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第13話:本能の夜、月は哭く
しおりを挟む――天正十年 六月。
本能寺。
京都の静けさの中に、今にも崩れ落ちそうな運命の火種が潜んでいた。
信長は少人数の供を連れ、本能寺に逗留していた。
戦も終わり、天下統一は目前。
かつての激しい焔は、静かに、しかし確かに燃え続けていた。
だがその夜――
彼の影に忍び寄る一つの黒い渦が、すべてを飲み込もうとしていた。
◇ ◇ ◇
「今宵は、月が冴えているな」
信長は縁側で、静かに夜空を見上げていた。
月は、やけに白く光り、冷たい光を地に落としていた。
「……帰蝶は、今頃どうしているだろうな」
そう呟いたとき、ふと胸に重く、鈍い痛みが走る。
何かが近づいている。そんな直感が、信長の皮膚を這った。
――足音。
――金属の擦れる音。
それは夢か現か、わずかな風とともに、本能寺を包み始める。
◇ ◇ ◇
――その時、岐阜。
帰蝶は目を覚ました。
冷や汗が首筋を伝う。
「……信長……?」
胸が痛い。何かが――いや、“誰か”が彼を襲おうとしている。
「これはただの夢ではない」
直感でそう悟った帰蝶は、急ぎ筆をとった。
「あなたの焔が、どうか消えませんように。
すべてを失っても、あなたの“心”だけは……」
だが、その祈りが届く前に――運命は動き出していた。
◇ ◇ ◇
京・本能寺。
夜半。
突如、闇を引き裂く鬨の声。
「敵襲――っ! 明智勢が攻め寄せて参りました!」
「……なに?」
信長は床几から立ち上がった。
その名を聞いた瞬間、すべてを悟る。
「光秀か……。裏切ったか」
すぐさま配下を起こすが、兵は少なく、形勢は絶望的だった。
「これが、俺の最期というわけか」
◇ ◇ ◇
本能寺の本堂。
信長は鎧を身に着けず、刀だけを手に、迫りくる兵に向かう。
彼の姿に、誰もが息を呑んだ。
それは武将というより、“焔”そのものだった。
「天下布武――この手で見果てぬ夢だったか」
刃が交わり、火が放たれる。
本能寺が炎に包まれる中、信長は一人、最後の戦いを繰り広げる。
そして、炎の中で叫ぶ。
「この信長――まだ終わらぬぞ!!」
◇ ◇ ◇
その頃、帰蝶は信長の文を抱いていた。
「焔の先に、何があるのか。それを確かめるため、俺はすべてを賭ける」
その言葉は、まるで遺言のように思えた。
「信長……」
涙が頬を伝う。
だが彼女は泣き叫ばなかった。
その人が“信長”である限り、戦いの中で散る可能性を、彼女は誰よりも理解していた。
祈りとともに、彼女は静かに膝を折り、天に手を合わせる。
「どうか――
どうか、あなたの“焔”が消える前に、あなた自身の心が救われていますように」
◇ ◇ ◇
炎がすべてを呑み込み、本能寺は崩れ落ちた。
信長の姿は、誰の目にも届かなくなった。
だが――
炎の果て、静かに残る灰の中に、誰かの“願い”だけが、確かに残されていた。
それは華。
信長という焔に寄り添った、一輪の華だった。
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