【完結】君の笑顔を信じたい

加賀ユカリ

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第一章

1.忘れ物

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「あっ、高森浩太たかもりこうた先輩……ですよね?」

 朝のホームルーム前、教室の扉の前に立っていたのは、見覚えのない男子生徒だった。制服のネクタイの色からして、学年は自分よりひとつ下。つまり、後輩ということになる。
 短く整えられた髪に、整った顔立ち。何より目を引くのは、その眩しいほどに明るい笑顔だった。

(誰だ……?)

 浩太こうたは思わずまばたきをした。その顔も名前も心当たりはない。それなのに彼は自分の名前を知っている。

「なんで……俺の名前、知ってるんだ?」

 こちらの問いかけに後輩はにっこりと笑い、制服のポケットから何かを取り出した。

「忘れ物です!浩太先輩!」

 差し出された手の中には──失くしたはずの浩太の学生証があった。

 ◇

 模試が迫る放課後。

 浩太はいつものように学校の図書室で机に向かっていた。
 家では集中できないタイプで、ついついスマホに手を伸ばしてしまう。そのため、放課後はこうして図書室で勉強することが浩太の日課だった。

 ページをめくる手を止めてふと窓の外を見ると、もう空は赤く染まり始めている。勉強に集中していたようで、思っているよりも時間が進んでいた。

 (そろそろ帰るか……)

 時計を確認しながら、浩太は静かに片付けを始めた。机の上にある教科書やノートを鞄の中へと丁寧に片付けていく。ふと周囲に目を向けると、同じように勉強をしていた生徒の数もだいぶ減っていた。

 図書室を出て、昇降口へと続く廊下を進んでいく。静かな廊下に足音が響く中、浩太の頭の中は今日新たに覚えた知識に支配されていた。

(あーあ、なんで模試なんかあるんだよ……)

 ついそんな愚痴を脳内でこぼしていたせいか──後ろで誰かが自分の名前を呼んでいた声に全く気づかなかった。

 ◇

 帰宅して水筒を取り出そうと鞄を開いた時、浩太はとある違和感に気づいた。
 いつもはポケットに入れているはずの学生証が──ない。

「……あ、やば。学生証、どっかに置きっぱにしたか……?」

 定期入れの中にも、筆箱の中にも、入っていない。
 今思い返すと、学籍番号を確認する時に取り出して、図書室の机の上に置いたままのように思える。

 模試当日は学生証が必須。
 忘れると最悪の場合、試験が受けられなくなってしまう。

 今まで勉強したことが全部水の泡となるのは、何としても避けたい。

 (やっべ……これ、早めに取りに行かないとやばいやつじゃん……!)

 浩太はあわててスマホを出して学校へと連絡を試みる。しかし、電話は一向につながらなかった。

 画面を見るとそこには『営業時間外』の文字が浮かんでいる。しばらくすると呼び出し音が自動音声へと切り替わってしまった。

 部屋の壁にある時計に目を向けると、時計の針は夜七時を指していた。浩太の通う高校の電話対応の時間から一時間も過ぎていた。

「……マジか」

 結局その日はどうすることも出来ず、浩太は明日職員室に行ってみることにした。

 このときはまだ──この学生証の忘れ物がになるとは、浩太は知る由もなかった。

 ◇

 翌朝。
 浩太は昇降口から教室へと足早に歩いていた。

 教室に荷物を置いて、そこから職員室へ向かおうと考えていると、ふと教室の扉の前に見知らぬ男子学生が立っていることに気づいた。制服のネクタイの色は紺色──ひとつ下の学年である。
 その後輩はまるで誰かを探しているかのように辺りをキョロキョロと見渡している。

 そのすらりとした体型と人目を引く雰囲気の彼は、周囲からの視線を集めている。

 (目立つな、あの子……)

 そのとき、ふと──後輩と目が合った。

 驚いたように目を見開いた後輩が、すぐにパッと笑顔になった。

「あっ、高森浩太先輩……ですよね?」

 その明るい声の問いかけに浩太は思わず足を止めた。まさか自分にその視線を向けられるとは思わなかった。

「なんで……俺の名前、知ってるんだ?」
「忘れ物です!浩太先輩!」

 爽やかな笑顔とともに差し出されたのは──昨日失くしたはずの浩太の学生証だった。

「これ……」
「昨日、図書室で見つけたんです。すぐに追いかけようとしたんですけど見失ってしまって……。先輩、模試近いですよね?なかったら困るかなって、直接お渡ししに来ました!」
「……わざわざ?」
「はいっ!」

 その返事も、やたらと気持ちがいいほど明るい。

(……律儀なやつだな)

「ありがとう。模試、学生証ないと受けられないところだったから……助かったよ」
「いえいえ!先輩の役に立てたなら俺も嬉しいです!」

 嬉しそうに笑う後輩の声に、予鈴が重なるように鳴り響く。

「あっ、それじゃあ俺行きますね!浩太先輩、模試頑張ってください!」
「学生証、本当にありがとう!」

 爽やかな風のように駆けていく後輩の背中を、浩太は呆然と見送るしかなかった。

 ◇

 あれから数日経った昼休み。

 浩太が廊下を歩いていると、向こうから元気よく手を振ってくる人影が目に入った。その顔には見覚えがある──先日浩太の学生証を届けてくれた後輩だった。

「浩太先輩!お疲れ様ですっ!」
「あっ、学生証の時の……」
「はいっ、覚えてくれてたんですね!嬉しいです!」

 笑顔でこちらへ距離を詰めてくる後輩は、今日もどこかキラキラして見えた。

「これからどこかへ行かれるんですか?」
「食堂に行こうかなって……腹減ってて」
「ちょうどよかったです!俺もこれから行こうとしてたんです!一緒に行ってもいいですか?」
「……別に、いいけど」

 そこまで言うと、後輩の顔がぱっと明るくなり、浩太の方を子犬のように見上げる。ここまで食いつかれるとは、浩太は思ってもいなかった。

 ◇

 食堂の湯気と雑多なざわめきの中、浩太と後輩は食券機の列に並んでいた。

「お前、何食べんの?この前のお礼ってわけじゃないけど、何かおごるよ。助けてくれたし」
「えっ!?いいですよ、俺はただ届けただけですから」
「いやいや。届けてくれたおかげで模試も受けられたし……ありがたかったよ」

 しばらく遠慮していたものの、「じゃあ、お言葉に甘えて……」と後輩は照れたように笑った。

 浩太は食券を二枚買って、ひとつ差し出す。
 それを受け取った後輩は、まるで宝物でも渡されたかのような顔をした。


 カウンターでうどんを受け取り、二人で空いていた席に腰を下ろす。
 箸を持つ前に、後輩はピシッと背筋を伸ばした。

「改めて……俺、瀬川蓮せがわれんっていいます」
「俺は高森浩太……ってもう知ってると思うけど」
「はい、もちろんです!学生証見てから絶対覚えようと思ってたので!」

 浩太は苦笑しながらうどんを啜った。冷たい麺が乾いた喉を潤す。

「真面目か」
「よく言われます。というか、浩太先輩にずっと言いたかったんですけど……」
「ん?」
「浩太先輩ってめちゃくちゃ可愛いですね!」
「……は?」

 浩太の箸が止まる。

「いや、笑った顔とか、ちょっと困った時の表情とか……すごくいいです。見てて飽きません!」
「……うどん、のびるぞ」
「ですよねー!いただきます!」

 箸を持つと同時にニコッと笑い、豪快にうどんを啜る蓮。
 その顔を見ながら、浩太は心のどこかで「まあ、うるさいけど悪いやつじゃなさそうだな」と思った。そんな風に思えたのは、彼の人懐っこい笑顔のせいかもしれない。

 ──うどん一杯。

 それだけで、ぐっと距離が縮まった気がした。
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