【完結】変態αのフェロモン観測記録

加賀ユカリ

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第五章

32.欠陥Ωのトイレ観測記録(慧視点)

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「……どこいくの?」

 背中にぴったりくっついたまま、瑞樹の小さな声が聞こえてくる。
 まるで子どもみたいに慧のシャツを握って、離れようとしない。

 (いや、さすがにそれは……)

「……ちょっとトイレに行こうと思って」
「おれも!」
「いやいや、さすがにそれは……」
「だっこ!」
「……抱っこぉ!?」

 どうしてそうなるんだと、慧は瑞樹の顔を見つめ返した。
 だが、腕の中の瑞樹はヒート前特有の“甘えん坊モード”──いや、むしろ“変態モード”に近かった。

 普段の彼が見せる挑発的な強気さはどこへやら、今は慧の腕に全体重を預けて、離れたくないと訴えている。
 可愛い目元からは今にも涙が溢れそうになっていた。

「分かったから泣かないで。……ほら、行こっか」

 渋々、瑞樹を抱き上げる。
 まさか瑞樹を自分の“聖域”にまで同伴させる日が来るとは思わなかった。

 腕の中で瑞樹がご機嫌に喉を鳴らすように「ふふ」と笑っている。瑞樹は可愛いが、状況が良くなかった。

 ◇

「よし、降りて。ここで待っててくれる?」
「やだ」
「……いや、中に入られたら困るんだけど」
「けいのこと、みてたい……」

 そう言って、瑞樹は慧の足にぎゅっとしがみついてくる。

(おいおい、それは僕が普段やってるやつじゃないか)


 瑞樹の腕を引きはがすこともできず、慧はそのまま用を足した。その間、瑞樹は一歩も離れず、まっすぐ見上げてくる。

「……瑞樹。恥ずかしいからそんなに見ないで……」
「けい、かっこいい」
「トイレしてるだけだよ!?  どこにカッコよさがあるの!?」
「……しゃしん、とっていい?」
「それはさすがにダメだよ!!」

 思わず慧の声が大きくなった瞬間──

「ふっ……ぅ……うぅ~!!」

 瑞樹が泣いた。
 ご丁寧に、目をうるうるさせて大粒の涙まで。

「ごめんごめん! 僕が悪かった!」
「けいのいじわるぅ~!!」
「分かった分かった! いくらでも見ていいから! 今後一生、監視権を譲渡する!」
「……ほんと?」
「本当、契約成立! さ、もう泣かないで、ね?」

 必死に宥めつつ、慧はなんとかトイレを済ませて脱出した。
 トイレから出た頃には、瑞樹の顔は真っ赤で、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 ◇

 リビングに戻り、ソファに座らせて水を飲ませる。
 瑞樹はぐずぐず言いながら、コップを両手で持つ。その姿が妙に幼くて、慧の胸の奥がきゅっと痛くなる。

「ほら、水飲んで? 泣いたら喉乾くでしょ?」
「けい……ひどい……」
「悪かったってば。僕が大声出したのが悪い」
「……でもけい、かっこよかった……」
「だからトイレしてただけだって!!」

 慧は頭を抱え込んだ。
 瑞樹はまだ涙の跡を残したまま、ぼんやりとした目で慧を見上げ、腕に顔を埋めてくる。

「けい……いっちゃやだ」
「行かないよ、どこにも。ほら、落ち着いて」

 瑞樹の髪を撫でると、彼は猫みたいに目を細める。
 その反応が可愛すぎて、思わず笑ってしまった。

(……この姿、誰にも見せたくない)

「……こんな可愛いの、僕だけに見せてね」

 小さく呟いた言葉に、瑞樹はくすりと笑った。

 そのまま抱きしめ合うと、瑞樹の体温がゆっくりと落ち着いていくのが分かる。フェロモンも穏やかで、心地いい。

 番になる前は警戒と強がりに満ちていた瑞樹が、今ではこうして素直に甘えてくる。

(……番になったんだな、僕たち)

 頭のどこかで理性が「危険」と警報を鳴らしている。
 でも、離したくない。
 この腕の中にある幸福を、誰にも触らせたくなかった。

 慧は瑞樹の頭を撫でながら、胸の奥でそっと息を吐く。

(この調子じゃ、本格的なヒートになったら僕が保たないな……)

 けれどそれでもいい。
 彼が自分を求めてくれる限り、この“幸福の拷問”を何度でも受け入れる。

 瑞樹が小さくあくびをして、慧の胸に顔を埋めた。
 その髪を撫でながら、慧は微笑む。

「……おやすみ、瑞樹」
「うん……けい、すき……」

 その言葉に、慧の胸がきゅっと締めつけられた。

(あぁ、ほんとに……僕は瑞樹に弱すぎる)

 夜の静けさの中、呼吸がぴたりと重なる音だけが優しく響いていた。
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