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しおりを挟む「や、辞めるの?」
怪我をしていた部分が回復し、俺は通常の食料輸送任務の為にあちこち飛び回り、他の隊員は物資の管理や付近の魔物の食滅に従事するようになり、いつものハヤト隊として機能していた時。
食料輸送の任務が終わり戻ってきた時、二人の兵士に呼び止められ、その内の一人が軍を退役したいと言い出した
「悪いね隊長」
少し申し訳ない顔をしながら俺と目を合わせようとしない、この部隊で誰よりもガタイの良い女性兵士マース・シーメント。申し訳なさそうにしているが少しだけ顔がにやけているように見える
「‥‥‥」
その隣では顔を真っ青にして震えている少年。もとい、少年の様に見える成人した男性兵士のノース・ビベル。いつもオドオドした性格だが、マースの隣にいる彼はそれに拍車をかけるようにビクビクしていた。何か悪い事をして怒られるのを恐れているような‥‥‥
部隊から抜けたいではなく、軍を辞めたいと言ったことから、ハヤト小隊自体に何か問題がある訳ではない事は察しがつくが、それでもこの小隊自体に何かあるのかと過去にあった出来事を思い出し、俺に落ち度が無かったか脳がフル回転で確認作業に入る、部下に辞めたいと言われた事が初めてなので嫌な汗が体から噴き出る。
「で、で? その理由は? 特に理由もなく辞めるのは難しいし手続きもあるんだけど」
マースは少し恥ずかしそうにもじもじしながら、上目づかいで俺を見て
「実はアタイ‥‥妊娠しちゃって」
◆◇
寿退社とは?
祝うべきおめでたい事柄であり、主に結婚し家事や出産・育児など家庭に入る事を示す。同じ職場の人達から祝福され見送られるという、今まで一緒に働いてきた同僚などは笑顔で
「おめでとう」
「お幸せに」
など声を掛けてもらい、笑顔で次の新しい人生へと歩み出す
ただ、皆が皆祝福をして送り出す訳ではない、陰では頭を抱えている人がいるという事も忘れないであげて下さい
俺の父と母は、元は同じ会社の先輩と後輩だった。母が先輩として後輩の父の面倒を見る機会が多く、そこで愛を育んでいたと。
父親と母親のそういう話は別に聞きたいとも思わないし、正直聞きたくはないのだが、母親とはそう言った話を聞いてもいないのに話してくる生き物なのでしょうがない。
初めてのデートで━━とか、クリスマスに━━とか、隙あらば話そうとする
まあ、その話はいいとして、父と母はそんな事もあり結婚することになった。そしてそれを期に母は家庭に入る為退社をする事になったのだが、母は仕事が良く出来きかなり優秀だった。その時の両親の上司は母の事をかなり頼りにしていたらしく、結婚しても会社に残るようにお願いしたのだが、母はそれを断り退社した。
頼りにしていた部下を失った上司はかなり大変な思いをしたという、それは同じ部署にいた父にも同じことなのだが、その事でしばらくの間上司にネチネチと言われ続けたと
その時の父は
「一人抜けただけで立ち行かなくなるんだったら、それは上司であるお前の能力が無いからだろう?」
まだ若く尖っていた父はそう上司に言ったらしい
そして時が過ぎ‥‥‥父が部下を持つようになった時、かなり優秀な女性社員が父の下に着いたのだが、その女性社員は同じ部署の男性社員と結婚し寿退社をしてしまった
因果応報
戦力的に穴が開き、上手く仕事を回せなくなり父は頭を抱えた
兄さんも似たような経験があるようで、仕事で忙しく暫くの間家に帰ってこなかった時期がある
世の中の結婚して子育ての為に退社した女性は、子育てが一段落すると会社に戻りまた働きたいと願う人がいる一方、上武家の女性陣である母と同じく寿退社した姉の洋子は
「「もう働きたくないでござる」」
と二人そろって言っていた。
また会社に戻り色々と面倒事で気を遣うよりは、家庭に入り子供の面倒を見たり家事をしていた方がマシだと
心臓が悪かった頃は、ちゃんと働けるだろうか? 働きたい働きたい、と思っていた俺だったが、いざ軍に入り働くようになると
「もう働きたくないでござる」に考えが変わってしまった。
これは上武家の血のせいなのか? 出来る事なら母や洋子の様に女に生まれ、家庭に入りたかった‥‥
だが残念な事に俺は男に生まれてしまい、尚且つ今現在、父とそして兄さんと同じ道を辿ろうとしている。
ウチの部隊には女性兵士が3人おり、いつかはそんな日が来るだろうと考えていたが、まだ先の話だろうとノープランでいた結果、頭を抱える事になった。
これにはタクティアも苦笑いするだろう
◆◇
マース・シーメントは軍を辞め、ハヤト隊から外れる事となった
マースがハヤト隊に配属された時から彼女とはあまり接点が無い、俺はよくあちこち飛ばされていたし話をした事もごくわずかだ。
だがそれでも同じ部隊の隊員が外れるというのは寂しく感じる
既にマースは軍を辞め、父親になるノース・ビベルは特別に休暇を貰い、マースの両親に会いに行っているでここにはいない
「それでどうすんの?」
「困りましたねぇ」
一人減った事で部隊にも色々と支障が出てくる、この場所にずっと居られるなら微々たるものだが、我が隊はあちこちに飛ばされるのでそうでもない、『破壊の一族』ソルセリーを守るための部隊は10人でも少ないのに更に人が減るとなると‥‥タクティアもさぁ~えり好みしないでもっと入れたらいいのに
「ねぇ、困ったって言っている割にはそんなに困った顔してないよね」
今後の事でタクティアと話をしているのだが、マースが抜けた事を余り危惧してない様子だった
「困ってますよ? 予定と違ってきますから」
「タクティアが思っているその予定とやらを聞いてみたいんだけど」
「近々この場所から移動する事になります」
「‥‥大丈夫なの?」
この場所は物資の集積所となっており、敵との戦闘を心配する必要はない。自分としてはここにずっと居た方が安全だと思ったんだが
「ハヤト隊長が考えているのはソルセリーの事ですよね? ここに居た方がいいって」
「うん」
「でも今度移動する場所はもっと安全ですよ」
「へぇーそんな場所あるの? 第一キャンプ地とか?」
「いえ、そこより安全です、魔物とかも出てきませんから」
「ほう‥‥それで、その場所ってのは?」
「ラベル島ですね」
◆◇◆◇
「すげぇ! マジ海じゃん!」
「隊長は海は初めてなのかしら?」
「ああ! 生れて始めて海を見たよ」
目の前にはどこまでも続く海水、さざ波程度に海面が揺れキラキラと太陽の光が反射している。海軍が誇る軍艦が港を埋め尽くし、遠くでは漁船らしき小さな船の周りを海鳥たちがおこぼれに預かろうと集まっていた
「うわぁ~、すげぇキレイ」
テレビでしか見た事が無い海が今目の前にある、目を凝らしても先が見えない水平線、『ああ、星は丸いんだな』と実感する
生まれてこの方、俺は海を今まで見た事が無かった。海なし県に住んでいるというのもあるが、体のせいで遠出できず、遠方の親戚の家にさえ行ったことが無い。
一度は生で見てみたいと思っていた海をやっと見る事が出来た
吸い込まれそうな位、空よりもより青い海を見ていると
「あっ‥‥」
自然と涙がこぼれ落ちた
隣にいたソルセリーがハンカチを渡してくるが
「いや、大丈夫」
指で涙をぬぐう
いつまでも眺めていたい程美しい風景に、かすかに匂う香り。これが潮の匂いというものだろうか? いままで嗅いだことの無い匂いだ
不思議な匂いに心を取られていると、不意に風向きが変わり、海の方から風が吹いてくる
ああ、これが潮風か‥‥‥ウッ!!
「くっ、くっさあぁぁぁい!!」
初めての海に感動した。そして海は臭いものだと初めて分かった
父親が出張で金沢に行った時、日本海側の海は全く匂いがしなかったと言っていた。逆に太平洋側は潮の匂いが強いと
海に行った事が無く聞いても全く分からなかった俺は、塩の濃度が違うと予想をしコップに塩を入れて実験した事があるが、いくら塩を足してもカルキの匂いしかしなかった思い出がある。
全く意味の無い実験であった
もげそうな悪臭ともいえる匂いに面食らっているが、ソルセリーはいたって普通にしている
「ソルセリーは臭くないのこれ」
「特に臭いとは思わないわよ、でも軍艦に乗るんだから臭いなんて言ってられないわよ」
「最悪」
「ふふっ、直ぐに馴れると思うわ」
今まで知らなかった海の匂いに始めて見た海の感動が半減した時、黄色の魔法陣からノーム達が顔だけ出してきた
「大将、大将」
「なんか用か?」
「買い出し行って来てもいいですかね?」
「買い出しって何を買ってくるつも‥‥ああ、つまみね、いいよ行っておいで」
「ういっす」
そして3体ぞろぞろと魔法陣から出て買い出しに向かうノーム達であった
ハヤト小隊はマース・シーメントが抜けた4か月後、今まで受け持っていた場所を離れ、別の任務地へと赴く事となる。
大陸から切り離された離島、ラベル島への駐留となる。
自国の領海内に存在するその島で防衛の任務に当たる事になるが、そこには様々な思惑が重なり、実際にはラベル島への駐留にはならなかった
タクティアでさえ、この後起こる出来事には予測すらついていなかった
この世界に来て22年目
この後の出来事は俺にとって、そしてハルツールにとっての分岐点となる、そしてハルツール、マシェルモビアの明暗を分ける作戦が実行されようとしている事は、ほんの一部の存在しか分かっていなかった
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