【完結】君の笑顔を信じたい

加賀ユカリ

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第二章

15.尊敬する先輩(蓮視点)

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 体育大会が終わった翌週。
 校舎にはいつもの授業と、ほんの少しだけ疲れの余韻が混じるような、ゆるやかな空気が流れていた。

 蓮はその中にいて、自分が少し違う場所に立っているような感覚を抱いていた。

 ──体育大会のあの日、浩太に本音を打ち明けた。
 それは確かに救いだった。あの一言がなければ、いまの自分はもっと臆病なままだったかもしれない。

 けれど、蓮の中にはもう一つ、乗り越えなければならないものが残っていた。

 それは──クラスの人たちとの関係だった。

 ◇

「瀬川くん、お疲れ。足、大丈夫だった?」

 月曜の昼休み。
 蓮が教室の窓辺で弁当のふたを開けたとき、隣の席の女子が声をかけてきた。

「え? ……うん、大丈夫。ありがと」
「あのとき、ちょっと走り方変だったから、気になってたんだ。保健室行ったの?」
「ううん、水飲んでちょっと休んだだけ。たいしたことなくて……」
「あー、よかった。ほんと、頑張ってたもんね」

 にこっと笑う彼女に、蓮は内心ほっとした。

(……変な空気じゃない)

 以前、女子たちが浩太のことを話していた場面に遭遇したとき、自分が“何かしでかしてしまった”という気持ちでいっぱいだった。
 けれど、今は──少なくとも、クラスメイトの態度は敵意でも、好奇の目でもなかった。

「瀬川、リレーの最後、めっちゃ盛り上がってたじゃん」

 今度は後ろの席の男子が声をかけてくる。

「……そう? ちょっと足もつれたから、あんまり……」
「でもちゃんと走りきったし、タイムもそこまで落ちてなかったぞ。すげーよ、あの状況で。お前、意外と根性あるよな」
「……ありがとう」

 照れくささとともに、胸にじわりと温かいものが広がった。

(……なんだ、ちゃんと見ててくれたんだ)

 ずっとひとりで思い詰めていたのは、自分の方だった。
 同級生たちは確かに、噂話をしたり、好奇の視線を向けたりもした。
 でもそれだけじゃなかった。ちゃんと、自分を「瀬川蓮」として見てくれる人たちもいた。

 気づけば、蓮は周囲の輪に自然に混じっていた。
 気まずさも、遠慮も、少しずつほどけていく。

 ◇

 放課後。

 教室に残っていた蓮が机を片付けていると、別のクラスの男子が近づいてきた。

「あ、瀬川。今から体育館でバスケやるけど、人数足りなくてさ。来る?」
「……俺?」
「うん。運動神経いいし、うちのクラスのやつが一緒にやりたいって言ってた」

 誘われるとは思っていなかった。
 一瞬迷ったけれど、蓮は静かに笑って、うなずいた。

「……うん。行くよ。ありがとう」

 その答えに、男子はにっと笑い、手を振って先に体育館へ向かっていった。

 蓮はその背中を見送りながら、ふと校舎の窓の外に目をやった。
 日が傾き始めて、空に淡い朱色が広がっていた。

 数日前とは違う、あたたかくて澄んだ風が吹いている。

(……俺、少しずつ前に進めてるのかな)

 ぽつりと心の中でつぶやいた言葉に、答えるように風が頬をなでた。

 ◇

 放課後。蓮が昇降口で靴を履いていると、後ろから聞き慣れた声が届いた。

「蓮」

 振り向けば、浩太が立っていた。

「浩太先輩、お疲れさまです」
「おう。お前こそ、最近ずっと笑ってるな。なにかいいことでもあったか?」
「んー……まあ、いろいろと。少しずつですけど、ちゃんと話せるようになったっていうか」

 浩太がにっと笑う。

「よかったな」

 その笑顔を見た瞬間、蓮の胸にふと生まれた感情があった。

(……今なら、言えるかもしれない)

 もう、何かをごまかすように笑う必要はなかった。
 誰かに遠慮して、気持ちを飲み込むことも。

 蓮は自然と一歩、浩太の方へ近づいた。

「浩太先輩。さっき、クラスメイトたちに言われたんです」
「ん?」
「“浩太先輩と仲いいんだな”って」
「ふーん。それで?」
「だから、俺──言いました。“はい、尊敬してる先輩です”って」

 一瞬、浩太の表情がぴくりと動く。けれど次の瞬間、照れくさそうに鼻をこする仕草でごまかされた。

「……そりゃ光栄だな」
「本当のことなんで」
「お前、たまにズルいこと言うよな」
「俺、素直なんで」

 二人で笑い合う。その声が昇降口に軽く響く。
 それを見た生徒がちらりと視線を向けてくるけれど、蓮はもう気にしなかった。

 堂々と笑って、堂々と歩く。
 今の自分には、それができる。

 ◇

 帰り道、並んで歩く二人の足取りは、どこか軽やかだった。
 風が少し冷たくなり始めたのは、夏が遠ざかっている証だった。

 けれど蓮にとって、その風はもう寂しさではなく、新しい季節の始まりを感じさせるものだった。

「そういえばさ」

 不意に浩太が言った。

「夏の終わり、ちゃんと楽しめたか?」
「……まだ、楽しみきってないかもしれないです」
「だったら、また何かしようぜ。夏の続き」

 蓮は少し笑って、空を見上げた。
 夕焼けのグラデーションが、ゆっくりと空を染めていく。

「はい。今度は、俺から誘います」
「へえ、頼もしいじゃん」
「……俺、ちょっと成長しましたから」

 言葉に少し照れが混じる。けれど、それでもまっすぐ言えたことが、何より嬉しかった。

 ──これは、あの日の“すれ違い”を乗り越えて、はじめて得た“言葉”だった。

 そして蓮はもう迷わない。
 もう一度踏み出せたこの関係を、大切にしていこうと、そう決めていた。
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