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件の怪
件 後編
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誘拐事件から更に五年が過ぎた。
再び訪れた平穏が崩れたのは大学生になった後だ。
俺にも彼女ができた。俺にはもったいないぐらい可愛い子だった。卒業して就職した後は結婚も考えていた。
名前は……。
「貴島清音を殺せ。さもなければお前の両親が死ぬ」
それが最初だった。何の前触れも無くそれは俺の前に現れた。
牛だ。
通りすがりに牛が俺にそう言ったのだった。山奥や牧場の近くを歩いていたわけではない。
バイトからの帰り道だった。何の変哲もない住宅地でその牛は俺を待ち構えるかのごとく路地に潜んでいた。
「はっ……はァ?!」
俺は驚いて尻餅をついて倒れた。牛は一歩近づき俺を見下ろした。
街灯に照らされたその顔を見て俺は叫んだ。
「なんで!」
その牛は両眼に瞳孔が二つずつ重なっていた。瞼は中から無理矢理押し広げられているかのように限界を超えて開かれ、裂けた皮膚からは血が滴り落ちている。
異形の牛はガラガラの声で俺に語りかけた。
「なんだよ……なんなんだよお前!」
「貴島清音を殺せ。あの女はいらない」
その台詞を吐いた直後、牛の顔に大きな亀裂が走る。
牛の全身にヒビが入り鮮血を撒き散らして倒れた。蛇口のような勢いで血が体のあちこちから流れている。
牛はぴくりと動かない、死んだのだ。
酷い死体だった。
俺は身動きが取れずその場で座り込んだ。
俺の頭の中では過去の誘拐事件、そして幼少期の牛との性交体験が走馬灯のように蘇っていた。
あぁ件だ。
昔と違い、件がどういう存在なのか今の俺は知っている。
牛の体と人間の顔を持つ予言獣。
これは予言だ。最悪の予言を残して件は死んだ。
異変に気づいた近隣の住民が通報したからか、俺を呼び起こしたのは警察の人だった。
警察によるとこの牛は牛舎から逃げ出したらしい。
牛の状態と目撃者が俺一人だった為、警察から事情聴取を受けたが事件性は無いとすぐに解放された。
家に帰ると俺は彼女に電話した。焦った様子の俺に不審がるだけで彼女には何も起きていなかった。
家族にも連絡を取ったが誰一人繋がらなかった。
その日の晩、実家が全焼した。寝静まった後だったらしく家にいた両親は逃げることも出来ず火に焼かれた。火元は特定されなかった。
両親は顔の判別もできないほど焼け焦げて炭のような姿になっていた。
次の予言は一ヶ月後の事だった。
「妊婦と赤子を殺せ」
電車の中だった。奇妙なことに俺が入った車両はガラガラで、一駅過ぎる頃には俺を残して無人になった。
そいつは突然、前の車両から入ってきた。大きな体をドアにぶつけながら滑り込むように俺のいる車両へと侵入する。
牛だ。猛獣にでも襲われたかのように血だらけで今にも倒れそうな足取りで俺の前に立つ。
牛が言葉を発する。
「妊婦と赤子を殺せ、さもなければ母子共に惨たらしく死ぬだろう」
警察から電話があった。彼女が入院している病院に刃物を持って男が現れ彼女とお腹の子は殺された。
その犯人は変態だったらしく彼女を殺すまでの間にその身体を弄んだ。
妊婦を狙う異常性癖。散々彼女を犯した後、腹を裂き赤子を取り出して産まれる前だったその子を犯した。
警察は俺にその結果を口止めしたが心ない者が俺にその話を聞かせた。
俺はもう狂いそうだった。
食事も喉を取らず、吐くものが無いのに吐いた。自殺も考えた。
心の整理もできぬまま牛が再び現れた。引きこもった俺を迎えるかのように玄関先で牛は俺を待っていた。
「雌牛を孕ませろ。さもなければ親しき者が順に死ぬだろう」
「何なんだよお前! ふざけんなよ殺してやる」
俺が殴りかかろうとした時、牛は血を吐いて倒れた。そうだ、牛はいつも喋るだけ喋ると勝手に死ぬ。
「クソ! またそうやって逃げるのかよ、俺になんの恨みが!」
俺は瀕死の牛の腹を蹴飛ばした。再び血を吐く牛。ひゅーひゅーと苦しそうな呼吸音が響いた。
息も絶え絶えの牛は最後にこう言い残した。
「産まれた子を件と名づけ愛し合え。さもなければ……」
牛は絶命した。
俺は牛の死体の前で呆然と立ちすくんだ。
薄々はわかってた事だ。くれは件の呪いなのだ。
あの日、件を拒絶した俺を件は許さないのだろう。
牛は何度も現れ、俺に予言を残して死んだ。予言の通り周囲の人間は非業の死を遂げた。
親戚のおじさん。職場の先輩、親切にしてくれた人、俺を憐れんだ警察の人。
たった一度の関わりでも俺が気を許した人間は非業の死を遂げた。
俺を知る人間は皆一様に俺から離れていった。あらぬ疑いをかけられて拘置所に入れられた事は一度や二度じゃない。
そして俺は一人になった。
これはやはり件の呪いなのだろう。あの山で俺は件を拒絶した。しかし件は件は諦めていないのだろう。
件が俺を手に入れようとしたと言うのなら、それは成功だ。
俺の頭の中にはもう、件しかいない。
これが俺の体験……俺に纏わりつく件の話です。俺はいままで決してこの話をしてきませんでした。俺がこの話を他人に聞かせるのはこれが最初で最後でしょう。
いえ、口止めしたいわけではありません。この体験談はあなたに差し上げます。勿論、雑誌に掲載しても構いません。
えぇ、約束ですから。
あなたは俺と同じなんですよ。異形に魅入られている。
きっとこの先、あなたは正気ではいられなくなる。だから、どうかお気をつけて。
再び訪れた平穏が崩れたのは大学生になった後だ。
俺にも彼女ができた。俺にはもったいないぐらい可愛い子だった。卒業して就職した後は結婚も考えていた。
名前は……。
「貴島清音を殺せ。さもなければお前の両親が死ぬ」
それが最初だった。何の前触れも無くそれは俺の前に現れた。
牛だ。
通りすがりに牛が俺にそう言ったのだった。山奥や牧場の近くを歩いていたわけではない。
バイトからの帰り道だった。何の変哲もない住宅地でその牛は俺を待ち構えるかのごとく路地に潜んでいた。
「はっ……はァ?!」
俺は驚いて尻餅をついて倒れた。牛は一歩近づき俺を見下ろした。
街灯に照らされたその顔を見て俺は叫んだ。
「なんで!」
その牛は両眼に瞳孔が二つずつ重なっていた。瞼は中から無理矢理押し広げられているかのように限界を超えて開かれ、裂けた皮膚からは血が滴り落ちている。
異形の牛はガラガラの声で俺に語りかけた。
「なんだよ……なんなんだよお前!」
「貴島清音を殺せ。あの女はいらない」
その台詞を吐いた直後、牛の顔に大きな亀裂が走る。
牛の全身にヒビが入り鮮血を撒き散らして倒れた。蛇口のような勢いで血が体のあちこちから流れている。
牛はぴくりと動かない、死んだのだ。
酷い死体だった。
俺は身動きが取れずその場で座り込んだ。
俺の頭の中では過去の誘拐事件、そして幼少期の牛との性交体験が走馬灯のように蘇っていた。
あぁ件だ。
昔と違い、件がどういう存在なのか今の俺は知っている。
牛の体と人間の顔を持つ予言獣。
これは予言だ。最悪の予言を残して件は死んだ。
異変に気づいた近隣の住民が通報したからか、俺を呼び起こしたのは警察の人だった。
警察によるとこの牛は牛舎から逃げ出したらしい。
牛の状態と目撃者が俺一人だった為、警察から事情聴取を受けたが事件性は無いとすぐに解放された。
家に帰ると俺は彼女に電話した。焦った様子の俺に不審がるだけで彼女には何も起きていなかった。
家族にも連絡を取ったが誰一人繋がらなかった。
その日の晩、実家が全焼した。寝静まった後だったらしく家にいた両親は逃げることも出来ず火に焼かれた。火元は特定されなかった。
両親は顔の判別もできないほど焼け焦げて炭のような姿になっていた。
次の予言は一ヶ月後の事だった。
「妊婦と赤子を殺せ」
電車の中だった。奇妙なことに俺が入った車両はガラガラで、一駅過ぎる頃には俺を残して無人になった。
そいつは突然、前の車両から入ってきた。大きな体をドアにぶつけながら滑り込むように俺のいる車両へと侵入する。
牛だ。猛獣にでも襲われたかのように血だらけで今にも倒れそうな足取りで俺の前に立つ。
牛が言葉を発する。
「妊婦と赤子を殺せ、さもなければ母子共に惨たらしく死ぬだろう」
警察から電話があった。彼女が入院している病院に刃物を持って男が現れ彼女とお腹の子は殺された。
その犯人は変態だったらしく彼女を殺すまでの間にその身体を弄んだ。
妊婦を狙う異常性癖。散々彼女を犯した後、腹を裂き赤子を取り出して産まれる前だったその子を犯した。
警察は俺にその結果を口止めしたが心ない者が俺にその話を聞かせた。
俺はもう狂いそうだった。
食事も喉を取らず、吐くものが無いのに吐いた。自殺も考えた。
心の整理もできぬまま牛が再び現れた。引きこもった俺を迎えるかのように玄関先で牛は俺を待っていた。
「雌牛を孕ませろ。さもなければ親しき者が順に死ぬだろう」
「何なんだよお前! ふざけんなよ殺してやる」
俺が殴りかかろうとした時、牛は血を吐いて倒れた。そうだ、牛はいつも喋るだけ喋ると勝手に死ぬ。
「クソ! またそうやって逃げるのかよ、俺になんの恨みが!」
俺は瀕死の牛の腹を蹴飛ばした。再び血を吐く牛。ひゅーひゅーと苦しそうな呼吸音が響いた。
息も絶え絶えの牛は最後にこう言い残した。
「産まれた子を件と名づけ愛し合え。さもなければ……」
牛は絶命した。
俺は牛の死体の前で呆然と立ちすくんだ。
薄々はわかってた事だ。くれは件の呪いなのだ。
あの日、件を拒絶した俺を件は許さないのだろう。
牛は何度も現れ、俺に予言を残して死んだ。予言の通り周囲の人間は非業の死を遂げた。
親戚のおじさん。職場の先輩、親切にしてくれた人、俺を憐れんだ警察の人。
たった一度の関わりでも俺が気を許した人間は非業の死を遂げた。
俺を知る人間は皆一様に俺から離れていった。あらぬ疑いをかけられて拘置所に入れられた事は一度や二度じゃない。
そして俺は一人になった。
これはやはり件の呪いなのだろう。あの山で俺は件を拒絶した。しかし件は件は諦めていないのだろう。
件が俺を手に入れようとしたと言うのなら、それは成功だ。
俺の頭の中にはもう、件しかいない。
これが俺の体験……俺に纏わりつく件の話です。俺はいままで決してこの話をしてきませんでした。俺がこの話を他人に聞かせるのはこれが最初で最後でしょう。
いえ、口止めしたいわけではありません。この体験談はあなたに差し上げます。勿論、雑誌に掲載しても構いません。
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