シシルナ島物語 少年薬師ノルド/ 荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣

織部

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最終章 牙狼の王

聖戦を始める

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 その日の朝。
 聖王国では、全司教のみならず、全司祭をも集めた拡大会議が開かれていた。

 招集をかけたのは、ルカ大司教。
 聖女ネフェルの後見人として絶大な権力を持ちながら、今回の聖女の病により、非難の的となっている人物である。

「ルカ。護衛も満足につけていなかったとは、どういうつもりだ?」
 責める声は一つだった。
 だが、他の司教や長老たちは口を閉ざしたまま、無言の視線を突き刺してくる。

 その沈黙こそが、何よりも雄弁だった。
「治療はどうなっている。聖女は、どこにいる」
「管理が甘いから、このような事態を招いたのだ。管理権を我らに――」

 言葉は途中で重なり、やがて雑音へと変わる。
 ルカはそれらを聞き流しながら、静かに息を吐いた。

――こいつらは、何もわかっていない。
 聖女ネフェルよりも強い者が、この大陸にいるものか。
 護衛など、足手まといにしかならない。
 治療にしても同じだ。サルサ以上の名医師など、存在しない。

 反論しようと思えば、いくらでもできる。
 理で、事実で、彼らを言い負かすことも可能だ。
 だが――

 今日の招集の目的は、それではない。
「皆様、お静かに」
 ルカの声は、決して大きくはなかった。
 それでも、大聖堂の空気が、わずかに張り詰める。

「聖妹アマリ様より、お話があります」
 それだけを告げ、ルカは壇上を降りた。
 罵声は、嘘のように消えた。

 大聖堂は、水を打ったように静まり返る。
 これまで、アマリが教会関係者の前で演説を行ったことは一度もない。

 誰もが理由を問おうとせず、ただ訪れる何かを待っていた。
 次の瞬間。
 精霊の子らが、大聖堂の天井に現れる。
 その瞳は、どこか冷たく、裏切り者を探す監視者のようだった。

 アマリは、純白の新たな聖衣を纏い、静かに歩み出る。
 表情は、いつもと変わらぬほど穏やかで、優しい。

 だが、風の精霊の子によって、その声は大聖堂の隅々まで拡散された。

「聖戦を始める」
 一瞬、風が止まった。
 精霊たちは音もなく空中に留まる。
 司教も司祭も、誰一人として反対の声を上げなかった。

 ただ、揃って跪き、首を垂れる。
 ここで反論すれば、異端として裁かれる。
 その事実が、誰の胸にも等しく刻まれていた。
 優しい聖妹の顔からは想像もできぬ、厳しい言葉。

 そこには、聖女ネフェルの影が、確かに重なっていた。

「御意」
 そうして、実務に有能な彼らは、迷いなく行動を開始した。


「……ここで、読ませてもらおう」
 ブロイは、わずかに眉を寄せながら、手紙を読み上げた。

『信徒たちよ。

 そして大陸に列する諸国の者たちよ。
 我が姉にして聖女、ネフェルは、神の御意志を地に伝える清き存在である。

 その聖女に対し、獣王国は呪詛という卑劣なる手段をもって害を加えた。

 これは一国の過ちではない。
 信仰への冒涜であり、神意への明確な反逆である。
 この罪、もはや看過することはできぬ。
 沈黙は背信に等しく、躊躇は不敬を許すことに他ならない。

 既にシシルナ島はいち早く神意に応え、行動を起こしている。
 その姿勢は誠に称賛に値し、信ずる者の模範である。

 ゆえに告げる。
 神を信ずる者よ、秩序を尊ぶ者よ、今こそ剣を取れ。

 聖女ネフェルに呪いをかけし獣王国を討伐せよ。
 その不敬を断ち、神罰をもって大陸に正しき秩序を取り戻すのだ。

 これは私怨ではない。
 これは裁きであり、聖なる義務である。

 聖王国の名において、そして神の御名において、ここに檄を放つ。
 聖妹 アマリ』

 ブロイは手紙を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「人々の安寧を願う国が、戦争を始めるとは……愚かな……」

 長い内戦に明け暮れ、一人息子を失った彼には、受け入れ難い話だった。
「この親書は、我が師である共和国総司教より、聖王国から伝聞鳥でもたらされました」

 ガブリエルが説明を始める。
「ブロイ伯爵だからこそ、お伝えします。書かれていないことがあります。一つは、獣王国が魔物を狂わせ、大陸の治安を乱していたこと。もう一つは、聖女様の呪いは、呪いをかけた者を殺さねば解けないことです」

「なんだと!」
「何故、それが書かれていないのだ」
 ガブリエルは、静かに首を振った。

「……聖王国は、愚かではありません」
「すまなかった。深慮があるのだな。しかし共和国は、この戦いには……」
 銃王国は北の中堅国だ。
 だが軍事国家であり、獣人の能力は極めて高い。
 共和国軍を派遣すれば、ただならぬ被害が出るだろう。

「伝えるだけですので。公式の用事は以上です。セイは連れて帰っても?」
「ああ、好きにしてくれ。もはや賽は投げられた」

「それと、これは私個人の話です。獣王国討伐軍に派遣されることになりました。お世話になりました」
 ガブリエルが深く頭を下げる。

「えっ……そんな……」
 マリアンヌの顔が蒼白になり、倒れそうになるのを、彼は抱き止めた。

「心配しないで、マリアンヌ。無事に戻ってくるつもりですから。他国にだけ責務を押し付ける訳にはいきません」

「待て。そういうことなら話は違う。ガブリエル、お前の護衛として――いや、お前の軍を編成しよう」

 聖王国の姑息な手段に腹を立てながらも、ガブリエルをむざむざ死なせるわけにはいかない。

 私情だろうが関係ない。共和国の未来を考えれば、答えは一つだった。

 それもまた、ブロイの計算であった。
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