亡国の公女の恋

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 遠回りして街を抜け草原をひたすら進みやっと林に入り暫く。
 民家を出てから歩き詰めのスヴェトラーナは、ルカが休憩を言い出してくれてホッとした。
 完全に夜が明け、林の木々から陽が差し込んでいる。
 スヴェトラーナはこれほどの距離を歩くのは人生で始めてだ。
 これから先も歩き続けなきゃならなのは解っていたが、少しだけでも座りたかった。

「疲れたでしょうが、靴を脱ぐのは我慢してください」

 何かあったらすぐに走らなくてはならないかもしれないということだ。
 スヴェトラーナは頷いた。座れるだけでもありがたいと思わなくてはいけない。
 木に背をもたれさせ足を延ばす。
 ゆっくり出来ないのはわかっているが、立ち上がるのに大きな努力が必要になりそうなほど足が重い。
 ルカが背中から荷を下ろし、中から布に包まれたカップを取り出し瓶に入った水を注いでスヴェトラーナに渡す。
 更に中から布に包まれたパンを出し手のひらのサイズをちぎって寄越した。

「ありがとう」

 受け取って齧ると、今まで食べたことのない硬いパンに無意識に顔を顰めてしまった。
 それを見たルカが申し訳なさそうに眉を下げ、ルカの顔に気が付いたスヴェトラーナは恥ずかしくなった。
 贅沢が身に付きすぎていて、こんな状況なのに顔を顰めてしまったことに。

「ごめんなさい。わざとじゃないのです」
「いえ。ちゃんとした食事は用意できなくて」
「わかっています。当然です。食べられるだけでありがたいと思っています」

 スヴェトラーナは不味く硬いパンを齧り水で流し込んだ。
 その横でルカが口にしたのは水もパンも一口だけだった。

「あなたは、それだけしか食べないのですか?」

 スヴェトラーナが聞くと、ルカはスヴェトラーナを見ずに答えた。

「満腹になると動きにくいので」

 スヴェトラーナが食べた量でも成人男性が満腹になるには到底足りない。
 そこである思いに至る。
 食料が手に入らないかもしれない事を考えてスヴェトラーナに残すためにしているのかもしれない。

「あなたがちゃんと食べないなら私も今後は食べません」
「姫様……」
「この先の旅であなたにだけ無理を押し付ける事をしたくありません。持っているものだけで不安なら、私もあなたと同じ量にしてください」

 スヴェトラーナは真剣な顔でルカに訴えた。
 ルカは驚いたようにスヴェトラーナを見てから、緊張の続いたここまでの道のりで初めて微笑んだ顔を見せた。

「姫様と俺では違います」
「いいえ、違わないわ。違わないようにしてほしいのです」
「そうではありません。違うというのは経験の話です」

 話しながら片膝を立てた座り方でスヴェトラーナを向いた。

「俺は元々旅団に所属していました。野営部隊ですから兵糧の調節は身についています。例えば二・三日でしたら飲まず食わずでも普通に動けます。そういう訓練を受けています。しかし姫様はそうじゃありません。こういう状況に慣れておられません。しっかり食べて水分も取らないと当然動けなくなってしまいます。そうなったら先に進めません。足りなくなったら言います。その時は我慢していただかなくてはなりませんが、今は歩くために食べることが必要なんです。といっても、硬いパンをあの程度しかお渡しできないんですけど」

 スヴェトラーナを納得させるためなのか、ルカは優しい微笑みを浮かべバリトンの穏やかな声で話した。
 初めて見るルカの緊張を解いた顔と柔らかい話し方に、スヴェトラーナの緊張も解かれた。

「旅団とは厳しいところに居たのですね。宮殿警備はいつからですか?」
「三年前です。たまたまキヌルに隊が戻っているタイミングで剣技大会があって、公開練習試合で……優勝したので、昇進出来て宮殿警備に配置してもらえたのです」

 自慢出来る成績を、ルカは恥ずかしそうに話す。
 三年前の練習試合ならスヴェトラーナもそこにいた。
 コースリーとの戦争が始まる前の最後の大会だ。
 突然、スヴェトラーナの記憶の中にルカの顔が浮かぶ。
 スヴェトラーナはルカを知っていた。
 三年前、ルカと逢っていたのだ。

「ルカ……。ルカだわ。あの時のルカはあなただわ!」

 スヴェトラーナは思い出し顔が輝いた。
 ルカはスヴェトラーナの笑顔に破顔し照れるようにして俯いた。



 三年前まで年に一度の恒例だった公国主催の剣技大会にスヴェトラーナも父に連れられ観戦に行っていた。
 剣舞が一番の目的だったが、その年は父が賭けを持ち掛けてきたのでよく覚えている。
 近衛兵団対他の兵士という対決で、近衛兵に勝てれば近衛兵団に入団出来るという褒賞があった。
 王宮で働く権利が得られるチャンスに挑戦者は命がけで来るが、剣においては最強の者が集まる近衛兵団団員にはなかなか勝てる者は出ない。
 その日、父ボグダノヴィチがスヴェトラーナに賭けを持ち掛けた。
 近衛兵と当たる前の予選を見てこの者なら勝てると思ったひとりを選び、その者がもし近衛兵に勝てたらスヴェトラーナの欲しがっていたカメオのブローチをプレゼントしてやろう。その者が負けたらボグダノヴィチの馬の世話をしなくてはならないという話だ。
 スヴェトラーナはその賭けに乗った。どうしてもカメオのブローチが欲しかったわけではなかったが、面白そうだと思ったのだ。
 予選試合からすべて見て、スヴェトラーナはひとりの兵士を選んだ。

『兵士さん! 名前は何て言うのですか?』

 当時十五歳の無邪気な少女だったスヴェトラーナが駆け寄って聞くと、その若い兵士は片膝を突いて答えた。
 これが当時二十歳のルカだった。

『ルカ・ビンセヴと申します』
『ルカ! 絶対に近衛兵に勝って欲しいのです。ルカが予選で一番強かったわ。お願いです、絶対に勝ってください!』
『では、姫様。俺の勝利の女神となってくださいますか?』
『私の忠実な僕ルカに勝利を授けます』

 スヴェトラーナは跪くルカの額にキスをした。
 ルカは嬉しそうに微笑んで答えた。

『主ただひとりに忠誠を誓います。スヴェトラーナ姫に必ず勝利を捧げます』

 スヴェトラーナはルカの試合を楽しみに待った。
 しかしルカの順番は最後だった。近衛兵最強の団長ヴィクトールとの対戦だったのだ。
 スヴェトラーナは落胆した。ヴィクトールに勝てる者などこの国にはいない。
 いくらルカが強いと言ってもヴィクトール相手では無理な話だと思ったのだ。
 ボグダノヴィチは娘の落胆に笑い、スヴェトラーナは馬の世話を思いなげやりな気持ちで対戦が始まるのを見ていた。
 せめて少しでもヴィクトールを攻撃出来れば、それで充分だと思いながら。

 ところが、勝負は開始からほんの数秒で決着した。
 開始の合図のラッパが鳴った次の瞬間、ルカが猛スピードでヴィクトールに突っ込み足目がけて滑り込んだ。
 間合いも計算も一切ない行動に、腕に奢っていたヴィクトールは虚を突かれた。
 滑り込みが足に直撃し膝を突いた後ろに回り込んだルカの剣が、次の瞬間にはヴィクトールの首にピタリと触って止まった。
 場内が静まり返り、次に大歓声が響き渡った。
 スヴェトラーナはルカが動いた瞬間から瞬きも忘れ茫然として結果を見た。
 盛大に上がる歓声でやっと我に返り立ち上がると、ルカがヴィクトールに一礼してからスヴェトラーナに向き直り片膝を突いて礼をした。
 スヴェトラーナは走り出した。観覧席から下り兵士たちの入出口まで全速力で走った。
 自分が選んだ者が最強になったことが嬉しくてじっとしていられなかったのだ。

『ルカ! 私のただひとりの英雄!』
『姫様! 勝ちました! ただひとりの主、スヴェトラーナ姫に勝利を捧げます』

 駆け寄るスヴェトラーナにルカは再度跪いた。
 スヴェトラーナは再びルカの額にキスをした。



「どうして気が付かなかったのかしら。名前も顔もはっきりと覚えているのに」
「思い出せる状況じゃありませんでしたから」
「あの後近衛兵団に入隊するものだと思っていたから、逢いに行ったのですよ。でもあなたはいませんでした。入隊しなかったと聞きました」

 スヴェトラーナは三年前を懐かしく思い出した。
 ルカは更に照れたように頭を掻いた。

「俺の親はモルチャノフ辺境伯の領地の小作人で、俺は辺境伯の私設軍の兵でした。それが第三旅団の隊長に誘われて旅団に入ってあの大会にも出場出来たんです。優勝はしましたが小作人の息子ですから近衛兵団に入るには身分が足りなくて。それでもヴィクトール隊長が警備騎馬隊に上げてくれました。姫様が覚えていてくださるとは思いもしませんでした」

 ヴィクトールの『特別に優秀』はルカで間違いなかった。
 ヴィクトールに勝ったあのルカだからスヴェトラーナの亡命に付けたのだ。

「こんな風に再会するとは、思ってもみませんでしたね」

 スヴェトラーナは当時の思い出のルカと今のルカを比べるように見つめた。
 十五歳から十八歳ほどの変化はないが、ルカも大人の顔立ちに少し変わった気がした。
 ルカは俯いていた顔を上げ、スヴェトラーナをしっかりと見つめ返す。

「あの時から、俺は姫様ただひとりに忠誠を誓ったしもべです。どんなことがあっても命に代えてもお守りし、レイルズにお届けします」

 優しい表情とは裏腹な忠誠の決意が籠った声に、スヴェトラーナはドキリと胸を鳴らした。
 この過酷な亡命の旅を共にする臣は、スヴェトラーナが三年前すでに選んでいた誰よりも強い男だった。
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