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61 AIと学校図書館
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こんにちは。
こちらのエッセイはひさしぶりですね。
先日、こちら地域で行われた学校司書の研修会でいろいろと考えさせられたので、今回はそのことをつらつらと。
こちら地域では、市内全体で集まる研修会のほか、もっと小さな近隣区域の学校図書館司書だけであつまる研修会もあります。総勢十名ぐらいになるので、より近しくお話しがしやすい研修だとも言えますね。
ひとつの学校図書館に集まって、業務上のさまざまな工夫について教えていただいたり、館内の見学をしたり。さらに司書同士でいまの悩みや困っていることなどを相談したり、色々な情報共有なども。
この中で、今回はとある司書さんからこんなお話しがありました。
「学校図書館をもっと先生方に授業などで利用してほしいと思って、あれこれとアピールするんだけど、今はGIGA端末を使った授業もするよう言われていて忙しく、なかなか時間がとりにくいと言われる」
さらには、
「『端末を使えばすぐに調べられるのに、図書館で本を使って調べる意味ってありますか?』と言われた」……と。
んー。
前半はともかく、後半のご意見には大いにもの申したいですね。
端末で(ネットで)一発で求めていた答えが得られる、そういう利便性は評価すべきですし良いことなんですが、そればかりでは視野が狭まっていくばかりです。
ネット検索で一発で得られる「答え」だけでは人生が広がっていかない。むしろどんどん狭くなっていく。
とある司書さんも言ってました。
「図書館や本屋さんの良さは、ブラウジングにある」と。
まさにそれで、「今日はあの本を読もう(買おう)」と思って目当ての本棚に行き、目的の本以外のものに目がいって、そちらを手に取る……というのはよくあることです。
そこから思ってもいなかった興味が広がり、視野が開け、新たなアイデアを得ることがある。
紙の本の辞書を引くのもそれに似ていますよね。
求めていた言葉や事柄の内容ばかりでなく、周囲に載っていたほかの情報に触れて思わぬ興味が広がっていく。
これはなかなかネットで調べているだけでは得られない体験です。
とりあえず、子どもたちになにかを教える立場の人がみずから「図書館で(本で)調べることに意味なんてあるの?」というような認識では困ります。今後の教育の質の低下を非常に危惧してしまう事態ですね。
そういえば近ごろ流行り(?)のchatGTPの話題も出ました。
このところ、あれを大学のレポートなどで丸写しして提出する学生がいて問題になっていましたよね。
あれの何が問題って、人がものを考えなくなることだと思うのですよ。
確かに、慣れない人がいきいなり感想文やレポートを書くのって敷居が高いし、難しいことだと思うんですけどもね。でもそこをAIに丸投げしちゃっちゃあイカンでしょ(苦笑)。
「人は考える葦である」とはパスカルによる著書「パンセ」の中の有名な言葉ですが、それこそ考えなくなったら「ただの葦」ですやん(しかも原文では「最も弱い一本の葦」とまで言っている)。
AIはすさまじい量の情報の蓄積と、その組み合わせが得意なわけですが、あそこまでいくと「人間が何も考えなくてもよい」と勘違いする人がたくさん出そうだなあ……と思ってたら案の定でした。
でもそれではいけないわけで。
すでに危惧されていることですが、人間がAIに仕事を奪われないためには、AIに勝てる部分をもっともっと伸ばして磨く必要がある。
それは思索であり、独創性や創造性や「成功が保証されているとは言えない道」に果敢に挑戦する気概だとか、そういったものではないかなと思います。
そうしたものを培うためには、一発で「正解」を得ているばかりでは無理。
試行錯誤し、何度も失敗し、失敗した場面でこそよく考え、状況を分析して改善。そしてまた試行錯誤する。その繰り返し。
要はトライ・アンド・エラーですね。
なにかを成し遂げようとしたら、そういう時間のかかる過程がどうしても必要です。
それでこそ本当の「成功」にたどりつける。
AIに脳ミソまで支配される側であってはいけないし、子どもたちをそうした側へと導くようなことがあってはならないと思うのです。
そして、思索のためには読書は必須。単に調べるためだけではなく、いろんな先人の知恵や考えを学んで自分なりに論理的にいろいろと考えてみる。そういう過程がどうしても要るわけです。
「学校図書館を利用する授業なんて意味あるの?」なんて言ってる先生にそれができるとは到底思えない。
もちろん文科省は学校図書館を利用した授業を推進しているのですが、それがどの科目のどのカリキュラムで行われるかという具体的な指針までは与えていないのだそうで。まあ「全部でできる」ってことでしょうけど、それだと「で? だれがやるの?」ってみんなで目を見合わせて終わっちゃう。
これじゃなかなか進まないのもわかります。
なにより現場の先生方が時間に追われていて気持ちに余裕がない。
ようやく少しずつ教員の働き方改革が進みかけていますけれども、まだまだ過渡期にすぎません。
そうこうするうちにも、どんどん子どもたちは成長していくというのにです。
そうは言っても学校司書は教師ではありませんし、どちらかというと事務員さんたちと似たような立場。児童生徒とかかわる場面が多いとはいっても、教育の指導まではできないわけです。
運よく意識の高い先生に当たれば大いに力を発揮してお助けできるのですが、そうでなければひたすら館内整備と開館時のカウンター対応などだけしているような日々。
そうじゃないですか? まったくもって歯がゆい話ですよね……。
と、今回はちょっとした愚痴みたいになっちゃいましたが。
人はやっぱり「考える」ことと「試行錯誤する」ことを手放しちゃいけないんだと思うのですよね。
学校図書館はそうしたお手伝いができる場でもある。
そう信じてまた、明日からの仕事を頑張りたいと思います。
ではでは。
こちらのエッセイはひさしぶりですね。
先日、こちら地域で行われた学校司書の研修会でいろいろと考えさせられたので、今回はそのことをつらつらと。
こちら地域では、市内全体で集まる研修会のほか、もっと小さな近隣区域の学校図書館司書だけであつまる研修会もあります。総勢十名ぐらいになるので、より近しくお話しがしやすい研修だとも言えますね。
ひとつの学校図書館に集まって、業務上のさまざまな工夫について教えていただいたり、館内の見学をしたり。さらに司書同士でいまの悩みや困っていることなどを相談したり、色々な情報共有なども。
この中で、今回はとある司書さんからこんなお話しがありました。
「学校図書館をもっと先生方に授業などで利用してほしいと思って、あれこれとアピールするんだけど、今はGIGA端末を使った授業もするよう言われていて忙しく、なかなか時間がとりにくいと言われる」
さらには、
「『端末を使えばすぐに調べられるのに、図書館で本を使って調べる意味ってありますか?』と言われた」……と。
んー。
前半はともかく、後半のご意見には大いにもの申したいですね。
端末で(ネットで)一発で求めていた答えが得られる、そういう利便性は評価すべきですし良いことなんですが、そればかりでは視野が狭まっていくばかりです。
ネット検索で一発で得られる「答え」だけでは人生が広がっていかない。むしろどんどん狭くなっていく。
とある司書さんも言ってました。
「図書館や本屋さんの良さは、ブラウジングにある」と。
まさにそれで、「今日はあの本を読もう(買おう)」と思って目当ての本棚に行き、目的の本以外のものに目がいって、そちらを手に取る……というのはよくあることです。
そこから思ってもいなかった興味が広がり、視野が開け、新たなアイデアを得ることがある。
紙の本の辞書を引くのもそれに似ていますよね。
求めていた言葉や事柄の内容ばかりでなく、周囲に載っていたほかの情報に触れて思わぬ興味が広がっていく。
これはなかなかネットで調べているだけでは得られない体験です。
とりあえず、子どもたちになにかを教える立場の人がみずから「図書館で(本で)調べることに意味なんてあるの?」というような認識では困ります。今後の教育の質の低下を非常に危惧してしまう事態ですね。
そういえば近ごろ流行り(?)のchatGTPの話題も出ました。
このところ、あれを大学のレポートなどで丸写しして提出する学生がいて問題になっていましたよね。
あれの何が問題って、人がものを考えなくなることだと思うのですよ。
確かに、慣れない人がいきいなり感想文やレポートを書くのって敷居が高いし、難しいことだと思うんですけどもね。でもそこをAIに丸投げしちゃっちゃあイカンでしょ(苦笑)。
「人は考える葦である」とはパスカルによる著書「パンセ」の中の有名な言葉ですが、それこそ考えなくなったら「ただの葦」ですやん(しかも原文では「最も弱い一本の葦」とまで言っている)。
AIはすさまじい量の情報の蓄積と、その組み合わせが得意なわけですが、あそこまでいくと「人間が何も考えなくてもよい」と勘違いする人がたくさん出そうだなあ……と思ってたら案の定でした。
でもそれではいけないわけで。
すでに危惧されていることですが、人間がAIに仕事を奪われないためには、AIに勝てる部分をもっともっと伸ばして磨く必要がある。
それは思索であり、独創性や創造性や「成功が保証されているとは言えない道」に果敢に挑戦する気概だとか、そういったものではないかなと思います。
そうしたものを培うためには、一発で「正解」を得ているばかりでは無理。
試行錯誤し、何度も失敗し、失敗した場面でこそよく考え、状況を分析して改善。そしてまた試行錯誤する。その繰り返し。
要はトライ・アンド・エラーですね。
なにかを成し遂げようとしたら、そういう時間のかかる過程がどうしても必要です。
それでこそ本当の「成功」にたどりつける。
AIに脳ミソまで支配される側であってはいけないし、子どもたちをそうした側へと導くようなことがあってはならないと思うのです。
そして、思索のためには読書は必須。単に調べるためだけではなく、いろんな先人の知恵や考えを学んで自分なりに論理的にいろいろと考えてみる。そういう過程がどうしても要るわけです。
「学校図書館を利用する授業なんて意味あるの?」なんて言ってる先生にそれができるとは到底思えない。
もちろん文科省は学校図書館を利用した授業を推進しているのですが、それがどの科目のどのカリキュラムで行われるかという具体的な指針までは与えていないのだそうで。まあ「全部でできる」ってことでしょうけど、それだと「で? だれがやるの?」ってみんなで目を見合わせて終わっちゃう。
これじゃなかなか進まないのもわかります。
なにより現場の先生方が時間に追われていて気持ちに余裕がない。
ようやく少しずつ教員の働き方改革が進みかけていますけれども、まだまだ過渡期にすぎません。
そうこうするうちにも、どんどん子どもたちは成長していくというのにです。
そうは言っても学校司書は教師ではありませんし、どちらかというと事務員さんたちと似たような立場。児童生徒とかかわる場面が多いとはいっても、教育の指導まではできないわけです。
運よく意識の高い先生に当たれば大いに力を発揮してお助けできるのですが、そうでなければひたすら館内整備と開館時のカウンター対応などだけしているような日々。
そうじゃないですか? まったくもって歯がゆい話ですよね……。
と、今回はちょっとした愚痴みたいになっちゃいましたが。
人はやっぱり「考える」ことと「試行錯誤する」ことを手放しちゃいけないんだと思うのですよね。
学校図書館はそうしたお手伝いができる場でもある。
そう信じてまた、明日からの仕事を頑張りたいと思います。
ではでは。
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