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最終章 牙狼の王
白き死体は語らない
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森の中に、人が一人通れるほどの小さな入り口を持つダンジョンがあった。
だが、そこへすとんと落ちると、内部は鍾乳洞のように広大な空間が広がっていた。地面や壁を伝って、微かな水の流れが幾筋も走っている。
ノルドは、胸の奥に引っかかるような違和感を覚えた。ここは、自然に生まれたダンジョンではない。
「だめぇ。わかんない」
リコが声を上げ、精霊の子が戸惑うように周囲を飛び回る。
ネフェルがたどったはずの軌跡は、ダンジョンの内部で途切れていた。足跡も痕跡も、水に溶けるように消えている。
まるで、この場所そのものが、侵入者を拒むかのようだ。
「何か感じるかい? ビュアン?」
ノルドが呼びかけると、妖精が姿を現した。
「特に感じないわ。でも、隠れているかもしれないから気をつけて!」
「わかった。注意しながら奥へ進もう」
僅かな水の流れに沿って歩を進める。精霊の子は偵察役として、先行したり横道に入り込んだりしながら飛び回っていた。
ノルドは、無意識のうちにアマリの位置を確認してから、歩幅を合わせる。
やがて、広かった通路は次第に狭まり、水かさが増していく。膝まで達した頃には、水は明らかに勢いを帯びていた。
「おっと……危ない」
足を取られかけたアマリを、ノルドがすぐに支える。
その瞬間、胸がひやりと冷えた。もし手が遅れていたら――ノルドは唇を引き結ぶ。
「これ以上は危険だ」
先行していたリコとヴァルが、判断を一致させたように引き返してきた。
「私の出番ね!」
風と水を司る妖精、ビュアンが前に出る。
風で水の流れを押し分け、同時に冷気を走らせると、道を覆っていた水が次々と凍りついていく。みるみるうちにダンジョン内の温度が下がった。
冷気は、肌だけでなく、嫌な予感までをも凍らせるようだった。
ノルドは収納魔術の倉庫からコートを取り出し、アマリに掛けてやる。
「ありがとう……」
小さな声で礼を言うアマリの指先は、僅かに震えていた。
リコとヴァルは寒さに強い種族なのか、冷凍庫のような環境でも平然としていた。
「見て。滝になってる」
リコが指差す先では、水流が凍りつき、白い氷の滝となっていた。
その先には滝壺があった。溜まっていた水は、さらに下層へと染み込んでいくらしい。ビュアンが水の流入を凍結で止めているため、滝壺の水位はゆっくりと下がっていく。
「このままだと、滝壺が空になって地表が見えそうだ」
「ノルド、あれは何?」
氷の下、露わになりつつある地面を見て、アマリが声を潜めた。
「……死体だ。獣人族だな」
言葉にした瞬間、胸の奥が重く沈む。
ヴァルとリコが、迷いなく崖を駆け下りる。
「すごいね、ノルド」
アマリは目を見開いた。
「あの二人は、いつもああなんだ」
ノルドはそう答えながらも、視線は死体から離れなかった。
ノルドは崖に鉄の杭を打ち込み、ロープを通す。アマリを抱き寄せると、そのまま滑るように降りた。
腕の中の温もりが、今はやけに頼りなく感じられた。
死体は白かった。血の気を失ったというより、最初から色を持たなかったかのようだ。
腐乱の兆候はない。光の届かぬ冷たい水の中にあったためだろう。
「この人、狼人族だよ」
アマリの言葉に、ノルドは小さく頷いた。
魔術師のようなコートを羽織った中年の男。
ノルドにとってその名は、母と自分の命を狙った暗殺者と結びついている。
思考よりも早く、胸の奥がきしむように軋んだ。
「この死体、どうする?」
そのとき、死体の服元から薬瓶が転がり落ちた。小さな音だったが、不自然なほど耳に残る。瓶にはヒビが入り、今にも割れそうだった。中の残っているた液体が、わずかに滲み出している。
ノルドが手を伸ばした瞬間、ヴァルが割り込むように前に出て、低く吠えた。
「どうしたの、ヴァル?」
「ノルド、その薬瓶……普通じゃない」
アマリが言う。
「精霊たちも嫌がって、消えてしまった」
その声には、僅かな怯えが混じっていた。
ノルドはスライム製の手袋を装着し、慎重に薬瓶を大きな瓶へ移そうとした。
だが、触れた瞬間、スライムが焦げるように変質する。ノルドは即座に手を離し、薬瓶は大瓶の中へと落ちた。
「危なかった……ただの劇薬じゃないな」
「そう。呪いよ!」
ビュアンが即座に断じる。
「やはり……母を苦しめているものと、同じだ」
ノルドは、白い狼族の死体を睨んだ。
母を守れなかった過去と、取り戻すいて進む未来が、静かに重なり合う。
ダンジョンの冷気よりも深く、重い因縁が、その場に沈み込んでいた。
※
「ノルド、嫌だと思うけど、死体も回収しましょう。手がかりになるかもしれないから」
アマリが、感情を抑えた声で言った。
その横顔は冷静だったが、視線は一瞬、死体から逸れている。
「わかった」
短く答え、ノルドは収納魔術を発動する。
生きているもの以外なら、収納は出来る。
指先に、微かな抵抗感が残った。まるで、死体そのものが拒んだかのように。
「ねえ、風の音が聞こえない? ビュアン様」
リコが、耳を澄ませながら尋ねる。
全員は、高い天井を見上げた。
だが、そこへすとんと落ちると、内部は鍾乳洞のように広大な空間が広がっていた。地面や壁を伝って、微かな水の流れが幾筋も走っている。
ノルドは、胸の奥に引っかかるような違和感を覚えた。ここは、自然に生まれたダンジョンではない。
「だめぇ。わかんない」
リコが声を上げ、精霊の子が戸惑うように周囲を飛び回る。
ネフェルがたどったはずの軌跡は、ダンジョンの内部で途切れていた。足跡も痕跡も、水に溶けるように消えている。
まるで、この場所そのものが、侵入者を拒むかのようだ。
「何か感じるかい? ビュアン?」
ノルドが呼びかけると、妖精が姿を現した。
「特に感じないわ。でも、隠れているかもしれないから気をつけて!」
「わかった。注意しながら奥へ進もう」
僅かな水の流れに沿って歩を進める。精霊の子は偵察役として、先行したり横道に入り込んだりしながら飛び回っていた。
ノルドは、無意識のうちにアマリの位置を確認してから、歩幅を合わせる。
やがて、広かった通路は次第に狭まり、水かさが増していく。膝まで達した頃には、水は明らかに勢いを帯びていた。
「おっと……危ない」
足を取られかけたアマリを、ノルドがすぐに支える。
その瞬間、胸がひやりと冷えた。もし手が遅れていたら――ノルドは唇を引き結ぶ。
「これ以上は危険だ」
先行していたリコとヴァルが、判断を一致させたように引き返してきた。
「私の出番ね!」
風と水を司る妖精、ビュアンが前に出る。
風で水の流れを押し分け、同時に冷気を走らせると、道を覆っていた水が次々と凍りついていく。みるみるうちにダンジョン内の温度が下がった。
冷気は、肌だけでなく、嫌な予感までをも凍らせるようだった。
ノルドは収納魔術の倉庫からコートを取り出し、アマリに掛けてやる。
「ありがとう……」
小さな声で礼を言うアマリの指先は、僅かに震えていた。
リコとヴァルは寒さに強い種族なのか、冷凍庫のような環境でも平然としていた。
「見て。滝になってる」
リコが指差す先では、水流が凍りつき、白い氷の滝となっていた。
その先には滝壺があった。溜まっていた水は、さらに下層へと染み込んでいくらしい。ビュアンが水の流入を凍結で止めているため、滝壺の水位はゆっくりと下がっていく。
「このままだと、滝壺が空になって地表が見えそうだ」
「ノルド、あれは何?」
氷の下、露わになりつつある地面を見て、アマリが声を潜めた。
「……死体だ。獣人族だな」
言葉にした瞬間、胸の奥が重く沈む。
ヴァルとリコが、迷いなく崖を駆け下りる。
「すごいね、ノルド」
アマリは目を見開いた。
「あの二人は、いつもああなんだ」
ノルドはそう答えながらも、視線は死体から離れなかった。
ノルドは崖に鉄の杭を打ち込み、ロープを通す。アマリを抱き寄せると、そのまま滑るように降りた。
腕の中の温もりが、今はやけに頼りなく感じられた。
死体は白かった。血の気を失ったというより、最初から色を持たなかったかのようだ。
腐乱の兆候はない。光の届かぬ冷たい水の中にあったためだろう。
「この人、狼人族だよ」
アマリの言葉に、ノルドは小さく頷いた。
魔術師のようなコートを羽織った中年の男。
ノルドにとってその名は、母と自分の命を狙った暗殺者と結びついている。
思考よりも早く、胸の奥がきしむように軋んだ。
「この死体、どうする?」
そのとき、死体の服元から薬瓶が転がり落ちた。小さな音だったが、不自然なほど耳に残る。瓶にはヒビが入り、今にも割れそうだった。中の残っているた液体が、わずかに滲み出している。
ノルドが手を伸ばした瞬間、ヴァルが割り込むように前に出て、低く吠えた。
「どうしたの、ヴァル?」
「ノルド、その薬瓶……普通じゃない」
アマリが言う。
「精霊たちも嫌がって、消えてしまった」
その声には、僅かな怯えが混じっていた。
ノルドはスライム製の手袋を装着し、慎重に薬瓶を大きな瓶へ移そうとした。
だが、触れた瞬間、スライムが焦げるように変質する。ノルドは即座に手を離し、薬瓶は大瓶の中へと落ちた。
「危なかった……ただの劇薬じゃないな」
「そう。呪いよ!」
ビュアンが即座に断じる。
「やはり……母を苦しめているものと、同じだ」
ノルドは、白い狼族の死体を睨んだ。
母を守れなかった過去と、取り戻すいて進む未来が、静かに重なり合う。
ダンジョンの冷気よりも深く、重い因縁が、その場に沈み込んでいた。
※
「ノルド、嫌だと思うけど、死体も回収しましょう。手がかりになるかもしれないから」
アマリが、感情を抑えた声で言った。
その横顔は冷静だったが、視線は一瞬、死体から逸れている。
「わかった」
短く答え、ノルドは収納魔術を発動する。
生きているもの以外なら、収納は出来る。
指先に、微かな抵抗感が残った。まるで、死体そのものが拒んだかのように。
「ねえ、風の音が聞こえない? ビュアン様」
リコが、耳を澄ませながら尋ねる。
全員は、高い天井を見上げた。
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