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15章 祈り(後)
40話 こころ弱きもの(3)
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「……殺すつもりでないのなら、早く解放してもらいたいな。僕の時間は残り少ないんだ。そういう拷問であるというのなら仕方ないけれど、違うんだろう?」
しばらくの沈黙のあと、肩をすくめ小さく両手を広げながらイリアスがつぶやいた。
ウィルは未だイリアスの影を縫い続けている。目配せをして心で「やめろ」と命じても全く聞かない――。
(なんでだよ……!?)
ウィルは時々、オレの気持ちを代弁するような動きをすることがある。
話したい相手に話しかけられない時に相手の方へ飛んでいって、寄り添ったり様子をうかがったり……。
カイルが消えてしまってから、オレは本心を必要以上に押し隠すようになっていた。
だから、ウィルの行動には困らされることがあったものの、正直助けられることの方が多かった。
だが今回ばかりは全く分からない。困惑しかない。
なんで空間を切り取った? イリアスをこの場に押しとどめてどうする?
言いたいことは言いきった。5年間溜め込んできた黒い感情も、ここ数日で噴き上がってきた恨みも、今全部直接ぶつけた。
もう、コイツに用事なんて――。
「ふふ……」
「!」
不意に、イリアスが笑みを浮かべる。
今の自分の気持ちが分からない。怒り、苛立ち、恐れ……どれも何か違う。
オレには分からないのに、この野郎には"樹"を通して視えている――それにだけ、無性に腹が立つ。
「……面白いねえ、君は」
「見てんじゃねえよ」
「樹の話じゃないよ。……まあ、それも興味深いけれど。君の在り方が面白いと言っているのさ」
「在り方だと?」
「そう。……ねえ、君はすごい力を持っているよ。君の使い魔の力は、使い魔の領域を出ている。もはや、君自体が闇の化身と言っても過言ではないほどだ」
「な……何を」
「君は、闇の呪法をたくさん研究していたよね。"魔法は心の力"……知識が身についていれば、それも力になる。さらに、知識量も膨大だ。その気になれば君は、国家を転覆させるほどの力を持っている」
「…………」
数週間前、セルジュ様にほとんど全く同じことを言われた。
あの時は、研究をやめさせるために少し大げさに言ってみせているのだろうなんて思っていた――もちろん、あれきり研究はしていないが。
でもコイツの口から聞くと妙に現実味がある――。
「……なのに、おかしいんだよ。君には邪心がない」
「え?」
「なぜだろう。その力で、何もかも好きにしてやろうとは思わないの?」
「……オレは……」
「……ボクはねえ、好きなようにしたよ、ジャミル君」
「え?」
問いかけに対して考えを巡らせるよりも先に、イリアスが言葉を吐き出す。
またうっすらと笑みを浮かべている。が、何か様子がおかしい。首をフラフラと動かしながら「フ、フ、フ」と笑いを漏らしている。
――急に何がどうした?
気持ち悪い。心がザワザワする。
「さっきのねえ、シモン・フリーデンの話の続きをするよ。彼は死に際、ボクに自分の力・記憶・知識……それから"真理"の名を押しつけて死んでいったんだ。……真理という名の呪文の威力は凄まじい。突然司教がそこいらの小僧に代替わりしても、誰も異を唱えない。ロゴスは真理――ボクが『自分は司教ロゴスだ』と言えば、全ては"是"となる。ボクの言ったことは、何もかも真実になるんだ。すごいだろう、絶対的な力だ」
イリアスが両手を広げ、うっとりとした顔で天を見上げる。
切り取られた空間に空はなく、上部には濃淡の判断もつかない黒い何かが広がっている。
こんな状況なのにまた独り芝居をする気か、冗談じゃない。……そう思ったが……。
「ボクはねえ、酔ったよ。……だって、そうだろう? この額の紋章と先代の魔力、そして"真理"という名……それらがあれば、今までボクを抑えつけてきたモノを全部ねじ伏せることができるんだから……!」
やっぱり様子がおかしい。何か、喋りが幼稚だ。
だがさっきまで"朗読"していたシモン・フリーデンの人生譚と違って、今の話にはコイツの感情が多分に含まれている。
聞いておくべきかもしれない。"赤眼"は感情剥き出しになるが、嘘は決してつかない。コイツの実像をつかむ最初で最後のチャンスだ――。
(ウィル、ウィル……!)
イリアスの話に耳を傾けながら、密かにウィルに心で呼びかけ命じる。
「コイツの話を一言一句逃さず聞いて覚えろ」――と。
ここから無事に帰ったとして、この状況を口で正確に伝える自信がない。だが、ウィルなら……。
ウィルはこの瞬間もイリアスの影を縫い続けている。だが、命令を心で念じた瞬間、ウィルの眼が赤く光った。
"了承"のサインだろうか。そうだったらいいが……。
「シモンは愚かだった。ボクはずっと光の塾で行動を抑制され、精神支配を受け続けていた。……一方的に踏みにじられるだけだった弱者を解放して、突如強大な力を与えれば、どういう結果になるか分かっていなかったんだ」
そこで一旦言葉を切り、イリアスはくぐもった声で笑う。
「司教ロゴスになって、まず幹部連中を全員"粛正"したよ。ほとんどが紋章持ちだったけれど、みぃんな、ニコライおじさんに"お供え"してあげたよ。死ぬ間際のあいつらの樹は見物だったなあ。"恐怖"と、言葉を尽くせば分かってもらえるのではという"期待"、"希望"がないまぜになって膨らんでいってさ。それで、やっぱり助からないと分かった時のあの絶望ときたら! ……クックックッ……あああ、あれは本当に、傑作だったなあ~! ボクはねえ、あの樹を踏みつけにして、伐採してやるのが大好きなんだあ、……ヒヒッ……」
――力のない、心が弱い人間が、突如強大な力を手にして……その状況はオレと同じだ。
コイツが今話したことを糾弾する気になれない。
ここ数日の話し合いの中で、グレンがイリアスのことを「奴は俺の影だ」と言っていた。自分もああなる可能性があった、と。
オレもそうだ。オレがこうなる可能性だって十分あった。
そうならないでいられたのは、兄弟が、恋人が、仲間がいたからだ。
オレにはいくつもの心の支え……いや、心の逃げ場所があった。だが、コイツには……。
「……おい。冗談じゃないんだよ、お前」
「!」
「このボクを憐れもうっていうのか? ……ふざけるなよ!!」
イリアスが目を最大限に見開いてこちらを指さし、大声を上げる。
どうやらオレの足元に、"憐れみ"を示す"樹"が生えているらしい――。
「シモンの話をまたしてやるよ。……シモンの兄弟パオロは、ニコライの命令で殺された。だが、それを問い詰めたシモンにニコライは、『自分は命じていない』としらばっくれたんだ。さらに、シモンが司教ロゴスとなったことについても『お前が勝手にそんな大それた名を名乗った』と言い逃れをしたんだ。『前々からお前達はやりすぎだと思っていた』ともね。挙げ句の果てに、『お前達が勝手に自分を神として祭り上げた』『お前らのせいで光の塾は犯罪者集団だ』なんて……。ニコライはシモンに、人間としての名前、家族、そして生きる意味を与えた。けど光の塾の教祖――"神"と崇められ増長していくうちにそれら全てを忘れ、最後はシモンを裏切った。家族を奪い、与えたはずの名を忘れ、生きる意味すら見失わせたんだ。絶望は激しい怒りに変わる――シモンはニコライを滅多刺しにした。そして最後は土の禁呪で壁に塗り込め、終わりなき生に縛り付けたんだ。……さあ、どう思った?」
「え……?」
「かわいそうだろう、シモン君は? ……けど、『それがどうした』と思わないか!? どれほどかわいそうな事情があったところでボクには何の関係もない。ボクはあの男を許さない……それと同じにお前達もボクを許さなければいいんだ。憎いなら殺せ、憐れに思うのならば殺せ! "死"以外に憎悪の感情を片付けられるものは存在しないのだから……!!」
「…………」
「ああ、思い出すなあ……シモンのあの、膨らみきった絶望と怒りの樹。……あれは本当に、傑作だったなあ……! できればボクの手で切り落としてやりたかったけど、それは永遠に叶わない。……だからねえ、その代わりボクは、他の樹を切ってやるんだよジャミル君。ボクの樹の根元の"地面"は、ずっと渇いている。けど……人の希望を刈り取る時だけ、その渇きが潤うんだ……! フフッ、ハハハッ……ねえ、このままボクが朽ち果てれば、お前達の地面も"渇く"よ? 一生満たされることのない"渇き"だ……いいのかなあ、それで。……果たしてそれで、いいのかなああ……?」
「ヒッ、ヒッ」と息を吸い上げ、首をカクカク動かしながら、イリアスは笑う。
――今オレの"樹"とやらはどんな状態なんだろう? 憐れみばかりが膨らんでいないだろうか?
見ていられない。憎しみに囚われた人間は、こんなにも惨めで憐れなものなのか――。
「はあ――……」
「!」
イリアスが大きく溜息を吐いた後、顔や頭を掻きながら何事か呟き始める。
声は徐々に大きくなっていき、「あの野郎」「汚い」「気持ち悪い」なんていう言葉が聞こえてくる。
どうやらオレに何かを語りかけているわけではないらしい。
「……あの野郎、よくも……あんなものを見せてくれた……。僕の、信頼を、信仰を、まやかしだと証明した、1つの道しか進ませなかった! ……、を、悪だと、証明した! よくも……よくもぉ……っ!」
「お、おい――」
「お前ふざけるな!! 誰が出てきていいって言った!?」
「!?」
苦しむように恨み言を吐き出していたイリアスが一転、声を張り上げ、"何者か"に怒りをぶつける。
――何がなんだか分からない。「出てくる」って何だ……?
「端役のくせに、勝手にしゃしゃり出てくるんじゃない! お前はボクが生み出してやった、穢れを引き受けるだけの役だろ! 能なしのゴミが!!」
「勝手に出てきたのはどっちだ! それにお前だって大したことしていないだろ! 僕にばかり強く出るくせに、シモンには逆らえなかった……怖かったからだろ、臆病者!」
「臆病だと!? お前がそれを言うのか!!」
イリアスが言葉を発すると、すかさずイリアスが反発し、さらにそれをイリアスが罵倒する……。
(…………)
――ここ数日の話し合いの中で、オレ達はある仮説を立てた。
「イリアスは多重人格者だろう」という仮説だ。それなら、言動や行動の不一致さも説明がつく。
月天の間での振る舞い、そして仲間の話をつなぎ合わせると、少なくとも4人くらいは"いる"。
今そいつらが入れ替わり立ち替わり出てきて、激しく罵り合っている。
コイツは今"赤眼"だ。自我が崩壊して、確かな"自分"を保っていられないのかもしれない――。
「……お前が一体、何をした!? 意識の底で震え上がっていただけだろ! 役立たず!!」
「僕はちゃんと自分の役をやってた! お前が! お前が勝手に"真理"を捨ててこっちに浸食してきたんだろ!? いつもいつも僕の邪魔ばかりをして、ふざけるな!」
「勝手にだと!? お前だって"ロゴス"はいらないって言ったくせに! 都合の悪いこと全部全部ボクのせいにして被害者ぶって、偽神そっくりだなお前は!!」
「お前、ヨハンッ!! 言うに事欠いて、よくもあんなゴミと一緒に……!!」
血が出るくらいに顔や首をかきむしりながらお互いを罵倒し合う目の前の男。
こんなのをずっと見ていたらこっちまで発狂しそうだ。どうにかしてやめさせないと……!
「ウィル! ウィルッ!!」
叫ぶと同時にウィルの眼が「ビィン」と音を立てて赤く光る。
次の瞬間、地面から紫色をしたロープのような物が飛び出した。
ロープはイリアスに巻き付き、稲妻のごとく光を放つ――!
「がっ……!!」
「……!!」
雷撃を受けたイリアスは短い悲鳴を上げる。光が止むと、上を向いたままピクリとも動かなくなってしまう。
「あ……あ」
肩がわずかに上下している――どうやら、殺してしまったわけではないらしい。
だが呼吸をしているだけでは生きていると言えない……。
「イ、イリアス……、おい、大丈夫か……!」
イリアスの元へ駆け寄り、身体を揺さぶりながら大声で呼びかける。
さっき壁にぶつけた手が痛むが、気にしていられない。
「イリアス! 返事をしろ! おい……」
――ウィルはどうしてあんなことをしたんだ。
オレはこいつの"死"なんか願っていない。ただあの諍いを止めたかっただけなのに――。
「イリアス! イリアス……」
「……やっぱり、君は変わっているなあ……」
「!!」
「僕の安否など確認せず、ここを去ればいいものを……」
言いながらイリアスがゆっくりと顔を下ろし……。
「ごめんねえ、ジャミル君。"役"をひとつ捨ててしまったから、統制がうまくいかなくて……」
そう言って力なく笑って見せる。
また別の"誰か"に変わっている。
"役"、"統制"――今度のヤツも、理解させる気がない独自の固有名詞を並べ立ててくる。だが、不思議と芝居臭さを感じない。
張り付いた仮面のようだった笑顔にも不気味さはなく、むしろ穏やかさすらある。
だが、ここへ来てそれは逆に怖い――。
「お、お前は一体……誰だ……」
気づけば、そう問うていた。
目の前の男は何も言わない。ただこちらの眼を見ながら、微笑を浮かべるだけ――。
しばらくの沈黙のあと、肩をすくめ小さく両手を広げながらイリアスがつぶやいた。
ウィルは未だイリアスの影を縫い続けている。目配せをして心で「やめろ」と命じても全く聞かない――。
(なんでだよ……!?)
ウィルは時々、オレの気持ちを代弁するような動きをすることがある。
話したい相手に話しかけられない時に相手の方へ飛んでいって、寄り添ったり様子をうかがったり……。
カイルが消えてしまってから、オレは本心を必要以上に押し隠すようになっていた。
だから、ウィルの行動には困らされることがあったものの、正直助けられることの方が多かった。
だが今回ばかりは全く分からない。困惑しかない。
なんで空間を切り取った? イリアスをこの場に押しとどめてどうする?
言いたいことは言いきった。5年間溜め込んできた黒い感情も、ここ数日で噴き上がってきた恨みも、今全部直接ぶつけた。
もう、コイツに用事なんて――。
「ふふ……」
「!」
不意に、イリアスが笑みを浮かべる。
今の自分の気持ちが分からない。怒り、苛立ち、恐れ……どれも何か違う。
オレには分からないのに、この野郎には"樹"を通して視えている――それにだけ、無性に腹が立つ。
「……面白いねえ、君は」
「見てんじゃねえよ」
「樹の話じゃないよ。……まあ、それも興味深いけれど。君の在り方が面白いと言っているのさ」
「在り方だと?」
「そう。……ねえ、君はすごい力を持っているよ。君の使い魔の力は、使い魔の領域を出ている。もはや、君自体が闇の化身と言っても過言ではないほどだ」
「な……何を」
「君は、闇の呪法をたくさん研究していたよね。"魔法は心の力"……知識が身についていれば、それも力になる。さらに、知識量も膨大だ。その気になれば君は、国家を転覆させるほどの力を持っている」
「…………」
数週間前、セルジュ様にほとんど全く同じことを言われた。
あの時は、研究をやめさせるために少し大げさに言ってみせているのだろうなんて思っていた――もちろん、あれきり研究はしていないが。
でもコイツの口から聞くと妙に現実味がある――。
「……なのに、おかしいんだよ。君には邪心がない」
「え?」
「なぜだろう。その力で、何もかも好きにしてやろうとは思わないの?」
「……オレは……」
「……ボクはねえ、好きなようにしたよ、ジャミル君」
「え?」
問いかけに対して考えを巡らせるよりも先に、イリアスが言葉を吐き出す。
またうっすらと笑みを浮かべている。が、何か様子がおかしい。首をフラフラと動かしながら「フ、フ、フ」と笑いを漏らしている。
――急に何がどうした?
気持ち悪い。心がザワザワする。
「さっきのねえ、シモン・フリーデンの話の続きをするよ。彼は死に際、ボクに自分の力・記憶・知識……それから"真理"の名を押しつけて死んでいったんだ。……真理という名の呪文の威力は凄まじい。突然司教がそこいらの小僧に代替わりしても、誰も異を唱えない。ロゴスは真理――ボクが『自分は司教ロゴスだ』と言えば、全ては"是"となる。ボクの言ったことは、何もかも真実になるんだ。すごいだろう、絶対的な力だ」
イリアスが両手を広げ、うっとりとした顔で天を見上げる。
切り取られた空間に空はなく、上部には濃淡の判断もつかない黒い何かが広がっている。
こんな状況なのにまた独り芝居をする気か、冗談じゃない。……そう思ったが……。
「ボクはねえ、酔ったよ。……だって、そうだろう? この額の紋章と先代の魔力、そして"真理"という名……それらがあれば、今までボクを抑えつけてきたモノを全部ねじ伏せることができるんだから……!」
やっぱり様子がおかしい。何か、喋りが幼稚だ。
だがさっきまで"朗読"していたシモン・フリーデンの人生譚と違って、今の話にはコイツの感情が多分に含まれている。
聞いておくべきかもしれない。"赤眼"は感情剥き出しになるが、嘘は決してつかない。コイツの実像をつかむ最初で最後のチャンスだ――。
(ウィル、ウィル……!)
イリアスの話に耳を傾けながら、密かにウィルに心で呼びかけ命じる。
「コイツの話を一言一句逃さず聞いて覚えろ」――と。
ここから無事に帰ったとして、この状況を口で正確に伝える自信がない。だが、ウィルなら……。
ウィルはこの瞬間もイリアスの影を縫い続けている。だが、命令を心で念じた瞬間、ウィルの眼が赤く光った。
"了承"のサインだろうか。そうだったらいいが……。
「シモンは愚かだった。ボクはずっと光の塾で行動を抑制され、精神支配を受け続けていた。……一方的に踏みにじられるだけだった弱者を解放して、突如強大な力を与えれば、どういう結果になるか分かっていなかったんだ」
そこで一旦言葉を切り、イリアスはくぐもった声で笑う。
「司教ロゴスになって、まず幹部連中を全員"粛正"したよ。ほとんどが紋章持ちだったけれど、みぃんな、ニコライおじさんに"お供え"してあげたよ。死ぬ間際のあいつらの樹は見物だったなあ。"恐怖"と、言葉を尽くせば分かってもらえるのではという"期待"、"希望"がないまぜになって膨らんでいってさ。それで、やっぱり助からないと分かった時のあの絶望ときたら! ……クックックッ……あああ、あれは本当に、傑作だったなあ~! ボクはねえ、あの樹を踏みつけにして、伐採してやるのが大好きなんだあ、……ヒヒッ……」
――力のない、心が弱い人間が、突如強大な力を手にして……その状況はオレと同じだ。
コイツが今話したことを糾弾する気になれない。
ここ数日の話し合いの中で、グレンがイリアスのことを「奴は俺の影だ」と言っていた。自分もああなる可能性があった、と。
オレもそうだ。オレがこうなる可能性だって十分あった。
そうならないでいられたのは、兄弟が、恋人が、仲間がいたからだ。
オレにはいくつもの心の支え……いや、心の逃げ場所があった。だが、コイツには……。
「……おい。冗談じゃないんだよ、お前」
「!」
「このボクを憐れもうっていうのか? ……ふざけるなよ!!」
イリアスが目を最大限に見開いてこちらを指さし、大声を上げる。
どうやらオレの足元に、"憐れみ"を示す"樹"が生えているらしい――。
「シモンの話をまたしてやるよ。……シモンの兄弟パオロは、ニコライの命令で殺された。だが、それを問い詰めたシモンにニコライは、『自分は命じていない』としらばっくれたんだ。さらに、シモンが司教ロゴスとなったことについても『お前が勝手にそんな大それた名を名乗った』と言い逃れをしたんだ。『前々からお前達はやりすぎだと思っていた』ともね。挙げ句の果てに、『お前達が勝手に自分を神として祭り上げた』『お前らのせいで光の塾は犯罪者集団だ』なんて……。ニコライはシモンに、人間としての名前、家族、そして生きる意味を与えた。けど光の塾の教祖――"神"と崇められ増長していくうちにそれら全てを忘れ、最後はシモンを裏切った。家族を奪い、与えたはずの名を忘れ、生きる意味すら見失わせたんだ。絶望は激しい怒りに変わる――シモンはニコライを滅多刺しにした。そして最後は土の禁呪で壁に塗り込め、終わりなき生に縛り付けたんだ。……さあ、どう思った?」
「え……?」
「かわいそうだろう、シモン君は? ……けど、『それがどうした』と思わないか!? どれほどかわいそうな事情があったところでボクには何の関係もない。ボクはあの男を許さない……それと同じにお前達もボクを許さなければいいんだ。憎いなら殺せ、憐れに思うのならば殺せ! "死"以外に憎悪の感情を片付けられるものは存在しないのだから……!!」
「…………」
「ああ、思い出すなあ……シモンのあの、膨らみきった絶望と怒りの樹。……あれは本当に、傑作だったなあ……! できればボクの手で切り落としてやりたかったけど、それは永遠に叶わない。……だからねえ、その代わりボクは、他の樹を切ってやるんだよジャミル君。ボクの樹の根元の"地面"は、ずっと渇いている。けど……人の希望を刈り取る時だけ、その渇きが潤うんだ……! フフッ、ハハハッ……ねえ、このままボクが朽ち果てれば、お前達の地面も"渇く"よ? 一生満たされることのない"渇き"だ……いいのかなあ、それで。……果たしてそれで、いいのかなああ……?」
「ヒッ、ヒッ」と息を吸い上げ、首をカクカク動かしながら、イリアスは笑う。
――今オレの"樹"とやらはどんな状態なんだろう? 憐れみばかりが膨らんでいないだろうか?
見ていられない。憎しみに囚われた人間は、こんなにも惨めで憐れなものなのか――。
「はあ――……」
「!」
イリアスが大きく溜息を吐いた後、顔や頭を掻きながら何事か呟き始める。
声は徐々に大きくなっていき、「あの野郎」「汚い」「気持ち悪い」なんていう言葉が聞こえてくる。
どうやらオレに何かを語りかけているわけではないらしい。
「……あの野郎、よくも……あんなものを見せてくれた……。僕の、信頼を、信仰を、まやかしだと証明した、1つの道しか進ませなかった! ……、を、悪だと、証明した! よくも……よくもぉ……っ!」
「お、おい――」
「お前ふざけるな!! 誰が出てきていいって言った!?」
「!?」
苦しむように恨み言を吐き出していたイリアスが一転、声を張り上げ、"何者か"に怒りをぶつける。
――何がなんだか分からない。「出てくる」って何だ……?
「端役のくせに、勝手にしゃしゃり出てくるんじゃない! お前はボクが生み出してやった、穢れを引き受けるだけの役だろ! 能なしのゴミが!!」
「勝手に出てきたのはどっちだ! それにお前だって大したことしていないだろ! 僕にばかり強く出るくせに、シモンには逆らえなかった……怖かったからだろ、臆病者!」
「臆病だと!? お前がそれを言うのか!!」
イリアスが言葉を発すると、すかさずイリアスが反発し、さらにそれをイリアスが罵倒する……。
(…………)
――ここ数日の話し合いの中で、オレ達はある仮説を立てた。
「イリアスは多重人格者だろう」という仮説だ。それなら、言動や行動の不一致さも説明がつく。
月天の間での振る舞い、そして仲間の話をつなぎ合わせると、少なくとも4人くらいは"いる"。
今そいつらが入れ替わり立ち替わり出てきて、激しく罵り合っている。
コイツは今"赤眼"だ。自我が崩壊して、確かな"自分"を保っていられないのかもしれない――。
「……お前が一体、何をした!? 意識の底で震え上がっていただけだろ! 役立たず!!」
「僕はちゃんと自分の役をやってた! お前が! お前が勝手に"真理"を捨ててこっちに浸食してきたんだろ!? いつもいつも僕の邪魔ばかりをして、ふざけるな!」
「勝手にだと!? お前だって"ロゴス"はいらないって言ったくせに! 都合の悪いこと全部全部ボクのせいにして被害者ぶって、偽神そっくりだなお前は!!」
「お前、ヨハンッ!! 言うに事欠いて、よくもあんなゴミと一緒に……!!」
血が出るくらいに顔や首をかきむしりながらお互いを罵倒し合う目の前の男。
こんなのをずっと見ていたらこっちまで発狂しそうだ。どうにかしてやめさせないと……!
「ウィル! ウィルッ!!」
叫ぶと同時にウィルの眼が「ビィン」と音を立てて赤く光る。
次の瞬間、地面から紫色をしたロープのような物が飛び出した。
ロープはイリアスに巻き付き、稲妻のごとく光を放つ――!
「がっ……!!」
「……!!」
雷撃を受けたイリアスは短い悲鳴を上げる。光が止むと、上を向いたままピクリとも動かなくなってしまう。
「あ……あ」
肩がわずかに上下している――どうやら、殺してしまったわけではないらしい。
だが呼吸をしているだけでは生きていると言えない……。
「イ、イリアス……、おい、大丈夫か……!」
イリアスの元へ駆け寄り、身体を揺さぶりながら大声で呼びかける。
さっき壁にぶつけた手が痛むが、気にしていられない。
「イリアス! 返事をしろ! おい……」
――ウィルはどうしてあんなことをしたんだ。
オレはこいつの"死"なんか願っていない。ただあの諍いを止めたかっただけなのに――。
「イリアス! イリアス……」
「……やっぱり、君は変わっているなあ……」
「!!」
「僕の安否など確認せず、ここを去ればいいものを……」
言いながらイリアスがゆっくりと顔を下ろし……。
「ごめんねえ、ジャミル君。"役"をひとつ捨ててしまったから、統制がうまくいかなくて……」
そう言って力なく笑って見せる。
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だが、ここへ来てそれは逆に怖い――。
「お、お前は一体……誰だ……」
気づけば、そう問うていた。
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