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第一章 愛と家族
13. 妻と母 the Child Hater and Lover
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「うまれてきて、ごめんなさい。……わたくしの、負けです。」
アイ以外の全員が驚愕して黙り込む。ひまりは目を細めて、アイをみていた。アイのこころを――。
◇◆◇
アイの身体から蒸気のようなものが空に流れていく。心の底から敗北を認めて、身体の変異が始まったのだろう。ビッチングだ。アイの変化に呼応して、はるひの身体も変化していく。アイは獣神体から人間体へと、はるひは真なる獣神体へと。
アイは自分の人生の敗北を認めたが、それを認められない者がいた。
「テメェ!ふざけんじゃねえ!!まだ間に合うそいつを殺せ!そうしたらクソみてぇな性になるのを、まだ止められる!!」
エレクトラが自分の背中で怒りを爆発させて、その勢いでアイたちの元へ迫る。間にいたアイを蹴り飛ばし、掌のなかで爆発する怒りをはるひに向けてぶつけようとする。
ひまりは咄嗟に娘を抱きしめて庇い、自らの背中を盾にする。ぎゅっと目を閉じるが、いつまでたっても痛みはこない。目を開けると、しゅんじつが両腕に憤怒をまとい、襲撃者の攻撃を防いでいた。
「エレクトラ……お前どういうつもりだ……?俺の家族に手を出そうとするなんてよぉ……。」
エレクトラは構わずはるひに迫ろうとするが、しゅんじつが両腕の憤怒の炎を放出し、それから逃れるために後ろに飛しかなかった。両足で地面を削りながら後退し勢いを殺したエレクトラが、両の手を腰の横に広げ、勢いよく上に弾く。すると、彼女の両横の地面から爆発の波が起こり、はるひめがけて2本の爆発の連鎖が、地面を抉りながら前に突き進んでいく。途中でアイも爆発に巻き込まれて血を吐いたが、お構い無しに前だけを見て突撃する。
しゅんじつは両腕に纏っていた憤怒を右腕に集めて高く上げ、大地を怒りを込めた右腕で割れんばかりに叩きつける。すると地面から放射状に紅炎が沸き上がり、迫りくる爆撃とぶつかって、大きな爆発が起こる。
「ひまり!死ぬ気ではるひを守れ!!そのことだけ考えろ!それ以外は俺が全部何とかする!」
「アナタ……!分かった!」
ひまりが胸からちいさな火をだし、それが次第に全身に広がっていき自身と娘を守るように包み込む。すると、2人の姿が陽炎のように揺ら揺らと揺れて曖昧になる。身体が変異している最中で、満身創痍なこともありアイもはるひも上手く動けない。
「テメェ……どういうつもりだ。おれの邪魔をしやがってよぉ。儀式の最中に割ってはいるなんざぁ、ふざけてんのか?!テメェのガキが負けてただろうが!最初から最強のこころをもつものを作るためにおれとテメェで仕組んだことだろうが!!素直にガキに負けを認めさせて、人間体にならせやがれ!!」
エレクトラが手の中の怒りを爆発させながら吠える。オイディプスは全身が焼け焦げ横たわる息子をただ見ていた。
「確かに、はるひをアイ君に負けさせて、その見返りとして、うちの地位向上を約束させた。だが、自分の子供が大怪我を負わされて、ただ見ているだけの親がどこにいる!?そんなのは親じゃねぇ!!」
エレクトラの眼が紅く染まり、髪までもが真っ赤になり爆発を始めた。そして、爆発する掌を無理やり抑え込み身体の前で合わせる。
「そうかよ、そうか。この裏切り者がぁ……じゃあテメェの出来損ないの“ガキを産むだけしか能のねぇ性別”の嫁と娘共々爆死させてやるよ。……死ね。」
出来損ないの性別と言う言葉を聞いたしゅんじつの髪が燃え上がり、瞳までもが、炎を宿す。全ての怒りの煌炎を左腕に全て詰め込み、外に出ていた炎は全て吸い込まれ、腕が焦げたように真っ黒になり、煙炎を放つ。ビキビキとヒビ割れはじめた黒腕の割れ目から、先程までとは違い、蒼い焔が立ち昇る。
「出来損ないの、ガキを産むだけしか能のない性別……。俺の嫁を……。俺の家族を、お前は侮辱した……!この焔で償わせてやる……。」
エレクトラがさらに爆発を掌の中に圧し殺し、しゅんじつの黒腕の肘が炎旱の大地のようにひび割れ、そこから勢いよく焔が吹き出す。
「爆裂の……」
「火焔のォ!!」
エレクトラが押し殺した怒りを手を開いて爆発させるのと同時に、肘のから吹き出す焔の勢いで飛んだしゅんじつが、その勢いを利用して黒腕をエレクトラに向かって振り降ろす。
「……怒り……。」
「怒りィ!!!」
爆裂と火焔が轟音をたてながら辺りを包みこんだ。
轟と煙が収まったあと、立っていたのは……エレクトラだった。しゅんじつは全身が焼け焦げ、仰向けに斃れていた。エルクトラも火傷を負い、肩で息をしながら何とか立っていた。
勝敗を分けたのは、“家族への愛情”だった。しゅんじつは後ろにいる家族を庇うために、爆発を避けもせず正面から突っ込んだ。しかし、エレクトラは近くに転がっているアイが巻き込まれることなんぞお構い無しに辺りを爆炎で包み込んだ。この、“家族への愛”がしゅんじつを倒れさせ、エレクトラに勝利をもたらしたのだった。
◇◆◇
「エレクトラ!!」
妻の惨状を目の当たりにしたオイディプスは急いで、駆け寄ろうとする。しかし――
「来んな!!オイディプス!そこにいろ!!ここは危ねぇからな……。今は自分の安全だけを考えてろ!!怪我ぁすんじゃねえぞ!!ゲホっ……。あ゙ぁ゙ー、手間かけさせやがって。」
エレクトラは倒れていたアイに近づき、肩を蹴り上げ、無理やり仰向けにする。アイは悲鳴を上げるが、それを無視して、アイの全身を睨めつける。
「まだぁ、完全に塵性別にはなってねぇみたいだなァ……。まだ間に合う……。心で姿を眩ました。あの糞母娘どもォ見つけ出して……。
……テメェが勝手に負けなんぞ認めるからこんな事になってんだぞ!!オラァ!!」
アイの髪を掴み上げ、顔面に全力の蹴りをぶち込む。
「――!!」
声にならない悲鳴をあげるアイ。打ち捨てられた息子を捨て置いて、はるひとひまりを探そうとする母。
「ぉああざまぁ、おがぁ……ざまぁ……!」
何とか這いずりながら身体を起こし、母が2人に危害を加えようとするのを止めようと縋り付くアイ。それを穢らわしいものを払うように、蹴り飛ばす。
「汚ねぇから触んじゃねぇよ、ボケがぁ……。テメェのせいで!テメェみてぇな塵が生まれてきたせいで!!おれがぁ!!どんだけ迷惑してると思ってる?!あぁ!?やっとぉ!!生まれてはじめておれこ役に立てるチャンスを!!テメェで潰そうとしてんだぞ!!分かってんのか?!テメェが役に立つっつうから!!使える息子になるっつうからよぉ!!おれは愛してやったよなぁ!?塵屑みてぇなテメェのこともよぉ!!その!!愛してやったその恩を!!仇でやがって!!分かってんのかぁ?!あぁ!?……。
――あぁ……ほんとうに……お前みたいなゴミ、産むんじゃなかったぜ……。」
暴言とともに暴力を息子に浴びせ続ける母。その姿は、はるひに怒りをぶつけていたアイに似ていた。アイが誰に影響を受けて、人の傷つけ方を学んだか、一目瞭然だった。
アイは、このまま自分が殴られていれば、蹴られていれば、はるひとひまりを逃がすことができると考えていた。だから母のことばも、母のこころも、ほんとうにいたかったけど、これでいいとおもっていた。じぶんにはお似合いの末路だと。そう、おもっていたのに。
◇◆◇
「――なんで、自分の子どもにそんなことができるの……?」
ここにいるはずのない者の声。とっくに逃げたはずの、ひまりの声。エレクトラの後ろに、ひまりが立っていた。
「アァ?!テメェなんでまだここにいやがる?!娘と一緒にビクビク逃げ回ってりゃあいいのによぉ!!娘はどこだ?!吐きやがれ!!」
「私の娘なら、安全な所に隠してきたわ。絶対に見つからないよう私の心でね。今は私一人。貴女の目的は私の娘でしょう?だったら私が娘の居場所を、貴女に言うわけがないでしょう?私は母親なんだから。あの子の親なんだから。決して傷つけたりしない。この命に代えても守りきってみせる。」
ひまりが、アイには見せたことのないような、鋭い眼光でエレクトラを睨む。
「オイオイオイ!これはお笑いだ!!大事な娘を独り置いて、ノコノコとこんなとこに来た奴がよく言えたなぁ!!よくいい母親ヅラできるなぁ?!ギャハハ!!」
エレクトラが頭に手をやり、ひまりを嘲笑う。
「……たしかに私はいい母親じゃないかもしれない。夫に『娘を守ることだけを考えろ』って言われたのに。ここに来ちゃったんだもの……。
……でも、貴方は。自分の子どもを笑いながら殴るような貴方は。自分の子どもに平気で怒りをぶつけるような貴女は。自分の子どもに『産むんじゃなかった』なんて言葉を言えるような貴女は。母親じゃない!!母親ですらないわ!!!」
最後の言葉に、ぴくっと反応し、笑みを止めるエレクトラ。
「テメェ……今なんつった……?おれが母親じゃねぇだと……?劣等種の糞女が。ガキを産むだけの劣等種が。このおれに、獣神体のおれに、母親じゃねぇだと……?テメェはおれのことを何も知らねぇだろうが!!」
ひまりを力任せに蹴り飛ばすエレクトラ。
◇◆◇
「黙れ!!うるせぇんだよ!!おれだって母親になんかなりたくなかったよ!!おれが望んでなったと思うか!?こんな塵屑の母親によぉ!!こんな何の役にもたたねぇガキのよぉ?!あの腐れ糞売女のガキなんかの母親によぉ!!
オイディプスのガキじゃあなけりゃ産まれたときにぶっ殺してる!!オイディプスとのガキじゃなけりゃ、おれがわざわざ母親なんて、貧乏くじ引くわけねぇだろうが!!母親なんて糞の恩恵もねぇ、損ばかりする役割によぉ!?何してやっても感謝もされねぇ苦行をよぉ!?
こっちは飯も住む場所だってやってるんだ!!糞餓鬼1人育てるのに馬鹿みてぇに金がかかってるんだ!!その分ガキが親の役に立たなきゃあ割に合わねぇだろうが!!わざわざ産んでやって、飯もやって、金までやってんだ!!じゃあ子は親のモンだろうが!!ガキは産んでもらってる分際なんだから、育ててもらってる身分なんだからなぁ!!」
ひまりは立ち上がり、自分より遥かに強い性別の、ずっと心の強大な相手に、一切怯まず言葉を返す。
「確かに私は、貴女の事情は知らないわ。でも貴女も私のことを知らないでしょう?
『母親になんかなりたくなかった』て言うけど、自分で選んだんでしょう?子を持つということがどういうことか、よく分かった上で、“自分で”決めたんでしょう?だったら自分の決断に責任を持ちなさいよ。自分の不満で子どもに当たり散らかすぐらいなら、最初から母親になる資格なんかない!母親になんかならなければよかったじゃない!
親になるっていうのは、自分の人生の主役を子どもにするってことなの。自分よりも先に子どものことを考えるってこと。命を次に繋いでいくってことなの。何時までも“女の子”として、甘やかされていたいんなら、自分ことばかり考えていたいんなら、母親になんかなるんじゃないわよ!!子どもが可哀想よ!!
貴女はなんでもあげたあげた、してあげたって言うけど。それは親の言う台詞じゃない。子どもがいつか大きくなって自分からそう思って、親にたくさんのことをしてもらったって気づくことなの。それは子どもが自分の手で気づくことで、親が押しつけることじゃない!!
それに親だって子どもにたくさんのものをもらってる。親は子どもがいて、はじめて親になれるの。子どもに親にしてもらうの。親が1人で親になれるわけじゃない!子どもの成長を見守るだけじゃなくて、親だって子どものおかげで成長させてもらえるんだから。親になったらいきなり急に立派な人間になれるわけじゃない。親だって人間なんだから、親だって親になるのは産まれてはじめて、分からないことばかりだから子どもと一緒に成長するの。
でも、子どもに怒りにまかせて暴力を振るったり、子どもがいちばん傷つくことをわざわざ伝えるのは、絶対に間違ってる!!親になったばかりでも、みんな知ってる。だってみんなはじめは誰かの子どもだったんだから。親に言われたら、されたら嫌なことなんて、自分が親にされて嫌だったことなんて、知り尽くしてる。だから、アイちゃんにそんなことをするのはもうやめて。」
◇◆◇
エレクトラは黙って聞いていた。俯いているから髪に顔が隠れて表情は闇の中だ。アイは最初はひまりが自分なんぞを庇ってくれることに、やさしくしてくれることに、わざわざ戻ってきてくれたことに、涙を流したい気持ちになった。アイには涙は流せないが。
しかし、ひまりの言を聞いているうちに、おかあさまが黙ってそれを聞いている姿をみるうちに、おかあさまを助けないと、という気持ちのほうが大きくなっていった。どんな仕打ちをされてもアイは、アイはどうしょうもなく母を愛してしまうのだった。それは決してやめられないのだ。理由なんかない、条件なんかない、ただこの人が自分のおかあさまだから、愛するのだった。
喉が潰れていたがそんなことは関係ない、おかあさまのために、首がもげようが、喉を掻っ切られようが、話さなければならなかった。万力の力を込めて、最後の……最期の心を振り絞って言葉を伝えるのだった。
◇◆◇
「……ひ、ひまり、さん。ありがとうございます。わたくしのなんぞのために。はるひちゃんを傷つけたわたくしなんかのために、戻ってきて頂いて……。やさしい心を砕いて下さって。わたくしにはそんな資格なんかないのに……。でも、違うんです。」
「アイちゃん!だいじょうぶ!?……アイちゃん……?」
ひまりはアイを抱きしめ、愛情で包み込む。ひまりの心に包まれたとき、声を上げて泣いてしまいたかったが、抱きついて縋りたかったが、母のためにそれよりもやることがあった。言うべきことが、あった。
「違うんです。おかあさまは、わるくないんです。おかあさまは、……おかあさまを責めないであげてください。どうか。おかあさまは被害者なんです。しあわせな家族を持っていたのに。おとうさまとしあわせな夫婦でいたのに。お兄さま、お姉さま方という、かんぺきな子どもに恵まれたのに。
わたくしが……わたくしが……産まれてしまったんです。しあわせな夫婦だったのに。かんぺきな家族だったのに。わたくしのせいで、おかあさまはいつもつらい思いをしているのです。全部わたくしのせいなんです。わたくしの……。産まれたという原罪なんです。おかあさまはなんにもわるくないのに。わたくしの罪の罰を、おかあさまが背負ってしまっているんです。
おかあさまはほんとうはやさしい人なんです。わたくしのせいでいつもこわい顔で怒らなくちゃいけなくなるんです。わたくしは知ってます。お兄さまをやさしく抱きしめているのを、何度もみたことがあるんです。お姉さまの頭を慈しみに満ちた手で撫でているのを、わたくしはいつもみていたんです。うらやましかったから。
でも、だからしってるんです。おかあさまがもし、もし他の人からはひどい人に見えるのだとしたら、全部わたくしのせいなんです。わたくしがのうのうと生きているからなんです。おかあさまの苦労なんて知らずに……今日も生きながらえてしまったからなんです。
おとうさまに向ける笑顔は、ほんとうなんです。おとうさまとおかあさまが、ほんとうはなかよしなのに、けんかをしてしまうのは……いつもけんかをさせてしまうのはわたくしのせいなんです。わたくしさえいなければ、おかあさまはほんとうに、しあわせなはずだったんです。おかあさまは、おこっていないときは……いえ、わたくしにとっては、おこっていても……天使のような方なんです。
わたくしが、あいが、産まれたからぁ……。産まれてきちゃったからぁ……。あいが、あいがいきてるからなんです。ほんとうは、しってたんです。あいがおかあさまのほんとうのこどもじゃないことなんて。ほんとうはしってたんです。エゴお姉さまは必死で隠そうとしてくれていたけど、ほんとうはサクラって人のこどもなんだって。その人の話をするときのおかあさまの眼と、アイをみるあかあさまの眼がいっしょだったから……!
ずっとしっててしらないふりをしてたんです。しるのがこわかったんです。それをみとめたら、おかあさまのこどもじゃなくなるような気がして。こわかったんです。しらないふりをしていたら、ずっとおかあさまのこどもでいられるとおもったんです。わたくしのすがたが、おとうさまともおかあさまとも……ちがうから……!ぜんぜんちがうから……!!ほかのきょうだいとだって、にていないから……!ずっと、ほんとうはわかってたんです。
でも、じぶんのために。おかあさまのこどもでいたいっていう、自分勝手なりゆうで、見ないようにしていたんです。ほんとうは、しってたんだよぉ。あいが、あいが、ちがうって。そうじゃないって。でもこわくて、どうしょうもなくこわくて……!おかあさまのこどもでいられなくなるのが……おねえさまたちのおとうとでいられなくなるのがぁ……!みんなのかぞくじゃなくなるのが、ごわぐてぇ……おかあさまが、おかあさまが、あいのおかあさまじゃなくなるなんてやだったから……!
だから、おかあさまのことをいじめないであげてください。あいの、あいのおかあさまなんです。おかあさまなんだよぉ……。おかあさま、あかあさまぁ……。」
2人の母は、まだちいさなこどもの号哭を聞いた。その子の瞳は涙を流せなかったが、喉は音を発せなかったが。その心からの……無声の、慟哭を聞いた。
◇◆◇
「アイちゃん……アイちゃんアイちゃん……!そうだよね、そうだね。おかあさんは大切だよね、大好きだよね。だって、おかあさん、なんだから……!」
ぎゅううと自分の愛情ごとアイを抱きしめる。
「エレクトラ……様。アイちゃんのことばを聞いて、この子のこころを聞いて、それでもおんなじ気持ちのまま……?それとも、なにかを、感じたの……?」
ひまりがエレクトラを見上げる。彼女はずっと、大海に突き刺さった石柱のように、ピクリともしなかったが、突然眼を光らせた。
怒りの心で――!
◇◆◇
「テメェら黙って聞いてりゃあ調子に乗りやがって……。言うに事欠いておれがクソみてぇな母親だと……?母親失格だと?ふざけんじゃァねぇ。
おれは5人もガキを育ててる、てめぇみてぇに1人しかガキがいなくて楽してるやつには分からねぇだろうなぁ!
ゲアーターとシュベスターにゃあほんとうに愛を注いできた!!愛してきた!!それにあの阿婆擦れの糞餓鬼ども……エゴペーとアイにだって住む場所と飯をやってきた。糞ビッチの面影のねぇ、オイディプスに似て生まれた、エゴペーに至っては愛してやってすらいるんだぜぇ!!こんなにいい母親がいるかよ?!あぁ?!いねぇだろうが!!あの糞売女と瓜二つの息子に厳しくするぐれぇなんなんだよ?!ちいせえことだろうが?!育ててやってんだからなぁ!!
テメェはいいよな?あぁ?貧乏貴族の弱小な家の人間なんだからなぁ?背負うもんもなんもねぇ、気楽なご身分だよなぁ??家は国を背負ってんだ、テメェらボケ貴族どもにゃあ想像もできねぇ責任があんだよ!!おれは獣神体なんだよ!糞低けぇ繁殖能力で、ガキが2人できたのだって奇跡だ!!
あるか?後継ぎと国の繁栄のために、嫌がる夫に無理やり『他の女に抱かれてきてくれ』って、頼んだことがよぉ?!繁殖力のたけぇテメェらお気楽な糞人間体によぉ!!ねぇだろうが!!どんな糞みてぇな気分か知らねぇだろう!!他の女に犯されて!涙を流す自分の夫を慰めたことがあるか!?そうやって夫を泣かせて作らせたガキなんざ愛せるわけねぇだろうが!!
おれらはそんな国の存続に関わる重圧の上で生きてきたんだ!!母親ができてねぇぐれぇなんなんだよ?!こっちは仕事をしてんだよ!!完璧になぁ!じゃあすこしぐれぇ母親に手を抜いても許されるだろうが!!」
ひまりは、決して反論をしなかった。国政を担う貴族と、獣神体としての重圧は、平民生まれで、人間体の自分には想像もできないだろうと思ったからだ。
「それに、アイ……テメェも言ってくれたなぁ……?おかあさまをいじめないでだと……?塵屑に庇われることがどれだけ苛々することか分かんねぇのか?!テメェなんぞに庇われたとあっちゃあおれの名前に傷がつくんだよ!!
それに、知ってただと……?……知ってただと?!!テメェ自分がおれの子じゃねぇと知りながら!!よく今までのうのうと生きてこられたなぁ?!この穀潰しが!!よく今まで家の資産を食い潰せたもんだ!!おれのガキじゃねえと知りながら!!」
◇◆◇
いつの間にかエレクトラの手には、先刻のアイの憎しみの短刀とよく似た、しかし遥かに大きな憎悪の剣が握られていた。アイを包んでいたひまりの愛情を、その切っ先で突き破り、アイの額に突きつける。
「動くなよぉクソ女。まぁ動けねぇと思うがなぁ……!」
ひまりの身体はいつの間にかエレクトラの憎悪によって身動き1つ取れないほど縛り付けられていた。
「……!」
「アイ……眼を閉じろ……。今際の際ぐらい、テメェの言葉を聞いてやる。……眼を閉じろっつってんだよ!!」
最期の瞬間まで。母の姿を眼に焼き付けておきたかったアイは、決して目を閉じなかった。すると何時もファントムがするように、エレクトラは憎悪の布で愛するオイディプスと同じ、空色をしたサファイアの眼を隠す。しかし、ファントムとは真逆の理由で。
「最期に言い残すことはァ……?」
――ああ、ありがとう。ひまりさん。
「――産まれてきて、ごめんなさい。
……産まれて、こなきゃよかった――。」
「――じゃあな、アイ。」
そして、エレクトラは、息子に向けて、憎悪を振り下ろした――。
アイ以外の全員が驚愕して黙り込む。ひまりは目を細めて、アイをみていた。アイのこころを――。
◇◆◇
アイの身体から蒸気のようなものが空に流れていく。心の底から敗北を認めて、身体の変異が始まったのだろう。ビッチングだ。アイの変化に呼応して、はるひの身体も変化していく。アイは獣神体から人間体へと、はるひは真なる獣神体へと。
アイは自分の人生の敗北を認めたが、それを認められない者がいた。
「テメェ!ふざけんじゃねえ!!まだ間に合うそいつを殺せ!そうしたらクソみてぇな性になるのを、まだ止められる!!」
エレクトラが自分の背中で怒りを爆発させて、その勢いでアイたちの元へ迫る。間にいたアイを蹴り飛ばし、掌のなかで爆発する怒りをはるひに向けてぶつけようとする。
ひまりは咄嗟に娘を抱きしめて庇い、自らの背中を盾にする。ぎゅっと目を閉じるが、いつまでたっても痛みはこない。目を開けると、しゅんじつが両腕に憤怒をまとい、襲撃者の攻撃を防いでいた。
「エレクトラ……お前どういうつもりだ……?俺の家族に手を出そうとするなんてよぉ……。」
エレクトラは構わずはるひに迫ろうとするが、しゅんじつが両腕の憤怒の炎を放出し、それから逃れるために後ろに飛しかなかった。両足で地面を削りながら後退し勢いを殺したエレクトラが、両の手を腰の横に広げ、勢いよく上に弾く。すると、彼女の両横の地面から爆発の波が起こり、はるひめがけて2本の爆発の連鎖が、地面を抉りながら前に突き進んでいく。途中でアイも爆発に巻き込まれて血を吐いたが、お構い無しに前だけを見て突撃する。
しゅんじつは両腕に纏っていた憤怒を右腕に集めて高く上げ、大地を怒りを込めた右腕で割れんばかりに叩きつける。すると地面から放射状に紅炎が沸き上がり、迫りくる爆撃とぶつかって、大きな爆発が起こる。
「ひまり!死ぬ気ではるひを守れ!!そのことだけ考えろ!それ以外は俺が全部何とかする!」
「アナタ……!分かった!」
ひまりが胸からちいさな火をだし、それが次第に全身に広がっていき自身と娘を守るように包み込む。すると、2人の姿が陽炎のように揺ら揺らと揺れて曖昧になる。身体が変異している最中で、満身創痍なこともありアイもはるひも上手く動けない。
「テメェ……どういうつもりだ。おれの邪魔をしやがってよぉ。儀式の最中に割ってはいるなんざぁ、ふざけてんのか?!テメェのガキが負けてただろうが!最初から最強のこころをもつものを作るためにおれとテメェで仕組んだことだろうが!!素直にガキに負けを認めさせて、人間体にならせやがれ!!」
エレクトラが手の中の怒りを爆発させながら吠える。オイディプスは全身が焼け焦げ横たわる息子をただ見ていた。
「確かに、はるひをアイ君に負けさせて、その見返りとして、うちの地位向上を約束させた。だが、自分の子供が大怪我を負わされて、ただ見ているだけの親がどこにいる!?そんなのは親じゃねぇ!!」
エレクトラの眼が紅く染まり、髪までもが真っ赤になり爆発を始めた。そして、爆発する掌を無理やり抑え込み身体の前で合わせる。
「そうかよ、そうか。この裏切り者がぁ……じゃあテメェの出来損ないの“ガキを産むだけしか能のねぇ性別”の嫁と娘共々爆死させてやるよ。……死ね。」
出来損ないの性別と言う言葉を聞いたしゅんじつの髪が燃え上がり、瞳までもが、炎を宿す。全ての怒りの煌炎を左腕に全て詰め込み、外に出ていた炎は全て吸い込まれ、腕が焦げたように真っ黒になり、煙炎を放つ。ビキビキとヒビ割れはじめた黒腕の割れ目から、先程までとは違い、蒼い焔が立ち昇る。
「出来損ないの、ガキを産むだけしか能のない性別……。俺の嫁を……。俺の家族を、お前は侮辱した……!この焔で償わせてやる……。」
エレクトラがさらに爆発を掌の中に圧し殺し、しゅんじつの黒腕の肘が炎旱の大地のようにひび割れ、そこから勢いよく焔が吹き出す。
「爆裂の……」
「火焔のォ!!」
エレクトラが押し殺した怒りを手を開いて爆発させるのと同時に、肘のから吹き出す焔の勢いで飛んだしゅんじつが、その勢いを利用して黒腕をエレクトラに向かって振り降ろす。
「……怒り……。」
「怒りィ!!!」
爆裂と火焔が轟音をたてながら辺りを包みこんだ。
轟と煙が収まったあと、立っていたのは……エレクトラだった。しゅんじつは全身が焼け焦げ、仰向けに斃れていた。エルクトラも火傷を負い、肩で息をしながら何とか立っていた。
勝敗を分けたのは、“家族への愛情”だった。しゅんじつは後ろにいる家族を庇うために、爆発を避けもせず正面から突っ込んだ。しかし、エレクトラは近くに転がっているアイが巻き込まれることなんぞお構い無しに辺りを爆炎で包み込んだ。この、“家族への愛”がしゅんじつを倒れさせ、エレクトラに勝利をもたらしたのだった。
◇◆◇
「エレクトラ!!」
妻の惨状を目の当たりにしたオイディプスは急いで、駆け寄ろうとする。しかし――
「来んな!!オイディプス!そこにいろ!!ここは危ねぇからな……。今は自分の安全だけを考えてろ!!怪我ぁすんじゃねえぞ!!ゲホっ……。あ゙ぁ゙ー、手間かけさせやがって。」
エレクトラは倒れていたアイに近づき、肩を蹴り上げ、無理やり仰向けにする。アイは悲鳴を上げるが、それを無視して、アイの全身を睨めつける。
「まだぁ、完全に塵性別にはなってねぇみたいだなァ……。まだ間に合う……。心で姿を眩ました。あの糞母娘どもォ見つけ出して……。
……テメェが勝手に負けなんぞ認めるからこんな事になってんだぞ!!オラァ!!」
アイの髪を掴み上げ、顔面に全力の蹴りをぶち込む。
「――!!」
声にならない悲鳴をあげるアイ。打ち捨てられた息子を捨て置いて、はるひとひまりを探そうとする母。
「ぉああざまぁ、おがぁ……ざまぁ……!」
何とか這いずりながら身体を起こし、母が2人に危害を加えようとするのを止めようと縋り付くアイ。それを穢らわしいものを払うように、蹴り飛ばす。
「汚ねぇから触んじゃねぇよ、ボケがぁ……。テメェのせいで!テメェみてぇな塵が生まれてきたせいで!!おれがぁ!!どんだけ迷惑してると思ってる?!あぁ!?やっとぉ!!生まれてはじめておれこ役に立てるチャンスを!!テメェで潰そうとしてんだぞ!!分かってんのか?!テメェが役に立つっつうから!!使える息子になるっつうからよぉ!!おれは愛してやったよなぁ!?塵屑みてぇなテメェのこともよぉ!!その!!愛してやったその恩を!!仇でやがって!!分かってんのかぁ?!あぁ!?……。
――あぁ……ほんとうに……お前みたいなゴミ、産むんじゃなかったぜ……。」
暴言とともに暴力を息子に浴びせ続ける母。その姿は、はるひに怒りをぶつけていたアイに似ていた。アイが誰に影響を受けて、人の傷つけ方を学んだか、一目瞭然だった。
アイは、このまま自分が殴られていれば、蹴られていれば、はるひとひまりを逃がすことができると考えていた。だから母のことばも、母のこころも、ほんとうにいたかったけど、これでいいとおもっていた。じぶんにはお似合いの末路だと。そう、おもっていたのに。
◇◆◇
「――なんで、自分の子どもにそんなことができるの……?」
ここにいるはずのない者の声。とっくに逃げたはずの、ひまりの声。エレクトラの後ろに、ひまりが立っていた。
「アァ?!テメェなんでまだここにいやがる?!娘と一緒にビクビク逃げ回ってりゃあいいのによぉ!!娘はどこだ?!吐きやがれ!!」
「私の娘なら、安全な所に隠してきたわ。絶対に見つからないよう私の心でね。今は私一人。貴女の目的は私の娘でしょう?だったら私が娘の居場所を、貴女に言うわけがないでしょう?私は母親なんだから。あの子の親なんだから。決して傷つけたりしない。この命に代えても守りきってみせる。」
ひまりが、アイには見せたことのないような、鋭い眼光でエレクトラを睨む。
「オイオイオイ!これはお笑いだ!!大事な娘を独り置いて、ノコノコとこんなとこに来た奴がよく言えたなぁ!!よくいい母親ヅラできるなぁ?!ギャハハ!!」
エレクトラが頭に手をやり、ひまりを嘲笑う。
「……たしかに私はいい母親じゃないかもしれない。夫に『娘を守ることだけを考えろ』って言われたのに。ここに来ちゃったんだもの……。
……でも、貴方は。自分の子どもを笑いながら殴るような貴方は。自分の子どもに平気で怒りをぶつけるような貴女は。自分の子どもに『産むんじゃなかった』なんて言葉を言えるような貴女は。母親じゃない!!母親ですらないわ!!!」
最後の言葉に、ぴくっと反応し、笑みを止めるエレクトラ。
「テメェ……今なんつった……?おれが母親じゃねぇだと……?劣等種の糞女が。ガキを産むだけの劣等種が。このおれに、獣神体のおれに、母親じゃねぇだと……?テメェはおれのことを何も知らねぇだろうが!!」
ひまりを力任せに蹴り飛ばすエレクトラ。
◇◆◇
「黙れ!!うるせぇんだよ!!おれだって母親になんかなりたくなかったよ!!おれが望んでなったと思うか!?こんな塵屑の母親によぉ!!こんな何の役にもたたねぇガキのよぉ?!あの腐れ糞売女のガキなんかの母親によぉ!!
オイディプスのガキじゃあなけりゃ産まれたときにぶっ殺してる!!オイディプスとのガキじゃなけりゃ、おれがわざわざ母親なんて、貧乏くじ引くわけねぇだろうが!!母親なんて糞の恩恵もねぇ、損ばかりする役割によぉ!?何してやっても感謝もされねぇ苦行をよぉ!?
こっちは飯も住む場所だってやってるんだ!!糞餓鬼1人育てるのに馬鹿みてぇに金がかかってるんだ!!その分ガキが親の役に立たなきゃあ割に合わねぇだろうが!!わざわざ産んでやって、飯もやって、金までやってんだ!!じゃあ子は親のモンだろうが!!ガキは産んでもらってる分際なんだから、育ててもらってる身分なんだからなぁ!!」
ひまりは立ち上がり、自分より遥かに強い性別の、ずっと心の強大な相手に、一切怯まず言葉を返す。
「確かに私は、貴女の事情は知らないわ。でも貴女も私のことを知らないでしょう?
『母親になんかなりたくなかった』て言うけど、自分で選んだんでしょう?子を持つということがどういうことか、よく分かった上で、“自分で”決めたんでしょう?だったら自分の決断に責任を持ちなさいよ。自分の不満で子どもに当たり散らかすぐらいなら、最初から母親になる資格なんかない!母親になんかならなければよかったじゃない!
親になるっていうのは、自分の人生の主役を子どもにするってことなの。自分よりも先に子どものことを考えるってこと。命を次に繋いでいくってことなの。何時までも“女の子”として、甘やかされていたいんなら、自分ことばかり考えていたいんなら、母親になんかなるんじゃないわよ!!子どもが可哀想よ!!
貴女はなんでもあげたあげた、してあげたって言うけど。それは親の言う台詞じゃない。子どもがいつか大きくなって自分からそう思って、親にたくさんのことをしてもらったって気づくことなの。それは子どもが自分の手で気づくことで、親が押しつけることじゃない!!
それに親だって子どもにたくさんのものをもらってる。親は子どもがいて、はじめて親になれるの。子どもに親にしてもらうの。親が1人で親になれるわけじゃない!子どもの成長を見守るだけじゃなくて、親だって子どものおかげで成長させてもらえるんだから。親になったらいきなり急に立派な人間になれるわけじゃない。親だって人間なんだから、親だって親になるのは産まれてはじめて、分からないことばかりだから子どもと一緒に成長するの。
でも、子どもに怒りにまかせて暴力を振るったり、子どもがいちばん傷つくことをわざわざ伝えるのは、絶対に間違ってる!!親になったばかりでも、みんな知ってる。だってみんなはじめは誰かの子どもだったんだから。親に言われたら、されたら嫌なことなんて、自分が親にされて嫌だったことなんて、知り尽くしてる。だから、アイちゃんにそんなことをするのはもうやめて。」
◇◆◇
エレクトラは黙って聞いていた。俯いているから髪に顔が隠れて表情は闇の中だ。アイは最初はひまりが自分なんぞを庇ってくれることに、やさしくしてくれることに、わざわざ戻ってきてくれたことに、涙を流したい気持ちになった。アイには涙は流せないが。
しかし、ひまりの言を聞いているうちに、おかあさまが黙ってそれを聞いている姿をみるうちに、おかあさまを助けないと、という気持ちのほうが大きくなっていった。どんな仕打ちをされてもアイは、アイはどうしょうもなく母を愛してしまうのだった。それは決してやめられないのだ。理由なんかない、条件なんかない、ただこの人が自分のおかあさまだから、愛するのだった。
喉が潰れていたがそんなことは関係ない、おかあさまのために、首がもげようが、喉を掻っ切られようが、話さなければならなかった。万力の力を込めて、最後の……最期の心を振り絞って言葉を伝えるのだった。
◇◆◇
「……ひ、ひまり、さん。ありがとうございます。わたくしのなんぞのために。はるひちゃんを傷つけたわたくしなんかのために、戻ってきて頂いて……。やさしい心を砕いて下さって。わたくしにはそんな資格なんかないのに……。でも、違うんです。」
「アイちゃん!だいじょうぶ!?……アイちゃん……?」
ひまりはアイを抱きしめ、愛情で包み込む。ひまりの心に包まれたとき、声を上げて泣いてしまいたかったが、抱きついて縋りたかったが、母のためにそれよりもやることがあった。言うべきことが、あった。
「違うんです。おかあさまは、わるくないんです。おかあさまは、……おかあさまを責めないであげてください。どうか。おかあさまは被害者なんです。しあわせな家族を持っていたのに。おとうさまとしあわせな夫婦でいたのに。お兄さま、お姉さま方という、かんぺきな子どもに恵まれたのに。
わたくしが……わたくしが……産まれてしまったんです。しあわせな夫婦だったのに。かんぺきな家族だったのに。わたくしのせいで、おかあさまはいつもつらい思いをしているのです。全部わたくしのせいなんです。わたくしの……。産まれたという原罪なんです。おかあさまはなんにもわるくないのに。わたくしの罪の罰を、おかあさまが背負ってしまっているんです。
おかあさまはほんとうはやさしい人なんです。わたくしのせいでいつもこわい顔で怒らなくちゃいけなくなるんです。わたくしは知ってます。お兄さまをやさしく抱きしめているのを、何度もみたことがあるんです。お姉さまの頭を慈しみに満ちた手で撫でているのを、わたくしはいつもみていたんです。うらやましかったから。
でも、だからしってるんです。おかあさまがもし、もし他の人からはひどい人に見えるのだとしたら、全部わたくしのせいなんです。わたくしがのうのうと生きているからなんです。おかあさまの苦労なんて知らずに……今日も生きながらえてしまったからなんです。
おとうさまに向ける笑顔は、ほんとうなんです。おとうさまとおかあさまが、ほんとうはなかよしなのに、けんかをしてしまうのは……いつもけんかをさせてしまうのはわたくしのせいなんです。わたくしさえいなければ、おかあさまはほんとうに、しあわせなはずだったんです。おかあさまは、おこっていないときは……いえ、わたくしにとっては、おこっていても……天使のような方なんです。
わたくしが、あいが、産まれたからぁ……。産まれてきちゃったからぁ……。あいが、あいがいきてるからなんです。ほんとうは、しってたんです。あいがおかあさまのほんとうのこどもじゃないことなんて。ほんとうはしってたんです。エゴお姉さまは必死で隠そうとしてくれていたけど、ほんとうはサクラって人のこどもなんだって。その人の話をするときのおかあさまの眼と、アイをみるあかあさまの眼がいっしょだったから……!
ずっとしっててしらないふりをしてたんです。しるのがこわかったんです。それをみとめたら、おかあさまのこどもじゃなくなるような気がして。こわかったんです。しらないふりをしていたら、ずっとおかあさまのこどもでいられるとおもったんです。わたくしのすがたが、おとうさまともおかあさまとも……ちがうから……!ぜんぜんちがうから……!!ほかのきょうだいとだって、にていないから……!ずっと、ほんとうはわかってたんです。
でも、じぶんのために。おかあさまのこどもでいたいっていう、自分勝手なりゆうで、見ないようにしていたんです。ほんとうは、しってたんだよぉ。あいが、あいが、ちがうって。そうじゃないって。でもこわくて、どうしょうもなくこわくて……!おかあさまのこどもでいられなくなるのが……おねえさまたちのおとうとでいられなくなるのがぁ……!みんなのかぞくじゃなくなるのが、ごわぐてぇ……おかあさまが、おかあさまが、あいのおかあさまじゃなくなるなんてやだったから……!
だから、おかあさまのことをいじめないであげてください。あいの、あいのおかあさまなんです。おかあさまなんだよぉ……。おかあさま、あかあさまぁ……。」
2人の母は、まだちいさなこどもの号哭を聞いた。その子の瞳は涙を流せなかったが、喉は音を発せなかったが。その心からの……無声の、慟哭を聞いた。
◇◆◇
「アイちゃん……アイちゃんアイちゃん……!そうだよね、そうだね。おかあさんは大切だよね、大好きだよね。だって、おかあさん、なんだから……!」
ぎゅううと自分の愛情ごとアイを抱きしめる。
「エレクトラ……様。アイちゃんのことばを聞いて、この子のこころを聞いて、それでもおんなじ気持ちのまま……?それとも、なにかを、感じたの……?」
ひまりがエレクトラを見上げる。彼女はずっと、大海に突き刺さった石柱のように、ピクリともしなかったが、突然眼を光らせた。
怒りの心で――!
◇◆◇
「テメェら黙って聞いてりゃあ調子に乗りやがって……。言うに事欠いておれがクソみてぇな母親だと……?母親失格だと?ふざけんじゃァねぇ。
おれは5人もガキを育ててる、てめぇみてぇに1人しかガキがいなくて楽してるやつには分からねぇだろうなぁ!
ゲアーターとシュベスターにゃあほんとうに愛を注いできた!!愛してきた!!それにあの阿婆擦れの糞餓鬼ども……エゴペーとアイにだって住む場所と飯をやってきた。糞ビッチの面影のねぇ、オイディプスに似て生まれた、エゴペーに至っては愛してやってすらいるんだぜぇ!!こんなにいい母親がいるかよ?!あぁ?!いねぇだろうが!!あの糞売女と瓜二つの息子に厳しくするぐれぇなんなんだよ?!ちいせえことだろうが?!育ててやってんだからなぁ!!
テメェはいいよな?あぁ?貧乏貴族の弱小な家の人間なんだからなぁ?背負うもんもなんもねぇ、気楽なご身分だよなぁ??家は国を背負ってんだ、テメェらボケ貴族どもにゃあ想像もできねぇ責任があんだよ!!おれは獣神体なんだよ!糞低けぇ繁殖能力で、ガキが2人できたのだって奇跡だ!!
あるか?後継ぎと国の繁栄のために、嫌がる夫に無理やり『他の女に抱かれてきてくれ』って、頼んだことがよぉ?!繁殖力のたけぇテメェらお気楽な糞人間体によぉ!!ねぇだろうが!!どんな糞みてぇな気分か知らねぇだろう!!他の女に犯されて!涙を流す自分の夫を慰めたことがあるか!?そうやって夫を泣かせて作らせたガキなんざ愛せるわけねぇだろうが!!
おれらはそんな国の存続に関わる重圧の上で生きてきたんだ!!母親ができてねぇぐれぇなんなんだよ?!こっちは仕事をしてんだよ!!完璧になぁ!じゃあすこしぐれぇ母親に手を抜いても許されるだろうが!!」
ひまりは、決して反論をしなかった。国政を担う貴族と、獣神体としての重圧は、平民生まれで、人間体の自分には想像もできないだろうと思ったからだ。
「それに、アイ……テメェも言ってくれたなぁ……?おかあさまをいじめないでだと……?塵屑に庇われることがどれだけ苛々することか分かんねぇのか?!テメェなんぞに庇われたとあっちゃあおれの名前に傷がつくんだよ!!
それに、知ってただと……?……知ってただと?!!テメェ自分がおれの子じゃねぇと知りながら!!よく今までのうのうと生きてこられたなぁ?!この穀潰しが!!よく今まで家の資産を食い潰せたもんだ!!おれのガキじゃねえと知りながら!!」
◇◆◇
いつの間にかエレクトラの手には、先刻のアイの憎しみの短刀とよく似た、しかし遥かに大きな憎悪の剣が握られていた。アイを包んでいたひまりの愛情を、その切っ先で突き破り、アイの額に突きつける。
「動くなよぉクソ女。まぁ動けねぇと思うがなぁ……!」
ひまりの身体はいつの間にかエレクトラの憎悪によって身動き1つ取れないほど縛り付けられていた。
「……!」
「アイ……眼を閉じろ……。今際の際ぐらい、テメェの言葉を聞いてやる。……眼を閉じろっつってんだよ!!」
最期の瞬間まで。母の姿を眼に焼き付けておきたかったアイは、決して目を閉じなかった。すると何時もファントムがするように、エレクトラは憎悪の布で愛するオイディプスと同じ、空色をしたサファイアの眼を隠す。しかし、ファントムとは真逆の理由で。
「最期に言い残すことはァ……?」
――ああ、ありがとう。ひまりさん。
「――産まれてきて、ごめんなさい。
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「――じゃあな、アイ。」
そして、エレクトラは、息子に向けて、憎悪を振り下ろした――。
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