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馬車とエルフ
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健太は湖畔での生活を心ゆくまで楽しんだ。集落の人々との交流は、彼にとってかけがえのない宝物となった。子供たちとの毎日の触れ合い、長老や漁師たちとの語らい、そして共に分かち合った収穫の喜び。それら全てが、健太の心を豊かにし、彼の中にあった旅への渇望を、確かなものへと変えていった。
ある日の夕暮れ、健太は村長の家にいた。そこには、かつて彼が助けた猫と狐の獣人の子供たちも集まっていた。健太が村長の家に入っていくと、いつもと違う彼の様子に気づいた子供たちが、心配そうに追いかけてきてくれたようだった。
「みんな……俺は、ここを離れて、また旅に出ようと思う」
健太の言葉に、村長宅はどよめきが走った。子供たちは悲しげな顔で健太を見上げ、村長は困惑と寂しさを入り交じらせた表情で彼を見つめた。
「お兄ちゃん、行っちゃうの?」
猫耳の女の子が、健太の服の裾をぎゅっと掴んだ。健太は彼女の頭を優しく撫でた。
「ああ、そうだよ。でも、悲しいことじゃないんだ。この世界には、まだまだ俺が知らない景色や、出会っていない人々がたくさんいる。もっと色々なことを知って、もっと色々な経験をしてみたいんだ」
健太は、旅立ちを決めた理由をゆっくりと、そして丁寧に語った。村長や子供たちは、健太の言葉に耳を傾け、彼の真剣な眼差しから、その決意の固さを感じ取った。
村長が、一歩前に進み出た。彼の顔には、寂しさの中に、健太への深い理解と感謝の念が宿っていた。
「旅のお方……いえ、健太殿。貴方様には、我々集落は感謝してもしきれません。水精霊の恵みを取り戻し、病に苦しむ者を救い、我々に希望を与えてくださった。貴方様のおかげで、我々は再び、豊かな生活を送ることができるようになりました」
村長は深々と頭を下げた。続いて、子供たちも口々に健太への感謝の言葉を述べた。
「健太兄ちゃん、美味しい魚、ありがとう!」
「お兄ちゃんが教えてくれた文字、もっと勉強するね!」
「いつでも帰ってきて!」
子供たちの言葉に、健太の目頭が熱くなった。
「みんな、ありがとう。俺も、ここでみんなと出会えて、本当に幸せだった。ここにいる間、みんなにはたくさん助けてもらったし、色々なことを教えてもらった。ルミナが張った結界もあるし、きっとこの集落は大丈夫だ」
村長は、ルミナが張った結界の強固さを知っており、その言葉に深く頷いた。
その日の夜は別れの宴が催された。集落の人々は、健太のために、これまでの感謝を込めたご馳走を用意してくれた。皆が歌い、踊り、健太との別れを惜しみながらも、彼の新たな旅立ちを祝福した。健太は、その温かい雰囲気に包まれながら、この場所での最後の夜を過ごした。
翌朝、健太は集落の人々に見送られながら、「家」へと戻り旅支度を整えると、ルミナによって「家」は元あった高原へと転送された。
子供たちは、泣きながら健太に抱きつき、別れを惜しんだ。健太は一人ひとりの頭を撫で、再会を約束した。
「じゃあ、みんな。元気でな!」
健太が手を振ると、集落の人々もそれぞれの言葉で応えた。健太は、彼らの温かい声援を胸に村を出た。
「ルミナ、みんなに見送ってもらうのは、やっぱり寂しいな」
『主、それは主が、この集落の人々との間に、かけがえのない絆を築き上げた証です。しかし、主の心は、新たな世界への期待に満ちています』
ルミナの言葉に、健太は苦笑した。その通りだ。寂しさはあるが、それ以上に、新たな冒険への胸の高鳴りが勝っていた。
「そうだな。さて、次はどこへ行こうか?」
『主のご希望を伺います。以前のように天空の舟で移動することも可能ですが、陸路での移動もございます』
ルミナの問いに、健太は少し考え込んだ。天空の舟での移動は便利だが、空からの眺めだけでは物足りないと感じ始めていたのだ。この世界をもっと深く知るためには、やはり地上を自分の足で歩き、様々なものに触れるべきだろう。
「天空の舟もいいんだけど、次は馬車で旅をしてみたいな。この世界の風を感じながら、のんびりと旅をしてみたいんだ」
健太の言葉に、ルミナはすぐに承諾した。
『承知いたしました。では、馬車を用意します』
ルミナの声と共に、天空の舟は光の粒子となって消滅し、空間が歪んだかと思うと、そこに一台の質素ながらも頑丈そうな幌馬車が現れた。
手綱を握る御者の席には、賢そうな顔立ちの馬が繋がれている。馬車の中は、健太が一人で旅をするのに十分すぎるほどの広さがあり、ベッドや小さなテーブル、そして書棚まで備わっていた。
「すごいな、ルミナ!こんなものまで出せるのか!」
健太は感嘆の声を上げた。ルミナの能力は、相変わらず健太の想像を遥かに超えている。
『これは、主が以前にいた世界、地球の馬車の情報と、この世界の素材データを基に、最適化されて作られた馬車です。内部は、主の快適性を考慮し、魔素を利用し寛げる居住空間を確保しています』
「ありがとう、ルミナ。これで、また俺たちの新たな旅が始まるな」
健太は馬車の扉を開け、さっそく中に乗り込んだ。すると、御者台に座る人物が目に入り、健太は思わず目を見開く。
そこにいたのは、艶やかな金色の髪を背中に流し、透き通るような白い肌、そして深い森のような翠の瞳を持つ、息をのむほど美しいエルフの女性だった。彼女の尖った耳が、その種族を雄弁に物語っている。
「いや、誰ですか!?」
突然目の前に現れた見知らぬ美女に、健太は驚きを隠せない。その女性は、健太の狼狽ぶりに「ふふっ」と上品に笑うと、優しい声で自身の正体を明かした。
『主、私です。驚かせてしまい申し訳ございません』
「え、ルミナ!?」
健太はさらに驚愕した。これまで声しか認識できなかったルミナが、こんなにも美しいエルフの姿となって目の前にいるのだ。
『はい。馬車での旅をご希望されましたので、御者が必要となります。御者などいなくてもこの馬車は目的地へと向かえます。が、御者のいない馬車が勝手に走っていては目立ってしまい無用な詮索を招きかねません。また、主の好みに合わせて、私もこの姿で顕現できるようになりました。不都合でしたでしょうか?』
ルミナの言葉に、健太は顔を赤くした。自身の好みが反映されていると聞かされ、恥ずかしさと同時に、何とも言えない嬉しい気持ちが込み上げてくる。
「いや、不都合なわけないだろ!というか、その、ありがとう、ルミナ……」
『はい、主。この姿なら主の夜のお世話も……』
「しなくていい! しなくていいから!!」
『しかし、私が顕現した以上、夜な夜な主のお手を煩わせる事も……』
「わー!わー!! 何を言ってるの!? ホント、何を言ってるの!?!?」
赤面し動揺する健太をルミナは不思議そうに首を傾げて見ていた。
健太は照れ隠しに、視線を窓の外へと向けた。ルミナはそんな健太の様子を微笑ましげに見守りながら、音もなくゆっくりと手綱を引くと、馬車は森の中の細い道を東へと進んでいく。
馬車での旅は、天空の舟での移動とは全く異なる趣があった。窓からは、刻々と移り変わる景色が流れていく。風の匂い、土の感触、鳥のさえずり、そして時折聞こえる人々の話し声。それら全てが、健太の五感を刺激し、この世界の息吹を肌で感じさせてくれた。
健太は、馬車の窓から顔を出し、外の景色を眺めた。広がる草原、遠くに見える山々、そして小さな村々。これまで空からしか見ていなかった景色が、全く違う表情を見せてくれる。馬車の揺れも心地よく、健太は旅の疲れを感じることなく、景色を楽しんだ。
日中は、ルミナにこの世界の歴史や地理、文化についての情報を教えてもらいながら、道中で見かける動植物を観察したり、珍しい岩石を採取したりした。ルミナの膨大なデータベースは、健太の知的好奇心を満たすには十分だった。
夜は、馬車を人気のない場所に停め、ルミナが用意してくれた焚き火を囲んで食事をする。満天の星空の下で食べる食事は、格別の味だ。
道中、健太は時折、小さな村に立ち寄ることもあった。村人たちは、見慣れない馬車に最初は警戒の色を見せたが、健太の穏やかな人柄と、ルミナが用意してくれた珍しい品々(例えば、健太が作った薬草や、クリスタルフィッシュの干物など)を贈ると、すぐに心を開いてくれた。健太は、村人たちから、この地域の情報や、昔からの言い伝えなどを聞き、この世界の多様性を実感した。
『主、現在の移動速度であれば、目的の町へはあと三日ほどで到着します』
ある日、ルミナの声が健太の耳に届いた。健太は、地図を広げ、次の目的地を確認する。そこは、この地域では比較的大きな町で、交易が盛んだとルミナは言っていた。
「いよいよ町か。どんなところだろうな」
健太は、新たな出会いを予感し、胸を躍らせた。馬車でのんびりと旅を続けるうちに、健太の心は、さらに開放的になっており、人との交流を避けるのではなく、また積極的に関わっていこうと思った。
三日後、遠くに大きな町の影が見えてきた。近づくにつれて、建物の屋根が連なり、町の賑やかな喧騒が聞こえてくる。健太は、馬車の窓から身を乗り出し、初めて見る町の光景に目を輝かせた。
町の入り口には、頑丈そうな木製の門が設置されており、その脇には衛兵が立っていた。健太の馬車が近づくと、衛兵が手で制止した。
「旅の者よ、どちらから参られた?そして、この町で何を?」
衛兵は、警戒心を含んだ目で健太をじっと見つめる。健太は、慌てずに馬車から降り、にこやかに対応した。
「こんにちは。私は東の湖の方面から来た者です。この町は初めてなのですが、交易が盛んだと聞いて立ち寄ってみました」
衛兵は少し驚いた表情を見せたが、健太の目は嘘をついているようには見えなかったのかあっさり信じて通してくれた。
「ふむ……。この町は『アバン』。多くの商人が行き交う活気ある町だ。だが、旅の者にはそれなりの心構えが必要だぞ」
衛兵はそう言って、健太に忠告した。健太は「ありがとうございます」と頭を下げ、馬車を門の中へと進ませた。
町の中は、想像以上の賑わいだった。
石畳の道には、多くの人々が行き交い、様々な露店が軒を連ねている。香辛料の匂い、焼き菓子の甘い香り、そして人々の賑やかな声が混じり合い、町全体に活気を与えていた。
健太は、ルミナに指示して、町の中心にある宿屋の近くに馬車を停めてもらった。
「すごいな、この町の活気は。高原や湖畔とは全く違う雰囲気だ」
健太は、町を行き交う人々を眺めながら、思わず呟いた。獣人族や人間、そして耳の尖ったエルフのような人々など、様々な種族が共存しているのが見て取れた。
『主、このアバンという町は、大陸有数の交易都市であり、多様な文化が混在しています。また、冒険者ギルドや魔術師ギルドなども存在し、様々な情報が集まる場所でもあります』
ルミナの説明に、健太は興味を引かれた。冒険者ギルド。それは、ロアたちが所属していた、たしか……仕事なんかを斡旋してくれる所だったはず。
「へえ、冒険者ギルドか。面白そうだな」
健太は、町をぶらぶらと歩きながら、周囲の様子を観察した。道の両脇には、武器屋や防具屋、薬屋、そして食堂などがひしめき合っている。どれもこれも、健太にとっては新鮮な光景だった。
宿屋で部屋を取り、馬車を宿屋の馬小屋に預けた健太は、再び町へ繰り出した。まずは、この町の情報を集めることが先決だ。
「ルミナ、何かこの町で路銀を稼ぐ方法は、あるかな?」
健太は、これまでルミナの力で全てを賄ってきたが、この町で生活していくためには、やはり自分でお金を稼ぐ経験もしてみたいと思った。
それに今、ルミナはこの世界にエルフとして姿を現した。これで今までのようにルミナに頼りきりでは女性に養ってもらうヒモ男ではないか。
────それだけは絶対嫌だ。
『主の能力と知識を考慮すれば、様々な選択肢がございます。例えば、薬草の知識を生かした薬師や、魔力を用いた生活用品の製造、あるいは冒険者として依頼をこなすことも可能です』
ルミナは、健太にいくつかの選択肢を提示した。健太は、それぞれの選択肢を頭の中で検討した。薬師は、湖畔で得た薬草の知識が活かせるかもしれない。
生活用品の製造も、ルミナの力を多少借りれば簡単にできるだろう。冒険者も興味深いが、まずはもう少しこの町について知ってからの方が良さそうだ。
「そうだな……まずは、この町でどんな仕事があるのか、色々と見て回ってみようかな。せっかくだから、色々な経験をしてみたいし」
『わかりました。どんな仕事を選んでも私が主を万全にサポートしますのでご心配いりません』
「ああ、頼むよ。相棒」
健太は、新しい町で新たな挑戦に胸を躍らせた。
ある日の夕暮れ、健太は村長の家にいた。そこには、かつて彼が助けた猫と狐の獣人の子供たちも集まっていた。健太が村長の家に入っていくと、いつもと違う彼の様子に気づいた子供たちが、心配そうに追いかけてきてくれたようだった。
「みんな……俺は、ここを離れて、また旅に出ようと思う」
健太の言葉に、村長宅はどよめきが走った。子供たちは悲しげな顔で健太を見上げ、村長は困惑と寂しさを入り交じらせた表情で彼を見つめた。
「お兄ちゃん、行っちゃうの?」
猫耳の女の子が、健太の服の裾をぎゅっと掴んだ。健太は彼女の頭を優しく撫でた。
「ああ、そうだよ。でも、悲しいことじゃないんだ。この世界には、まだまだ俺が知らない景色や、出会っていない人々がたくさんいる。もっと色々なことを知って、もっと色々な経験をしてみたいんだ」
健太は、旅立ちを決めた理由をゆっくりと、そして丁寧に語った。村長や子供たちは、健太の言葉に耳を傾け、彼の真剣な眼差しから、その決意の固さを感じ取った。
村長が、一歩前に進み出た。彼の顔には、寂しさの中に、健太への深い理解と感謝の念が宿っていた。
「旅のお方……いえ、健太殿。貴方様には、我々集落は感謝してもしきれません。水精霊の恵みを取り戻し、病に苦しむ者を救い、我々に希望を与えてくださった。貴方様のおかげで、我々は再び、豊かな生活を送ることができるようになりました」
村長は深々と頭を下げた。続いて、子供たちも口々に健太への感謝の言葉を述べた。
「健太兄ちゃん、美味しい魚、ありがとう!」
「お兄ちゃんが教えてくれた文字、もっと勉強するね!」
「いつでも帰ってきて!」
子供たちの言葉に、健太の目頭が熱くなった。
「みんな、ありがとう。俺も、ここでみんなと出会えて、本当に幸せだった。ここにいる間、みんなにはたくさん助けてもらったし、色々なことを教えてもらった。ルミナが張った結界もあるし、きっとこの集落は大丈夫だ」
村長は、ルミナが張った結界の強固さを知っており、その言葉に深く頷いた。
その日の夜は別れの宴が催された。集落の人々は、健太のために、これまでの感謝を込めたご馳走を用意してくれた。皆が歌い、踊り、健太との別れを惜しみながらも、彼の新たな旅立ちを祝福した。健太は、その温かい雰囲気に包まれながら、この場所での最後の夜を過ごした。
翌朝、健太は集落の人々に見送られながら、「家」へと戻り旅支度を整えると、ルミナによって「家」は元あった高原へと転送された。
子供たちは、泣きながら健太に抱きつき、別れを惜しんだ。健太は一人ひとりの頭を撫で、再会を約束した。
「じゃあ、みんな。元気でな!」
健太が手を振ると、集落の人々もそれぞれの言葉で応えた。健太は、彼らの温かい声援を胸に村を出た。
「ルミナ、みんなに見送ってもらうのは、やっぱり寂しいな」
『主、それは主が、この集落の人々との間に、かけがえのない絆を築き上げた証です。しかし、主の心は、新たな世界への期待に満ちています』
ルミナの言葉に、健太は苦笑した。その通りだ。寂しさはあるが、それ以上に、新たな冒険への胸の高鳴りが勝っていた。
「そうだな。さて、次はどこへ行こうか?」
『主のご希望を伺います。以前のように天空の舟で移動することも可能ですが、陸路での移動もございます』
ルミナの問いに、健太は少し考え込んだ。天空の舟での移動は便利だが、空からの眺めだけでは物足りないと感じ始めていたのだ。この世界をもっと深く知るためには、やはり地上を自分の足で歩き、様々なものに触れるべきだろう。
「天空の舟もいいんだけど、次は馬車で旅をしてみたいな。この世界の風を感じながら、のんびりと旅をしてみたいんだ」
健太の言葉に、ルミナはすぐに承諾した。
『承知いたしました。では、馬車を用意します』
ルミナの声と共に、天空の舟は光の粒子となって消滅し、空間が歪んだかと思うと、そこに一台の質素ながらも頑丈そうな幌馬車が現れた。
手綱を握る御者の席には、賢そうな顔立ちの馬が繋がれている。馬車の中は、健太が一人で旅をするのに十分すぎるほどの広さがあり、ベッドや小さなテーブル、そして書棚まで備わっていた。
「すごいな、ルミナ!こんなものまで出せるのか!」
健太は感嘆の声を上げた。ルミナの能力は、相変わらず健太の想像を遥かに超えている。
『これは、主が以前にいた世界、地球の馬車の情報と、この世界の素材データを基に、最適化されて作られた馬車です。内部は、主の快適性を考慮し、魔素を利用し寛げる居住空間を確保しています』
「ありがとう、ルミナ。これで、また俺たちの新たな旅が始まるな」
健太は馬車の扉を開け、さっそく中に乗り込んだ。すると、御者台に座る人物が目に入り、健太は思わず目を見開く。
そこにいたのは、艶やかな金色の髪を背中に流し、透き通るような白い肌、そして深い森のような翠の瞳を持つ、息をのむほど美しいエルフの女性だった。彼女の尖った耳が、その種族を雄弁に物語っている。
「いや、誰ですか!?」
突然目の前に現れた見知らぬ美女に、健太は驚きを隠せない。その女性は、健太の狼狽ぶりに「ふふっ」と上品に笑うと、優しい声で自身の正体を明かした。
『主、私です。驚かせてしまい申し訳ございません』
「え、ルミナ!?」
健太はさらに驚愕した。これまで声しか認識できなかったルミナが、こんなにも美しいエルフの姿となって目の前にいるのだ。
『はい。馬車での旅をご希望されましたので、御者が必要となります。御者などいなくてもこの馬車は目的地へと向かえます。が、御者のいない馬車が勝手に走っていては目立ってしまい無用な詮索を招きかねません。また、主の好みに合わせて、私もこの姿で顕現できるようになりました。不都合でしたでしょうか?』
ルミナの言葉に、健太は顔を赤くした。自身の好みが反映されていると聞かされ、恥ずかしさと同時に、何とも言えない嬉しい気持ちが込み上げてくる。
「いや、不都合なわけないだろ!というか、その、ありがとう、ルミナ……」
『はい、主。この姿なら主の夜のお世話も……』
「しなくていい! しなくていいから!!」
『しかし、私が顕現した以上、夜な夜な主のお手を煩わせる事も……』
「わー!わー!! 何を言ってるの!? ホント、何を言ってるの!?!?」
赤面し動揺する健太をルミナは不思議そうに首を傾げて見ていた。
健太は照れ隠しに、視線を窓の外へと向けた。ルミナはそんな健太の様子を微笑ましげに見守りながら、音もなくゆっくりと手綱を引くと、馬車は森の中の細い道を東へと進んでいく。
馬車での旅は、天空の舟での移動とは全く異なる趣があった。窓からは、刻々と移り変わる景色が流れていく。風の匂い、土の感触、鳥のさえずり、そして時折聞こえる人々の話し声。それら全てが、健太の五感を刺激し、この世界の息吹を肌で感じさせてくれた。
健太は、馬車の窓から顔を出し、外の景色を眺めた。広がる草原、遠くに見える山々、そして小さな村々。これまで空からしか見ていなかった景色が、全く違う表情を見せてくれる。馬車の揺れも心地よく、健太は旅の疲れを感じることなく、景色を楽しんだ。
日中は、ルミナにこの世界の歴史や地理、文化についての情報を教えてもらいながら、道中で見かける動植物を観察したり、珍しい岩石を採取したりした。ルミナの膨大なデータベースは、健太の知的好奇心を満たすには十分だった。
夜は、馬車を人気のない場所に停め、ルミナが用意してくれた焚き火を囲んで食事をする。満天の星空の下で食べる食事は、格別の味だ。
道中、健太は時折、小さな村に立ち寄ることもあった。村人たちは、見慣れない馬車に最初は警戒の色を見せたが、健太の穏やかな人柄と、ルミナが用意してくれた珍しい品々(例えば、健太が作った薬草や、クリスタルフィッシュの干物など)を贈ると、すぐに心を開いてくれた。健太は、村人たちから、この地域の情報や、昔からの言い伝えなどを聞き、この世界の多様性を実感した。
『主、現在の移動速度であれば、目的の町へはあと三日ほどで到着します』
ある日、ルミナの声が健太の耳に届いた。健太は、地図を広げ、次の目的地を確認する。そこは、この地域では比較的大きな町で、交易が盛んだとルミナは言っていた。
「いよいよ町か。どんなところだろうな」
健太は、新たな出会いを予感し、胸を躍らせた。馬車でのんびりと旅を続けるうちに、健太の心は、さらに開放的になっており、人との交流を避けるのではなく、また積極的に関わっていこうと思った。
三日後、遠くに大きな町の影が見えてきた。近づくにつれて、建物の屋根が連なり、町の賑やかな喧騒が聞こえてくる。健太は、馬車の窓から身を乗り出し、初めて見る町の光景に目を輝かせた。
町の入り口には、頑丈そうな木製の門が設置されており、その脇には衛兵が立っていた。健太の馬車が近づくと、衛兵が手で制止した。
「旅の者よ、どちらから参られた?そして、この町で何を?」
衛兵は、警戒心を含んだ目で健太をじっと見つめる。健太は、慌てずに馬車から降り、にこやかに対応した。
「こんにちは。私は東の湖の方面から来た者です。この町は初めてなのですが、交易が盛んだと聞いて立ち寄ってみました」
衛兵は少し驚いた表情を見せたが、健太の目は嘘をついているようには見えなかったのかあっさり信じて通してくれた。
「ふむ……。この町は『アバン』。多くの商人が行き交う活気ある町だ。だが、旅の者にはそれなりの心構えが必要だぞ」
衛兵はそう言って、健太に忠告した。健太は「ありがとうございます」と頭を下げ、馬車を門の中へと進ませた。
町の中は、想像以上の賑わいだった。
石畳の道には、多くの人々が行き交い、様々な露店が軒を連ねている。香辛料の匂い、焼き菓子の甘い香り、そして人々の賑やかな声が混じり合い、町全体に活気を与えていた。
健太は、ルミナに指示して、町の中心にある宿屋の近くに馬車を停めてもらった。
「すごいな、この町の活気は。高原や湖畔とは全く違う雰囲気だ」
健太は、町を行き交う人々を眺めながら、思わず呟いた。獣人族や人間、そして耳の尖ったエルフのような人々など、様々な種族が共存しているのが見て取れた。
『主、このアバンという町は、大陸有数の交易都市であり、多様な文化が混在しています。また、冒険者ギルドや魔術師ギルドなども存在し、様々な情報が集まる場所でもあります』
ルミナの説明に、健太は興味を引かれた。冒険者ギルド。それは、ロアたちが所属していた、たしか……仕事なんかを斡旋してくれる所だったはず。
「へえ、冒険者ギルドか。面白そうだな」
健太は、町をぶらぶらと歩きながら、周囲の様子を観察した。道の両脇には、武器屋や防具屋、薬屋、そして食堂などがひしめき合っている。どれもこれも、健太にとっては新鮮な光景だった。
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「ルミナ、何かこの町で路銀を稼ぐ方法は、あるかな?」
健太は、これまでルミナの力で全てを賄ってきたが、この町で生活していくためには、やはり自分でお金を稼ぐ経験もしてみたいと思った。
それに今、ルミナはこの世界にエルフとして姿を現した。これで今までのようにルミナに頼りきりでは女性に養ってもらうヒモ男ではないか。
────それだけは絶対嫌だ。
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生活用品の製造も、ルミナの力を多少借りれば簡単にできるだろう。冒険者も興味深いが、まずはもう少しこの町について知ってからの方が良さそうだ。
「そうだな……まずは、この町でどんな仕事があるのか、色々と見て回ってみようかな。せっかくだから、色々な経験をしてみたいし」
『わかりました。どんな仕事を選んでも私が主を万全にサポートしますのでご心配いりません』
「ああ、頼むよ。相棒」
健太は、新しい町で新たな挑戦に胸を躍らせた。
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⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。
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