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花園での昼食を中断し、アレクシスは急ぎ足で去っていった。
私を置いて、どこへ向かったのか――それはすぐに知ることになる。
部屋に戻って間もなく、侍女のミーナが緊張した面持ちでやって来た。
「リディア様、廊下は兵士でいっぱいです……どうやら、国境付近で王国の使者が来たそうで」
「王国……って、私のいた……」
「はい。詳細は分かりませんが、公爵様はすぐに執務室へ向かわれました」
胸の奥がざわつく。
王国――私を追放したあの国が、なぜ今になって。
妹や王太子の顔が脳裏をよぎり、嫌な予感がした。
夕方、扉が勢いよく開き、アレクシスが入ってきた。
その背後には執事の老紳士。二人とも険しい顔をしている。
「……何かあったんですか?」
「ああ。王国から使者が来た。……お前を引き渡せとな」
心臓が跳ねる。
「私を……?」
「“王太子の名誉を守るため”などとふざけた理由だ。要は、お前がここで何をしているのか気に入らんのだろう」
唇を噛む。今さら何を――と怒りが湧く一方で、あの場に戻される恐怖が込み上げてくる。
「……私は、どうすれば」
「何もするな。お前はここにいればいい」
その声音は冷たく、しかし絶対的だった。
アレクシスは私の肩に手を置き、ぐっと引き寄せる。
灰色の瞳が真っ直ぐ私を捉えた。
「リディア。俺がいる限り、誰もお前に触れられない」
その低い囁きに、胸が熱くなる。
彼はすぐに執事へ視線を移し、短く指示を出した。
「彼女をこの部屋から出すな。食事もここへ運べ。俺の許可があるまで誰も入れるな」
「かしこまりました、公爵様」
こうして私は、事実上の“軟禁”状態となった。
けれどその部屋は、暖炉もあり、花の香りのする温かな空間。
窓の外には雪山が広がり、不安を忘れさせるほど静かだった。
翌日。
昼過ぎに扉がノックされ、アレクシスが入ってきた。
「退屈していないか?」
「……少し」
「なら、俺が相手をする」
そう言って彼は部屋の隅にある小さなテーブルへ向かい、チェス盤を広げた。
漆黒と象牙色の駒が並び、金の縁取りが光る。
「やったことは?」
「少しだけ……でも、強くはありません」
「いい。俺が教えてやる」
彼は私の正面に座らず、またも隣に腰を下ろす。
肩と腕が触れ合い、心臓が落ち着かない。
「……ここはこう動かす。お前の駒を守りながら、相手の動きを封じるんだ」
低く落ち着いた声が耳元で響く。
彼の指が私の手を軽く導き、象牙色の駒を移動させる。
その手の温かさと、わずかに触れる距離がくすぐったい。
「ほら、もう追い詰められている」
「……早すぎます」
「弱い相手は嫌いじゃない。守りたくなる」
唐突な言葉に、視線が合う。
灰色の瞳の奥に、ほんのりと熱を帯びた光が宿っていた。
思わず目を逸らすと、彼は静かに笑った。
チェスを終えると、アレクシスは持ってきたワインと軽食をテーブルに並べた。
「外には出られない。せめて食事くらいは俺と楽しめ」
グラスを軽く合わせ、香り高いワインを口に含む。
濃厚な果実の風味とともに、心までほぐれていくようだった。
「……落ち着きました」
「そうか。……だが油断するな」
言葉は警告めいているのに、その目は穏やかで、どこか安心を与える。
私はふと口をついて出た。
「……公爵様がいると、怖くないです」
その瞬間、彼は私の顎をそっと持ち上げた。
わずかな距離で見下ろされ、呼吸が止まる。
「……覚えておけ、リディア。お前はもう俺の庇護下にある。二度と、誰にも奪わせない」
その言葉は誓いのように響き、私の胸を熱くした。
夜遅く、アレクシスは再び部屋を訪れた。
外套の裾には雪が付き、肩からは冷気が漂う。
「……すまない、遅くなった」
「お仕事ですか?」
「ああ。使者がしつこくてな。だが心配はいらない。帰る気はないそうだが……奴らはお前に会えないまま領地を去ることになる」
ほっと胸を撫で下ろすと、彼は暖炉の前に腰を下ろし、手招きした。
「来い。冷えているだろう」
その声に従い、隣に座る。
外套ごと私を抱き寄せ、肩口に顔が触れる距離。
「……暖かいです」
「お前のせいだ」
「え?」
「こうして抱くと……手放したくなくなる」
囁きが耳に触れ、体が固まる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、この温もりにもっと包まれていたいとさえ思ってしまう。
翌朝。
ミーナが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。
「リディア様、大変です! 城下町で王国の兵らしき一団が……!」
嫌な予感が胸を締めつける。
その直後、アレクシスが扉を押し開けた。
表情は冷たく研ぎ澄まされ、戦場に立つ将軍の顔だった。
「リディア、すぐに支度をしろ」
「どこへ……?」
「安全な場所だ。……お前を守るためなら、国境ごと閉ざす」
その声音は低く、決して逆らえない力を帯びていた。
私は頷き、彼の差し出した手を取った。
――この時はまだ知らなかった。
この移動が、私とアレクシスの距離を一気に縮めることになることを。
私を置いて、どこへ向かったのか――それはすぐに知ることになる。
部屋に戻って間もなく、侍女のミーナが緊張した面持ちでやって来た。
「リディア様、廊下は兵士でいっぱいです……どうやら、国境付近で王国の使者が来たそうで」
「王国……って、私のいた……」
「はい。詳細は分かりませんが、公爵様はすぐに執務室へ向かわれました」
胸の奥がざわつく。
王国――私を追放したあの国が、なぜ今になって。
妹や王太子の顔が脳裏をよぎり、嫌な予感がした。
夕方、扉が勢いよく開き、アレクシスが入ってきた。
その背後には執事の老紳士。二人とも険しい顔をしている。
「……何かあったんですか?」
「ああ。王国から使者が来た。……お前を引き渡せとな」
心臓が跳ねる。
「私を……?」
「“王太子の名誉を守るため”などとふざけた理由だ。要は、お前がここで何をしているのか気に入らんのだろう」
唇を噛む。今さら何を――と怒りが湧く一方で、あの場に戻される恐怖が込み上げてくる。
「……私は、どうすれば」
「何もするな。お前はここにいればいい」
その声音は冷たく、しかし絶対的だった。
アレクシスは私の肩に手を置き、ぐっと引き寄せる。
灰色の瞳が真っ直ぐ私を捉えた。
「リディア。俺がいる限り、誰もお前に触れられない」
その低い囁きに、胸が熱くなる。
彼はすぐに執事へ視線を移し、短く指示を出した。
「彼女をこの部屋から出すな。食事もここへ運べ。俺の許可があるまで誰も入れるな」
「かしこまりました、公爵様」
こうして私は、事実上の“軟禁”状態となった。
けれどその部屋は、暖炉もあり、花の香りのする温かな空間。
窓の外には雪山が広がり、不安を忘れさせるほど静かだった。
翌日。
昼過ぎに扉がノックされ、アレクシスが入ってきた。
「退屈していないか?」
「……少し」
「なら、俺が相手をする」
そう言って彼は部屋の隅にある小さなテーブルへ向かい、チェス盤を広げた。
漆黒と象牙色の駒が並び、金の縁取りが光る。
「やったことは?」
「少しだけ……でも、強くはありません」
「いい。俺が教えてやる」
彼は私の正面に座らず、またも隣に腰を下ろす。
肩と腕が触れ合い、心臓が落ち着かない。
「……ここはこう動かす。お前の駒を守りながら、相手の動きを封じるんだ」
低く落ち着いた声が耳元で響く。
彼の指が私の手を軽く導き、象牙色の駒を移動させる。
その手の温かさと、わずかに触れる距離がくすぐったい。
「ほら、もう追い詰められている」
「……早すぎます」
「弱い相手は嫌いじゃない。守りたくなる」
唐突な言葉に、視線が合う。
灰色の瞳の奥に、ほんのりと熱を帯びた光が宿っていた。
思わず目を逸らすと、彼は静かに笑った。
チェスを終えると、アレクシスは持ってきたワインと軽食をテーブルに並べた。
「外には出られない。せめて食事くらいは俺と楽しめ」
グラスを軽く合わせ、香り高いワインを口に含む。
濃厚な果実の風味とともに、心までほぐれていくようだった。
「……落ち着きました」
「そうか。……だが油断するな」
言葉は警告めいているのに、その目は穏やかで、どこか安心を与える。
私はふと口をついて出た。
「……公爵様がいると、怖くないです」
その瞬間、彼は私の顎をそっと持ち上げた。
わずかな距離で見下ろされ、呼吸が止まる。
「……覚えておけ、リディア。お前はもう俺の庇護下にある。二度と、誰にも奪わせない」
その言葉は誓いのように響き、私の胸を熱くした。
夜遅く、アレクシスは再び部屋を訪れた。
外套の裾には雪が付き、肩からは冷気が漂う。
「……すまない、遅くなった」
「お仕事ですか?」
「ああ。使者がしつこくてな。だが心配はいらない。帰る気はないそうだが……奴らはお前に会えないまま領地を去ることになる」
ほっと胸を撫で下ろすと、彼は暖炉の前に腰を下ろし、手招きした。
「来い。冷えているだろう」
その声に従い、隣に座る。
外套ごと私を抱き寄せ、肩口に顔が触れる距離。
「……暖かいです」
「お前のせいだ」
「え?」
「こうして抱くと……手放したくなくなる」
囁きが耳に触れ、体が固まる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、この温もりにもっと包まれていたいとさえ思ってしまう。
翌朝。
ミーナが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。
「リディア様、大変です! 城下町で王国の兵らしき一団が……!」
嫌な予感が胸を締めつける。
その直後、アレクシスが扉を押し開けた。
表情は冷たく研ぎ澄まされ、戦場に立つ将軍の顔だった。
「リディア、すぐに支度をしろ」
「どこへ……?」
「安全な場所だ。……お前を守るためなら、国境ごと閉ざす」
その声音は低く、決して逆らえない力を帯びていた。
私は頷き、彼の差し出した手を取った。
――この時はまだ知らなかった。
この移動が、私とアレクシスの距離を一気に縮めることになることを。
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