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入社6年目『ソツスキ〜』の那月目線
凱旋
しおりを挟む航平が帰ってくる。
その事実は、私の心に決して小さくはない波紋を投げかけた。
彼が東北へ移動になって丸5年。
かつて、共に過ごした日々よりも長い間離れていた彼が、本社に戻ってくる。
「で、どうよ?
やっぱり元カレと再会したら、ときめいちゃったりする?」
付き合いが長くなるにつれ、ある意味遠慮がなくなったゆづが、手酌で酒を飲みながら聞いてくる。
その可愛い顔は、知り合った当時から変わらないのに…時々小憎たらしくなるのは何故だろう。
「今更ときめいたりしません」
航平が戻ってくると教えてくれたのは、今や人事部長の懐刀と呼ばれるようになったゆづだったけど。
今の質問はー10点だ。
「私のせいで飛ばされたのに、どんな顔して会えるというんですか…。
そもそも会わないけど、そんな人にときめくとかありえません」
「ナツさぁ」
そんな私に向かって、呆れ顔でゆづはため息を1つ。
「いい加減、自分責めるのやめなよ。
どこにいたって仕事は仕事。
本社でなくとも学ぶ事はたくさんあるし、出来る事もあるんだよ。
それに野口さん頑張ったんだよ、東北で。
結果を出して、それが評価されたから本社に呼び戻されたの。
そんな彼の努力を認めてあげなよ。
だいたいそれ言うなら、セクハラ野郎のせいじゃん。
ナツが責任感じる必要なんて、どこにもないんだよ?」
ゆづの言う事は…わかる。
それでも一旦芽生えた罪悪感は、大きくなる事はあっても消える事はなかった。
この5年の間、1度も。
「男嫌いは相変わらずのようだけど、恐怖心は克服できたんでしょう?」
それは…日常生活に支障をきたし始めた頃、カウンセリングに通ったから。
5年前、人事へ移動になって割とすぐ。
何も知らない黒澤が、エレベーター内で何気なく私の肩をポンと叩いた事があった。
軽い挨拶のつもりだったそれも、私にとっては恐怖でしかなかった。
エレベーター内という逃げ場のない状況。
悪気も他意もなかったとはいえ、男性との接触。
しかも、悪い事に黒澤はどことなく主任と似ていた。
優しそうな笑顔とか、背格好とかが。
一回意識してしまうと、もうダメだった。
急に呼吸が荒くなり、息を吐いてもうまく吸えず肺が満たされなくなる。
そのうち手足が痺れてきた。
「おい…大丈夫か?」
戸惑ったような声も殆ど聞こえず、かといって意識を失う事も出来ず、蹲って必死に耐えるしかなかった。
「触ら、な…で。怖、い」
きれぎれの訴えを、理解したのか黒澤はすぐに私から離れてくれた。
それからは、時間の許す限りカウンセリングを受ける事にした。
あの辛い体験を、無かった事には出来ないけれど、乗り越える事は出来る。
そう励まされ、時に涙を流し、時に相手を罵りながらもカウンセリングを続けた。
——負けたくない、あんな卑劣な人には。
あんな人に、いつまでも怯えて暮らしたくない。
いつまでも弱いままの私ではいたくない。
その思いだけが、私を支えていた。
同時に、経理部に移動となった私は簿記を始め必要と思われる資格・情報を得る為に勉強した。
何かに打ち込んでいられる間は、辛い日常を忘れる事ができた。
* * *
東北で結果を出した航平が、本社に戻ってくるその日。
私は有休を取り、久しぶりに綾香に会いに行った。
綾香は大学時代に見初められ、卒業と同時に入籍し旦那様と暮している。
「お姉ちゃん!久しぶり、元気だった?」
駆け寄ってくる綾香は、また綺麗になったように思う。
姉の欲目を除いても、愛し愛され満たされている幸せオーラが綾香を光り輝かせている。
「相変わらずだよ。
綾香も元気そう、というか幸せで何より」
「ヤダもぅ、からかわないで」
並んで歩いていても、人目を引くのは綾香の方。
それも昔から変わらない。
「今日、よくお休み取れたね、平日なのに」
「うん、ちょっとね」
綾香の旦那様がとってくれたのは、ホテルのラウンジの1室。
大学生の時、世界的に有名なメーカーの御曹司に見初められた綾香は、極秘にお付き合いを深め結ばれた。
今はまだ日本に住んでいるけれど、6月に式を挙げたら、彼についてヨーロッパへ行くのだそう。
その為の準備や諸々で大変だと思うけど、私からの誘いに何も聞かず綾香は了承の返事をくれたのだった。
それにしても…。
ホテルの最上階にあるラウンジなんて、とてもじゃないけど一介のOLがホイホイと来れる場所ではない。
TPOを考えた服装で来たつもりだけど、それでも気後れする私と違い、綾香は何の気負いもなく堂々と歩いてゆく。
「なんか…凄いね」
一応人目につかないよう、護衛も配置されているらしい。
護衛がつくような身分になった綾香。
今まで縁のなかった世界。
別に自分を卑下するつもりはないけれど、つい目を白黒させてしまう。
「アフタヌーンティーのセットを2つ。
紅茶はお任せしてもいいですか?」
「かしこまりました、少々お待ちください」
2人きりになった途端、綾香はこちらに身を乗り出してきた。
「野口さんが帰ってくるって?」
綾香の情報網の広さに、思わず「げ!」と声が出た。
「あんたどこでそれを…」
「鷺山のおばあちゃんと野口さん、今でも連絡取り続けてるって、知らなかったでしょ」
綾香(の旦那様)の情報網かと思いきや、意外と身近な人達からの情報だった。
「おばあちゃんから口止めされてたんだけど、野口さん、お父さん達の命日には毎年お花や向こうの美味しいものを送ってくれてたんだって」
そういえば…と思い出す。
毎年両親の命日くらいになると、おじいちゃんが旅行に行ってきたから、と東北の銘菓や名産をお土産にくれた事を。
特に、私が美味しいと何気なく呟いた銘菓は毎年ラインナップされていた。
あれって…そういう事だったの?
「お姉ちゃん、愛されてるね」
「やめて」
——そんな事、言われても困る。
「野口さん、転勤が決まった時こう言ったんだよ。
別れるつもりはないって」
「…やめてってば」
——私だって、嫌いになった訳じゃない。
でも、あの時は別れるしかなかった。
あのまま航平と、ズルズル付き合い続ける事は出来なかった。
あの時の私の態度は、今思っても相当酷いものだった。
怯えるわ、泣くわ、喚くわ。
挙げ句に過呼吸を起こすわ。
あんな態度をとられたら…たとえ、事情を知っている航平であろうと、傷つかない筈がない。
そう…私は怖かったのだ。
航平に「もう疲れた」「面倒見きれない」と言われる事が。
だから、一切の連絡を断ち自然消滅を狙った。
そんな私が今更、どんな顔をして会えると思うの。
それまでとても美味しく感じられていた、香り高い紅茶もサクサクのスコーンも、途端に味がしなくなる、
「まぁ、いいわ」
優雅な仕草で紅茶を飲む綾香をジトリと睨むが、どこ吹く風で受け流される。
「あんたってホント、いい性格してるわね」
せいぜい嫌味を込めてボソッと呟いたけれど
「あら、ありがとう」
ニッコリ微笑む綾香に、思わず白旗をあげた。
——本当に。
いつの間にこんな強くなったんだろう。
思えば、ケンカらしいケンカなんてした事がなかった。
こんな些細なやり取りでさえも、殆ど記憶にない。
綾香も私も、お互いに嫌われる事を極端に恐れ、取り繕ったり互いを気遣うあまり本音を隠したりしてきた。
また、私も綾香を守り導き支える、“姉”としての役割をいつも意識してきた。
でも…今思えば、私の方が綾香に支えられて、守られていたのかもしれない。
綾香がいる事で安心していたのは、私の方だったのかもしれない。
唐突にそんな事を思った。
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