マイグレーション ~現実世界に入れ替え現象を設定してみた~

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Tire100 観測外

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 ――佐伽羅さがら朔也さくやの死は君達のだ――

『ガタンッ!』

 勢いよく立ち上がったせいで、座っていた椅子が大きく音を立てる。
 椅子は後方に滑っていき、障害物に当たったことで動きを止めた。

 は?
 これは……どういう意味なんだ?
 頭の中が真っ白になる感覚を味わいながらも、俺は洪水のように溢れ出て来る思考に思わず吐き気を催した。

 佐伽羅の死が観測外?
 何を言っているんだ、これは?
 君達というのは、俺達六課のことを指しているのか?
 それとも、もっと狭義的か広義的な意味なのか?
 それに、一番よくわからないのは観測外という意味だ。
 文字通り捉えるならば観測の外……つまり、観測できる範囲や能力を超えたところに佐伽羅の死があると解釈できる。

 ふと、佐伽羅の死因が俺の脳裏に蘇る。
 佐伽羅は自分で自分の首を絞めて自殺していた。
 たしかに、そんな死に方は俺達の観測外なのかもしれない。

 そもそも、なぜ佐伽羅が死んだことを知っている?
 佐伽羅が死んだことを知っているのは俺と伊瀬を含めた極少数の限られた上層部の人間だけのはずだ。
 俺と伊瀬が佐伽羅の死の知らせを受けてから、まだ数日しか経っていない。
 こんなに早く情報が漏れるとは考えにくい。
 ……まさか、上層部の中に内通者がいるのか?
 いや、待て。
 考えが飛躍しすぎだ。
 大前提として、どうやってこんな奇怪なメッセージを残したかだ。
 こんな芸当が可能な存在は一つしかいない。
 マイグレーター……いや、八雲だ。
 複数の体にマイグレーションを繰り返し、瞬時に操り入れ替わっていく。
 八雲でなければできないことだ。
 しかも、佐伽羅から聞いた五年前の八雲の能力よりも今の方が格段に上がっている。
 なんせ、接触無しのNCMを連続で20回以上余裕でやってやがる。
 相手に触れずにマイグレーションをするなんて、俺には連続二回が限界だ。
 俺と八雲には少なくとも10倍以上の力の差があるってことか……

 今はそんなことを考えている場合じゃない。
 八雲が俺にメッセージを伝えてきた目的はなんなのか。
 それが問題だ。
 まず、わざわざこんな奇怪な形でメッセージを伝えてくる理由だ。
 いくら事件の証拠映像を俺達が調べるとはいえ、あんな大勢の人間を映した映像の中から数秒間だけカメラに視線を向けている人間に気づくなど無理がある。
 俺の動体視力があったから気づけたものの、普通なら誰も気づくことなくメッセージは役割を果たすことなく闇の中だ。
 初見だと、俺ですら見落としたというのに俺以外の誰が気づけ――

 このメッセージは……最初から俺に対してのみ宛てたメッセージだったということか?
 八雲は俺にだけ、このメッセージを伝えたかったと?

 何かがおかしい。
 どこか、根本的な違和感を感じる。
 メッセージが仕込まれていた映像は一つしかなかった。
 その映像は俺が広崎に接触したマイグレーターを探す方法を教えるためにデモ的に使ったものだった。
 デモで使う映像は伊瀬が選んでいた。
 ……まさか、伊瀬はメッセージが仕込まれていたことを知っていてあの映像を選んだ?
 あるいは、伊瀬が既に八雲からマイグレーションを受けた後の可能性も。
 ……どちらもあり得ないな。
 常人である伊瀬がメッセージに気づくはずがない。
 また、つい最近にも六課で行われる定期検査で姫石さんによって伊瀬は誰からもマイグレーションをされた痕跡がないことは確かめられている。
 最悪、直前に伊瀬が八雲からマイグレーションをされていたとしても、俺がこの可能性にたどり着いた時点ですぐに発覚する。
 八雲もそれはわかっている。
 であれば、そんな軽率な行動は取ってこない。

 デモの時に映像を見返したから俺はメッセージに気づくことができたが、もし見返すことがなかったら?
 付近にいた人間の顔を画像検索にかけて探し出す方法を思い付かなかったら?
 俺はメッセージに気づかなかったはずだ。
 あの八雲がそんな不確定な方法を取るだろうか?
 奴はいつだって的確で合理的だ。
 俺達の想像の域を越えていても、八雲は緻密な計算で確実なものにしている。
 だが、今回は何だ?
 こんな運任せな方法を取るわけがない。
 そうだとすると、これは……八雲じゃない?

 八雲ではない、別の存在。
 それが今回のメッセージを送ってきたというのか?
 しかし、俺がメッセージに気づけたのは偶然の何ものでもない。
 ただの偶然……のはずなのだが、このメッセージには明確に俺を狙っている意図がある。
 そして、現に俺はこうしてメッセージに気付いてしまっている。
 メッセージを送って来た奴の目論見通りというわけだ。
 こういう点は、どうにも八雲の気質を感じてしまう。
 とはいえ、こんな芸当を確実に可能にするには――

「ちっ……未来でも見えてるって言うのかよ……」

 あまりの馬鹿さ加減に自分で言っていてもアホらしく、俺は堪えきれずに舌打ちをしていた。

 --------------------------

『ガタンッ!』

 僕達の後ろの方で急に大きな音がした。
 三木さんについていろいろ調べていた画面から目を離して、僕は音がした方を振り返る。
 他の皆も何事かと振り返っていた。
 そして、音がした先ではマノ君がパソコンの画面を見つめて呆然と立ち尽くしている横顔があった。
 勢い余った椅子は動き続けていて、近くのデスクの縁にぶつかったことでようやく動きを止めた。

「マノ君? どうしたの?」

 どこか様子がおかしく見えたので僕はマノ君に声をかける。

「……」

 だけど、マノ君から返答が返ってくることはなく、代わりに返ってきたのは沈黙だけだった。

「急におっきな音出すのやめてよ。びっくりするじゃない」

 美結さんがいつもの感じでマノ君に口を尖らせる。
 普段なら、すぐに皮肉の一つや二つマノ君から返ってくるはずなんだけど……

「……」

 美結さんの呼びかけにもマノ君は何の反応も示さない。
 さすがに不安になったのか、美結さんがマノ君に近づこうと重心を前に傾けた時、マノ君の口が動いた。

「ちっ……未来でも見えてるって言うのかよ……」

 そう言ったマノ君の声はとても小さく、重苦しそうだった。
 舌打ちは誰かに対するものではなくて、自分に対してしたように感じられた。

「……マノ君?」

 僕はもう一度、恐る恐るマノ君に呼びかけた。
 すると、今度はゆっくりとこちらに顔を向けて反応してくれた。
 でも、マノ君の目を見て僕はぎょっとした。
 パッと見ではマノ君だとは到底思えない程、虚ろな目をしていたからだ。
 目の焦点はあっておらず、僕達を見ているようで見ていない。
 どこか遠くの全く別のものを見ているような感じだ。

「その……大丈夫……?」

 どう見ても正気の沙汰じゃないし、大丈夫そうに見えないのに僕はそんな定型文のような言葉でしかマノ君に声をかけることしかできなかった。

「……ん? ……あぁ……大丈夫……だ」

 うわ言のように大丈夫だと言ったマノ君はまさしく上の空だった。
 垂れ下がった紐の重みのせいで空に飛んでいくことも飛んでいく力も残っておらず、固定もされていない紐に縛られ宙に浮かんでいることが精一杯の風船のようにマノ君はゆらゆらと歩き出した。
 足取りはゆっくりだけど段々と僕達がいる方に近づいて来て、僕達に目もくれずに通り過ぎていった。

「ちょ、ちょっと、どこ行くの?」

 通り過ぎても歩みを止めないマノ君に美結さんがマノ君を振り返って呼び止める。
 マノ君は呼び止めに応じるようにピタリと足を止めた。

「……少し……外で頭を冷やしてくる」

 ぼそりと一言だけ言い残して、マノ君は再び歩き出した。
 僕達はそれ以上は引き留めることはできずに、マノ君が六課を出て行くのをただ黙って見つめていた。
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