126 / 297
人界編
祭りの来客③
しおりを挟む
「ハク、大丈夫かな」
天蓋《てんがい》から下がる御簾《みす》の向こうに目を向けて、俺はポツリと呟く。
榮《さかえ》との会話で、ハクの顔色がどんどん悪くなっていったのが気がかりだった。
翠雨《すいう》や凪《なぎ》が体調を気遣い紅翅《こうし》が呼ばれる場面もあったのだが、ハクは
「大丈夫だよ。来たばっかりじゃない」
と笑うだけだった。
皆で顔を見合わせ、それ以上の追求ができなかったのだが、あの一時、明らかに様子がおかしかったのだ。
「あの男が転換の儀の事など持ち出したからです。あのような者、白月様に近づけるべきではありませんでした」
俺の背後で亘が堪えきれなくなったようにそう零す。
「あの方の傷を抉《えぐ》ることになると分かっていながら、あの方との関係を明確にし自らの力を誇示するためだけに、白月様の前でわざわざあの話を持ち出したのです」
亘はそう言うと歯噛みする。
転換の儀。結がハクになる直前の出来事ということだ。つまり、結が死の淵に立たされていた時の……
「転換の儀で、榮との間にもなにかあったの?」
俺の言葉に、亘はチラとこちらの声が聞こえていないかを確かめるようにハクに視線を向ける。それから、怒気を孕《はら》んだ表情で亀島の座る方をヒタと見据えた。
「あの男があの方の最期に放った言葉です」
殆《ほとん》ど口を動かさずに、亘は低い声を出す。
「―――人界ではもう使えぬのだから、最期に人柱としてくらい役立ってもらわねば。女子の身で妖界の帝など務まると思えぬが、あちらでどうなろうと送ったという人界《こちら》の面目は保てるだろう―――あの男は、死の淵にあったあの方に、そう言い放ったのです」
「……何だよ……それ……」
それが御役目に向かい鬼に襲われ傷ついた結に掛けられた言葉だとしたら、あまりに残酷で卑劣だ。
「なんて酷《ひど》い事を……」
横で聞いていた椿《つばき》がそう呟く。
「御当主や粟路《あわじ》様の思惑がどうあれ、結局あの男の言った通りに、我らはあの方を妖界にお送りすることになりました。あの時のあの方にはきっと、その後の我らの言葉など届いていなかったでしょう。それだけ強烈な言葉でした。死を目前にしながら、役立たずは切り捨ててしまえと、そう言われたのですから」
俺はチラと亀島の方に目を向ける。難しい表情の都築《つづき》と、いつの間にか戻って来ていた湊《みなと》が居心地悪そうにしている以外は、まるで何事も無かったかのように談笑している。
言った方は覚えているのだろうか。覚えていたとして、それがどれ程傷つけたのかわかっているのだろうか。
自分の事でもないのに、何だか悔しくなってくる。
「今のあの方の御立場なら、何かと理由をつけてこの場で処断することも可能でしょう。しかし、あの方の事です。その様な事、お望みにならないでしょう。いつも、あの方ばかりが我慢を強いられるのです。この期に及んでもまだ……」
亘はそう言うと、拳を握りしめて口を噤《つぐ》んだ。
榮への怒りか、今の自分に何もできない歯がゆさからか、近くで支える事すらままならない悔しさからか、それとも、結を救うことも出来なかった自責の念からか、もしくはそれら全てからか。
亘はただ、それ以上は何も言わなかった。
伯父さんにも柊士にも、亘の話は聞こえていたはずだ。でも二人は黙ったまま、じっと舞台の上を見つめていた。二人には、いったいどう聞こえたのだろう。
舞台上での神事や催しが終わると、二貴族家をおいて里の者たちで賑わう広場に向かった。
榮の一件から、誰もハクに榮を近づけたくないという意識が働いたからだろう。亀島が近付く隙を与えないよう雀野《すずの》からの挨拶も早々に舞台を囲む幕を出た。
伯父さんもまた
「お前らでご案内しろ」
と幕の内に残った。
ハクが少しでもあの時の出来事に煩わされないように気を使ったのかもしれない。
俺達は、妖界の面々を引き連れて、出見世の並ぶ場所へ向かう。
もっとも、案内役は祭りを実質取り仕切っていた湊が担っている。
前に出過ぎず柊士を立てて裏方に徹するその姿勢は、本当に榮の息子だろうかと疑いたくなる働きぶりだ。亀島家にあって、唯一湊だけが同行を許可されたのも頷ける。
見たところ都築も常識人っぽいが、榮を抑えるという最重要の役回りを担ってもらわなくてはならない。
むしろ、次男の拓眞《たくま》はなんであんな感じになったんだろうか。亀島家の不思議だ。
兎にも角にも、俺達は湊の案内で賑わう広場にやってきた。
ざわざわ、がやがや。
楽しげな声で周囲が満たされ、風車や水ヨーヨーを持った子どもが駆け回る。
人の世の祭りと何ら変わらない光景に、何だかこちらもワクワクしてくる。
ただそんな状況も、広場の入口につくまでだった。
俺達の姿を見るやいなや、ざわめきが手前側からどんどんと収まっていき、ピタリと止まる。
シンと静まり返るなか、皆が左右に避けて道を開け、端から膝をついていったのだ。
ようやく柔らかくなってきていたハクの表情が再び固まる。
「あ、あの、湊、皆に普通にするようにって……」
ハクがそう言いかけると、湊は首を横に振る。
「公の場で貴方様をお迎えするのに粗相は許されません。守り手様方の御立場もございますから」
ハクは湊を見て、柊士と俺を見て、翠雨を見る。
「白月様、貴方は既にその様な御立場です。其の者の言う通り、公務であればこそ、その御立場は最大限尊重されねばなりません」
翠雨の言葉に、ハクは少しだけ視線を下げた。
何だか居た堪れなくなり、俺は
「柊ちゃん……」
と小声で呼びかける。しかし柊士からもまた、
「二人の言う通りだ。少なくとも、榮に余計な事をこれ以上言わせたくないだろ。こういう場面で堂々としていることも役割の一つだ。初めて里に来たときに、お前も教えられたろ」
と淡白な返事が返ってきた。
「それはそうかもしれないけど……」
周囲はそう言うけれど、里に入った時のハクの表情や、祭りの雰囲気で柔らかくなった表情を考えると、何だか気の毒な感じもする。
せっかく人界に来て、しかも祭りなのに、榮に嫌な思いをさせられて、堅苦しい神事を見て、静まり返った出見世の見学だなんて。
そう思っていると、ハクは小さく息を吐き出す。そして、諦めたように湊に微笑みかけた。
「湊、案内をお願い。説明は簡単にで大丈夫だから」
湊がそれに恭しく一礼すると、一行は祭りとは思えないくらいに静かな広場を進み始めた。
里で作られたお面や小物、団扇、子どもの遊べる竹細工のおもちゃなどが、それぞれの屋台の中に並ぶ。
まるで大名行列かと思うような状況の中、いくつかの出見世に寄って説明も受ける。でも店主はカチコチに緊張してい満足に受け答えもできない状態。
時々顔見知りがいたのかハクが親しげに話しかけたりもしたが、相手は恐縮するように頭を下げるばかりだった。
俺は黙ったまま、ハク達の後ろをただただついて歩く。
そうやっていくつかの店を回った頃、不意に、隣の店の売り物が目に付き、俺はふっと足を止めた。
店構えは普通の金魚すくい。ただ、泳いでいるものがおかしかった。
最初はカラフルな熱帯魚かと思ったのだが、そうでもない。
「ねえ亘、あれ何?」
「金魚ですが」
「は? いやいや、金魚ってあんなんじゃ無いだろ。少なくとも、普通は金魚に翅《はね》なんてないんだよ」
浅い水槽の中には、背中からピンクや赤、青や紫、金など色とりどりの蝶の翅のようなものを生やし、翅と同じような色味の長い尾をなびかせながら、水中を羽ばたき舞うように泳ぐ魚の姿があった。
キレイはキレイだけど、どう考えても普通ではない。
「翅ではなく背ビレですよ」
「背ビレ? あれが? 羽ばたいてるけど」
俺がそう言うと、亘はこれみよがしに、ハアと溜め息を一つつく。
「守り手様ともあろう方が、里の金魚も見たことないとは」
「いや、お前らと一緒に行動してて、どのタイミングであんなの見る機会があったのか、逆におしえてもらっていい?」
呆れてそう言うと、亘は首を傾げた。
「我らと共に居る時に見る機会などありませんよ。陽の気の泉に生息しているものなので。何故か新月の夜に水面近くに上がって来るので、それを捕獲しているのです」
「え、あれ、陽の気の泉にいるの?」
「ええ。陽の泉の底は妖界と繋がっているそうですから、妖界側から来たものかも知れませんが」
まさか、そんなところに居るとは思わなかった。
ということは、尾定と一緒に妖界に行くときに見ていた可能性があるということだろうか。
でも、流石にあんなに派手なのが泳いでいたら気づくと思うんだけど……
それに、あれが陽の泉の水だとしたら、妖連中には危険なのでは……
「あの水、大丈夫なの?」
「あれは普通の沢の水です。タモで掬って移し変えるので危険はありません」
別に陽の気の満ちる水でなくても良いらしい。あと、陽の気の泉で生きられるということは、少なくともあの魚は妖ではないということだ。
だからといって、普通に人界で見かける種ではない。謎だらけだ。
「興味がお有りなら、一匹連れ帰っては?」
「あんな変な魚を連れて帰って、万が一誰かに見つかったら大変だよ。人に乱獲されてペットショップで高値で売られる未来しかみえない。少なくとも人前に出しちゃダメなやつだよ」
「……なるほど。人の世とは世知辛いものですねぇ」
亘は考え深げにそう言った。
「あの、奏太様、そろそろ先に進んだ方が良いのでは……」
椿の言いにくそうな声にはっと周囲を見回す。
どうやら金魚に目を奪われているうちに、皆先に進んでしまっていたようで、気づけば俺と俺の護衛役達だけが取り残されてしまっていた。
「ああ、ごめん」
そう言って追いかけようとしたところで、ふとヨーヨー釣りの出見世が目に入る。
俺は、遠くに見えるハクの顔をチラと見やった。
「……金魚は生き物だし陰の気に満ちる妖界に連れて行って育てるのは難しいかもしれないけど、ヨーヨーくらいお祭りのお土産にあってもいいよね」
そう言うと、亘もまた、いつもとは違う優しげな笑みでハクの方に視線を向ける。
「ああ、それは良い考えですね。では、私が取ってまいりましょう。奏太様はあちらに合流なさった方が良いでしょうから」
「あ、それなら僕が行きます。亘さんは奏太様のお側に……」
巽がそう名乗り出る。でも、俺は首を横に振った。
「いや、亘に任せるよ。好きな色くらい、覚えてるだろ」
亘だって、きっとハクに渡すものは自分で取ってあげたいはずだ。誰に任せるでなく、自分の手で。
「もちろんです。お任せを」
亘はそう言ってニコリと笑った。
広場を抜け、一行が少し離れたところまで来ると、広場に再び賑やかさが戻ってくる。
「せっかくのお祭りに水を差しちゃったね」
ハクは寂しそうな表情で微笑みながら、近くの階段にストンと座る。
「白月様、はしたないですよ」
一緒に来ていた紅翅が窘めるが、ハクはその場にいる面々に視線を向けたあと、
「ちょっとだけ休憩させて。また元いた場所に戻るんでしょ?」
と言った。
ここに居るのは、慣れ親しんだ妖界の者達、柊士と淕を含む柊士の護衛役、俺、俺の護衛役達、そして湊だけだ。
湊の事は気になるものの、無理して肩肘張るような者達ではない。
柊士はハアと息を吐く。
それから、淕から何かを受け取ったと思うと、スッとハクにいちご飴を差し出した。
そういえば、途中で柊士が淕にコソッと何かを指示していたっけ。
「好きだったろ」
「へえ、優しいじゃん、柊士のくせに」
「うるせぇよ」
柊士はそう言いながら、ハクの隣にドサッと座る。
翠雨はハクの直ぐ側で苦々しげに柊士を見たが、何も言わなかった。
今日、この里に来てからのハクの様子を一番近くで見ていたのは翠雨だ。きっと、思うところがあったのだろう。
俺も何となく出ずらくて、黙ったまま二人の様子を眺める。
すると、戻ってきていた亘がずいと水色に青と紫の模様の入った水ヨーヨーを俺の前に突き出した。
「ああ、ごめん、ありがとう」
「ああ、ではありません。まさかとは思いますが、お忘れになっていたのではありませんよね?」
「そんなわけ無いだろ。ただ……」
柊士の二番煎じな感じがして出にくくなっただけで……
俺が言葉を濁すと、亘は仕方のなさそうな顔で俺を見たあと、水ヨーヨーを俺の手に押し付けて、トンと背を押した。
「柊士様に先を越されている場合ではありません」
押された勢いでトトっと前に出ると、ハクが首を傾げる。
「どうかした?」
不思議そうなハクの表情に恨めしく思いながら亘を振り返ると、さっさとしろとでも言うように、手を前後にパッパと振られた。
「あ、あの、これ……」
仕方なくヨーヨーを差し出すと、ハクは目を丸くしてこちらを見たあと、クスッと笑う。
「私に? ありがとう、奏太」
「あ、いや、亘が取ってきてくれたんだ。ハクの為に」
「亘が?」
ハクが亘の方に視線を向けると、亘はまるで聞こえなかったフリでもするように居心地悪そうに視線をそらす。
さっきは俺の背を押して強引に突っ込んで行かせたくせに、一体お前は何なんだよ。
しかしハクは、そんな亘の素振りもお見通しのように、小さくフフっと笑った。
「亘も、ありがとう」
ハクに笑顔を向けられ、慌てて頭を下げる亘の耳が僅かに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
天蓋《てんがい》から下がる御簾《みす》の向こうに目を向けて、俺はポツリと呟く。
榮《さかえ》との会話で、ハクの顔色がどんどん悪くなっていったのが気がかりだった。
翠雨《すいう》や凪《なぎ》が体調を気遣い紅翅《こうし》が呼ばれる場面もあったのだが、ハクは
「大丈夫だよ。来たばっかりじゃない」
と笑うだけだった。
皆で顔を見合わせ、それ以上の追求ができなかったのだが、あの一時、明らかに様子がおかしかったのだ。
「あの男が転換の儀の事など持ち出したからです。あのような者、白月様に近づけるべきではありませんでした」
俺の背後で亘が堪えきれなくなったようにそう零す。
「あの方の傷を抉《えぐ》ることになると分かっていながら、あの方との関係を明確にし自らの力を誇示するためだけに、白月様の前でわざわざあの話を持ち出したのです」
亘はそう言うと歯噛みする。
転換の儀。結がハクになる直前の出来事ということだ。つまり、結が死の淵に立たされていた時の……
「転換の儀で、榮との間にもなにかあったの?」
俺の言葉に、亘はチラとこちらの声が聞こえていないかを確かめるようにハクに視線を向ける。それから、怒気を孕《はら》んだ表情で亀島の座る方をヒタと見据えた。
「あの男があの方の最期に放った言葉です」
殆《ほとん》ど口を動かさずに、亘は低い声を出す。
「―――人界ではもう使えぬのだから、最期に人柱としてくらい役立ってもらわねば。女子の身で妖界の帝など務まると思えぬが、あちらでどうなろうと送ったという人界《こちら》の面目は保てるだろう―――あの男は、死の淵にあったあの方に、そう言い放ったのです」
「……何だよ……それ……」
それが御役目に向かい鬼に襲われ傷ついた結に掛けられた言葉だとしたら、あまりに残酷で卑劣だ。
「なんて酷《ひど》い事を……」
横で聞いていた椿《つばき》がそう呟く。
「御当主や粟路《あわじ》様の思惑がどうあれ、結局あの男の言った通りに、我らはあの方を妖界にお送りすることになりました。あの時のあの方にはきっと、その後の我らの言葉など届いていなかったでしょう。それだけ強烈な言葉でした。死を目前にしながら、役立たずは切り捨ててしまえと、そう言われたのですから」
俺はチラと亀島の方に目を向ける。難しい表情の都築《つづき》と、いつの間にか戻って来ていた湊《みなと》が居心地悪そうにしている以外は、まるで何事も無かったかのように談笑している。
言った方は覚えているのだろうか。覚えていたとして、それがどれ程傷つけたのかわかっているのだろうか。
自分の事でもないのに、何だか悔しくなってくる。
「今のあの方の御立場なら、何かと理由をつけてこの場で処断することも可能でしょう。しかし、あの方の事です。その様な事、お望みにならないでしょう。いつも、あの方ばかりが我慢を強いられるのです。この期に及んでもまだ……」
亘はそう言うと、拳を握りしめて口を噤《つぐ》んだ。
榮への怒りか、今の自分に何もできない歯がゆさからか、近くで支える事すらままならない悔しさからか、それとも、結を救うことも出来なかった自責の念からか、もしくはそれら全てからか。
亘はただ、それ以上は何も言わなかった。
伯父さんにも柊士にも、亘の話は聞こえていたはずだ。でも二人は黙ったまま、じっと舞台の上を見つめていた。二人には、いったいどう聞こえたのだろう。
舞台上での神事や催しが終わると、二貴族家をおいて里の者たちで賑わう広場に向かった。
榮の一件から、誰もハクに榮を近づけたくないという意識が働いたからだろう。亀島が近付く隙を与えないよう雀野《すずの》からの挨拶も早々に舞台を囲む幕を出た。
伯父さんもまた
「お前らでご案内しろ」
と幕の内に残った。
ハクが少しでもあの時の出来事に煩わされないように気を使ったのかもしれない。
俺達は、妖界の面々を引き連れて、出見世の並ぶ場所へ向かう。
もっとも、案内役は祭りを実質取り仕切っていた湊が担っている。
前に出過ぎず柊士を立てて裏方に徹するその姿勢は、本当に榮の息子だろうかと疑いたくなる働きぶりだ。亀島家にあって、唯一湊だけが同行を許可されたのも頷ける。
見たところ都築も常識人っぽいが、榮を抑えるという最重要の役回りを担ってもらわなくてはならない。
むしろ、次男の拓眞《たくま》はなんであんな感じになったんだろうか。亀島家の不思議だ。
兎にも角にも、俺達は湊の案内で賑わう広場にやってきた。
ざわざわ、がやがや。
楽しげな声で周囲が満たされ、風車や水ヨーヨーを持った子どもが駆け回る。
人の世の祭りと何ら変わらない光景に、何だかこちらもワクワクしてくる。
ただそんな状況も、広場の入口につくまでだった。
俺達の姿を見るやいなや、ざわめきが手前側からどんどんと収まっていき、ピタリと止まる。
シンと静まり返るなか、皆が左右に避けて道を開け、端から膝をついていったのだ。
ようやく柔らかくなってきていたハクの表情が再び固まる。
「あ、あの、湊、皆に普通にするようにって……」
ハクがそう言いかけると、湊は首を横に振る。
「公の場で貴方様をお迎えするのに粗相は許されません。守り手様方の御立場もございますから」
ハクは湊を見て、柊士と俺を見て、翠雨を見る。
「白月様、貴方は既にその様な御立場です。其の者の言う通り、公務であればこそ、その御立場は最大限尊重されねばなりません」
翠雨の言葉に、ハクは少しだけ視線を下げた。
何だか居た堪れなくなり、俺は
「柊ちゃん……」
と小声で呼びかける。しかし柊士からもまた、
「二人の言う通りだ。少なくとも、榮に余計な事をこれ以上言わせたくないだろ。こういう場面で堂々としていることも役割の一つだ。初めて里に来たときに、お前も教えられたろ」
と淡白な返事が返ってきた。
「それはそうかもしれないけど……」
周囲はそう言うけれど、里に入った時のハクの表情や、祭りの雰囲気で柔らかくなった表情を考えると、何だか気の毒な感じもする。
せっかく人界に来て、しかも祭りなのに、榮に嫌な思いをさせられて、堅苦しい神事を見て、静まり返った出見世の見学だなんて。
そう思っていると、ハクは小さく息を吐き出す。そして、諦めたように湊に微笑みかけた。
「湊、案内をお願い。説明は簡単にで大丈夫だから」
湊がそれに恭しく一礼すると、一行は祭りとは思えないくらいに静かな広場を進み始めた。
里で作られたお面や小物、団扇、子どもの遊べる竹細工のおもちゃなどが、それぞれの屋台の中に並ぶ。
まるで大名行列かと思うような状況の中、いくつかの出見世に寄って説明も受ける。でも店主はカチコチに緊張してい満足に受け答えもできない状態。
時々顔見知りがいたのかハクが親しげに話しかけたりもしたが、相手は恐縮するように頭を下げるばかりだった。
俺は黙ったまま、ハク達の後ろをただただついて歩く。
そうやっていくつかの店を回った頃、不意に、隣の店の売り物が目に付き、俺はふっと足を止めた。
店構えは普通の金魚すくい。ただ、泳いでいるものがおかしかった。
最初はカラフルな熱帯魚かと思ったのだが、そうでもない。
「ねえ亘、あれ何?」
「金魚ですが」
「は? いやいや、金魚ってあんなんじゃ無いだろ。少なくとも、普通は金魚に翅《はね》なんてないんだよ」
浅い水槽の中には、背中からピンクや赤、青や紫、金など色とりどりの蝶の翅のようなものを生やし、翅と同じような色味の長い尾をなびかせながら、水中を羽ばたき舞うように泳ぐ魚の姿があった。
キレイはキレイだけど、どう考えても普通ではない。
「翅ではなく背ビレですよ」
「背ビレ? あれが? 羽ばたいてるけど」
俺がそう言うと、亘はこれみよがしに、ハアと溜め息を一つつく。
「守り手様ともあろう方が、里の金魚も見たことないとは」
「いや、お前らと一緒に行動してて、どのタイミングであんなの見る機会があったのか、逆におしえてもらっていい?」
呆れてそう言うと、亘は首を傾げた。
「我らと共に居る時に見る機会などありませんよ。陽の気の泉に生息しているものなので。何故か新月の夜に水面近くに上がって来るので、それを捕獲しているのです」
「え、あれ、陽の気の泉にいるの?」
「ええ。陽の泉の底は妖界と繋がっているそうですから、妖界側から来たものかも知れませんが」
まさか、そんなところに居るとは思わなかった。
ということは、尾定と一緒に妖界に行くときに見ていた可能性があるということだろうか。
でも、流石にあんなに派手なのが泳いでいたら気づくと思うんだけど……
それに、あれが陽の泉の水だとしたら、妖連中には危険なのでは……
「あの水、大丈夫なの?」
「あれは普通の沢の水です。タモで掬って移し変えるので危険はありません」
別に陽の気の満ちる水でなくても良いらしい。あと、陽の気の泉で生きられるということは、少なくともあの魚は妖ではないということだ。
だからといって、普通に人界で見かける種ではない。謎だらけだ。
「興味がお有りなら、一匹連れ帰っては?」
「あんな変な魚を連れて帰って、万が一誰かに見つかったら大変だよ。人に乱獲されてペットショップで高値で売られる未来しかみえない。少なくとも人前に出しちゃダメなやつだよ」
「……なるほど。人の世とは世知辛いものですねぇ」
亘は考え深げにそう言った。
「あの、奏太様、そろそろ先に進んだ方が良いのでは……」
椿の言いにくそうな声にはっと周囲を見回す。
どうやら金魚に目を奪われているうちに、皆先に進んでしまっていたようで、気づけば俺と俺の護衛役達だけが取り残されてしまっていた。
「ああ、ごめん」
そう言って追いかけようとしたところで、ふとヨーヨー釣りの出見世が目に入る。
俺は、遠くに見えるハクの顔をチラと見やった。
「……金魚は生き物だし陰の気に満ちる妖界に連れて行って育てるのは難しいかもしれないけど、ヨーヨーくらいお祭りのお土産にあってもいいよね」
そう言うと、亘もまた、いつもとは違う優しげな笑みでハクの方に視線を向ける。
「ああ、それは良い考えですね。では、私が取ってまいりましょう。奏太様はあちらに合流なさった方が良いでしょうから」
「あ、それなら僕が行きます。亘さんは奏太様のお側に……」
巽がそう名乗り出る。でも、俺は首を横に振った。
「いや、亘に任せるよ。好きな色くらい、覚えてるだろ」
亘だって、きっとハクに渡すものは自分で取ってあげたいはずだ。誰に任せるでなく、自分の手で。
「もちろんです。お任せを」
亘はそう言ってニコリと笑った。
広場を抜け、一行が少し離れたところまで来ると、広場に再び賑やかさが戻ってくる。
「せっかくのお祭りに水を差しちゃったね」
ハクは寂しそうな表情で微笑みながら、近くの階段にストンと座る。
「白月様、はしたないですよ」
一緒に来ていた紅翅が窘めるが、ハクはその場にいる面々に視線を向けたあと、
「ちょっとだけ休憩させて。また元いた場所に戻るんでしょ?」
と言った。
ここに居るのは、慣れ親しんだ妖界の者達、柊士と淕を含む柊士の護衛役、俺、俺の護衛役達、そして湊だけだ。
湊の事は気になるものの、無理して肩肘張るような者達ではない。
柊士はハアと息を吐く。
それから、淕から何かを受け取ったと思うと、スッとハクにいちご飴を差し出した。
そういえば、途中で柊士が淕にコソッと何かを指示していたっけ。
「好きだったろ」
「へえ、優しいじゃん、柊士のくせに」
「うるせぇよ」
柊士はそう言いながら、ハクの隣にドサッと座る。
翠雨はハクの直ぐ側で苦々しげに柊士を見たが、何も言わなかった。
今日、この里に来てからのハクの様子を一番近くで見ていたのは翠雨だ。きっと、思うところがあったのだろう。
俺も何となく出ずらくて、黙ったまま二人の様子を眺める。
すると、戻ってきていた亘がずいと水色に青と紫の模様の入った水ヨーヨーを俺の前に突き出した。
「ああ、ごめん、ありがとう」
「ああ、ではありません。まさかとは思いますが、お忘れになっていたのではありませんよね?」
「そんなわけ無いだろ。ただ……」
柊士の二番煎じな感じがして出にくくなっただけで……
俺が言葉を濁すと、亘は仕方のなさそうな顔で俺を見たあと、水ヨーヨーを俺の手に押し付けて、トンと背を押した。
「柊士様に先を越されている場合ではありません」
押された勢いでトトっと前に出ると、ハクが首を傾げる。
「どうかした?」
不思議そうなハクの表情に恨めしく思いながら亘を振り返ると、さっさとしろとでも言うように、手を前後にパッパと振られた。
「あ、あの、これ……」
仕方なくヨーヨーを差し出すと、ハクは目を丸くしてこちらを見たあと、クスッと笑う。
「私に? ありがとう、奏太」
「あ、いや、亘が取ってきてくれたんだ。ハクの為に」
「亘が?」
ハクが亘の方に視線を向けると、亘はまるで聞こえなかったフリでもするように居心地悪そうに視線をそらす。
さっきは俺の背を押して強引に突っ込んで行かせたくせに、一体お前は何なんだよ。
しかしハクは、そんな亘の素振りもお見通しのように、小さくフフっと笑った。
「亘も、ありがとう」
ハクに笑顔を向けられ、慌てて頭を下げる亘の耳が僅かに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
0
あなたにおすすめの小説
神木さんちのお兄ちゃん!
雪桜 あやめ
キャラ文芸
✨ キャラ文芸ランキング週間・月間1位&累計250万pt突破、ありがとうございます!
神木家の双子の妹弟・華と蓮には"絶世の美男子"と言われるほどの金髪碧眼な『兄』がいる。
美人でカッコよくて、その上優しいお兄ちゃんは、常にみんなの人気者!
だけど、そんな兄には、何故か彼女がいなかった。
幼い頃に母を亡くし、いつも母親代わりだったお兄ちゃん。もしかして、お兄ちゃんが彼女が作らないのは自分達のせい?!
そう思った華と蓮は、兄のためにも自立することを決意する。
だけど、このお兄ちゃん。実は、家族しか愛せない超拗らせた兄だった!
これは、モテまくってるくせに家族しか愛せない美人すぎるお兄ちゃんと、兄離れしたいけど、なかなか出来ない双子の妹弟が繰り広げる、甘くて優しくて、ちょっぴり切ない愛と絆のハートフルラブ(家族愛)コメディ。
果たして、家族しか愛せないお兄ちゃんに、恋人ができる日はくるのか?
これは、美人すぎるお兄ちゃんがいる神木一家の、波乱万丈な日々を綴った物語である。
***
イラストは、全て自作です。
カクヨムにて、先行連載中。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜
美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊
ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め…
※カクヨム様にも投稿しています
※イラストはAIイラストを使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる