【完結】君の笑顔を信じたい

加賀ユカリ

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第五章

32.誕生日

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 うっすらと春の気配が街に漂い始めた頃。

 浩太は、地元のショッピングモールの一角で足を止めていた。
 どこか肌寒い風が頬をかすめ、通りすがる子どもがくしゃみをひとつ。
 それでも空気は柔らかく、差し込む日差しは穏やかだった。
 春は、もうすぐそこまで来ていた。

 ──蓮の誕生日まで、あと一週間。

「……どうすっかな」

 スマホで日付を確認しながら、浩太はつぶやいた。
 付き合い始めてから、まだ数ヶ月。
 どこかぎこちなかった関係も、今では自然に笑い合えるようになっていた。

 一緒に過ごす時間も、ふとした沈黙すら、愛おしいと感じるようになっていた。

 ──だからこそ、誕生日のプレゼントには悩んでいた。

(この季節って難しくね? まだ寒いけど、冬物って感じでもないし)

(服にしようか……いや、サイズ合わなかったら気まずいよな)
(アクセサリー……ペアリングとかって早すぎ? いや、重いか……?)

 雑貨屋、本屋、ファッションショップ。何軒も見て回ったけど、どれも「これだ」と思えるものがなかった。
 気持ちが空回りしている気がして、軽くため息が漏れる。

 そんな時だった。ふと目に入った小さな文具店のショーウィンドウ。
 そこに、目を引くものがあった。

 ──手帳。

 革の表紙に、落ち着いたグレージュの色。
 飾り気のないシンプルなデザインなのに、不思議と品があって、手にしっくりと馴染みそうな質感。
 ページを開くと、日付の書かれていないスケジュール欄が整然と続いている。

(……蓮って、いつも何か書いてたよな)

 授業の合間に、ふとしたときにメモを取る姿が頭に浮かんだ。
 文化祭の準備のときも、誰よりも丁寧に予定を整理していた蓮。
 その姿に、浩太は自然と惹かれていたのかもしれない。

(予定をきちんと書くところ、蓮らしい)

 それだけじゃなかった。
 ふと思い出す、数ヶ月前の蓮の言葉。

『春になったら、もっといろんなところ行きたいですね』
『一緒に行きたい場所、たくさんあるんです』

 未来を思い描くその声は、さりげないのに、どこか心に残っていた。
 ──自分との「これから」を、蓮は楽しみにしてくれている。

(……これ、いいかもな)

 ただの手帳じゃない。
 ふたりで重ねていく時間を、少しずつ書き込んでいける場所。

 浩太はそっと、手帳を手に取った。
 これが、彼にとっての“答え”のように思えた。

 ◇

 そして迎えた、蓮の誕生日当日。

 日曜の昼下がり。
 いつもの玄関なのに、今日はどこか特別に感じる。
 浩太は手に小さな紙袋を持ち、ゆっくりとチャイムを押した。

 ピンポーン。

「はーい……あっ、浩太先輩!」

 開いたドアの向こうにいたのは、部屋着姿の蓮だった。
 ゆるく寝癖のついた髪。少し伸びたスウェットの袖口。
 相変わらず飾らない、けど、そこが蓮らしくて思わず笑ってしまう。

「誕生日なのに、だらしねーな」
「休みだと、つい気が抜けちゃって……」

 浩太は軽く咳払いをして、手にした袋を差し出す。

「はい。誕生日おめでとう」
「……えっ、これ……プレゼント、ですか?」
「当たり前だろ。ちゃんと覚えてたし」

 袋を受け取った蓮は、まるで宝物でも扱うように丁寧に包装を解いていく。
 そして中から現れた手帳を見て、目を丸くした。

「……これ、手帳?」
「うん。予定、書くの好きだろ。……だから、これからの分、いっぱい書けるようにって」

 蓮は、表紙をそっと撫でた。
 その指先が、少しだけ震えているように見えた。

「……すごく、うれしいです」
「ちょうどいいタイミングだと思って。春って、なんか新しいスタートっぽいしさ」

「……はい。そうですね」

 蓮の表情がやわらかくほどけていく。
 まるで花が開くように、静かに、確かに笑った。

「この手帳、先輩とのことでいっぱいにしたいです」
「だったら、どんどん予定入れてくれよ。映画でも、旅行でも、くだらない散歩でもさ」

 蓮は頷いて、小さく息を吐くように言った。

「……来年の今頃も、こうやって誕生日を過ごせたらいいな」
「来年どころか、再来年も、その先も祝ってやるよ」
「……それ、本気にしていいんですか?」
「しろよ。俺、言ったことはちゃんと叶えるから」

 蓮は、手帳を胸に抱きしめるようにして、まっすぐ浩太を見つめた。

「……最高のプレゼントです」

 その瞳に浮かぶ光が、部屋に差し込む春の陽と重なって見えた。


 ◇

 帰り際、玄関先で靴を履く浩太の背中に、蓮がぽつりとつぶやく。

「この手帳、最初のページには……先輩と行きたい場所を書こうと思います」

「へぇ、どこ?」

「まだ全部は決めてないです。でも──どこでも、浩太先輩となら楽しい気がするから」

「……お前、そういうとこ、ずるいよな」

「ずるくないです。本気ですから」

 玄関のドアが開かれた瞬間、少し冷たい風が吹き抜けた。
 でも、不思議と寒くなかった。
 手の中に残るぬくもりと、胸の奥にある期待が、その風をやわらかく包んでくれていた。

 ──ページのまだ白い手帳。
 それは、ふたりのこれからを書き込んでいくための、新しい始まりだった。
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