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第27話 他人になれない
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ダンテは手に持っていたバケツを適当に放り、ベアトリーチェと真正面から相対する。
「これは、俺のせいだ。俺がやったと思ってくれて構わない」
目の前には泥まみれの衣装棚。そして手には泥水が入っていたと思しきバケツを持っている。
誰がどう見ても実行犯はダンテだ。
ベアトリーチェはそんな光景を、ドアノブを掴んだままの態勢で呆然と眺めていた。
「俺に関わるとこうなる」
ダンテがこれをやったと言いたいわけではない。
そんな安っぽい嘘をついたところで、目を見て嘘を見抜く特技を持ったベアトリーチェに通じるわけがないのだ。
ダンテが言いたいのはそんなことではなかった。
「だから、お前とはもう……」
一瞬、ダンテは言いよどむ。
必要なことで、ベアトリーチェに危害が加わえられる前に関係を絶たなければならないのに、ダンテの中にあった何かがその言葉を遮った。
「……もう、なに?」
ベアトリーチェがくしゃりと表情を歪める。
彼女は少し天然が入っていて、純真で、寂しがりやな普通の少女だが、人の感情には敏感なところがある。
きっと理解しているはずだ。
しかし、それを認めたくなくて、問いかけていた。
「…………」
ダンテは押し黙ると、ぐびりと口内にたまった唾液を飲み込む。
そして、何度も何度も小さくうなずいてから、
「さよならだ」
ようやくその言葉を絞り出した。
ダンテは何度も女性を振ったことがあるし、自身の顔を餌にして甘い言葉を囁いて騙したこともある。
だが今は、その時とは違って別れの言葉を告げることが苦痛だった。
「…………」
「…………」
ふたりの間を沈黙が支配する。
ただ、じっと互いの目を見つめ続け、互いに相手の言葉を待ち続けていた。
やがて、ベアトリーチェの琥珀色の瞳から、ほろりと涙が零れ落ちる。
次第にそれはひとつ、ふたつと数を増していき、やがては頬を伝う川となった。
「なん、で?」
嗚咽をかみ殺した歯の隙間から、僅かな言葉が漏れ出した。
ベアトリーチェの目の前に、その答えが転がっているというのに、それでも彼女は確認する。
「俺が何者か、もう分かってんだろ」
ダンテは具体的なことを何も口にしてはいない。
それでも、スラム近くに居て、ストリートチルドレンと関係を持ち、売春宿でダンスパーティーが開かれていることを知っていて、娼婦やスラムの住人たちと気軽に話す関係という、どんな馬鹿でも気づくヒントは与えてしまっている。
ベアトリーチェは、ダンテの正体にたどり着いているはずだった。
「……ダンテさんは、悪い人じゃないよ。とってもいい人だよ」
「本気でそう思っているならお前は馬鹿だ」
ダンテは詐欺師で、悪党だ。
嘘をついて、金をかすめ取り、人を傷つける。
騙す相手が同じ悪党だったり、ストリートチルドレンを養ったり、娼婦たちへ必要以上に賃金を渡したりしたところでその事実は消えたりしない。
本当に罪ひとつないベアトリーチェとは違う。
「なら馬鹿でいいよ」
――即答。
ベアトリーチェはダンテの事を本気で信じていた。
悪党だと分かっていても。
アンジェリカに偽物の言葉を囁き続けていても。
ダンテが善の側に立つ人間であると、信じ切っていた。
「この――」
「だって!」
いつものベアトリーチェであれば、こんなに強く出ることはない。
アンジェリカの取り巻きたちに言われるがまま、へらへら笑ってなんでも従っていた。
それが彼女の処世術であり、生き延びるための方法だったはずだ。
だというのに、今だけは違った。
まっすぐに、ただひたすらにまっすぐな瞳でダンテを見つめる。
「――――っ」
大貴族にして両親を殺したフェリドを前にしても怯まなかったダンテが、ベアトリーチェの瞳を前にして、何故か続きを言うことができなかった。
「だって、今も私を危険から遠ざけようとしてくれてるんでしょ?」
「違うっ。邪魔なだけだ!」
ダンテからすれば、余計な被害を広げたくないだけ。
それだけでしかない。
……それだけが理由のはずだった。
ダンテは怒りだけでなく、奇妙な息苦しさも覚える。
それと同時に、喜びに近い感情も湧き上がってきて、ダンテは胸の内で渦巻く様々な感情のせいで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……なんでダンテさんはそんなに辛そうなの?」
「お前がっ」
ダンテは震える人差し指をベアトリーチェへと突きつける。
「お前がつべこべ言うからだ……っ」
いつもなら立て板に水を流すように、のべつ幕なし戯言を述べ立てるダンテの口は、何故かこわばってしまい、まともに動こうとしなかった。
ダンテは突きつけた指を握りこぶしに変え自らの下へと引き戻すが――その震えは、まだ止まない。
「違う。俺は辛くなんてない。辛いことなんて何がある? ……せいせいするくらいだ」
「嘘」
「――っ」
例えベアトリーチェのように、嘘を見抜く力を持っていなくとも、今のダンテが嘘をついたことは分かっただろう。
「だって、私はまだ何も答えてないよ?」
ベアトリーチェは問い返しただけで、ダンテから離れることに対しては、まだ否定も肯定もしていない。
心を乱したダンテがそうであると決めつけただけ。
「なら、早く答えろ。受け入れろ。俺とお前が他人になることを」
ダンテの懇願とも取れる命令に、ベアトリーチェはきっぱりと頭かぶりを振って拒絶する。
「いや」
「く……っ」
ダンテは思い切り顔を歪める。
「私はダンテさんと他人になんてなりたくないよ」
ダンテの脳裏には、ベアトリーチェを否定する言葉がいくつも浮かぶ。
そのどれか一つでも彼女に言えば、きっと他人になれる。
そんな言葉だ。
しかし、どうしてもダンテはそれらを口にすることが出来なかった。
「……なんでだよ」
「せっかく仲良くなれたから、かな」
「それこそ勘違いだ。俺はお前に黙っていてもらうために、代価を支払っただけだ」
ダンテはお人よしで、甘い。
いつも必要以上に対価を払っている。
ベアトリーチェにしたことも、いつもと同じ様にした結果であり、それが最悪の結果を招いてしまっただけ。
ダンテはそう考えていた。
「それに、一方的に傷つけるような関係を、仲良くなったとは言わない」
ダンテは始めから危険な事をしていたのだから、不用意に他人を巻き込むようなことをすべきではなかった。
仲が良くなれば、こういうことや更なる危険な事が起こるのは簡単に予想がついたはずだ。
あくまでも対価として嫌がらせを止めさせるだけに留めておき、寂しさまで埋めてやる必要はなかった。
始めから関係を深めなければ、離れた時に傷つけることもない。
ダンテの甘さが、ベアトリーチェを傷つけたのだ。
「そんなこと、ないよ」
ベアトリーチェは自分の頬を伝う涙に触れる。
そして、笑った。
「私は、ダンテさんと一緒に居て楽しかったよ。楽しかったんだよ」
その笑顔は心からの笑顔で、詐欺師として長年嘘に触れてきたダンテの目から見ても、ベアトリーチェが心の底から笑っていることが理解できた。
「だから、他人になんてなりたくないよ」
一番正しい回答は、それでも心を鬼にして突き放すことだ。
ベアトリーチェがなにかされてからでは遅い。
それが分かっているのに――。
「くそっ」
ダンテは離別の道を選べなかった。
なぜベアトリーチェと他人になれないのか。
ダンテは自分にその答えを求めて問いかけて――しかし何も返ってはこなかった。
「俺は……お前を」
傷つけたくない。
そんな独善的なことを言おうとしてしまい、慌てて言葉を飲み込む。
代わりに、
「――終わりだ、じゃあな」
どうとでも取れる別れの言葉を告げ、足早にその場を立ち去ったのだった。
「これは、俺のせいだ。俺がやったと思ってくれて構わない」
目の前には泥まみれの衣装棚。そして手には泥水が入っていたと思しきバケツを持っている。
誰がどう見ても実行犯はダンテだ。
ベアトリーチェはそんな光景を、ドアノブを掴んだままの態勢で呆然と眺めていた。
「俺に関わるとこうなる」
ダンテがこれをやったと言いたいわけではない。
そんな安っぽい嘘をついたところで、目を見て嘘を見抜く特技を持ったベアトリーチェに通じるわけがないのだ。
ダンテが言いたいのはそんなことではなかった。
「だから、お前とはもう……」
一瞬、ダンテは言いよどむ。
必要なことで、ベアトリーチェに危害が加わえられる前に関係を絶たなければならないのに、ダンテの中にあった何かがその言葉を遮った。
「……もう、なに?」
ベアトリーチェがくしゃりと表情を歪める。
彼女は少し天然が入っていて、純真で、寂しがりやな普通の少女だが、人の感情には敏感なところがある。
きっと理解しているはずだ。
しかし、それを認めたくなくて、問いかけていた。
「…………」
ダンテは押し黙ると、ぐびりと口内にたまった唾液を飲み込む。
そして、何度も何度も小さくうなずいてから、
「さよならだ」
ようやくその言葉を絞り出した。
ダンテは何度も女性を振ったことがあるし、自身の顔を餌にして甘い言葉を囁いて騙したこともある。
だが今は、その時とは違って別れの言葉を告げることが苦痛だった。
「…………」
「…………」
ふたりの間を沈黙が支配する。
ただ、じっと互いの目を見つめ続け、互いに相手の言葉を待ち続けていた。
やがて、ベアトリーチェの琥珀色の瞳から、ほろりと涙が零れ落ちる。
次第にそれはひとつ、ふたつと数を増していき、やがては頬を伝う川となった。
「なん、で?」
嗚咽をかみ殺した歯の隙間から、僅かな言葉が漏れ出した。
ベアトリーチェの目の前に、その答えが転がっているというのに、それでも彼女は確認する。
「俺が何者か、もう分かってんだろ」
ダンテは具体的なことを何も口にしてはいない。
それでも、スラム近くに居て、ストリートチルドレンと関係を持ち、売春宿でダンスパーティーが開かれていることを知っていて、娼婦やスラムの住人たちと気軽に話す関係という、どんな馬鹿でも気づくヒントは与えてしまっている。
ベアトリーチェは、ダンテの正体にたどり着いているはずだった。
「……ダンテさんは、悪い人じゃないよ。とってもいい人だよ」
「本気でそう思っているならお前は馬鹿だ」
ダンテは詐欺師で、悪党だ。
嘘をついて、金をかすめ取り、人を傷つける。
騙す相手が同じ悪党だったり、ストリートチルドレンを養ったり、娼婦たちへ必要以上に賃金を渡したりしたところでその事実は消えたりしない。
本当に罪ひとつないベアトリーチェとは違う。
「なら馬鹿でいいよ」
――即答。
ベアトリーチェはダンテの事を本気で信じていた。
悪党だと分かっていても。
アンジェリカに偽物の言葉を囁き続けていても。
ダンテが善の側に立つ人間であると、信じ切っていた。
「この――」
「だって!」
いつものベアトリーチェであれば、こんなに強く出ることはない。
アンジェリカの取り巻きたちに言われるがまま、へらへら笑ってなんでも従っていた。
それが彼女の処世術であり、生き延びるための方法だったはずだ。
だというのに、今だけは違った。
まっすぐに、ただひたすらにまっすぐな瞳でダンテを見つめる。
「――――っ」
大貴族にして両親を殺したフェリドを前にしても怯まなかったダンテが、ベアトリーチェの瞳を前にして、何故か続きを言うことができなかった。
「だって、今も私を危険から遠ざけようとしてくれてるんでしょ?」
「違うっ。邪魔なだけだ!」
ダンテからすれば、余計な被害を広げたくないだけ。
それだけでしかない。
……それだけが理由のはずだった。
ダンテは怒りだけでなく、奇妙な息苦しさも覚える。
それと同時に、喜びに近い感情も湧き上がってきて、ダンテは胸の内で渦巻く様々な感情のせいで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……なんでダンテさんはそんなに辛そうなの?」
「お前がっ」
ダンテは震える人差し指をベアトリーチェへと突きつける。
「お前がつべこべ言うからだ……っ」
いつもなら立て板に水を流すように、のべつ幕なし戯言を述べ立てるダンテの口は、何故かこわばってしまい、まともに動こうとしなかった。
ダンテは突きつけた指を握りこぶしに変え自らの下へと引き戻すが――その震えは、まだ止まない。
「違う。俺は辛くなんてない。辛いことなんて何がある? ……せいせいするくらいだ」
「嘘」
「――っ」
例えベアトリーチェのように、嘘を見抜く力を持っていなくとも、今のダンテが嘘をついたことは分かっただろう。
「だって、私はまだ何も答えてないよ?」
ベアトリーチェは問い返しただけで、ダンテから離れることに対しては、まだ否定も肯定もしていない。
心を乱したダンテがそうであると決めつけただけ。
「なら、早く答えろ。受け入れろ。俺とお前が他人になることを」
ダンテの懇願とも取れる命令に、ベアトリーチェはきっぱりと頭かぶりを振って拒絶する。
「いや」
「く……っ」
ダンテは思い切り顔を歪める。
「私はダンテさんと他人になんてなりたくないよ」
ダンテの脳裏には、ベアトリーチェを否定する言葉がいくつも浮かぶ。
そのどれか一つでも彼女に言えば、きっと他人になれる。
そんな言葉だ。
しかし、どうしてもダンテはそれらを口にすることが出来なかった。
「……なんでだよ」
「せっかく仲良くなれたから、かな」
「それこそ勘違いだ。俺はお前に黙っていてもらうために、代価を支払っただけだ」
ダンテはお人よしで、甘い。
いつも必要以上に対価を払っている。
ベアトリーチェにしたことも、いつもと同じ様にした結果であり、それが最悪の結果を招いてしまっただけ。
ダンテはそう考えていた。
「それに、一方的に傷つけるような関係を、仲良くなったとは言わない」
ダンテは始めから危険な事をしていたのだから、不用意に他人を巻き込むようなことをすべきではなかった。
仲が良くなれば、こういうことや更なる危険な事が起こるのは簡単に予想がついたはずだ。
あくまでも対価として嫌がらせを止めさせるだけに留めておき、寂しさまで埋めてやる必要はなかった。
始めから関係を深めなければ、離れた時に傷つけることもない。
ダンテの甘さが、ベアトリーチェを傷つけたのだ。
「そんなこと、ないよ」
ベアトリーチェは自分の頬を伝う涙に触れる。
そして、笑った。
「私は、ダンテさんと一緒に居て楽しかったよ。楽しかったんだよ」
その笑顔は心からの笑顔で、詐欺師として長年嘘に触れてきたダンテの目から見ても、ベアトリーチェが心の底から笑っていることが理解できた。
「だから、他人になんてなりたくないよ」
一番正しい回答は、それでも心を鬼にして突き放すことだ。
ベアトリーチェがなにかされてからでは遅い。
それが分かっているのに――。
「くそっ」
ダンテは離別の道を選べなかった。
なぜベアトリーチェと他人になれないのか。
ダンテは自分にその答えを求めて問いかけて――しかし何も返ってはこなかった。
「俺は……お前を」
傷つけたくない。
そんな独善的なことを言おうとしてしまい、慌てて言葉を飲み込む。
代わりに、
「――終わりだ、じゃあな」
どうとでも取れる別れの言葉を告げ、足早にその場を立ち去ったのだった。
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2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
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