十五歳の新人侍女は、王宮の禁忌を知ってしまった ――禁図書館戦記

水戸直樹

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第3話 知らないふりが命綱

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 王宮は、思っていたよりも近かった。

 けれど、門をくぐった瞬間、空気が変わった。

 理由は分からない。
 ただ、ここでは勝手に背筋が伸びた。

 磨き抜かれた石の床。
 高い天井。
 壁には、歴代王族の肖像画が並んでいる。

 どの絵も、こちらを見ていない。
 それなのに、見られている気がした。

「荷物はこちらへ」

 案内役の侍女が、淡々と告げる。

 声に温度はない。
 余計な感情を混ぜないことに慣れきった声だった。

 ララは言われるまま、荷を渡した。

 本が一冊。
 乾いた菓子が、ほんの少し。

 それだけの袋なのに、手放した途端、胸の奥が軽くなった気がして、同時に心細くなった。

◇◇◇

 通されたのは、北宮の侍女詰所。

 机と椅子が、無駄なく並んでいる。
 書類の束。インク壺。紙の匂い。

 仕事以外のものは、最初から置かれていない部屋だった。

 奥の席にいた女性が、顔を上げた。

「あなたが、ララ・シルヴェリス」

 背筋がまっすぐで、動きに無駄がない。
 年齢は分からないが、長くこの場所にいる人だと、すぐに分かる。

「私は、侍女長のイザベルです」

 名乗りは簡潔だった。
 自己紹介というより、確認。

「辺境伯家の四女。侍女見習いとして、本日付で配属」

「はい」

 ララは、教えられた通りに答える。

 侍女長は書類から目を離さず、続けた。

「まず、覚えなさい」

「北宮は、王妃殿下の管轄です」

 声の調子は変わらない。

「そして、私たち北宮の侍女が、立ち入ってはいけない場所が三つあります」

 指が、一本ずつ折られる。

「本宮」
「東宮」
「西棟――禁図書館」

 最後の名が出た瞬間、ララの胸が、きゅっと縮んだ。

 理由は分からない。
 けれど、その言葉だけ、重さが違った。

「理由は、聞かないこと」

 侍女長は、そこで初めて顔を上げる。

「知る必要がないからです」

「特に、禁図書館については」

 声が、ほんのわずか低くなる。

「名前を口にすることも、関係者と話すことも禁止です」
「規則を破った者は、北宮では“いなかった”ことになります」

 淡々とした口調だった。
 脅しではない。
 事実を述べているだけだ。

(……いなかった、ことに)

「……本が、あるだけでは」

 気づいたときには、声が出ていた。

 一瞬。

 空気が、凍りつく。

 侍女長のペンが、ぴたりと止まった。

 顔は伏せたまま。
 けれど、空気の圧だけが、はっきり変わる。

「……今、なんと言いました?」

 低い声だった。

 問い返しではない。
 確認でもない。

 罪状の読み上げに近い声音。

「い、いえ……その……」

 言い直そうとして、言葉が続かない。

 その様子を見て、侍女長は、ゆっくりと顔を上げた。

 目が合った瞬間、ララは理解する。

 ――あ、嫌われた。

 理由は分からない。
 けれど、取り返しがつかないことだけは、分かった。

「辺境では、ずいぶん自由に口をきけたようですね」

 口元が、わずかに歪む。

 笑顔ではない。
 見下すときの、あの表情だ。

「ここは王宮です」

 一歩、距離を詰める。

「あなたが思ったことを、考えたことを、口にしていい場所ではありません」

 ララの喉が、ひくりと鳴る。

「……覚えておきなさい」

 声が、冷たく研がれる。

「好奇心を持つ者が、なぜ消えるのか」

 答えは、最初から決まっているという声音で。

「口が軽いからです」

 その言葉は、刃だった。

「疑問を口にする者」
「“本があるだけでは”などと考える者」

 指が、机を叩く。

「そういう者から、順番に消えていく」

 ララは、何も言えない。

 言えば、次は自分だと、本能が告げていた。

「今日のところは」

 侍女長は、視線を外す。

「“初日”ということで、見逃します」

 その言葉が、救いに聞こえなかった。

 むしろ――

 次はないと、宣告された気がした。

「勝手な発言は慎みなさい」

「二度目はありません」

 それだけ言うと、侍女長は書類に視線を戻した。

 もう、ララを人として見ていない。

 面談は、それで終わりだった。

◇◇◇

 廊下に出て、ララは小さく息を吐いた。

 王宮は、安全な場所だと聞いていた。
 母も、そう言っていた。

 けれど。

(……安全?どこが?)

 歩いていると、侍女たちが数人、すれ違っていく。

「おはよう、マリア」
「こちらは終わりましたか、エレナ」

 名前が呼ばれ、短く返事が返る。

 ――その列の中に。

 一人だけ、名を呼ばれない侍女がいた。

 視線を合わせない。
 声を出さない。
 誰も、その存在に触れない。

(……あの人、無視されてる?)

 問いを口にする前に、隊列は流れていく。

 何か言う間もなく。

 ララは、窓の外に視線を逃がす。

 西の奥。
 塔の向こうに、輪郭の曖昧な建物がある。

 薄い膜のようなものが、揺らいで見えた。

(……馬車からも、見えた)

 隣を歩く侍女が、首をかしげる。

「……? 何か」

「いえ……」

 その目には、何も映っていないらしい。

 ララは、視線を戻した。

 今見えたものは、もう分からなくなっていた。

 西の方角。
 高い塔の向こうに、石造りの建物。

 さっき聞いた名前が、自然と浮かぶ。

(……禁図書館)

 近づくな。
 口にするな。
 関わるな。

 そう言われるほど、
 その場所は、はっきりと意識に残った。

 知らないふりをする。

 それが、この王宮で生きる方法だと教えられた。

 けれど、ララは思ってしまう。

 ――見てしまったことまで、なかったことにはできない。

 その感覚だけは、
 どうしても、消せなかった。

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