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人界編
水晶玉の魂④
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「……亘から……俺を……?」
途中から何も言わなくなってしまったハクが、不意にそう零したと忠が教えてくれた。
椿から聞かされた、湊の動機であろう過去の出来事。それは唖然とするようなものだった。柊士の母と、結の父と、亘と、幼い結の話。
誰が悪いなんて言えない話の最後に付け加えられたのは、主を奪われた湊が、次は俺を亘から奪うつもりだという言葉だった。
「奏太様、しばらくは御本家からお出にならない方が……」
「わかってる」
聞いた話が本当なら、あいつは単に俺を殺したいんじゃない。動機は事件に関わった者達への復讐だ。『俺を殺す』のではなく『亘から奪う』のだ。恐らく、湊が主を奪われたのと同じ様に。
そして、ハクはその言葉の前に『次は』とつけた。俺の前の誰か。亘にとって、それはきっと一人しか居ない。
「……もしかして湊は、最初から亘自身にハクを殺させるつもりだったのかな……」
ポツリと、思考の一部が漏れた。あくまで想像の範囲内の話だ。でも考えれば考えるほど、そんな気がしてきた。
亘が鬼を始末しようとしたあの状況は、偶然起こったことだろうか。
「亘は鬼と血だらけの俺を見て、刀を振るったわけだろ。でも、あれは鬼に……ハクにやられた訳じゃない。狐面の奴が湊だったと言うなら、やったのは湊だ。あの時、俺を殺そうと思えば殺せる状態だった。亘から俺を奪うってだけなら、それで十分だったはずだろ。でも、あいつはそうしなかった」
俺を刺したことも、殺さなかったことも、湊にはきっと別の狙いがあったはずだ。
皆が土蔵に踏み込んできたとき、そこには俺と鬼だけしかいなかった。皆が動揺していたあの状況で、どうやって受けた傷なのかを見極めようとなんて、誰もしなかった。
「……血を流してる奏太様の近くに鬼がいたら、鬼の仕業と思うのは自然なことですから……それを利用されたのかもしれませんね……」
汐がそう言いつつ眉根をギュッと寄せて膝の上で拳を握る。それに続けて、躊躇うように椿が声を上げた。
「あの……奏太様が生きていてくださって本当に良かったですが……しかし、その状況を作るだけなら、奏太様を死に追いやっていても同じだったはずです。むしろ、奏太様がそこで亡くなった方が、亘さんや私達にとっては……」
椿はそこまで言うと、視線を僅かに下げて口を噤んだ。
……椿が言う通りなのだろう。
でもそれ以上に、俺を生かしておくことのほうが、湊にはメリットがあったということだ。
「俺が生きてる事で、湊の利になること……」
そう声に出すと、汐は隣で黙ったまま俯いて動かない亘に視線を向けてから、目を伏せた。
「……奏太様がいらっしゃらなければ、我らはあの鬼が白月様だと思うことはなかったでしょう。それがわかったからこそ……」
皆は、あの時あそこにいたのはただの鬼だと思っていた。あの状況で亘に鬼を殺させても、中にいたのがハクだったと証言できる者が居なければ、亘のダメージになはならい、ということか……
中にいたのがハクで、それを自分が殺したのだと亘自身が自覚しなければ、湊にとっては意味がない。
湊の狙いに、苦いものが込み上げてくる。
「あいつが俺に、わざわざ鬼の正体はハクだと言ったのも、それが理由か」
「しかし、奏太様の助けに駆け付けるのが亘さんとは限らないのでは……?」
椿がそう疑問を口にすると、汐が考えを整理するようにしながら、静かな声を響かせる。
「あの遥斗という男が利用されていた可能性はないでしょうか? 我等は奏太様の家に駆け込んだあの者にあの場所まで案内されました。通常、あの時間に奏太様の家の警護についているのは亘だけ。本来は巽も私もいませんでした」
「時間がもう少し遅ければ私が交代に入りますが、もともと護衛計画があってのものですから、湊様なら、亘さんが奏太様の護衛についている時間がわかりますね……」
『お前にはまだ仕事がある』
そう言って湊は遥斗をあの穴から連れ出した。次に遥斗が来たのは、皆が俺を助けに来た時だった。
「全部把握した上で、遥斗に亘を呼びに行かせたのか」
俺は唇を噛んだ。完全に湊の手の平の上だ。
「そういえば、あの遥斗という男、穴から出る前にも妙な事を言っていましたね。利用されていたのではなく、手を組んでいたということですか?」
表情を険しくした椿に、俺は首を横に振って見せた。
『死んだら好きにしていいと言われた』
遥斗はそう口走っていた。傍から見ればそうともとれる。でも、違うのだ。遥斗の言動も思考も、明らかにいつもとは違う異常なものだった。
「最初に汐が言った通り、遥斗は利用されていたんだ。あの鬼の血を使って。遥斗はずっと、執拗にあれを求めてた。高い依存性があったのは間違いない。あの血の為なら何でもするって感じだった」
汐はそれに眉根を寄せ、何かを思い出だすように口元に手を当てる。
「……そういえば、私は感じませんでしたが、あの土蔵に満ちていた甘い匂いで、亘と巽は頭にモヤが掛かったようになったそうです。それに、あの匂いは、樹と碓氷に襲われた夜、樹が鬼を呼ぼうとした時に下げていた香炉の香と同じものでした。あの時も、亘と奏太様は匂いに異常を感じていたはずです。そして祭りの席では、白月様の御席からあの匂いがして、その後に鬼が……」
「強い依存性だけでなく、思考を妨げ、鬼を引き寄せる力もあると?」
過去の出来事をなぞっていく汐に、椿が恐る恐るといった様子で尋ねる。それに汐はコクリと頷いた。
「それだけではないかもしれません。栞から聞いた話ですが、拓眞様の部屋から出てきた赤い液体は、匂いを直接吸い込むだけで心が支配されるような感覚がしたと都築様は仰ったそうです。拓眞様は奏太様を殺すのではなく、それを飲ませようとしたのですよね? もしも、飲んだ対象を操る力があったとしたら、その理由も腑に落ちます」
「……確かに、遥斗の様子も、ただの依存というより、支配されてるように見えた。何と言うか、湊に怯えて言いなりになってる感じで……でも、俺は口に入れられたけど、そういう感じは……」
「匂いもそうですが、個人差があるのかもしれません。それに、少なくとも奏太様もあの後、正常な状態ではありませんでした」
そこまで言われて、俺はもう一つ、思い出す。樹が鬼を鬼界の綻びから呼び込もうとしたあの日、碓氷に言われた言葉。
『大丈夫、ご心配なさらずとも、すぐに全てどうでも良くなりますよ。亘と汐の死すら、ね』
あの時も、俺に鬼の血を使おうとしていたのかもしれない。嫌になるほど、全てが、あの鬼の血を中心に動いている。
「拓眞は湊に協力してたのかな?」
「確かなことは何とも……ただ、同じ鬼の血を使っていたのなら、無関係とはいえません」
少なくとも、二人は兄弟だ。目的は違っても、利害が一致すれば協力し合うことがあっても不思議はない。
「しかし、そもそもどうやって白月様を鬼の体に……」
「『鬼と白月の魂を入れ替えた』あいつは、そう言ってた」
「……先ほど、そこのネズミもそう言っていましたが……」
椿は理解しがたいと言いたげな声を出す。
普通であれば、そんな事ができるのかと思うだろう。でも今、実際に俺の目の前には、鬼の体から抜かれたハクの魂がある。
「……あのさ、水晶玉を使って魂を抜いたら、抜かれた体はどうなると思う? もし、そこに、もう一つ水晶玉があったとしたら……?」
水晶玉をじっと見ている内に、一つの、考えたくもない可能性が浮き上がる。
「まさか、湊様が、あの水晶玉を……?」
椿が呟くように言うと、汐がギュッと眉根を寄せた。
「あの時、行商人は、奏太様が購入したものの他に二つを過去に売ったと言っていました。あれは元は里の出入りの行商人です。しかも、亀島家贔屓の。売り先が湊様であった可能性は十分にあります」
そう。そして、湊が水晶玉を持っていたとすれば、魂を入れ替えた、という言葉にも説明がつく。
「魂を抜かれた体は、生きる機能を備えた抜け殻。仮にもう二つ水晶玉を持っていたとするならば、ですが、あの行商人が言う通り、生きる機能を持つ体となり得るかもしれません。そこに別の水晶玉を埋めれば、きっと体はそのままに、魂だけが入れ替えられるでしょう」
汐の言葉に、俺は頭を抱えた。考えれば考えるほどに点が線でつながって、頭痛がしてくる。
ハクの体から魂を抜いて玉雲の魂を入れ、玉雲の体から魂を抜いてハクの魂を入れる。
そんな事が上手くいくかは分からないけど、そうすれば入れ替えられる。
「水晶玉を売った行商人に話を聞きたい。誰に売ったのかハッキリさせないと」
「誰かに言付けて参ります」
汐はスッと立ち上がると、チラと亘を見た後、早足で部屋を出ていった。
「しかし、湊様はいつそのような事を……人界と妖界はそう簡単に行き来はできませんし……」
「……何かをできるとしたら、祭りの日しかない」
聞いた話だから確かな事は言えないけど、あの日以降、ハクが目覚めたという話は聞いていない。ずっと眠ったままだったはずだ。中身が入れ替わっていても気づけていない、ということも考えられる。
それに、あの日であれば十分チャンスがあった。いや、湊が自ら作り出した可能性もある。
祭りの日のことを思い出して、苦虫を噛み潰したような気持ちになる。拓眞の事に気を取られすぎて、湊の行動にまで考えが及ばなかった。
「水晶玉に魂を移すには多量の血に浸す必要がある。あの日、鬼がハクを襲ったあと、真っ先に手当したのは湊だ。ハクの席から甘い匂いがして、鬼が引き寄せられて、湊はハクの一番近くにいたんだ」
「まさか、応急処置をするのに見せかけて……?」
俺はコクリと頷いて見せる。
「今日、鬼の体からハクの魂を移すのに、時間はさほどかからなかった。あれくらいの時間であれば、応急処置をしていた時間で十分だったはずだ」
「では、鬼の魂の方は?」
「事前に抜いて手元に持っておけば……」
俺はそこまで言いかけて口を噤んだ。あの時、もう一つ気になった事があったのだ。
『待ちなさい! その様に雑にかければ、傷の治りが悪くなるでしょう!』
紅翅はそう、あの時怒鳴っていた。湊は、侍医である紅翅に任せることなく恐らく妖界の温泉水を自分の手でかけたのだ。傷を塞ぐために。それは、紅翅に見せたくないものがあったからではないだろうか……
「…………ハクの体に水晶玉を残して、そのまま傷を閉じたのか……?」
その考えに至った瞬間、背筋がゾッとした。パズルのピースが、ピタリとハマる。
「……椿、柾と巽に知らせて調べさせて。鬼の体の何処かに、水晶玉が埋まっていないかどうか……」
全部予測だ。全くの的外れって可能性もある。でも、もしも鬼の体から水晶玉が出てきたら、全てが繋がる。
椿はチラと亘と忠の姿を見る。
「大丈夫ですか? 席を外しても……」
「忠は大丈夫だよ。害意があれば遊園地の時点でそうしてただろうし、今ここで事を起こしたら、どうなるかくらい想像できるだろ」
俺がそう言うと、忠はブルルっと体を大きく震わせた。脅したつもりはなかったが、震えながら大きな目に涙を溜めてこちらを見ている。ちょっと可哀相な事を言ったかもしれない。
問題は亘の方だけど、あれから微動だにしない。これが湊が見たかった姿なのだろうかと思うと、虫酸が走る。
「……亘も大丈夫だ。そのうち汐も戻って来ると思うから」
言葉の通り、椿が出ていくのと入れ替わりに汐が戻ってきた。
「代わりの武官を呼びますか?」
と聞かれたけど、断った。状況が状況だ。信用のおける者以外、近づけたくない。
「ハクの体はどうなってるんだろう?」
「魂の入れ替えが上手くいっていれば、ですが、目覚めた後に中身を乗っ取られたと判断されれば隔離の上で元に戻そうとされるでしょう。しかし、何者かが化けていると判断されれば処分されてしまうかもしれません。まだ目覚めていない状態であれば良いのですが……」
汐の言葉に、ざっと血の気が引いた。
ハクの体が無事じゃないと、ハクは戻る体を失ってしまう。
「すぐに妖界と連絡を取らなきゃ!」
「しかし、今は妖界側の判断で双方の行き来が禁じられています。文は許可されていますが、送るには柊士様の御許可が必要です。ただ、今は柊士様が……」
「……まだ見つかってないの?」
「ええ」
柊士の行方も心配だ。湊の件に関わりのあることか、全くの別件か。何事もないと良いけれど……
「ひとまず、妖界への手紙は陽の泉を使おう。さすがに俺が今泳いでいくのは厳しいから、誰かに頼まないといけないけど」
パッと浮かぶのは尾定だけど、頼み事をするには少しだけハードルが高い。
でも、人界と妖界を行き来できないといけないし、あちらの陽の山の麓にある蓮華畑の河童に顔が利く必要がある。
河童は紅翅の弟子だったはずだ。重要性をきちんと伝えれば、きっと繋いでくれるだろう。
……だとすれば、こっちも弟子にお願いするか……
「汐、何度も申し訳ないけど、俺から連絡しておくから聡に手紙を届けてくれないかな?」
持つべきものは気心知れた付き合いの長い友達だ。事情を話したらまた睨まれそうだけど、そこはなんとか誤魔化すとしよう。
状況を整理し、やることを決めて指示を出す。
忠はその間、何も言わずに困ったように眉尻を下げ、手の中の水晶玉をギュッと握って見つめていた。
どうしたのか聞いてみたけど、首を横に振るばかりで口を噤んだままだった。
途中から何も言わなくなってしまったハクが、不意にそう零したと忠が教えてくれた。
椿から聞かされた、湊の動機であろう過去の出来事。それは唖然とするようなものだった。柊士の母と、結の父と、亘と、幼い結の話。
誰が悪いなんて言えない話の最後に付け加えられたのは、主を奪われた湊が、次は俺を亘から奪うつもりだという言葉だった。
「奏太様、しばらくは御本家からお出にならない方が……」
「わかってる」
聞いた話が本当なら、あいつは単に俺を殺したいんじゃない。動機は事件に関わった者達への復讐だ。『俺を殺す』のではなく『亘から奪う』のだ。恐らく、湊が主を奪われたのと同じ様に。
そして、ハクはその言葉の前に『次は』とつけた。俺の前の誰か。亘にとって、それはきっと一人しか居ない。
「……もしかして湊は、最初から亘自身にハクを殺させるつもりだったのかな……」
ポツリと、思考の一部が漏れた。あくまで想像の範囲内の話だ。でも考えれば考えるほど、そんな気がしてきた。
亘が鬼を始末しようとしたあの状況は、偶然起こったことだろうか。
「亘は鬼と血だらけの俺を見て、刀を振るったわけだろ。でも、あれは鬼に……ハクにやられた訳じゃない。狐面の奴が湊だったと言うなら、やったのは湊だ。あの時、俺を殺そうと思えば殺せる状態だった。亘から俺を奪うってだけなら、それで十分だったはずだろ。でも、あいつはそうしなかった」
俺を刺したことも、殺さなかったことも、湊にはきっと別の狙いがあったはずだ。
皆が土蔵に踏み込んできたとき、そこには俺と鬼だけしかいなかった。皆が動揺していたあの状況で、どうやって受けた傷なのかを見極めようとなんて、誰もしなかった。
「……血を流してる奏太様の近くに鬼がいたら、鬼の仕業と思うのは自然なことですから……それを利用されたのかもしれませんね……」
汐がそう言いつつ眉根をギュッと寄せて膝の上で拳を握る。それに続けて、躊躇うように椿が声を上げた。
「あの……奏太様が生きていてくださって本当に良かったですが……しかし、その状況を作るだけなら、奏太様を死に追いやっていても同じだったはずです。むしろ、奏太様がそこで亡くなった方が、亘さんや私達にとっては……」
椿はそこまで言うと、視線を僅かに下げて口を噤んだ。
……椿が言う通りなのだろう。
でもそれ以上に、俺を生かしておくことのほうが、湊にはメリットがあったということだ。
「俺が生きてる事で、湊の利になること……」
そう声に出すと、汐は隣で黙ったまま俯いて動かない亘に視線を向けてから、目を伏せた。
「……奏太様がいらっしゃらなければ、我らはあの鬼が白月様だと思うことはなかったでしょう。それがわかったからこそ……」
皆は、あの時あそこにいたのはただの鬼だと思っていた。あの状況で亘に鬼を殺させても、中にいたのがハクだったと証言できる者が居なければ、亘のダメージになはならい、ということか……
中にいたのがハクで、それを自分が殺したのだと亘自身が自覚しなければ、湊にとっては意味がない。
湊の狙いに、苦いものが込み上げてくる。
「あいつが俺に、わざわざ鬼の正体はハクだと言ったのも、それが理由か」
「しかし、奏太様の助けに駆け付けるのが亘さんとは限らないのでは……?」
椿がそう疑問を口にすると、汐が考えを整理するようにしながら、静かな声を響かせる。
「あの遥斗という男が利用されていた可能性はないでしょうか? 我等は奏太様の家に駆け込んだあの者にあの場所まで案内されました。通常、あの時間に奏太様の家の警護についているのは亘だけ。本来は巽も私もいませんでした」
「時間がもう少し遅ければ私が交代に入りますが、もともと護衛計画があってのものですから、湊様なら、亘さんが奏太様の護衛についている時間がわかりますね……」
『お前にはまだ仕事がある』
そう言って湊は遥斗をあの穴から連れ出した。次に遥斗が来たのは、皆が俺を助けに来た時だった。
「全部把握した上で、遥斗に亘を呼びに行かせたのか」
俺は唇を噛んだ。完全に湊の手の平の上だ。
「そういえば、あの遥斗という男、穴から出る前にも妙な事を言っていましたね。利用されていたのではなく、手を組んでいたということですか?」
表情を険しくした椿に、俺は首を横に振って見せた。
『死んだら好きにしていいと言われた』
遥斗はそう口走っていた。傍から見ればそうともとれる。でも、違うのだ。遥斗の言動も思考も、明らかにいつもとは違う異常なものだった。
「最初に汐が言った通り、遥斗は利用されていたんだ。あの鬼の血を使って。遥斗はずっと、執拗にあれを求めてた。高い依存性があったのは間違いない。あの血の為なら何でもするって感じだった」
汐はそれに眉根を寄せ、何かを思い出だすように口元に手を当てる。
「……そういえば、私は感じませんでしたが、あの土蔵に満ちていた甘い匂いで、亘と巽は頭にモヤが掛かったようになったそうです。それに、あの匂いは、樹と碓氷に襲われた夜、樹が鬼を呼ぼうとした時に下げていた香炉の香と同じものでした。あの時も、亘と奏太様は匂いに異常を感じていたはずです。そして祭りの席では、白月様の御席からあの匂いがして、その後に鬼が……」
「強い依存性だけでなく、思考を妨げ、鬼を引き寄せる力もあると?」
過去の出来事をなぞっていく汐に、椿が恐る恐るといった様子で尋ねる。それに汐はコクリと頷いた。
「それだけではないかもしれません。栞から聞いた話ですが、拓眞様の部屋から出てきた赤い液体は、匂いを直接吸い込むだけで心が支配されるような感覚がしたと都築様は仰ったそうです。拓眞様は奏太様を殺すのではなく、それを飲ませようとしたのですよね? もしも、飲んだ対象を操る力があったとしたら、その理由も腑に落ちます」
「……確かに、遥斗の様子も、ただの依存というより、支配されてるように見えた。何と言うか、湊に怯えて言いなりになってる感じで……でも、俺は口に入れられたけど、そういう感じは……」
「匂いもそうですが、個人差があるのかもしれません。それに、少なくとも奏太様もあの後、正常な状態ではありませんでした」
そこまで言われて、俺はもう一つ、思い出す。樹が鬼を鬼界の綻びから呼び込もうとしたあの日、碓氷に言われた言葉。
『大丈夫、ご心配なさらずとも、すぐに全てどうでも良くなりますよ。亘と汐の死すら、ね』
あの時も、俺に鬼の血を使おうとしていたのかもしれない。嫌になるほど、全てが、あの鬼の血を中心に動いている。
「拓眞は湊に協力してたのかな?」
「確かなことは何とも……ただ、同じ鬼の血を使っていたのなら、無関係とはいえません」
少なくとも、二人は兄弟だ。目的は違っても、利害が一致すれば協力し合うことがあっても不思議はない。
「しかし、そもそもどうやって白月様を鬼の体に……」
「『鬼と白月の魂を入れ替えた』あいつは、そう言ってた」
「……先ほど、そこのネズミもそう言っていましたが……」
椿は理解しがたいと言いたげな声を出す。
普通であれば、そんな事ができるのかと思うだろう。でも今、実際に俺の目の前には、鬼の体から抜かれたハクの魂がある。
「……あのさ、水晶玉を使って魂を抜いたら、抜かれた体はどうなると思う? もし、そこに、もう一つ水晶玉があったとしたら……?」
水晶玉をじっと見ている内に、一つの、考えたくもない可能性が浮き上がる。
「まさか、湊様が、あの水晶玉を……?」
椿が呟くように言うと、汐がギュッと眉根を寄せた。
「あの時、行商人は、奏太様が購入したものの他に二つを過去に売ったと言っていました。あれは元は里の出入りの行商人です。しかも、亀島家贔屓の。売り先が湊様であった可能性は十分にあります」
そう。そして、湊が水晶玉を持っていたとすれば、魂を入れ替えた、という言葉にも説明がつく。
「魂を抜かれた体は、生きる機能を備えた抜け殻。仮にもう二つ水晶玉を持っていたとするならば、ですが、あの行商人が言う通り、生きる機能を持つ体となり得るかもしれません。そこに別の水晶玉を埋めれば、きっと体はそのままに、魂だけが入れ替えられるでしょう」
汐の言葉に、俺は頭を抱えた。考えれば考えるほどに点が線でつながって、頭痛がしてくる。
ハクの体から魂を抜いて玉雲の魂を入れ、玉雲の体から魂を抜いてハクの魂を入れる。
そんな事が上手くいくかは分からないけど、そうすれば入れ替えられる。
「水晶玉を売った行商人に話を聞きたい。誰に売ったのかハッキリさせないと」
「誰かに言付けて参ります」
汐はスッと立ち上がると、チラと亘を見た後、早足で部屋を出ていった。
「しかし、湊様はいつそのような事を……人界と妖界はそう簡単に行き来はできませんし……」
「……何かをできるとしたら、祭りの日しかない」
聞いた話だから確かな事は言えないけど、あの日以降、ハクが目覚めたという話は聞いていない。ずっと眠ったままだったはずだ。中身が入れ替わっていても気づけていない、ということも考えられる。
それに、あの日であれば十分チャンスがあった。いや、湊が自ら作り出した可能性もある。
祭りの日のことを思い出して、苦虫を噛み潰したような気持ちになる。拓眞の事に気を取られすぎて、湊の行動にまで考えが及ばなかった。
「水晶玉に魂を移すには多量の血に浸す必要がある。あの日、鬼がハクを襲ったあと、真っ先に手当したのは湊だ。ハクの席から甘い匂いがして、鬼が引き寄せられて、湊はハクの一番近くにいたんだ」
「まさか、応急処置をするのに見せかけて……?」
俺はコクリと頷いて見せる。
「今日、鬼の体からハクの魂を移すのに、時間はさほどかからなかった。あれくらいの時間であれば、応急処置をしていた時間で十分だったはずだ」
「では、鬼の魂の方は?」
「事前に抜いて手元に持っておけば……」
俺はそこまで言いかけて口を噤んだ。あの時、もう一つ気になった事があったのだ。
『待ちなさい! その様に雑にかければ、傷の治りが悪くなるでしょう!』
紅翅はそう、あの時怒鳴っていた。湊は、侍医である紅翅に任せることなく恐らく妖界の温泉水を自分の手でかけたのだ。傷を塞ぐために。それは、紅翅に見せたくないものがあったからではないだろうか……
「…………ハクの体に水晶玉を残して、そのまま傷を閉じたのか……?」
その考えに至った瞬間、背筋がゾッとした。パズルのピースが、ピタリとハマる。
「……椿、柾と巽に知らせて調べさせて。鬼の体の何処かに、水晶玉が埋まっていないかどうか……」
全部予測だ。全くの的外れって可能性もある。でも、もしも鬼の体から水晶玉が出てきたら、全てが繋がる。
椿はチラと亘と忠の姿を見る。
「大丈夫ですか? 席を外しても……」
「忠は大丈夫だよ。害意があれば遊園地の時点でそうしてただろうし、今ここで事を起こしたら、どうなるかくらい想像できるだろ」
俺がそう言うと、忠はブルルっと体を大きく震わせた。脅したつもりはなかったが、震えながら大きな目に涙を溜めてこちらを見ている。ちょっと可哀相な事を言ったかもしれない。
問題は亘の方だけど、あれから微動だにしない。これが湊が見たかった姿なのだろうかと思うと、虫酸が走る。
「……亘も大丈夫だ。そのうち汐も戻って来ると思うから」
言葉の通り、椿が出ていくのと入れ替わりに汐が戻ってきた。
「代わりの武官を呼びますか?」
と聞かれたけど、断った。状況が状況だ。信用のおける者以外、近づけたくない。
「ハクの体はどうなってるんだろう?」
「魂の入れ替えが上手くいっていれば、ですが、目覚めた後に中身を乗っ取られたと判断されれば隔離の上で元に戻そうとされるでしょう。しかし、何者かが化けていると判断されれば処分されてしまうかもしれません。まだ目覚めていない状態であれば良いのですが……」
汐の言葉に、ざっと血の気が引いた。
ハクの体が無事じゃないと、ハクは戻る体を失ってしまう。
「すぐに妖界と連絡を取らなきゃ!」
「しかし、今は妖界側の判断で双方の行き来が禁じられています。文は許可されていますが、送るには柊士様の御許可が必要です。ただ、今は柊士様が……」
「……まだ見つかってないの?」
「ええ」
柊士の行方も心配だ。湊の件に関わりのあることか、全くの別件か。何事もないと良いけれど……
「ひとまず、妖界への手紙は陽の泉を使おう。さすがに俺が今泳いでいくのは厳しいから、誰かに頼まないといけないけど」
パッと浮かぶのは尾定だけど、頼み事をするには少しだけハードルが高い。
でも、人界と妖界を行き来できないといけないし、あちらの陽の山の麓にある蓮華畑の河童に顔が利く必要がある。
河童は紅翅の弟子だったはずだ。重要性をきちんと伝えれば、きっと繋いでくれるだろう。
……だとすれば、こっちも弟子にお願いするか……
「汐、何度も申し訳ないけど、俺から連絡しておくから聡に手紙を届けてくれないかな?」
持つべきものは気心知れた付き合いの長い友達だ。事情を話したらまた睨まれそうだけど、そこはなんとか誤魔化すとしよう。
状況を整理し、やることを決めて指示を出す。
忠はその間、何も言わずに困ったように眉尻を下げ、手の中の水晶玉をギュッと握って見つめていた。
どうしたのか聞いてみたけど、首を横に振るばかりで口を噤んだままだった。
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