人質王女の恋

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 支度の最中にテイラーの姿が見えない。

「テイラーは、今日は?」

 アスランは自分を手伝う第二侍従のトマスに聞いてみたが、「私用でお出かけになるとのことで、本日はわたしが」という返事だ。
 別にめでたくもない誕生日で会場にはシャーロットやソフィーが待ち構えているという憂鬱もあるのでテイラーに紛らわせてほしかったのだが、いないのなら仕方がない。
 金糸や鳥の羽根でふんだんに飾られたジェストコートに金の仮面。
 シャーロットがこの日のために誂えさせたものだが、アスランは鏡に映る自分がマヌケに見えた。
 どんなに煌びやかに飾っても、中身はただの失恋したヘタレ男だ。
 超大国の王がこんなにも非力で情けない。
 同盟国から祝いの品が山ほど届いても、国中が祝賀ムードで溢れていても満たされない。
 たったひとりの女性に逢えないだけで。
 
 


 
 仮面舞踏会という趣向で、宮殿の大広間は特別に煌びやかだった。
 国王と近づけるチャンスと独身の貴族女性や親たちは手ぐすねを引いている。
 それを横目にひときわ豪華に飾り立てたソフィーはシャーロットの隣で野望を静かに燃やしていた。
 ミシェルがその中に入ると、クジャクの中にスズメが紛れ込んでしまったように浮いた。
 仮面は着けているが、使用人が紛れ込んだんじゃないかというような視線がミシェルを刺していく。
 テイラーも目立つわけにはいかないので、二人で壁際に立ちアスランの登場を待つ。

「大丈夫ですよ」

 テイラーはなんとかミシェルを緩めてあげたかったが、決意したはずでもいざここに来て緊張でガチガチだ。
 手に持った扇子を折れそうなほど握りしめ、呼吸が浅くなっている。
 テイラーが声をかけたくらいでは、気休めにもなっていない。

 突如、賑やかに奏でられていた音楽が止まる。
 国王陛下、アスランの入場だ。

 ブロンソン伯爵の姿が見えると、最奥の王座までの道を人々が列になって作る。
 黒髪を撫で付け金色の仮面に豪華なジェストコート姿のアスランが、膝を折る人々の前を悠然と歩いて行く。
 王座の前で振り返るとブロンソンの『国王陛下、お誕生日お祝い申し上げます』という言葉が合図となり、会場のすべての貴族がアスランに向かって膝を折り『おめでとうございます』と繰り返した。
 祝意を受けて頷くとそのまま王座に座り、楽団に手を振って見せると演奏が再開される。

 踊り出すカップル、アスランへ祝いの挨拶に出る者で賑わいが戻りいよいよだとテイラーはミシェルを確認する。
 ミシェルは固まってしまっている足をどうにか踏み出す努力をしていた。

「ミシェル殿下。息をしてください。深く、ゆっくり、息を吸って吐きましょう」

 テイラーは頭を巡らせていた。このクジャクたちの中で仮面を取らせなくても、このまま自分がアスランの部屋までこっそりと連れて行き逢わせてやることは出来ないか?
 テイラーから見えるミシェルはあまりにも小さく非力で、ここでアスランに逢わせるのがかわいそうになってきてしまった。
 アスランの前に行けば否が応にも今以上に目立ってしまう。
 この小さな女性には堪えられると思えない。
 自分が仮面を取れば。テイラーならアスランに話しかけに行ける。ミシェルの事を先に伝えた方がいいかもしれない。

「ミシェル殿下、少しの間ここを動かないでいただけますか? すぐに迎えに参りますので」

 ミシェルはテイラーが何をするのかがわからない。仮面の下の顔が不安になるが『待っていてください』と言い残し、テイラーは仮面を取るために一旦会場の外に出た。
 
 



 
「あなた、仮面を取って名を名乗りなさい。どこの家の娘なの」

 柔らかいワルツが広がる会場の一角で尖った声が響く。
 ザワザワと回りの人々が輪を作り、その声の主を囲んでいる。
 アスランは王座のひじ掛けに頬杖をついて、いつこの場から去ろうかと考えていたところだった。
 なにやら揉めているのが視界の端に見えたが、どうせ女たちが足を踏んだのドレスの裾をひっかけただの行く手を邪魔したくらいのことだろうとその人垣を無視した。

 実際、その揉め事はドレスを飾っていたパールが扇子に引っかかったというだけのことだった。
 通常の二倍は膨らんだドレスで他者を避けさせながらアスランの元へ向かうシャーロットの後ろを歩いていたソフィーのドレスに付いたパールが、壁際で動かずただ立っていただけのミシェルの扇子に勝手に引っかかったのだ。

「ちょっと! あなた! なんでそんなところにいるの!」

 いかにも避けなかったミシェルが悪いというようにソフィーが声を上げ。壁際にピッタリくっついて避けようもなかったミシェルは、ソフィーが何故ミシェルが悪いように言うのか理解出来ず戸惑っていた。
 ソフィーの言い様は理不尽で失礼だ。
 この人の多さでかすりもせず進むことが出来るのは中央のダンスフロアだけだ。

「わたしはなにも……」
「謝りなさい!」

 ソフィーが誰なのかもわからず、まるで使用人に命令するように謝罪を強要される。
 自国であれば王女としてこのような態度は誰に対してでもいけない事だと諫めることも出来たが、今ソフィーに言っても諍いが増すだけだろう。
 ソフィーの声で回りの人々も注目しだしている。
 ミシェルは不本意だったが、この場を早く収めようと膝を折った。

「大変失礼いたしました」

 アスランの誕生日祝いの舞踏会で揉め事なんて良くない。理不尽でも諍いたくない。
 その思いで頭を下げたのだが。
 ミシェルの質素な支度を見て、ソフィーは勝手に落ちぶれた田舎貴族か商売のお情けで招待状を手に入れた商人の娘かなにかだと決めつけ。そんな格下の人間に自分のドレスをひっかけられたことに更に怒りが湧いてきた。

「ミラー伯爵家の娘である私のドレスを引っかけておいて、それだけなんて図々しい。どうやって入り込んだかは知りませんけどあなたのような人が居ていい場所ではないわ」

 完全にミシェルを見下し、出て行けと言っているのだ。
 そこへ先を歩いていたシャーロットがソフィーの横に戻って来た。

「どうしたのソフィー」

 シャーロットは二人の間に入りミシェルだけを足元から頭までゆっくりと観察し、ソフィーと同じようにミシェルを判断した。
 




 ブロンソンの動きは早かった。
 会場に入った時からミシェルを探していた。
 すぐに見つかったのは地味な支度のせいで逆に浮いていたからだ。
 横にいる男がテイラーだともすぐに気が付いた。
 ミシェルを迎えに行く馬車を手配したのはブロンソンで、従者として迎えに行くはずだった男からテイラーと変わったと報告を受けていたからだ。
 仮面を着けて一緒に会場にも入ってくるとは思っていなかったが、ミシェルの為にしていることだろうと想像出来た。
 ミシェルの場所を確認してからずっとそこを意識していたので、揉め事の始まりからすぐに気が付いた。
 会場内の角に控えている近衛兵にすぐに確認に行かせ、ミシェルが関わっていると報告を受ける。
 実際には『質素な支度の女性』と近衛兵は報告したのだが、この会場に質素な女性はミシェルしかいない。

「陛下、なにやらご婦人が揉めているようです」

 そっとアスランに耳打ちをするが、アスランは『それがなんだ?』という視線を向ける。

「せっかくの祝いの席ですから、陛下がお諫めして一曲踊って差し上げれば皆も喜びましょう」

 アスランはブロンソンの言っている意味が解らないというように再び訝し気な視線を仮面の下から送るのだが、ブロンソンは引かない。

「陛下の祝いの席です。一曲くらいは踊られているお姿をお見せください。そうしたらお下がりできるよういたします」

 祝いの席で申し訳ないが、祝辞を受けるだけでもう十分な気分だった。誰とも踊りたくないがさっさと部屋に戻りたかったので、ブロンソンの話に乗って立ち上がった。
 女性の諍いに首を突っ込むことほど面倒なことはないが、仕方がない。

 アスランが歩き出すと皆が避けて道を作るので、すんなりと諍いの人垣まで着く。
 その中心人物が声でシャーロットだと解り面倒な気持ちは更に増すのだが、仕方なく声をかける。

「叔母上。何事ですか?」

 シャーロットが振り返り、その場にいる皆がアスランに向き膝を折る。
 そこで。気が付く。

 見覚えのあるドレス。
 ドレスが違ったとしても、絶対に気付く。
 彼女に仮面なんか無意味だ。
 アスランは誰よりも知っている。
 ずっと見つめ続けてきたのだ。
 その鼻先を、唇を。細い顎を、流れる髪を。
 仮面で隠れていない部分はすべて、目に焼き付いている。
 何百回、何千回と思い浮かべていたのだから。
 遠くからしか見たことがなく、何度も想像したヘイゼルの瞳が仮面の繰りぬかれた部分からはっきりと見える。
 途端、これが現実なのか夢なのか判断がつかなくなる。
 恋焦がれすぎて幻が現れているのか?

 アスランはピタリと動きを止め、目の前のヘイゼルの瞳を見つめた。
 そしてそのヘイゼルの瞳の持ち主ミシェルも、愛しい人のグレーの瞳を見つめ返した。
 奏でられているはずの演奏は聞こえなくなり、アスランの思考が混乱する。
 招待はしていない。招待したとしても、来るはずがないと思っていた。

 ひとりで来たのだろうか? どうして?
 最後に逢いに来てくれたのだろうか? 本当に?

 目を見開き瞬きも忘れ固まっているアスランの横でシャーロットが何やら話しかけているのだが、耳に入ってこない。

「この者がソフィーのドレスにひっかけたのよ。ねぇソフィー」
「はい。陛下の為に支度したドレスなのに……」
「早く仮面を取って名を名乗りなさい。国王陛下の御前ですよ」

 シャーロットの言葉に、一瞬でアスランの思考が回復する。
 絶対に聞き流してはいけないキーワードが入っていたからだ。

「叔母上! なんてことを!」

 それだけは絶対にさせてはならない。
 ミシェルの仮面を取らせることは、誰であっても許さない。

「陛下……」

 アスランの強い声に驚いたソフィーが甘えた声ですり寄ろうとしてきたが、アスランは仮面の奥から睨んだ。

「下がれソフィー! 彼女は……」

 声を上げ黙らせソフィーとシャーロットが驚きに足を引くのと同時に、目の前でミシェルが再びアスランの思考を止める動きをした。
 両手を頭の後ろに上げて少し動かしてから、顔の前の仮面に手を当てる。
 それがゆっくりと下がり外される。

 アスランはその一連の動作に見入った。
 スローモーションのようにゆっくりと。
 ドクンドクンと鳴る自分の鼓動の音がうるさい。

 これは……。

「グルシスタ王国第一王女、ミシェル・テレサ・ド=グルシスタでございます。本日はお招きに預かり光栄に存じます。アスラン国王陛下のお誕生日にお祝い申し上げますと共に、陛下のご健康とお幸せ、ヒューブレイン王国の御栄をお祈り申し上げます」

 アスランに向かって深く膝を折り頭を下げるミシェル。
 アスランに怒鳴られミシェルが王女とわかり自分よりも格上だったことに驚き、失態に気が付いたソフィーは血の気が引く。

「グルシスタの王女がこの国に来ているなんて知らなかったわ……」

 シャーロットは態度を改めることなく言い訳をつぶやいたが、誰も聞いてはいない。

 アスランは目の前にいるミシェルの顔を見つめ、何度も繰り返し探した。
 あったはずのものを。
 痣がなくなっている。
 どんなに見つめても、見つけることが出来ない。

「これは……、魔法か?」

 口から零れた言葉は、あまりに現実的ではない。
 しかしミシェルは晒された目を細め頬を少し上げ、微笑んで答えた。

「わたしの魔法使いは、大変優秀なのでございます」

 微笑んではいたが、目元が少し潤んでいる。
 それはアスランも同じだった。

「そうか。では、褒美を遣わさねばならないな」

 魔法使いはルリーンに違いない。
 ルリーンはミシェルだけでなくアスランの為にも、いつも良い仕事をするのだ。
 アスランは一歩ずつミシェルに近づく。

「しかしながら陛下。この魔法は深夜になると消えてしまうのです。わたしの顔には、まだ大きく痣が、残っています。それは消えることはありません」

 ミシェルは微笑んではいたが、声はわずかに震えていた。
 そんなことかまうものか。
 例えミシェルの顔の痣が広がり顔全体を覆ったとしても、ミシェルがミシェルであればそんなことはどうでもいいことだ。
 ミシェルが美しいことになんの変わりがあろうか。
 どんな思いでここに来たのか。どんな決意でここに居るのか。
 どれほどの勇気で仮面を取ってくれたのか。どれほどの恐れに打ち勝ち話してくれているのか。

 言ってもいいだろうか?
 受け入れて欲しい。
 もうこれ以上は堪えきれない。

 次の瞬間。
 何事かと見守っていた人々が、一斉に息を呑むことになる。

 アスランはミシェルのすぐ前まで進むと自分の仮面を外した。
 片膝を突くとミシェルのスカートを握っていた手にそっと触れる。
 強く握りしめていた手が解かれアスランの手に重なり、それを両手で包む。

「わたしの妃になってほしい。君しかいない。ミシェル、君だけを愛している。どうか、わたしと結婚してください」

 いつの間にか演奏も止み静まり返った会場内に、ミシェルの小さな声が柔らかく響く。

「はい」

 その響きを合図に歓声が上がり、愛のワルツで演奏が再開される。
 ゆっくりと立ち上がるアスランの頬には涙が一粒零れ、見下ろしたミシェルの頬に落ちた。
 額を合わせ、強く手を握り合う。
 アスランは震え、幸せを実感した。
 ミシェルも全身に喜びが満ち溢れていた。
 二人を祝う歓声が城内に響き渡り、ブソンソンが恭しく二人を中央まで誘う。

「一曲終わりましたら、お下がり頂けるようにいたします」

 全てを予期するようなブロンソンが癪に障るアスランだったが。少し照れたように、でも確実に幸せをその瞳に映しているミシェルがいるので黙って頷いてミシェルの腰に手を回す。

「君と踊れるなんて、泣きそうだ」
「わたしもです」

 一歩踏み出すと、あとは自然と身体が流れていく。
 アスランのリードに身を委ねるミシェルに、愛しさは際限なく込み上がる。
 ずっとこうして踊っていたい気持ちと。早くこの場から離れ二人きりになりたい気持ちが交差する。
 どちらにしろ。ふたりは永遠を手に入れたのだ。
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