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鬼界編
深淵の中
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一行は暗い闇を切り裂くように飛んでいく。深淵の中は、ただそこにいるだけでも体が重く息が切れる。
周囲には生き物の気配はほとんどない。時折、夜でもないのに虚鬼が現れ、赤眼の部下たちが処理していくくらいだ。たった数十。でも、鬼の部隊だけあって、かなり強い。
日の力を使える俺がよほど貴重なのか、鬼達の中央で守られるように移動しているので、対虚鬼という意味での心配はあまり無い。
俺を囲んでいる鬼達の狙いがわからないので、不安であることには変わりないけれど。
たどり着いたのは、焼け焦げ煤けた瓦礫の山。恐らく、小さな村だったのだろう。
問題は、その村らしき場所に、周囲の陰の気を更に濃縮したような、深い闇が立ち込めていること。周囲と比較しても、一段も二段も濃い黒に村全体が染まっている。
絶対に足を踏み入れてはならないと、見ただけで本能的に分かった。自分の内で警鐘がうるさく鳴る。
「ここは、闇の発生源になっている村一つだ。日の力は闇の進行を止め抵抗する力がある。強い日の力なら、闇を祓う事も可能なはずだ。日石では足りない。お前がやれ」
「……は?」
赤眼の鬼は、クイッと顎で闇深い村の方を示すが、言っている意味がうまく咀嚼出来ない。
……俺が、闇を祓う?
呆然と村のほうを見ていると、ドンと村の方へ背を押された。
「中に入り、枯れ木を蘇らせた時のように闇の濃い部分に日の力を放て。恐らく、日の力で浄化できるはずだ。見張りを一人つける。逃げようと思うなよ」
……まさか、ここに、入るのか?
「おい、お前がこの男を連れて行け。日石を二つ渡しておく」
「はっ」
鬼達がやり取りしている声を打ち消すように、ドクドクと耳の中がうるさい。
……入っちゃダメだ。
思わず足を後ろに下げかける。しかし、ゴツゴツする手に背をグッと押さえられた。視界の端に、鈍く光る槍先が見える。
「逃げるなと言われたはずだ。聞こえなかったのか?」
俺を連れて行く鬼なのだろう。そのまま無理矢理、背を押される。人の力で鬼に敵うわけもなく、否応なしに足が前に出ていく。
目の前に黒の幕が迫り、入ってもいないのに全身が粟立った。ギュッと目を閉じ顔を背ける。しかし小さな抵抗虚しく、無情にも、鬼に押されるがまま俺の身体は村に立ち込める闇にズブっと入っていった。
一歩村に立ち入れば、酷い胸焼けを起こしたような吐き気と頭痛に見舞われた。頭がクラリとして、気を抜けば、濃い陰の気に意識のすべてを持っていかれそうになる。何とか意識を保って前に一歩一歩を踏み出すだけで精一杯だ。
前が見えにくいのは、暗い闇のせいなのか、自分の目が霞むせいなのかもわからない。
ふと、俺を連れて歩く鬼が足を止めて一軒の崩れた石の家を指差した。まるで黒く塗りつぶされたように、何処よりも暗い陰の気に包まれている。
『闇の発生源』と赤眼の鬼は言ったが、確かにあれがそうなのだろう。
「日の力をあれに放て」
じわりと嫌な汗がにじむ。一刻も早くここを立ち去りたい。槍を突きつけられた状態で、死なずにそれをするには、言われたとおりにするしか無いのだろう。
……胸が重くて苦しくて、声を出すのも辛いんだけど……
そう思いながらも、俺はいつものように、パンと手を打つ。祝詞を口元だけで小さく紡ぐと、陽の気が手の平からあふれ出た。
周囲の闇が濃いからだろうか。いつもと同じはずの陽の気は、今まで見たことがないくらいに眩く輝く。
「まさか、これ程までとは……」
唖然としたような鬼の呟きが耳に届いた。
俺は脂汗を流しながら、闇に包まれた家に陽の気が注がれていくのを見つめる。
自分の中の陽の気に支えられているのに、それが端からどんどん出ていくのだ。足が震えて立っているのもキツイ。
一体、いつまで陽の気を注げば良いのか。
そう思いながら必死に陽の気の放出を続ける。
そうやってしばらく注いでいるうちに、どんどん増していく自分の体の重さに反して、自分を包む周囲の空気の淀みが、少しずつ軽減されていくような気がした。
「そろそろ良いだろう」
そう言われて陽の気を注ぐのをやめると、一際黒かった家の周りが、いつの間にか村の他の場所と同じくらいの色合いに落ち着いていることが分かった。
陽の気にこんな力があるとは思わなかったけど、やれと言われた事を何とか終えて、俺はほっと息を吐く。
一刻も早くここを出よう。そう思い踵を返そうとしたところで、鬼は来た方とは別の方向へ俺の背を押した。
「次へ行く。歩け」
まさか、これで終わりでは無いなんて。そう思った途端、どっと疲れが込み上げてくる。
重い足を引きずりフラフラしながら、再び濃い陰の気の中を進む。
深淵に入った時からそうだったけど、ここは更に体力と気力の消耗が激しい。
しばらく歩くと、先ほどの家と同じように黒く塗りつぶされたような、腰ほどの高さの小山があった。何かが積み上げられているのだろうけど、何が積まれているのかは暗すぎてよくわからない。
「やれ」
短く言われて、俺は再びパンと手を打ち、何かよくわからない小山に陽の気を注いだ。
先ほどと同じように、陽の気を注いでいるうちに、だんだんと濃い陰の気が軽くなってくる。少しだけ目が慣れたからだろうか。徐々に黒が薄れていき、そこにあるものが見えてくる。
それが何かが分かった途端、胸から込み上げてくるものを我慢できずに、その場に膝をつき大して入っていない胃の中のものを胃液とともにすべて吐き出した。
積み上げられて腐りかけた複数の遺体。角が見えるから、全部鬼なのだろう。何体あるのかはわからない。何も映さない虚ろな目、腹をグチャグチャに裂かれて内臓らしき物を引き出された姿。大人の中に子どもも交じっているように見えた。
……なんで、こんな……
嗚咽とともに涙が浮かび上がってくる。
「まだ、闇を祓いきれていない」
吐き出すものも無くし、立ち上がれずに地面に視線を落としたままでいると、グイッと腕を掴まれ、無理矢理立たされた。
直視したくない山の前に押し出される。闇を祓うまでここから動くことは許されないのだろう。俺はぎゅっと目を瞑り、再びパンと手を打った。
……もう、これ以上は無理だ……
精神的にも、体力的にも。
しかし、鬼は小山の闇が薄れた事を確認すると、俺の状態などお構い無しに別の場所に向かって再び俺の背を押す。
行き先は同じ。また別の石の家の前だ。先程と同じように、黒く塗りつぶされた家。
意識が朦朧とする。陰の気のせいか、陽の気が不足しているせいかもわからない。もしかしたら、その両方かもしれない。
やる事は決まっている。俺は惰性のようにパンと手を打ち付け、陽の気を注ぎはじめた。霧が晴れるように、光の粒を浴びて徐々に黒が薄まっていくのを、俺は遠くなりそうになる意識を繋ぎ止めながら眺めた。
不意に、俺と一緒に来た鬼ではなく、赤眼の鬼の声がした。
「もういいだろう。やはり、強い日の力があれば、闇を払えるようだ」
そう言われて周囲を見回して気づいた。一際暗かったはずの村は、深淵の中の他の場所と同程度の明度となり、完全に周囲と同化していた。
陽の気が止まり、フラリと足元が揺れる。どうしても立っていられず、ドシャっと膝から崩れる。
「立て」
そう言われたところで、もう自力では立てない。両手両膝を地面について、何とか意識を保つことで精一杯だ。
「……日にあれ程の日石を作る者でも、一箇所を浄化するので精一杯ということか……」
赤眼の鬼が考え込むように呟く声が落ちてきた。
つまり、ここと同じような場所がいくつもあるということなのだろう。そう思っただけで気が遠くなった。何度も繰り返せるようなものじゃない。体がいくつあっても足りない。
「もう一箇所浄化したかったが、難しそうだな。一度城に戻るぞ」
赤眼の鬼が言った時だった。
突然、周囲がざわめき、ガチャガチャと鬼達が武器を構えるような音が気がした。
物々しい雰囲気に、虚鬼がやって来たのだろうかと思った。しかし、聞こえてきたのは高く透き通るような女の声。
「あら、ここをこんな風にしたのは、貴方達? 困るわ。闇が薄まっちゃうじゃない」
場に似合わぬ軽やかな声に、重たい頭を持ち上げる。そこにいたのは、長い黒髪に黒の瞳、真紅の唇を持つ女性だった。角はない。でも、こんな濃い陰の気の中で平然としているのだ。少なくとも人間ではないのだろう。
一体何者だろうかと、朦朧とする意識の中でぼんやりと見上げていると、周囲の光を全て呑み込むような、その黒の瞳と目が合った。
女がふわりと浮き上がり、俺の目の前まであっという間に来たかと思えば、スッと俺の頬に手を触れる。瞬間、ずずっと濃縮された陰の気が体の中に一気に注ぎ込まれたような感覚がした。
体の中を侵食され陰の気に全てを奪われるような不快感。目の前が歪み、指の一本も動かすことが出来ないくらいに体が重たくなる。
「……あら、貴方、もしかして、あの女の子孫かしら。陽の気が同じだわ、忌々しい」
あの女、というのがよくわからない。陽の気、子孫、というからには、最初の大君と何か関係があるのだろうか。見ず知らずの者にそんなに憎しみが籠もった目で見られるとは思わなかった。
不意に、サッと自分の目の前で剣閃が走った。それに驚いたように、女が後ろに飛び退く。
「まあ、怖い」
「……闇の女神か」
赤眼の鬼が確かめるように尋ねた。確かに、目の前の女はその呼び名がピタリと合うような雰囲気がある。
女は、鬼の言葉に真紅の唇の端を上げて微笑んだ。
「あら、私を見たことあるの? ああ、陽の気を発するものを持っているから、自我を保ったまま行き来できるのね。ねえ、それを捨てなさいな。そうすれば、私の眷属にしてあげるわよ」
赤眼の鬼はそれに取り合うこと無く、女を警戒したまま、後ろにいた部下達に呼びかける。
「日石の男を抱えろ。ここを出る。殿はお前だ」
一人の鬼が指名されると、別の鬼に俺の体がグイッと持ち上げられた。荷物のように肩に背負われたかと思えば、鬼の部隊が揃って翼をひろげて舞い上がった。
「あら、せめて、あの女の子孫は置いていってもらわなきゃ。あの力があれば、あの子の世界に有用かもしれないわ。虚鬼だけの世界なんてつまらないもの。さあ、あれを奪いなさい」
女が誰かに、移動を始めた部隊の背後を追うように命じた時だった。
ザンッ! という音とともに、一番後ろにいた鬼が、翼をなくして地面に向けて真っ逆さまに落ちていった。そしてその代わりにそこにあったのは、恐らく鬼を落としたであろう思いがけない者の姿。
「……わ……たり……?」
思うように声が出ず、掠れた息しか出なかった。虚ろに揺れそうになる意識の中でも、見間違えるはずがない。
しかし、亘の目には俺が映っていないのか一切の反応を示さず、次から次へと止めに入る鬼達の相手をし始める。
「闇に捕まった者があれば捨置け!」
鬼達の誰かから、そう、鋭い声が上がった。
先頭は猛スピードで空を切り駆け抜け、亘の姿が遠くなる。声が出ず、重い腕を伸ばしても届かない。
「……わたり……」
何で亘が深淵にいたのか、あの黒髪の女に従っているように見えたのは何故か。本当に俺に気づかなかったのだろうか。
疑問ばかりが浮かんでは消える。
あんなところにいて、亘は無事なのだろうか。鬼も日石がないとと言っていたのに、あんなに濃い闇の中にいて大丈夫なのだろうか。いくら亘が強いと言っても、虚鬼の巣窟で仲間も居らず、たった一人で生き残れるだろうか。
……状況はよくわからないけど、あいつが無事でいるうちに、ちゃんと連れ戻さないと……
そう思った時には、一行は数を半分に減らしながら、深淵の闇の中から抜け出していた。
周囲には生き物の気配はほとんどない。時折、夜でもないのに虚鬼が現れ、赤眼の部下たちが処理していくくらいだ。たった数十。でも、鬼の部隊だけあって、かなり強い。
日の力を使える俺がよほど貴重なのか、鬼達の中央で守られるように移動しているので、対虚鬼という意味での心配はあまり無い。
俺を囲んでいる鬼達の狙いがわからないので、不安であることには変わりないけれど。
たどり着いたのは、焼け焦げ煤けた瓦礫の山。恐らく、小さな村だったのだろう。
問題は、その村らしき場所に、周囲の陰の気を更に濃縮したような、深い闇が立ち込めていること。周囲と比較しても、一段も二段も濃い黒に村全体が染まっている。
絶対に足を踏み入れてはならないと、見ただけで本能的に分かった。自分の内で警鐘がうるさく鳴る。
「ここは、闇の発生源になっている村一つだ。日の力は闇の進行を止め抵抗する力がある。強い日の力なら、闇を祓う事も可能なはずだ。日石では足りない。お前がやれ」
「……は?」
赤眼の鬼は、クイッと顎で闇深い村の方を示すが、言っている意味がうまく咀嚼出来ない。
……俺が、闇を祓う?
呆然と村のほうを見ていると、ドンと村の方へ背を押された。
「中に入り、枯れ木を蘇らせた時のように闇の濃い部分に日の力を放て。恐らく、日の力で浄化できるはずだ。見張りを一人つける。逃げようと思うなよ」
……まさか、ここに、入るのか?
「おい、お前がこの男を連れて行け。日石を二つ渡しておく」
「はっ」
鬼達がやり取りしている声を打ち消すように、ドクドクと耳の中がうるさい。
……入っちゃダメだ。
思わず足を後ろに下げかける。しかし、ゴツゴツする手に背をグッと押さえられた。視界の端に、鈍く光る槍先が見える。
「逃げるなと言われたはずだ。聞こえなかったのか?」
俺を連れて行く鬼なのだろう。そのまま無理矢理、背を押される。人の力で鬼に敵うわけもなく、否応なしに足が前に出ていく。
目の前に黒の幕が迫り、入ってもいないのに全身が粟立った。ギュッと目を閉じ顔を背ける。しかし小さな抵抗虚しく、無情にも、鬼に押されるがまま俺の身体は村に立ち込める闇にズブっと入っていった。
一歩村に立ち入れば、酷い胸焼けを起こしたような吐き気と頭痛に見舞われた。頭がクラリとして、気を抜けば、濃い陰の気に意識のすべてを持っていかれそうになる。何とか意識を保って前に一歩一歩を踏み出すだけで精一杯だ。
前が見えにくいのは、暗い闇のせいなのか、自分の目が霞むせいなのかもわからない。
ふと、俺を連れて歩く鬼が足を止めて一軒の崩れた石の家を指差した。まるで黒く塗りつぶされたように、何処よりも暗い陰の気に包まれている。
『闇の発生源』と赤眼の鬼は言ったが、確かにあれがそうなのだろう。
「日の力をあれに放て」
じわりと嫌な汗がにじむ。一刻も早くここを立ち去りたい。槍を突きつけられた状態で、死なずにそれをするには、言われたとおりにするしか無いのだろう。
……胸が重くて苦しくて、声を出すのも辛いんだけど……
そう思いながらも、俺はいつものように、パンと手を打つ。祝詞を口元だけで小さく紡ぐと、陽の気が手の平からあふれ出た。
周囲の闇が濃いからだろうか。いつもと同じはずの陽の気は、今まで見たことがないくらいに眩く輝く。
「まさか、これ程までとは……」
唖然としたような鬼の呟きが耳に届いた。
俺は脂汗を流しながら、闇に包まれた家に陽の気が注がれていくのを見つめる。
自分の中の陽の気に支えられているのに、それが端からどんどん出ていくのだ。足が震えて立っているのもキツイ。
一体、いつまで陽の気を注げば良いのか。
そう思いながら必死に陽の気の放出を続ける。
そうやってしばらく注いでいるうちに、どんどん増していく自分の体の重さに反して、自分を包む周囲の空気の淀みが、少しずつ軽減されていくような気がした。
「そろそろ良いだろう」
そう言われて陽の気を注ぐのをやめると、一際黒かった家の周りが、いつの間にか村の他の場所と同じくらいの色合いに落ち着いていることが分かった。
陽の気にこんな力があるとは思わなかったけど、やれと言われた事を何とか終えて、俺はほっと息を吐く。
一刻も早くここを出よう。そう思い踵を返そうとしたところで、鬼は来た方とは別の方向へ俺の背を押した。
「次へ行く。歩け」
まさか、これで終わりでは無いなんて。そう思った途端、どっと疲れが込み上げてくる。
重い足を引きずりフラフラしながら、再び濃い陰の気の中を進む。
深淵に入った時からそうだったけど、ここは更に体力と気力の消耗が激しい。
しばらく歩くと、先ほどの家と同じように黒く塗りつぶされたような、腰ほどの高さの小山があった。何かが積み上げられているのだろうけど、何が積まれているのかは暗すぎてよくわからない。
「やれ」
短く言われて、俺は再びパンと手を打ち、何かよくわからない小山に陽の気を注いだ。
先ほどと同じように、陽の気を注いでいるうちに、だんだんと濃い陰の気が軽くなってくる。少しだけ目が慣れたからだろうか。徐々に黒が薄れていき、そこにあるものが見えてくる。
それが何かが分かった途端、胸から込み上げてくるものを我慢できずに、その場に膝をつき大して入っていない胃の中のものを胃液とともにすべて吐き出した。
積み上げられて腐りかけた複数の遺体。角が見えるから、全部鬼なのだろう。何体あるのかはわからない。何も映さない虚ろな目、腹をグチャグチャに裂かれて内臓らしき物を引き出された姿。大人の中に子どもも交じっているように見えた。
……なんで、こんな……
嗚咽とともに涙が浮かび上がってくる。
「まだ、闇を祓いきれていない」
吐き出すものも無くし、立ち上がれずに地面に視線を落としたままでいると、グイッと腕を掴まれ、無理矢理立たされた。
直視したくない山の前に押し出される。闇を祓うまでここから動くことは許されないのだろう。俺はぎゅっと目を瞑り、再びパンと手を打った。
……もう、これ以上は無理だ……
精神的にも、体力的にも。
しかし、鬼は小山の闇が薄れた事を確認すると、俺の状態などお構い無しに別の場所に向かって再び俺の背を押す。
行き先は同じ。また別の石の家の前だ。先程と同じように、黒く塗りつぶされた家。
意識が朦朧とする。陰の気のせいか、陽の気が不足しているせいかもわからない。もしかしたら、その両方かもしれない。
やる事は決まっている。俺は惰性のようにパンと手を打ち付け、陽の気を注ぎはじめた。霧が晴れるように、光の粒を浴びて徐々に黒が薄まっていくのを、俺は遠くなりそうになる意識を繋ぎ止めながら眺めた。
不意に、俺と一緒に来た鬼ではなく、赤眼の鬼の声がした。
「もういいだろう。やはり、強い日の力があれば、闇を払えるようだ」
そう言われて周囲を見回して気づいた。一際暗かったはずの村は、深淵の中の他の場所と同程度の明度となり、完全に周囲と同化していた。
陽の気が止まり、フラリと足元が揺れる。どうしても立っていられず、ドシャっと膝から崩れる。
「立て」
そう言われたところで、もう自力では立てない。両手両膝を地面について、何とか意識を保つことで精一杯だ。
「……日にあれ程の日石を作る者でも、一箇所を浄化するので精一杯ということか……」
赤眼の鬼が考え込むように呟く声が落ちてきた。
つまり、ここと同じような場所がいくつもあるということなのだろう。そう思っただけで気が遠くなった。何度も繰り返せるようなものじゃない。体がいくつあっても足りない。
「もう一箇所浄化したかったが、難しそうだな。一度城に戻るぞ」
赤眼の鬼が言った時だった。
突然、周囲がざわめき、ガチャガチャと鬼達が武器を構えるような音が気がした。
物々しい雰囲気に、虚鬼がやって来たのだろうかと思った。しかし、聞こえてきたのは高く透き通るような女の声。
「あら、ここをこんな風にしたのは、貴方達? 困るわ。闇が薄まっちゃうじゃない」
場に似合わぬ軽やかな声に、重たい頭を持ち上げる。そこにいたのは、長い黒髪に黒の瞳、真紅の唇を持つ女性だった。角はない。でも、こんな濃い陰の気の中で平然としているのだ。少なくとも人間ではないのだろう。
一体何者だろうかと、朦朧とする意識の中でぼんやりと見上げていると、周囲の光を全て呑み込むような、その黒の瞳と目が合った。
女がふわりと浮き上がり、俺の目の前まであっという間に来たかと思えば、スッと俺の頬に手を触れる。瞬間、ずずっと濃縮された陰の気が体の中に一気に注ぎ込まれたような感覚がした。
体の中を侵食され陰の気に全てを奪われるような不快感。目の前が歪み、指の一本も動かすことが出来ないくらいに体が重たくなる。
「……あら、貴方、もしかして、あの女の子孫かしら。陽の気が同じだわ、忌々しい」
あの女、というのがよくわからない。陽の気、子孫、というからには、最初の大君と何か関係があるのだろうか。見ず知らずの者にそんなに憎しみが籠もった目で見られるとは思わなかった。
不意に、サッと自分の目の前で剣閃が走った。それに驚いたように、女が後ろに飛び退く。
「まあ、怖い」
「……闇の女神か」
赤眼の鬼が確かめるように尋ねた。確かに、目の前の女はその呼び名がピタリと合うような雰囲気がある。
女は、鬼の言葉に真紅の唇の端を上げて微笑んだ。
「あら、私を見たことあるの? ああ、陽の気を発するものを持っているから、自我を保ったまま行き来できるのね。ねえ、それを捨てなさいな。そうすれば、私の眷属にしてあげるわよ」
赤眼の鬼はそれに取り合うこと無く、女を警戒したまま、後ろにいた部下達に呼びかける。
「日石の男を抱えろ。ここを出る。殿はお前だ」
一人の鬼が指名されると、別の鬼に俺の体がグイッと持ち上げられた。荷物のように肩に背負われたかと思えば、鬼の部隊が揃って翼をひろげて舞い上がった。
「あら、せめて、あの女の子孫は置いていってもらわなきゃ。あの力があれば、あの子の世界に有用かもしれないわ。虚鬼だけの世界なんてつまらないもの。さあ、あれを奪いなさい」
女が誰かに、移動を始めた部隊の背後を追うように命じた時だった。
ザンッ! という音とともに、一番後ろにいた鬼が、翼をなくして地面に向けて真っ逆さまに落ちていった。そしてその代わりにそこにあったのは、恐らく鬼を落としたであろう思いがけない者の姿。
「……わ……たり……?」
思うように声が出ず、掠れた息しか出なかった。虚ろに揺れそうになる意識の中でも、見間違えるはずがない。
しかし、亘の目には俺が映っていないのか一切の反応を示さず、次から次へと止めに入る鬼達の相手をし始める。
「闇に捕まった者があれば捨置け!」
鬼達の誰かから、そう、鋭い声が上がった。
先頭は猛スピードで空を切り駆け抜け、亘の姿が遠くなる。声が出ず、重い腕を伸ばしても届かない。
「……わたり……」
何で亘が深淵にいたのか、あの黒髪の女に従っているように見えたのは何故か。本当に俺に気づかなかったのだろうか。
疑問ばかりが浮かんでは消える。
あんなところにいて、亘は無事なのだろうか。鬼も日石がないとと言っていたのに、あんなに濃い闇の中にいて大丈夫なのだろうか。いくら亘が強いと言っても、虚鬼の巣窟で仲間も居らず、たった一人で生き残れるだろうか。
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