人質王女の恋

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 本日の謁見が終わりアスランは私室に戻ってカウチに身体を投げ出した。
 侍従のテイラーが茶の用意をメイドから受け取り、支度しながら横眼でアスランを見た。
 テイラーはアスランの一つ年上の二十八歳で、王太子の時代から二十年アスランの一番近くにいる。
 学者一家の三男で、アスランの将来の侍従となるために八歳で宮殿に入り幼少期の話し相手となり今に至る。
 アスランの思考を読むのはブロンソンより得意だ。

「そんなに落ち込むなら、無理に顔を見せろなんて言わなきゃよかったじゃないですが」

 国王に向かって随分な軽口だが、付き合いも長く侍従というより友のようにアスランは思っているのでふたりの時はそれを許している。

「落ち込んでない」

 アスランは憮然とした声で答え、寝転がったまま手で顔を隠した。
 顔に不機嫌が出ているのが自分でもわかっているからだった。
 テイラーは紅茶の入ったカップをテーブルに置きながら、アスランに聞こえるように大きなため息をついた。
 アスランは手の中で眉間の皺を深くした。
 テイラーに「落ち込んでいるくせに」と言われたように聞こえたからだ。

「痣はすごかったけど、素敵な王女でしたね」

 テイラーの声にアスランは答えない。
 しかし聞こえているのは確かなので、テイラーは構わず続ける。

「慎ましく上品で、聡明な方に見受けられました」

 わかっている。
 アスランもテイラーと同じ印象を持った。
 ミシェルが謁見室に入ってきたとき、アスランは驚いた。
 この支度は国柄なのだろうか?
 最近のヒューブレインの貴族女性のドレスはコルセットで胸の下まで締め付けて押し上げ、乳房を見せつけるようにデコルテの大きく開いたものが流行っていて。ドレスにはリボンやらフリルやらレースやら装飾をたっぷり施し、開いたデコルテの素肌部分には豪華で巨大な宝石を輝かせるのだ。
 結い上げた髪にもリボンだの鳥の羽根だの宝石の着いた飾りだのを必ず付けている。
 しかしミシェルは。
 装飾がひとつもない首まで肌を隠したドレスに、アクセサリーは胸に止めてあるクロス型のブローチとベールに垂らした細いリボンだけ。
 布は母国の特産である上質の絹だとわかるが、デザインだけなら街の庶民より地味だ。
 だが、ほっそりした身体に浮かぶ丸みは女性らしく、挨拶の仕草は甘やかで品がよく。
 何より。薄いグレーのベールを頭から被り顔の上半分をすっぽり隠してはいたが、下に見える薄く紅を引いた唇はふっくらとしてかわいらしく声は穏やかで優しく。話し方には知性を感じた。
 アスランは胸が高鳴った。
 早くベールを上げて顔のすべてを見てみたかった。
 しかし。国王であるアスランの前に来て挨拶をしているのにミシェルはベールを上げないのだ。
 ベールから流れ出るブルネットのやわらかそうな髪がアスランの心を隠された部分へ誘うのに、ミシェルはベールを上げない。
 アスランが焦れて「ベールを取る気はないのか?」と聞くと、ミシェルは崩れ落ちる勢いで膝を折り頭を下げた。
 叱責するつもりはなかったが、焦れた気持ちがつい口に出てしまった。
 ブロンソンが連れて来ているのだ、王女じゃないなど疑ってはいなかった。
 ベールの中の顔は見えなかったがミシェルの咄嗟の動きで恐れているのがわかった。
 普段のアスランには、女性の顔に傷や痣があるなら見せたくないだろう気持ちを察してやれるだけの寛容があるのだが。
 この時のアスランはミシェルの顔を見たい気持ちが勝ってしまっていた。
 なるべく優しい口調で言ったつもりではあったが、状況と低くしゃがれた声のせいでミシェルにはそうは聞こえなかったようだった。
 白い手袋に包まれた手がゆっくりとベールを上げ顔の全容が見えた時、ミシェルが恥じ入っているのがわかった。
 顔の左側に額から頬骨まで目の周りをぐるりと大きな痣が黒々と広がり、睫毛は伏せて震え唇は二度と開かないのではないかと思うほどぎゅっと結ばれ、右の頬の色で血の気が引いているのもわかった。
 意志の強そうな小さくとがった鼻の先が赤くなりだして、アスランは涙がこぼれる前に急いでミシェルにベールを下ろさせた。

「あんなにひどいと思わなかったんだ」

 まだ手で顔を覆いながら言い訳をつぶやくと、横からまた大きなため息が聞こえた。

「たしか。ミシェル殿下は『とても醜い』 とおっしゃっていましたけどねー」

 もちろんテイラーだ。

「女はちょっとの傷でも大げさに言うだろう」
「あんな質素なお姿でいらっしゃるような見得を張らない方であれば、そうそう大げさなことは言いそうにないことは想像出来ませんでしたでしょうかねー」
「だがあそこまでとは誰も想像できないだろう! それほど! …本当に醜かった」

 テイラーが攻めるので起き上がって言い訳を重ねたが、自己嫌悪は更に増すばかりだ。

「たとえそれがほんの些細な傷であっても、女性が見せたくないものを無理やり暴くのは紳士のすることではありません。しかも立場を利用してそれをするのは国王としての資質に関わることになるのではないかと、ブロンソン伯爵にお聞きになってはいかがでしょうか?」

 テイラーは容赦なかった。
 アスランもやってはいけない事だったとわかってはいたが、止められなかった自分を恥じている。

「ブロンソンに聞かなくともわかっている。オレが悪かった。その通りだ。もっと責めてくれ」

 ふたりの関係で、ふたりきりだから許される会話。
 アスランが唯一甘えられるのはテイラーで、テイラーといるときにしか『オレ』とは言わない。
 アスランが『オレ』という一人称を使う時は、侍従ではなく友人として甘えているのだ。
 テイラーも長い付き合いでそれがわかっているので、立場の違いを考えれば首が飛ぶようなこともアスランのために言うのだった。

「正直、陛下は馬鹿なのか? と思いましたよ。確かにミシェル殿下も先にその説明はすべきでしたね、国王陛下の前なのですから。しかし彼女は人質として、昨日、たった一人で、来たばかり、ですし。今まで良い印象を持っていなかっただろう対立国の、冷徹と噂されている、王の、前で、さぞ心細く緊張なさっていたでしょうしね。失態ではあっても同情の余地は過分にあります。しかし陛下は、そんなミシェル殿下の状況心情をまったく思いやらず。国を助けてやったから、偉いから、無礼は許さないから、って? 俺様が察してやる義務など無いかのようにお振舞いになられまくって。ミシェル殿下のあの震えた指を見たときは、わたしは心の底から陛下に向かって、馬鹿なんですか? って聞きたくなりましたよ。身分あるか弱い女性にあんなひどいことをなさるなんてどんな……」
「もういい。その辺で勘弁してくれ……。それ以上聞いたら、オレは自分を殴りたくなる……」
「痣が出来たらどうしましょう」

 言葉とは裏腹にテイラーは困った様子は全くなく、アスランは頭をガシガシと掻き天井を見上げた。
 責められたかったのだが、さすがにテイラーの正直には頭をハンマーで殴られるのと同じ衝撃がある。

「気にしていらっしゃるなら、お会いする機会を作って謝られたらいかがですか? 王であってもご自身に罪悪感があるなら謝ってもよろしいかと思いますよ」
「わかっている……」

 再度カウチに身体を放り出して、思い出したくないミシェルの謁見を思い出す。
 思い出したくないのは自分の態度で、ミシェルの事は思い出したいのだ。
 美しいと思った。
 痣は確かに、醜かった。しかしそんな痣に顔の四分の一以上も奪われているのに、美しかった。
 それは顔や身体の造形ではなくミシェル自身が持つ気品と、穏やかで聡明さが見える振舞い。慎ましく、清廉さを感じさせる雰囲気が醸し出す美しさだ。
 これまでにも沢山の美しいと言われる女性たちと会ってきたが、そのどの女性たちにも感じることのなかった興味が胸に込み上がっているのだ。
 顔が隠れていたから、だから興味をそそられたのか?
 いや、それだけなら顔を見て満足出来たはずだ。
 文化の違う外国の女性だから目新しさにそそられているのかもしれない。
 あのような恐れた表情ではなく、違うミシェルが見てみたい。話をしてみたい。
 宮殿にいる女性は皆、ドレスや髪型の話、恋愛の噂話。後はアスランのご機嫌取りばかり。
 ミシェルは違う気がする。
 どんな話をするだろうか?
 どんな表情で、どんな仕草で、アスランの話を聞くだろうか?
 会う機会は早くに作るべきだ。
 でないとアスランは頭の中がミシェルに支配されそうだった。



 *****



 アスランの午前中はほぼ決まったスケジュールで過ごす。
 朝召使いに起こされ、風呂と髭剃り身支度が終わったころにテイラーが来る。
 今日のスケジュールと会う人物を聞き、ダイニングへ行き朝食。その後礼拝堂でミサに出席し、執務室へ移動して閣議に出席。次は謁見室に移動して当日の謁見を順番にこなす。やっと遅い昼食を済ましてその後は日によって様々だ。
 私室の執務室へ行き、書類に目を通したりサインしたり。公務で外に出ることもある。
 今日は執務室で紙の仕事だ。
 そうして過ごしているとブロンソンが入ってきた。

「陛下……」
「言うな。昨日の事はもうたっぷりテイラーに責められたし、わたしもちゃんとわかっている」

 ブロンソンがミシェルの事を言うであろうと予想して、アスラン言葉をかぶせたのだが。

「昨日の事とは?」

 ブロンソンは無表情で聞き返してきた。
 わかっているくせに……この……。
 アスランは心の中でブロンソンに悪態をついた。

「グルシスタの王女のことだ。かわいそうな女性に失礼な振る舞いをしたと思っている……」
「ああ、そのことでしたら。陛下への失態を泣いて詫びておりましたが、国王陛下の面前で顔を隠して何の説明もないなど許される事ではないと、苦言申し上げねばならないと」

 書類に目を落としたままだったアスランの顔が飛び起きる。

「叱責したのか?」
「苦言申し上げねばならないと」
「なんと言ったのだ?」
「我が国の国王をなんと思ってあのような無礼をしてくれたのだと。グルシスタは礼のない国なのですか? それならこちらにいる間に礼儀やマナーをお勉強なさるのが良いのでは? と……」

 ――バシッ

 アスランは机を叩いて立ち上がった。

「そんなことを言ったのか?!」
「国王の前でベールを取らぬは無礼な振る舞いです」
「理由があっただろう? あんな……酷い痣があれば、隠しておきたかったであろう」
「それならは、その事を先に陛下にお許しいただかなければなりません」
「前日に人質として連れてこられたばかりで、良い噂のない王に逢わねばならなかったのだ。緊張していたのがわからないのか!」

 アスランは言っていて後ろめたくなった。
 昨日テイラーに言われたことをそのままブロンソンに言っているからだ。

「しかし。緊張していたからと許される事でも、泣けば無かった事に出来る事でもありませんから」

 いつものように無表情に冷静に話すブロンソンにアスランはがっかりして見つめ返した。

「そなたがそんな薄情な人間だとは思わなかったぞ! 人の心を察してやることは出来ないのか!」

 実際には昨日ミシェルの気持ちを一番察してやらなかったのはアスランに他ならないのだが、その後ろめたさをブロンソンに怒鳴ることで遠くへ追いやった。

「テイラーを呼んでくれ。今から出かける」
「どちらへお出かけですか? 近衛に連絡を?」
「いらない。緑の離宮に行く」

 アスランはブロンソンを残して執務室を出た。






 テイラーは急いでお茶の支度から菓子を箱に詰め、アスランと共に外へ出た。

「それはなんだ?」
「チョコレートです。女性を訪ねるのに手ぶらでは」

 テイラーの咄嗟の機転に感心し、アスランは中庭を突っ切る。
 途中宮殿にいる貴族たちに足止めされアスランは挨拶を返したが、貴族たちの興味はテイラーの手にある土産を持ってアスランがどこへ向かうかだった。
 一緒に行ってもいいか?と聞く女性もいたが、やんわりと断り足早に緑の離宮のある林に向かった。

「小包持って陛下が女性の所に行くのではないかって、皆さま気になって仕方ないのですよ」
「どこへ行って誰と会おうと勝手だ」
「いやー。そうでもないですよ。だって、陛下の妻になりたい女性や娘を嫁がせたい親たちにとったら、焦りますよ。手土産持っていそいそと外に出てきて、そりゃ女性を訪ねるんじゃないかって、気になりますよ」

 馬車の手配をせず勢いで中庭を突っ切って歩いて来てしまった事を後悔したが、もう遅い。
 アスランも自分が適齢期を過ぎているのはわかっている。
 結婚問題もそろそろちゃんと考えなくてはならないことも、舞踏会などでブロンソンが紹介してくる女性が候補者であることも解っている。
 公務に忙しくしていたのもあったがアスランにとって結婚は現実味がなく、恋人のようになった女性もいたが妻にしたいまでは考えられなかった。

「いそいそってなんだ。いそいそなんかしていない。それに、女性に逢いに行くわけじゃない」
「あれ? 緑の離宮にいるミシェル殿下の所へ向かっていますよね?」
「そうだが! その……、気になられるような相手の所じゃないっていう意味だ!」

 いちいちからかってくるテイラーをギロリと睨んで林を抜けたところにある離宮へ向かったが、離宮に続く橋の上でふと思い当たり足を止めた。

「今気が付いたのだが、女性を訪ねるのにいきなりなのは……」
「そうですね。失礼なことでしょうね」

 手土産の気が利くのだから、テイラーに気が付いてなかったはずはない。

「テイラー! なぜオレを止めない!」
「大丈夫でしょう、と思いまして」
「なにが大丈夫なんだ!」
「オレ様王様だから?」

 アスランはため息と一緒に頭を抱えた。
 テイラーの言葉で言うなら、偉いから、無礼は許さないから、俺様が察してやる義務など無いと(いや、もちろんそんなことは絶対に思っていないのだが!)昨日の無体があったわけで。それを今日も俺様だから、偉いから、だから予告も無しに来たなんて。

「それ、だめなやつだろ……」

 大丈夫なわけがない……。
 しかも来た理由は昨日の事と、ブロンソンが叱責したのは間違いだったと謝ろうと思ってなのに。
 ブロンソンの言葉にカッとなってつい勢いで来てしまったが後日予定を告げてから出直すのが正解だ。

「テイラー、引き返すぞ」

 アスランは目の前にある緑の離宮に背を向けた。

「え? ここまで来たのに戻るん……」
「国王陛下」

 テイラーが言い終える前に、踵を返したその先にアスランの見知らぬ女性がいた。
 支度は貴族ではなく、籠いっぱいの荷物を抱えたままで膝を折り頭を下げる。
 ここに居るということは林を抜けてきたということだ。

「ルリーン?」

 テイラーが顔を覗き込むように見て声をかけると、女性はぴょこんと頭を上げる。

「テイラーさん?」

 テイラーの知り合いのようだ。

「ルリーン、こんなところで何してるんだい?」
「わたしは、こちらにいらっしゃるミシェル殿下の侍女をしていて……」
「え? 君がミシェル殿下の侍女? クリス先生は?」
「ええ、ブロンソン伯爵から直々のご指名で。父にも手伝って来いと言ってもらっています」

 アスランは誰なのかわからないのでテイラーに視線を送る。

「失礼しました。知り合いなんです。彼女の御父上は街の診療所の医者で、クリス先生には家族でお世話になって……」

 ルリーンは再度ひざを折り、アスランに向かって頭を下げた。

「ルリーンと申します。ミシェル殿下の侍女にございます。それで、陛下とテイラーさんはここで何を?」

 こんなところで侍女に出くわしてしまうとは……。
 ごまかして早くここから退散しなくてはと口を開こうとしたアスランだったが。

「ミシェル殿下に逢いに来たんだけど、突然の訪問は失礼なんじゃないかって引き返すところだったんだ」

 テイラーが正直に話してしまった。
 ルリーンは驚いたようだったが、アスランに向き直り眉をハの字に下げてひどく切ない表情を作った。

「それでしたらすぐにご用意いたしますのでどうぞお寄りになってください。殿下は昨日の謁見からそれはもう気落ちなさって、泣き疲れて食事も満足に喉を通らないほどでございます。ご自分を責め続け、非礼をもう一度お詫びする機会をいただきたいと何度も申されておりました」

 アスランは胸の奥に棘を刺されたような痛みを感じた。
 いたたまれなくて帰りたいのは本心だが、ミシェルが食事ものどを通らず泣いていると聞いてはこのまま引き返すことは出来ない。

「陛下、参りましょう。ミシェル殿下が泣き暮らしてやせ細ってご病気にでもなってしまったら大変なことです。これは国際問題ですよ」

 またテイラーも良心に攻撃を仕掛けてくるので、もう引き返すことは無理だ。

「わかった。ではミシェル王女に逢わせてくれるか?」

 アスランが意を決して言うと、ルリーンはにっこりと微笑み。

「先に走って戻って陛下がいらっしゃることを伝えておきますので、どうぞゆっくりゆっくりいらしてください」

 言うのが早いか、下げた頭が上がると同時にルリーンはスカートをたくし上げ小走りに緑の離宮に向かって行ってしまった。
 アスランは思わず大きなため息をついてテイラーを見た。

「心配事はさっさと済ますのがいいですからね」

 テイラーはにっこりと笑顔を返し、アスランは心の中で悪態をついた。
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