大好きな君と離れる日まで

矢田川いつき

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第四章 きみに好きだと言いたくなる日に

第十五話

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 彩月に俺の記憶障害について説明してから、二週間が経過した。
 良くも悪くも、それからの彩月の反応は予想通りだった。こんな面倒くさい障害を患っている俺を敬遠することなく寄り添ってくれて、あろうことか小中学生の時に俺の異変に気づかなかったことを落ち込んで、そして記憶障害の原因を探るにしろ探らないにしろ傍で支えたいと言ってくれた。
 あんなに冷たく当たったのに、嫌いと面を切って伝えたのに、それでも彩月は俺のことを想ってくれていた。そこまでしてくれる彼女を思えば、やはり俺はこの記憶障害を克服したかった。
 けれど、無理はできない。
 解離性健忘症の原因は、主に精神への過剰な負担だ。記憶障害を克服するために原因を探ろうとすれば、どうしても俺の精神へ深刻なダメージを与えた事柄に向き合う必要が出てくる。無理に思い出そうとしたりその原因と接触しようとしたりすれば逆に悪化する危険性もあるため、行動には慎重を期さなければならない。これは、解離性健忘症と診断された時に医者から言われたことでもある。
 あくまでも無理なく、少しでも嫌な違和感があればやめる。彩月と話し合い、記憶障害の原因を探してみようと結論付けた時にした約束だ。
 それに、記憶障害の改善には原因の克服のほかにも、リラックスをしている状態を意識的に作るというものがある。その話をした時に彩月は嬉々として俺を隣町にある海浜公園に連れて行きからかってきたが、まあつまりはそういうことだ。
 過度に記憶障害を深刻に捉えず、日々を楽しく過ごす。これも、症状の改善にとっては必要なことなのだ。
 その意味では、颯斗の言う通り彩月に記憶障害のことを話して良かったと思う。彩月と一緒に過ごす日々はやっぱり俺にとっては楽しく充実したものだった。どうしても神経質に、陰鬱にならざるを得なかった毎日が、彩月と一緒にいることで穏やかに、それでいて笑える日々に変わっていった。
 ひとりで抱えるには大きすぎる障害を、自分が一番信頼できて、一緒にいたいと思える人が理解してくれる。その喜びと安心感は、俺の想像を遥かに超えていた。
 けれど、彩月には大きな感謝を感じる一方で、やはりどうしても拭えない罪悪感があった。俺の記憶障害に気を遣ってくれているのは明らかだし、なにより俺が彩月を遠ざけようと思った理由である「彩月を縛ってしまうこと」が、現実には起きている。まあ、それを彩月に伝えたところで、「それでも私は遼くんと一緒にいたいからいいの」と一蹴されたのだが。
 彩月は、強い。
 でも、それは絶対ではない。
 寄りかかるだけじゃなくて、そんな彩月のためにできることを俺もしていきたい。
 いろいろ考えた末に思いついたのは、もっと彩月に笑ってもらえるように楽しい思い出を積み重ねていこうってくらいの答えだったけれど、それでも俺は、俺にできることをしていきたい。

「で、今日の動物園イベントが発生したわけか」
「うるせー。口元だけニヤけるのキモいからやめろ」

 丘陵公園、森林公園、街中にある猫の額のような公園数カ所、と回った日々からさらに数日後。
 桜もそろそろ散り始めてきた土曜日の昼に、俺は颯斗とハンバーガー店で昼食をともにしていた。
 颯斗には、彩月に記憶障害について教えたことだけを簡潔に伝えていた。ただ、俺が彩月に冷たく当たっていたことを𠮟ってくれた友達にそれだけで済ませるのはなんとなく不義理な気がしたので、こうしてハンバーガーを奢ってお礼をとともに近況を話した。この後に控えている、彩月と今谷を交えて動物園に行くことになった理由の説明も兼ねて。

「でも、思い出づくりなら俺と今谷はべつにいらないだろ。二人だけで行ってこいよ」
「もちろん、彩月と二人でもいろいろ行くよ。でもお互いの友達交えて遊ぶのも楽しいだろ」
「その本音は?」
「彩月が今谷を誘ったら、颯斗にも来てほしいって言われたからっていうのもある」
「やっぱりな」

 俺が正直に今日の経緯を話すと、颯斗は大仰にため息をついてみせた。ただ、「気乗りしないから帰る」などと言い出さない辺り、そこまで嫌というわけでもないんだろう。
 去年もそうだった。颯斗は今谷からのアプローチをのらりくらりとかわしていたけれど、明確な拒絶や嫌悪といったものは持っていなかった。訊かれたことには答えるし、今谷のどうでもいい話にもそれなりに付き合っていた。

「あのさ、そもそもなんで今谷はそんなにお前のことを好いてるんだ? お前なにしたんだよ?」

 彩月たちとの待ち合わせ時間まではまだ少しある。なんとなく疑問に思って尋ねると、颯斗は何の気はなしに答えてくれた。

「ああ、言ってなかったっけ。俺、今谷と小中も一緒なんだよ」
「は?」

 答えてはくれた。しかし、その内容は完全に予想外だった。

「え、なに? つまりは幼馴染ってこと?」
「んー、幼馴染とはちょっと違うかな。べつに住んでるところは離れてるし、一緒に遊んだこともないし、ただクラスはよく一緒になってたから、お互い顔見知り程度ではあった感じ。映画や漫画なんかでよくある、それこそ遼と菅浦さんのような関係では全くないよ」

 なるほど。確かに、それだと仲の良い幼馴染とは言えない、かもしれない。

「でもそれなら、なんで高一からいきなり今谷は颯斗にアプローチをしてんだ?」
「それがわからないんだよ。だから俺も困ってる」

 とても困っているようには見えない無表情で、颯斗は手元のアイスコーヒーを飲んだ。やっぱり何を考えているのかわからない。今谷のことを本当はどう思っているのか、もっと言えば好きなのかどうか訊きたいところではある。
 というのも、今回動物園に行くのは、彩月が今谷にお礼も兼ねてアプローチをする場をセッティングしたいと言い出したからだ。それでその提案を今谷にしたところ、感謝感激とばかりに乗ってきた。彩月曰く、一緒に服を買いに行ってこの日のためのオシャレも万全とのことだ。
 そして俺も、彩月を支えてくれた今谷には感謝している。そして高一からずっと直向きにアプローチをしていたところを知っているので、颯斗がまんざらでもないようなら応援したいと思っている。そのための情報を颯斗本人から聞き出すのは俺にしかできないので、どうにかして本音は聞いておきたいところだが、これがなかなか難しい。
 それに、好意を伝えることをトリガーに起こる俺の記憶障害について、颯斗には話している。ゆえに、仮に今谷のことが好きだと思ってはいたとしても、そんな俺に気を遣ってはぐらかすか、正直に答えてくれない可能性も高いのだ。はてさて、どうしたものか。
 俺も颯斗にならってすっかりぬるくなったアイスコーヒーを口に含む。するとそこで、唐突にひとつの閃きが降ってきた。

「あのさ颯斗。思ったんだけど、困っててわからないならさ、直に訊けばいいんじゃね?」
「え?」

 まさしくラマヌジャン。最高の意趣返し。俺の頭に降ってきたのは、以前颯斗がカラオケ店で言っていたことだった。
 確かあの時、颯斗は彩月に「ウジウジしているのを見るのは好きじゃない。それなら直接訊けばいい」といったようなことを言っていた。今の颯斗はまさにその状況じゃないだろうか。今谷からのアプローチの理由がわからずに、ひとり考えているのだ。

「今日はさ、チャンスだろ。訊かざるを得ない状況だ。それこそお前が前言ってたことだろ。ウジウジ悩むくらいなら行動あるのみ、だ」
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「近いことは言ってただろ」

 はやる気持ちを押さえて、俺は先日のカラオケ店でのことを話した。俺にとっては苦い思い出であることは間違いないので、空気が重くならないようにいじり気味に。すると颯斗は、ようやく思い至ったように「ああ」と頷いた。

「でも俺、困ってはいるけどべつに遼や菅浦さんみたく相手の気持ちとか気になってないからな。わからないけど訊く必要もないっていうか」
「え?」

 でも、続いて彼の口から出てきたのはどこまでもブレない冷静で無感動な言葉だった。一気にこちらの熱が冷えていく。なんだこいつは。

「颯斗お前、ほんと人にはお節介なくせして自分のことになると冷めてるよな」
「まあね」

 そんな話をしていると、そろそろ彩月たちとの待ち合わせ時間が近づいてきた。これ以上は、押しの強い今谷に任せることにしよう。
 まあ、こいつもこいつで苦労してるんだもんな。
 少し昔のことも思い出しつつ、俺はトレーを持って席を立つ颯斗の後に続いた。
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