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二部
ニコラ症状とカノンの苦悩
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孤児院で育った者たちにとって、ニコラは偉大な母である。時に厳しく、時に優しい。そして、リコにとっては、世界で一番甘やかしてくれる唯一のおばあちゃんだ。今年の春から、急激に弱ってしまった。
ニコラの状況は、あまりに衝撃が大きすぎて、限られた人にしか知られていない。
ニコラに少しでも、立派になった姿を見せよう、安心してもらおう。島主、メグミ、ノシロ達。そう考え、そう思って行動している。そして、リコも。
「ばぁば……」
リコが震える声で呟く。けれど、すぐに顔を上げ、笑った。
「よし! 今日はね、夏祭りに出すかき氷の試食会をしたの!」いつものように、明るく、元気いっぱいに話す。
「ねえ、ばぁばもさ、お祭りの日にはちょっとだけ外に出よ? 夜なら涼しいし、みんな絶対喜ぶよ!」
ニコラの顔を覗き込むように話しながら、リコは車椅子の向きを直す。
ニコラは静かに微笑んでいたが、まぶたは重そうで、声を出すのもつらそうだった。
リコの指がぎゅっと袖を握る。その力の込め方が、彼女の本心を物語っていた。
サルサがそっと手を添え、優しく首を振る。
「……ばぁばは、ちょっと疲れちゃったみたいね」
リコは寝床にサルサを運ぶ。そして変わらず笑ってみせる。
いつも通り、元気な自分でいれば、ニコラも安心してくれる。そんな願いがこもった笑顔だった。
けれど、その目の奥には、悲しみが揺れていた。
そして、サルサの寝室の隣の控え室に下がった。
「サルサ様、ニコラ様の病気は何とかなりませんか?」
何度目かの同じ質問を繰り返すメグミの小さな声が、静まり返った部屋に落ちる。
サルサは、ふっと視線を落とした。
「……これは、寿命なんだ。どうしようもない」
短い言葉。それ以上、何も言えなかった。
その言葉がどれほど言いづらかったか、サルサの指先はかすかに震えていた。
長年の友――いや、サルサにとって唯一の親友。その命をどうにかしたいという思いは、誰よりも強いはずだった。それでも、何もできない。
控え室から覗くベッドの上、ニコラは穏やかに横たわり眠っていた。けれど、彼女の手は細く、肌は透き通るように白い。
※
窓の外では、夏の熱気が充満している。腹が立つことに、今年の夏はひどく暑い。
病の部屋は、まるで時間が止まったように静かだった。
「それにしても、今年はほんと暑いよねぇ……」
リコがぼやくように言いながら、ニコラの寝室に足を踏み入れて、窓を少しだけ開ける。
熱が入り込まないように、ほんのわずかに。
「涼しくなったら、また一緒にお話ししようね、ばぁば」
弾むような声。それでも、その指先は、ほんの少し震えていた。
※
カノンは、行方をくらますことにした。夏祭りが始まるまでの、たった三日。
「どこに?」
もし、魔物の森やダンジョンに逃げ込んで、ガブリエルが追ってきたら……。無理をして、怪我でもしたら――。
それだけは絶対にダメだ。
グラシアスが随行員の世話係らしい。ああ、もっと彼には優しくしておくんだった。ノルドに捜索を依頼されたら、おしまいだ。あのマルカスでさえ発見されたのだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
でも、嬉しい。今、同じ島にいるんだ。
あの小さかった子が、どれほど立派になったんだろう。どんな風に笑うようになったのか、どんな声で話すのか、それを思うだけで胸が熱くなる。
抑えきれない感情と、冷静でいようとする思考がぶつかり合う。
「セラだ。どうしたらいいか、アドバイスをもらおう」
夏バテ気味で弱っているらしいセラ。ノルドには、凄い目で睨まれるだろう。一方的かもしれないが、カノンは年下の彼女を親友だと思っている。
偉大な友の力を借りたい。
※
カノンはセラの家にやってきた。
「あら、カノン、いらっしゃい!」
セラの明るい声が出迎える。彼女の顔を見た瞬間、カノンは緊張の糸が途切れたように大きく息を吐いた。不審な目を向けてくるのはノルドだが、セラの手前、何も言わずにいる。
「まあ、入りなさい。話がありそうね」
「ええ、報告とお願いがあって……」
「そう。何か食べる?」セラは穏やかに問いかけた後、ノルドの方を向く。
「ノルド、悪いけど外してくれる?」
ちっ、とノルドは舌打ちした。
不機嫌そうに眉をひそめながら、それでもセラのいいつけには逆らわず、家を出て作業小屋へ向かうふりをする。
扉が閉まる音を聞きながら、セラは小さく息をついた。カノンはそんなセラを見て、くすりと微笑む。
「ノルドったら、相変わらずね」
「ええ、でも感謝してるわ」セラは少し笑いながら言った。
「そうね。あなたに近づくものには、特に厳しいものね」
カノンの言葉に、セラは苦笑しながら首を振る。
一方、外へ出たノルドは、わずかに肩をすくめながら歩き出した。作業小屋の前で立ち止まり、ちらりと家の方を振り返る。
「母さんは、カノンに優しすぎる。変なことに巻き込まれないようにしないと」
つぶやいた言葉は、誰にも届かないまま、静かに消えていった。
ニコラの状況は、あまりに衝撃が大きすぎて、限られた人にしか知られていない。
ニコラに少しでも、立派になった姿を見せよう、安心してもらおう。島主、メグミ、ノシロ達。そう考え、そう思って行動している。そして、リコも。
「ばぁば……」
リコが震える声で呟く。けれど、すぐに顔を上げ、笑った。
「よし! 今日はね、夏祭りに出すかき氷の試食会をしたの!」いつものように、明るく、元気いっぱいに話す。
「ねえ、ばぁばもさ、お祭りの日にはちょっとだけ外に出よ? 夜なら涼しいし、みんな絶対喜ぶよ!」
ニコラの顔を覗き込むように話しながら、リコは車椅子の向きを直す。
ニコラは静かに微笑んでいたが、まぶたは重そうで、声を出すのもつらそうだった。
リコの指がぎゅっと袖を握る。その力の込め方が、彼女の本心を物語っていた。
サルサがそっと手を添え、優しく首を振る。
「……ばぁばは、ちょっと疲れちゃったみたいね」
リコは寝床にサルサを運ぶ。そして変わらず笑ってみせる。
いつも通り、元気な自分でいれば、ニコラも安心してくれる。そんな願いがこもった笑顔だった。
けれど、その目の奥には、悲しみが揺れていた。
そして、サルサの寝室の隣の控え室に下がった。
「サルサ様、ニコラ様の病気は何とかなりませんか?」
何度目かの同じ質問を繰り返すメグミの小さな声が、静まり返った部屋に落ちる。
サルサは、ふっと視線を落とした。
「……これは、寿命なんだ。どうしようもない」
短い言葉。それ以上、何も言えなかった。
その言葉がどれほど言いづらかったか、サルサの指先はかすかに震えていた。
長年の友――いや、サルサにとって唯一の親友。その命をどうにかしたいという思いは、誰よりも強いはずだった。それでも、何もできない。
控え室から覗くベッドの上、ニコラは穏やかに横たわり眠っていた。けれど、彼女の手は細く、肌は透き通るように白い。
※
窓の外では、夏の熱気が充満している。腹が立つことに、今年の夏はひどく暑い。
病の部屋は、まるで時間が止まったように静かだった。
「それにしても、今年はほんと暑いよねぇ……」
リコがぼやくように言いながら、ニコラの寝室に足を踏み入れて、窓を少しだけ開ける。
熱が入り込まないように、ほんのわずかに。
「涼しくなったら、また一緒にお話ししようね、ばぁば」
弾むような声。それでも、その指先は、ほんの少し震えていた。
※
カノンは、行方をくらますことにした。夏祭りが始まるまでの、たった三日。
「どこに?」
もし、魔物の森やダンジョンに逃げ込んで、ガブリエルが追ってきたら……。無理をして、怪我でもしたら――。
それだけは絶対にダメだ。
グラシアスが随行員の世話係らしい。ああ、もっと彼には優しくしておくんだった。ノルドに捜索を依頼されたら、おしまいだ。あのマルカスでさえ発見されたのだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
でも、嬉しい。今、同じ島にいるんだ。
あの小さかった子が、どれほど立派になったんだろう。どんな風に笑うようになったのか、どんな声で話すのか、それを思うだけで胸が熱くなる。
抑えきれない感情と、冷静でいようとする思考がぶつかり合う。
「セラだ。どうしたらいいか、アドバイスをもらおう」
夏バテ気味で弱っているらしいセラ。ノルドには、凄い目で睨まれるだろう。一方的かもしれないが、カノンは年下の彼女を親友だと思っている。
偉大な友の力を借りたい。
※
カノンはセラの家にやってきた。
「あら、カノン、いらっしゃい!」
セラの明るい声が出迎える。彼女の顔を見た瞬間、カノンは緊張の糸が途切れたように大きく息を吐いた。不審な目を向けてくるのはノルドだが、セラの手前、何も言わずにいる。
「まあ、入りなさい。話がありそうね」
「ええ、報告とお願いがあって……」
「そう。何か食べる?」セラは穏やかに問いかけた後、ノルドの方を向く。
「ノルド、悪いけど外してくれる?」
ちっ、とノルドは舌打ちした。
不機嫌そうに眉をひそめながら、それでもセラのいいつけには逆らわず、家を出て作業小屋へ向かうふりをする。
扉が閉まる音を聞きながら、セラは小さく息をついた。カノンはそんなセラを見て、くすりと微笑む。
「ノルドったら、相変わらずね」
「ええ、でも感謝してるわ」セラは少し笑いながら言った。
「そうね。あなたに近づくものには、特に厳しいものね」
カノンの言葉に、セラは苦笑しながら首を振る。
一方、外へ出たノルドは、わずかに肩をすくめながら歩き出した。作業小屋の前で立ち止まり、ちらりと家の方を振り返る。
「母さんは、カノンに優しすぎる。変なことに巻き込まれないようにしないと」
つぶやいた言葉は、誰にも届かないまま、静かに消えていった。
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