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その日、セオドラは所用があって夫ユヴェルナートの執務室を訪ねた。
四歳になった息子テオドールの今後の教育方針を相談したかったのだ。
中から夫の妾、ポーラの声が聞こえてくる。
セオドラはハッとした。ドアをノックしようとした手を止めて、中の会話に聞き耳を立てた。
「……ケイは、本当に良い子ですわ」
セオドラはさらに耳を澄ませた。
「まだ四歳なのに覚えも早く、試しに剣を持たせたら剣術の才能も素晴らしいのです。まるでユヴェルナート様の若い頃を見ているようで……」
ポーラの声音には、誇らしげな響きがあった。
「ですが、後継ぎはテオドール様ですから、あの子にはもっと緩やかな指導でも良いと思いますの」
ユヴェルナートの低い笑い声が聞こえた。
「さすがは我が息子だ。ケイも才能に恵まれているようだな」
「はい。ですが、あの子はまだ幼いのに優秀すぎて……」
ポーラは控えめに言った。
しかし、その声には隠しきれない誇りが滲んでいる。
「……ただ、あの子は自分を普通だと思っているんですの」
「ほう?」
ユヴェルナートが驚いたように問い返す。
「ええ。優れた才能があることに気づいていないんですわ。だからこそ、無理をせず、のびのびと育ててやりたいのです」
ユヴェルナートはしばらく考え込んだ後、優しい笑みを浮かべた。
「確かに、あの呑気さは可愛らしいな。我が家はたまにああいう子が生まれるんだ。天衣無縫というのかな……ケイらしいというか、あれがあの子の長所だろう」
「はい。あのままで、伸び伸びと育ってほしいのです」
ポーラの瞳が愛情に満ちていた。
ユヴェルナートは納得したように頷き、「あの子の長所を伸ばしてやろう」と決意した。
「あの呑気さが、あの子の魅力なのだなあ」
ユヴェルナートの声には、深い愛情が宿っていた。
その声は、――セオドラの息子テオドールに向けるより、ずっとずっと優しかった。
ユヴェルナートはセオドラにもテオドールにも、あんなに深く親身になって話を聞いてくれたり、意見を言ってくれたことはない。
――あんなに思いやり深い言葉をかけてくれたこともない。
いつも冷たい目でセオドラの報告を聞いて、「そうか」「わかった」「好きにするといい」と短い返事しかくれない。
なぜだ。伯爵家の嫡男、後継ぎはテオドールなのに!
それは正妻セオドラに対しても同じだった。
夫はセオドラに義務的な受け答えしかしてくれない。
結婚してから一度も、深くセオドラを思う会話もなかった。
(なぜ? なぜ、あなたはわたくしを愛してくれないの? ユヴェルナート様……!)
あれ以来、正妻セオドラにとって、妾ポーラとその息子ケイは敵になった。
(必ず追い出してみせるわ。伯爵家に妻も息子も一人でいいのよ)
妻がセオドラだけになれば、きっと夫は自分を愛してくれる。
「そうよね? お前」
「ええ、奥様。ポーラとケイさえいなくなれば、伯爵様の愛はあなた様のもの」
不気味な雰囲気の侍女が、あからさまにおべっかを使う。
(単純な女ですこと。このまま思い通りに操ってやりましょう)
侍女がすぐ側で悪い考えを抱いていることなど露知らず……
過去を思い出して、セオドラは怒りと屈辱に震えていた。
(あの妾の子が優秀? だからなに?)
夫ユヴェルナートの優しい声。
妾ポーラの誇らしげな声。
愛されている。大切にされている。
(あの女の子供のくせに……!)
セオドラは嫉妬に燃えていた。
(テオドールだって優秀だわ!)
嫡男であるテオドールも、文武両道に秀でている。
アルトレイ伯爵家の血筋はとてもバランスが良い。夫ユヴェルナート本人も同じだ。
テオドールは間違いなく父親の長所を多く受け継いでいる。
だが、天才とまでは言えなかった。
だから夫はテオドールを、ケイほど可愛がってくれない?
――なぜ?
――なぜ、あの子だけが?
(テオドールには、過酷な努力を強いているのに……)
(テオドールは、伯爵家の後継ぎに相応しい成果を見せているのに……)
セオドラは、息子テオドールに厳しい教育を施していた。
それは、嫡男としての責任を果たさせるためだった。
そして夫ユヴェルナートも教育方針に何も口出ししてこない。
(妾の子供の様子は頻繁に見に行っているのに……!)
ユヴェルナートがテオドールの勉強や剣術の稽古の場に姿を見せたことは、今までなかった。
最近になって、指南役の方針で息子たちが二人一緒に剣術を学ぶようになってから、ようやく稽古場を見学しに来るようになったと報告を受けている。
でもセオドラにだってわかっている。
夫が見に来たのはケイだ。テオドールはそのおまけ。
ケイは呑気で、自由で、何も強いられず。
それでいて優秀な〝良い子〟だと称えられている。
「どうして……どうして私の息子は……!」
セオドラの拳が、震えていた。
「私の息子は、……私は、何も悪くないのに……」
その瞳には、抑えきれない憎悪と嫉妬が渦巻いていた。
そんな彼女を、傍らの侍女だけが笑みを浮かべて見ていた――
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