人質王女の恋

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 ミシェルを追いかけて来たルリーンは、ミシェルの様子に慄いた。
 ソファーまでも辿り着けず床に転がり小さく丸まって手で顔を覆っている。
 震えて、声も出さずに。
 ルリーンはそばに座りミシェルの背中を子供をあやすように撫でた。
 何があってこうなっているかをルリーンは想像出来た。
 本当はこんなことになる想定はしていなかったのだが、ミシェルがルリーンの魔法に気が付くのを待ってしまったことを後悔する。
 まだ魔法の途中ではあったが緊急事態となった今、話をしなくてはならないと決めた。

「ミシェル殿下。お喋りしましょ? 大丈夫ですよ。ミシェル殿下にはこのヒューブレインいちの魔法使いが付いているのです」

 ルリーンはミシェルの向かい合わせになるように床に転がり、そっとミシェルのベールを取ると額を合わせた。

「陛下に、なにか言われましたか?」

 涙で濡れたまつ毛がゆっくりと開くと、瞳からぽろぽろと無防備に零れ落ちる涙が絨毯を濡らす。

「わたし、とても無礼なことをしてしまったの……」

 一緒に転がりながら、ルリーンはびしょ濡れのミシェルの顔をハンカチで優しく拭った。

「陛下が、わたしを望んでくださったのに……、踏みにじったの……」

 途切れ途切れの言葉で、ミシェルはルリーンに事の次第をゆっくりと話した。
 途中何度も声が詰まり痞えながらだったが、ルリーンは黙ってミシェルの話を最後まで聞いた。
 後悔と諦めがミシェルを苛めていた。
 話し終わってもミシェルの慟哭は続き、ルリーンは額をくっつけたままミシェルの目を見つめ肩を撫で続けた。
 ゆっくりと時間を待ち、ミシェルの呼吸がやっと落ち着いてきたところで目を合わせたミシェルにルリーンは優しく言った。

「ソファーに座ってお茶を飲みましょう」

 手を貸してミシェルを立たせソファーに座らせると、ミシェルは泣き疲れてぐったりとした身体を背もたれに預けた。
 腫れて赤くなった瞼が重くて痛い。
 自分が何をしたのか、これ以外に方法はなかったのか思いを巡らすが答えが出ない。
 愛してはいけない人を愛していい状況にあって、それを手放さなくてはならない苦痛がミシェルの胸を痛めつける。
 束の間部屋を出ていたルリーンが水を張った洗面器を持って戻った。
 柔らかいフランネルを濡らして絞り、ミシェルの熱くなっていた瞼に置く。

「気持ちがいいわ……」
「熱を取ると楽になりますからね」

 ルリーンはまた新しいフランネルを濡らし温くなったものと交換して、ミシェルの瞼を冷ました。
 途中小さくドアがノックされ、ルリーンはメイドの持ってきた茶のセットを廊下で受け取りミシェルに用意した。

「少し、落ち着きましたか?」

 ルリーンはソファーに座るミシェルの前に膝をついて座り、スカートに置かれた手を撫でた。

「ルリーン、隣に座って」
「よろしいのですか?」
「座ってほしいの」

 本当なら貴族ではない平民の侍女が王女であるミシェルの隣に座ることはありえないが、ミシェルにとっては大切な友人である。
 それをわかっているルリーンはミシェルに従った。     
 
「ミシェル殿下。もし、もしもの話として。お顔にある痣がなかったとしたら、殿下は陛下の想いを受け取られますか? 殿下は、陛下を愛せますか?」

 ルリーンの言葉に、ミシェルは淋しく微笑んだ。

「もしもなんて仮定してもどうしようもないことだわ」
「ミシェル殿下は陛下のことを、少しも好きではありませんか?陛下に……」

 ミシェルは首を振ってルリーンの言葉を遮る。

「いけないとこだとずっと、そう思わないようにしてきたわ。でも本当は。わたし、陛下に恋しそうな自分を止めるのがとても苦しかった……」

 再び零れた涙を見て、ルリーンは大きく微笑んだ。

「よかった。わたしずっと、ミシェル殿下は陛下のことをお好きなんじゃないかって思って。でも、あまりに頑なに否定されるし、陛下の気持ちが駄々洩れなのに完全無視なさるのでちょっと自信なくなっていたんですけど。よかった! ミシェル殿下は陛下をお好きなんですよね? 愛していらっしゃるんですね!」

 ルリーンが嬉しそうに言うので、ミシェルは戸惑った。

「よくなかったのよ。陛下をお慕いしなければ、こんなに苦しくはならなかったわ。わたしは陛下のお心も踏みにじったのよ……」
「今はちょっと陛下のお心は置いときます。ミシェル殿下が陛下を本当に好きなら、わたしは今から殿下に魔法をかけます。ですが、この魔法は完璧ではありません。ですから殿下ご自身がご自身を信じ、勇気を持っていただかなくてはなりません」

 ルリーンはきっぱりとはっきりと言い、真剣にミシェルと向き合った。
 ミシェルは気圧されてたじろいだ。

「ミシェル殿下の痣は消えません」

 ルリーンはきっぱりと言った。
 そんなことはわかっている。
 しかしミシェルに口を挟ませず、ルリーンは立ち上がり歩きながら言葉を続けた。

「消えないというのは、完全には、ということです。殿下はお気づきになっていらっしゃらないでしょう、鏡の前にいてもほとんどご自身のお顔をご覧になっていませんでしたから」

 言いながら鏡台にある手鏡を持って戻り、ミシェルに差し出す。

「殿下はグルシスタにいた頃のご自身の痣を覚えていらっしゃいますか? 鏡で見てください。その時より変化していることがわかりますか?」

 ミシェルは部屋中の蝋燭に火を灯し、一つをミシェルの傍に置いた。

「ルリーンあの……」

 ミシェルが戸惑ったままでいると、ルリーンは手を添えてミシェルの前に鏡を掲げる。

「ちゃんと見てください。覚えている色から変化はありませんか?」

 ミシェルが自分の痣と向き合うのは、本当に久しぶりのことだった。
 鏡を見てもそこだけは見ないように、見えてしまうと目を逸らした。もうずっと、まともにそこを見ていなかった。

「昼間ならもっと綺麗に見えると思いますけど、この明るさでもちゃんとわかるはずです」

 なにがわかるのかミシェルには検討も付かなかったが、ルリーンに気圧されたまま掲げられた鏡を見たくないのに見てしまった。
 映し出されている自分の顔はよく知っている。
 いつも思う。鏡に映る痣が嫌で、映った顔は陰気で醜い。
 だが……。
 ルリーンは再びミシェルの横に座り一緒に鏡を覗き込む。
 黒々と目の周りを頬骨までの大きさでぐるりとあった痣だったはずが。

「気が付くはずです。だって、ここに来た時と確実に変わっていますから」

 ルリーンが自信たっぷりに言うのは当然だった。
 あの黒かった痣が薄茶色に、色が薄くなっている。
 そのせいか痣の輪郭もぼやけて少し範囲が小さくなって見える。

「これは……どんな魔法を使ったの……?」

 思わず痣に触れてみると、肌触りまで違って感じる。
 ミシェルの知っているミシェルの顔じゃなかった。

「魔法……、と言いたいところなんですが。種を明かしますと、これは治療です」
「治療?」
「前にお話ししましたが、わたしは医者の娘です。実はブロンソン伯爵の奥様が父の治療を受けたことがあるのです。それが落馬した際に出来てしまった大きな痣を消す治療で。その痣を消した実績あるので、ミシェル殿下の痣も消せるのではないかとブロンソン伯爵がわたしをミシェル殿下の侍女に使わしたのです。実際に拝見すると伯爵夫人よりもミシェル殿下の痣は酷くて、どの程度まで薄く出来るかの挑戦でした。しかし、この三か月の間日に日に薄くなっていくのを確認して、ミシェル殿下の痣はまだ薄くなると確信しました」

 ミシェルはまだ鏡から目を離せずにいた。
 あの黒々とした痣が茶色くなって、まだ色が薄くなるとルリーンは言う。
 目の前でその奇跡を目の当たりにしているのが真実でありながら信じられなかった。

「毎日のマッサージの時に、血行を良くしながら痣に効くクリームを塗り込み、美白に効く薬草もお茶にブレンドしていました。ミシェル殿下にこの事を話していなかったのは実際に痣が消せるかは保証がなかったからです。まだ途中ですが今お話ししましたのは最近の色の変化を見て、まだ薄く出来ると確信出来たからです」

 ミシェルは茫然とした目をルリーンに向けた。

「この痣が……無くなるの……?」

 震えた声は、驚愕に希望が含まれていた。
 もしこの痣がなくなるならばミシェルの人生が変わる。
 しかしルリーンは真剣な顔のまま、ミシェルの希望を消した。

「残念ながら、完全には消えないでしょう。痣が濃すぎましたし治療も遅すぎました。もっと早く診れていたらもしかしたら出来たかもしれませんが、もう少し薄くなります、とまでしか言えません。完全に消すことは難しいです」

 真実だった。グルシスタでは痣を消す治療方法が無く、触らず何もせず過ごしてきたせいで処置が遅れたのだ。

「そうよね。消えたりなんかは、しないわね。でも、グルシスタの医師からは手の施しようがないと言われていたの。こんな風に薄くなっただけでも、奇跡だわ……」

 ミシェルの声には落胆が隠しきれていなかった。
 そんなミシェルに、ルリーンは再度鏡を掲げて覗かせた。

「素顔からは完全に痣を消し去ることは出来ません。でも、隠すことは出来ます。痣を見ていてください」

 ルリーンはポケットからクリームの入った瓶を取り出した。
 そのクリームはベージュの色が付いており、指ですくってミシェルの痣の部分に乗せて塗り広げると痣の無い部分と同じ色になって痣が消えていく。
 ミシェルは目を見開いて痣が消えていくのを見ていた。

「粉のおしろいでは隠し切れませんでしたが、こうして色の付いたクリームを絵の具のように塗ると、肌の色になるんです。さらにこの上からお粉をはたけば……」

 鏡を見つめるミシェルを置いて鏡台からおしろいを持ってくると、クリームで痣の消えた上にはたく。
 丁寧にベースメイクを完成させると、ミシェルの瞳が輝きだす。
 それは三年ぶりに見た自分の顔だった。
 痣がなかった頃の自分の顔だ。

「魔法だわ……」
「わたしがミシェル殿下のために開発した魔法のクリームです」

 ルリーンは満足気に笑顔を見せたが、すぐに真剣な顔に戻りミシェルの隣に座ってミシェルの手を握った。

「ここまでがわたしの魔法のです。最初に申し上げましたが、この魔法は完璧ではありません。痣を薄くし化粧で隠すことは出来ますが完全に消すことは出来ません。ですから殿下ご自身がご自身を信じ、勇気を持っていただかなくてはなりません」

 ミシェルはルリーンの言っている意味が解らなかった。まだ魔法に放心してしまっている。
 しかしルリーンはミシェルを現実に引き戻す。

「陛下に素顔をお見せになる勇気です」

 ミシェルがヒュっと息を呑む。
 化粧があれば、痣を気にしてベールを被らなくてもよくなる。人前に堂々と出て行ける。

「この化粧でベールを取り、メイクをして外に出ることが出来るようになります。グルシスタでも、ヒューブレインでも、国民にお姿を見せることが出来ます。しかしそれでは問題は解決しません。陛下のことを諦めず、陛下と共に生きるのであれば。寝室を共にする夫婦になるのであれば素顔を見せなければなりません。薄くはなっても残る痣を陛下にお見せになる勇気さえ持てれば、陛下の想いを受け入れ、ミシェル殿下の想いも遂げられます」

 いつものような明るいルリーンではなかった。真剣に話している。
 ルリーンにも簡単ではないとわかっていたからだ。
 愛する人に醜い姿を見られることが、どれほど勇気のいることかを。
 あの美しいアスランの前で、顔の四分の一以上を茶色く染める痣の素顔を出せるのか。
 アスランはそれでも美しいと言ってくれた。
 けれど。

「こんな痣のある女を妻に持つなんて、不幸だわ。陛下は一度しか見ていないもの。一生この醜い女が傍にいるなんて、不幸だわ……」
「陛下のお心をお疑いですか? ミシェル殿下に勇気がないことを、陛下の不幸に置き換えてはいけません」

 ルリーンの言う通りだ。
 アスランは痣を知っても美しいと言っているのに、それをアスランの不幸を思うようなふりで否定するのは正しくない。
 ミシェルに勇気がないだけだ。

「ミシェル殿下。今日、今、答えを出す必要はないのです。急展開で驚きましたよね。簡単に決められないほど大きな決断です。ゆっくり考えましょう。勇気を持てるよう、殿下のお心を準備しましょう。今日はもうお顔を洗って休みましょう」

 どうして自分はこうなのか。
 どうして自信を持てないのか、勇気が出せないのか。
 その決断が出来れば、アスランの胸に飛び込めるというのに。
 愛する人に愛される幸せを手に入れられるのに。
 その一歩を踏み出すことが、思いきれない。
 ルリーンが寝支度をする間、ミシェルはソファーに座ったままで自分を責め苛んだ。
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