喜びを感じていた。美輪ともう一人の金谷はここに来てからの仲間で、別のものからいじられていたのを山名が助けたことで、慕って追いてくるようになったのだ。
彼らに言わせると、腕っぷしが強く親分肌の彼の周りが良いということだ。特に美輪はおっちょこちょいで軽率なところはあるし、おとなしい金谷を含めて余り頼りになる2人ではないが、可愛げはある。
そして、この『剣道』というのは、実際に血まみれになって戦場を駆け抜けた自分からすれば、見た感じ生温くは感じたが、やってみると適度に緊張感もあって楽しい。なにより、何度でもやり直せるから、数多く稽古をこなせるから、稽古を続ければどんどん強くなっていくことは間違いないと思う。
山名も従来から木刀を持って稽古はしていたが、対人ということになると、真剣になると相手が大けがをするので、軽くにしかできない。しかし剣道ではいくら真剣にやっても、あれだけ道具で守られていれば心配ない。
山名と取り巻きの2人はその日から剣道クラブに入って、稽古に加わったが、22歳という山名の年齢もあってどんどん強くなり、1ヵ月後には仁科と山下が2人で掛かっても敵わなくなった。1年半後には、山名は実質全日本選手権になった北海道の剣道大会で優勝するまでになった。
また、21世紀の社会人としての大先輩の仁科は、山名と美輪と金谷の3人を可愛がり、毎晩のような飲み方の中で、この世紀での社会人の在り方をじっくり伝えたので、彼らにとっては非常に実りの多い付き合いになった。
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日本国破産?そんなことはない、財政拡大・ICTを駆使して再生プロジェクトだ!
黄昏人
SF
日本国政府の借金は1010兆円あり、GDP550兆円の約2倍でやばいと言いますね。でも所有している金融性の資産(固定資産控除)を除くとその借金は560兆円です。また、日本国の子会社である日銀が460兆円の国債、すなわち日本政府の借金を背負っています。まあ、言ってみれば奥さんに借りているようなもので、その国債の利子は結局日本政府に返ってきます。え、それなら別にやばくないじゃん、と思うでしょう。
でもやっぱりやばいのよね。政府の予算(2018年度)では98兆円の予算のうち収入は64兆円たらずで、34兆円がまた借金なのです。だから、今はあまりやばくないけど、このままいけばドボンになると思うな。
この物語は、このドツボに嵌まったような日本の財政をどうするか、中身のない頭で考えてみたものです。だから、異世界も超能力も出てきませんし、超天才も出現しません。でも、大変にボジティブなものにするつもりですので、楽しんで頂ければ幸いです。
A級パーティから追放された俺はギルド職員になって安定した生活を手に入れる
国光
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A級パーティの裏方として全てを支えてきたリオン・アルディス。しかし、リーダーで幼馴染のカイルに「お荷物」として追放されてしまう。失意の中で再会したギルド受付嬢・エリナ・ランフォードに導かれ、リオンはギルド職員として新たな道を歩み始める。
持ち前の数字感覚と管理能力で次々と問題を解決し、ギルド内で頭角を現していくリオン。一方、彼を失った元パーティは内部崩壊の道を辿っていく――。
これは、支えることに誇りを持った男が、自らの価値を証明し、安定した未来を掴み取る物語。
巻き込まれ召喚・途中下車~幼女神の加護でチート?
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商社勤務の社会人一年生リューマが、偶然、勇者候補のヤンキーな連中の近くに居たことから、一緒に巻き込まれて異世界へ強制的に召喚された。万が一そのまま召喚されれば勇者候補ではないために何の力も与えられず悲惨な結末を迎える恐れが多分にあったのだが、その召喚に気づいた被召喚側世界(地球)の神様と召喚側世界(異世界)の神様である幼女神のお陰で助けられて、一旦狭間の世界に留め置かれ、改めて幼女神の加護等を貰ってから、異世界ではあるものの召喚場所とは異なる場所に無事に転移を果たすことができた。リューマは、幼女神の加護と付与された能力のおかげでチートな成長が促され、紆余曲折はありながらも異世界生活を満喫するために生きて行くことになる。
*この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。
**週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**
備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
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死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
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帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
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