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第八夜-2
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◇
五日後、立て続けの航海ではあるが、清達はハワイへと船を出した。
アメリカ本船が賀谷ノ島に再び現れる前になんとしてもハワイを抑えておきたかったからだ。気が急いてしまうのも許して欲しいと思いながら、清は甲板に立っていた。
清達が乗っている蒸気船の名は、「十六夜」と名付けられた。「躊躇う」や「揺蕩う」という意味合いがあまりよろしくないと、鎌之助などは文句を口にしたが、将来この船を操って海戦に臨む後継者達には、この船が多くの命を奪うものであるということを忘れないで欲しいと願いを込めてこの名にした。
雲が重く垂れこめてきたので、清が船室に戻ると眠ったばかりなのか、才蔵が清助を子供用の寝台に横たえていた。
「寝ちゃった?」
「ああ、どうも陸よりも海の方がこいつは寝つきがいいようだな。船に乗せているとあまりぐずらないと鎌之助も言っていた」
「……任せっきりで母親失格ね、私は。この子も海の申し子なのかな。まだまだ赤子なのに船が好きだなんて」
「ありがたいことだろ。いずれ、お前の後を継いでこの船を操るんだ。船好きに越したことはない」
「そうだね」
才蔵と並んで、健やかに眠る息子の頬をそっと突いた。母親の眼差しをする清の肩を才蔵はそっと抱き寄せる。清もそれに身を任せて目を閉じた。鎌之助達を囮にした一件から、二人きりの時間があまり無かったな、などと考えていると才蔵は唐突に清を抱き上げて唇を重ねる。
「さ、才蔵……ここじゃあ声が……!!」
「じゃあ押さえてろ。こっちは鎌之助に宣戦布告されてからいい気分じゃねえんだ」
「……そんなに嫉妬深かったっけ?」
「さあな。……清、もう良いから、黙ってろ」
才蔵の手は優しい。いつも先に清の方が何も考えられなくなる。それを不快に思ったことは無いが、十六夜が如く「揺蕩う」のは心地がいい。
「ねえ、才蔵。言い忘れてた。――佐渡に向かう途中、せっかく心を鬼にして冷徹な判断をした貴方と十勇士の決意を無にした私の味方をしてくれて嬉しかった」
襦袢も付けず、お互いの肌のぬくもりを分かち合う。とろとろと訪れる睡魔に抗いながら、清は感謝を口にした。
「仕方ねえだろ。俺が惚れたのはそういう女なんだから」
「私が好きになった人は、冷たくも暖かくもあるわ。――貴方と夫婦になれて幸せよ」
清は才蔵の返答を待たず、才蔵の腕の中で寝息を立て始めた。
「俺は……あの人を失った時に、清だけは愛せないと思っていたなんて、お前は信じるか?」
答えが無いのを良いことに、才蔵はそっと本音を漏らした。
清を憎んでさえいた。だが、彼女の遺言はこの姫を護れとの命令だった。ゆえに影に徹しようと決めていたのに、この姫は『女』であることを捨ててでも遺された者達に尽くそうとする。その姿があまりに痛々しかった。
責任もなにも感じようとしない姫であったなら惹かれはしなかっただろう。だが清は才蔵の想像すら切り裂いて、ただ今の重責と未来に遺す物を常に考えている。仲間を想ってに身体を壊す程に。
腕の中の清は少し力をいれるだけで壊してしまいそうだ。心は鋼のようなのに、と思いながら才蔵は清を抱きしめたまま、自身も眠りについた。
◇
ハワイ沖に停泊してから数日後のことアメリカ本土から勅使だと名乗る男達がやってきた。軍艦一隻で来たところから戦意はないと判断した清は、洋装に身を包んでアメリカの軍船に乗り込んだ。
アメリカ側の代表は海軍大佐ジョン・F・グレイスと名乗った。年齢は三十代半ばくらいだろうか。金髪にやや癖がある男だった。男物の洋装に、帯刀したまだ少女ともとれる清を見て、グレイス大佐始めその後ろに並んだ四人の海軍将校は眉を顰める。
『はじめまして。プリンセス・キヨ。亡国の生き残りがこんなに可憐な方だとは予想外です』
通訳を通して、清の手の甲に口づけながらグレイス大佐は挨拶をした。それに清は、くっを喉を鳴らして彼らに飾らない言葉を吐きつけた。
「はじめまして、グレイス大佐と皆さま。――正直におっしゃいな。まさかこんな小娘を筆頭に掲げた生き残りが七隻もの軍艦を沈めたとは偽りの報告かもしれない、と」
ぎょっとした通訳に清は目でさっさと訳せと一瞥する。
「おー、姫ったら煽るねえ」
「鎌之助、黙ってろ」
口笛でも鳴らしそうな鎌之助を小助が窘めた。両者に不穏な空気が漂っているのは子供でも解るだろう。その居心地の悪い空気のまま、レースのテーブルクロスが掛かったテーブルに着席する。
『三日前からハワイ沖に停泊なさっているとのことですが、御用向きはなんでしょう?』
「旅行よ。以前、オランダの商館長からハワイのお話しを耳にしたので、戦闘に明け暮れている仲間への労いと、誘拐されかけた息子は船が好きだから息子の為にね」
『建て前は不要と先におっしゃったのは貴女ですが』
「そうね。じゃあ、さっさと本音を言いましょうか? グレイス大佐、貴方は下がりなさい。――後ろの右から二人目の顎鬚の貴方。本物の責任者は貴方でしょう? こちらをなめるのもいい加減にして欲しいわね」
清の指摘に五人の男はぎょっと肩を揺らす。
『なにを、根拠に……』
「猿芝居なら余所でやりなさい。ここにいる全員が本物の責任者が誰なのか気がついているわよ。ちらちらと横目で見ていたら馬鹿でも気づくわ」
清の容赦ない指摘に男達は顔を見合わせて、ようやく顎鬚の男がグレイスと交代した。
『失礼をした。貴女方を試したかったのです。私が責任者のロバート・ショーンと申すアメリカ政府官房長の任にございます』
「はじめまして、ショーン閣下。やっとちゃんとした話ができるわ。単刀直入に言います。これ以上日本への侵入及び介入はきっぱりと辞めて頂く旨を書面にて誓約して下さい」
『それは……本国と検討の末……』
「じゃあ、貴方はなにをしに出てきたの? 猿芝居をする為? ――ねえ、ショーン官房長。後ろのグレイス大佐の横につっ立っている部下に訊いてみてはどうかしら? 背中に日本刀で十字傷を刻まれた気分を、ね」
通訳が訳した言葉に、後ろの男は一気に顔から血の気が引いた。猛々しい獣よりももっと残忍で残酷な女の眼差しにショーンもテーブルの下で震える脚を拳で叩いた。
『……なんのことだろうか?』
「とぼけるなと言っているのよ。私が自分の部下を殺した相手の顔を見忘れるとでも? これが最終通告よ。貴方はアメリカ政府を背負って、私の前に出てきたのでしょう? ならばロバート・ショーンという男の決定はアメリカ政府の総意だと宣言なさい!! 私は日本国の全ての生き残りの命を背負って、この場に来ているのだから!!」
腰の刀をショーンの眼前に突きつけて、清姫は一喝する。
この娘は、連れてきた帆船とこの刀だけでアメリカ海軍を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。同胞の血を吸った刀が如何ほどの物か、それを手足のように操る鬼姫の恐怖は後ろの部下の様子から察せられる。
本国へ話を持ち帰ると引き延ばすことも通用しない。もし拒んで彼女達が暴れたとしても、ただ停泊していた日本の乗船者を殺したと世論や国際社会から非難を浴びるのはアメリカであることは明白。ただでさえ日本人は生き残りが少ない。
――すべて計算しつくして、この娘はやってきたのだ。
ショーンは項垂れると『……誓おう。ここでの交渉内容はすべて書面に記し、本国へも私が決定を通す』と答えた。
「結構。書き止めた書面は去り際に偽りがないか、こちらでも確認させて頂きます。途中で改竄しても無駄よ。ここでの決定はイギリスとオランダの証人も連れてきていますからね」
項垂れていたショーンは、その一言にはっと顔を上げた。
よくよく目を凝らすと清の供である男達の中に髪を黒く染めてはいるが、明らかに日本人ではないと解る男が二人紛れ込んでいた。清にばかり気をとられていたのが仇となった。蒼褪めるショーン官房長に、清姫は目を細めて「では、お話しを始めましょうか」と小首を傾げてみせた。
◇
会談が終了するやいなや、またオランダ人に化けていた鎌之助はひいひいと片腕で腹を押さえて笑っていた。さすがに甚八ですらその様子に苦言を呈す。
「お前、笑い上戸だったか? 由利坊よお……」
「だあってさ、すっかり俺の事をオランダ人だと信じているんだもん。そりゃ腹も痛むよ」
「鎌之助は放っておいて。ヨハンもありがとう。さすがに鎌之助でも金髪碧眼には化けられないもの」
「いやあ、私の心はもう日本人のつもりですよ。家庭まで持っちゃいましたからね」
「十六夜」の水夫としてやってきたヨハンは国籍こそオランダだが、実際はイギリス人である為にイギリス海軍で船の操舵と砲撃を学んだという。賀谷ノ島に来てからは、島民の日本人と結婚して子供まで居るのだ。気さくなヨハンだが、実際に今でもイギリス海軍とも繋がっているので、嘘はついていないことになるだろう。
「じゃあ、イギリスとオランダの両方に今日の書状の写しを送っておいてね」
「お任せください」
屈託なく笑うヨハンに書状を託し、彼に清海と共に先に「十六夜」へと戻ってもらう。
「まったく、おひいさんには驚かされるぜ。――不可侵条約だけでなく、領土までぶんどっちまったんだからなあ」
甚八は「祝杯してえなあ」と大きく伸びをした。
「グアムだったか。まさか準州をくれるとはな。ショーンは間違いなく降格か懲戒処分だろうが……まあ、こちらが受けた痛手を考えると同情なんざしねえがな」
「才蔵の言う通りですね。――姫、グアムを手に入れた訳ですが、賀谷ノ島からの移動はどうお考えなのです?」
小助の質問に清は「一旦、賀谷ノ島に戻って、皆の意思を訊いてからかなあ」と歩きながら答える。
「移民は希望者だけで良いと思っているの。あの島で所帯を持った御庭番衆も強制はしないわ。そりゃ、これで本格的に拠点ができて調査に集中できるから、御庭番衆全員が来てくれるとありがたいけど、グアムにちゃんと根を張ってからの話だしね」
――ハワイ沖の空は快晴。頬を撫でる海風も、賀谷ノ島とは異なる湿気の無い気持ちのいい風だった。
この後、グアムは「本宮島」と名を変え、清姫率いる日本の本拠地となった。
★続...
五日後、立て続けの航海ではあるが、清達はハワイへと船を出した。
アメリカ本船が賀谷ノ島に再び現れる前になんとしてもハワイを抑えておきたかったからだ。気が急いてしまうのも許して欲しいと思いながら、清は甲板に立っていた。
清達が乗っている蒸気船の名は、「十六夜」と名付けられた。「躊躇う」や「揺蕩う」という意味合いがあまりよろしくないと、鎌之助などは文句を口にしたが、将来この船を操って海戦に臨む後継者達には、この船が多くの命を奪うものであるということを忘れないで欲しいと願いを込めてこの名にした。
雲が重く垂れこめてきたので、清が船室に戻ると眠ったばかりなのか、才蔵が清助を子供用の寝台に横たえていた。
「寝ちゃった?」
「ああ、どうも陸よりも海の方がこいつは寝つきがいいようだな。船に乗せているとあまりぐずらないと鎌之助も言っていた」
「……任せっきりで母親失格ね、私は。この子も海の申し子なのかな。まだまだ赤子なのに船が好きだなんて」
「ありがたいことだろ。いずれ、お前の後を継いでこの船を操るんだ。船好きに越したことはない」
「そうだね」
才蔵と並んで、健やかに眠る息子の頬をそっと突いた。母親の眼差しをする清の肩を才蔵はそっと抱き寄せる。清もそれに身を任せて目を閉じた。鎌之助達を囮にした一件から、二人きりの時間があまり無かったな、などと考えていると才蔵は唐突に清を抱き上げて唇を重ねる。
「さ、才蔵……ここじゃあ声が……!!」
「じゃあ押さえてろ。こっちは鎌之助に宣戦布告されてからいい気分じゃねえんだ」
「……そんなに嫉妬深かったっけ?」
「さあな。……清、もう良いから、黙ってろ」
才蔵の手は優しい。いつも先に清の方が何も考えられなくなる。それを不快に思ったことは無いが、十六夜が如く「揺蕩う」のは心地がいい。
「ねえ、才蔵。言い忘れてた。――佐渡に向かう途中、せっかく心を鬼にして冷徹な判断をした貴方と十勇士の決意を無にした私の味方をしてくれて嬉しかった」
襦袢も付けず、お互いの肌のぬくもりを分かち合う。とろとろと訪れる睡魔に抗いながら、清は感謝を口にした。
「仕方ねえだろ。俺が惚れたのはそういう女なんだから」
「私が好きになった人は、冷たくも暖かくもあるわ。――貴方と夫婦になれて幸せよ」
清は才蔵の返答を待たず、才蔵の腕の中で寝息を立て始めた。
「俺は……あの人を失った時に、清だけは愛せないと思っていたなんて、お前は信じるか?」
答えが無いのを良いことに、才蔵はそっと本音を漏らした。
清を憎んでさえいた。だが、彼女の遺言はこの姫を護れとの命令だった。ゆえに影に徹しようと決めていたのに、この姫は『女』であることを捨ててでも遺された者達に尽くそうとする。その姿があまりに痛々しかった。
責任もなにも感じようとしない姫であったなら惹かれはしなかっただろう。だが清は才蔵の想像すら切り裂いて、ただ今の重責と未来に遺す物を常に考えている。仲間を想ってに身体を壊す程に。
腕の中の清は少し力をいれるだけで壊してしまいそうだ。心は鋼のようなのに、と思いながら才蔵は清を抱きしめたまま、自身も眠りについた。
◇
ハワイ沖に停泊してから数日後のことアメリカ本土から勅使だと名乗る男達がやってきた。軍艦一隻で来たところから戦意はないと判断した清は、洋装に身を包んでアメリカの軍船に乗り込んだ。
アメリカ側の代表は海軍大佐ジョン・F・グレイスと名乗った。年齢は三十代半ばくらいだろうか。金髪にやや癖がある男だった。男物の洋装に、帯刀したまだ少女ともとれる清を見て、グレイス大佐始めその後ろに並んだ四人の海軍将校は眉を顰める。
『はじめまして。プリンセス・キヨ。亡国の生き残りがこんなに可憐な方だとは予想外です』
通訳を通して、清の手の甲に口づけながらグレイス大佐は挨拶をした。それに清は、くっを喉を鳴らして彼らに飾らない言葉を吐きつけた。
「はじめまして、グレイス大佐と皆さま。――正直におっしゃいな。まさかこんな小娘を筆頭に掲げた生き残りが七隻もの軍艦を沈めたとは偽りの報告かもしれない、と」
ぎょっとした通訳に清は目でさっさと訳せと一瞥する。
「おー、姫ったら煽るねえ」
「鎌之助、黙ってろ」
口笛でも鳴らしそうな鎌之助を小助が窘めた。両者に不穏な空気が漂っているのは子供でも解るだろう。その居心地の悪い空気のまま、レースのテーブルクロスが掛かったテーブルに着席する。
『三日前からハワイ沖に停泊なさっているとのことですが、御用向きはなんでしょう?』
「旅行よ。以前、オランダの商館長からハワイのお話しを耳にしたので、戦闘に明け暮れている仲間への労いと、誘拐されかけた息子は船が好きだから息子の為にね」
『建て前は不要と先におっしゃったのは貴女ですが』
「そうね。じゃあ、さっさと本音を言いましょうか? グレイス大佐、貴方は下がりなさい。――後ろの右から二人目の顎鬚の貴方。本物の責任者は貴方でしょう? こちらをなめるのもいい加減にして欲しいわね」
清の指摘に五人の男はぎょっと肩を揺らす。
『なにを、根拠に……』
「猿芝居なら余所でやりなさい。ここにいる全員が本物の責任者が誰なのか気がついているわよ。ちらちらと横目で見ていたら馬鹿でも気づくわ」
清の容赦ない指摘に男達は顔を見合わせて、ようやく顎鬚の男がグレイスと交代した。
『失礼をした。貴女方を試したかったのです。私が責任者のロバート・ショーンと申すアメリカ政府官房長の任にございます』
「はじめまして、ショーン閣下。やっとちゃんとした話ができるわ。単刀直入に言います。これ以上日本への侵入及び介入はきっぱりと辞めて頂く旨を書面にて誓約して下さい」
『それは……本国と検討の末……』
「じゃあ、貴方はなにをしに出てきたの? 猿芝居をする為? ――ねえ、ショーン官房長。後ろのグレイス大佐の横につっ立っている部下に訊いてみてはどうかしら? 背中に日本刀で十字傷を刻まれた気分を、ね」
通訳が訳した言葉に、後ろの男は一気に顔から血の気が引いた。猛々しい獣よりももっと残忍で残酷な女の眼差しにショーンもテーブルの下で震える脚を拳で叩いた。
『……なんのことだろうか?』
「とぼけるなと言っているのよ。私が自分の部下を殺した相手の顔を見忘れるとでも? これが最終通告よ。貴方はアメリカ政府を背負って、私の前に出てきたのでしょう? ならばロバート・ショーンという男の決定はアメリカ政府の総意だと宣言なさい!! 私は日本国の全ての生き残りの命を背負って、この場に来ているのだから!!」
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――すべて計算しつくして、この娘はやってきたのだ。
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「結構。書き止めた書面は去り際に偽りがないか、こちらでも確認させて頂きます。途中で改竄しても無駄よ。ここでの決定はイギリスとオランダの証人も連れてきていますからね」
項垂れていたショーンは、その一言にはっと顔を上げた。
よくよく目を凝らすと清の供である男達の中に髪を黒く染めてはいるが、明らかに日本人ではないと解る男が二人紛れ込んでいた。清にばかり気をとられていたのが仇となった。蒼褪めるショーン官房長に、清姫は目を細めて「では、お話しを始めましょうか」と小首を傾げてみせた。
◇
会談が終了するやいなや、またオランダ人に化けていた鎌之助はひいひいと片腕で腹を押さえて笑っていた。さすがに甚八ですらその様子に苦言を呈す。
「お前、笑い上戸だったか? 由利坊よお……」
「だあってさ、すっかり俺の事をオランダ人だと信じているんだもん。そりゃ腹も痛むよ」
「鎌之助は放っておいて。ヨハンもありがとう。さすがに鎌之助でも金髪碧眼には化けられないもの」
「いやあ、私の心はもう日本人のつもりですよ。家庭まで持っちゃいましたからね」
「十六夜」の水夫としてやってきたヨハンは国籍こそオランダだが、実際はイギリス人である為にイギリス海軍で船の操舵と砲撃を学んだという。賀谷ノ島に来てからは、島民の日本人と結婚して子供まで居るのだ。気さくなヨハンだが、実際に今でもイギリス海軍とも繋がっているので、嘘はついていないことになるだろう。
「じゃあ、イギリスとオランダの両方に今日の書状の写しを送っておいてね」
「お任せください」
屈託なく笑うヨハンに書状を託し、彼に清海と共に先に「十六夜」へと戻ってもらう。
「まったく、おひいさんには驚かされるぜ。――不可侵条約だけでなく、領土までぶんどっちまったんだからなあ」
甚八は「祝杯してえなあ」と大きく伸びをした。
「グアムだったか。まさか準州をくれるとはな。ショーンは間違いなく降格か懲戒処分だろうが……まあ、こちらが受けた痛手を考えると同情なんざしねえがな」
「才蔵の言う通りですね。――姫、グアムを手に入れた訳ですが、賀谷ノ島からの移動はどうお考えなのです?」
小助の質問に清は「一旦、賀谷ノ島に戻って、皆の意思を訊いてからかなあ」と歩きながら答える。
「移民は希望者だけで良いと思っているの。あの島で所帯を持った御庭番衆も強制はしないわ。そりゃ、これで本格的に拠点ができて調査に集中できるから、御庭番衆全員が来てくれるとありがたいけど、グアムにちゃんと根を張ってからの話だしね」
――ハワイ沖の空は快晴。頬を撫でる海風も、賀谷ノ島とは異なる湿気の無い気持ちのいい風だった。
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