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真実と告白
母の容態が急変したという連絡を受けたのは、夜明け前のことだった。
翔太は夜の闇の中を無我夢中で病院まで駆けた。
肺が張り裂けそうになるほど息が苦しく、冬の始まりを告げる冷たい風が容赦なく頬を切りつけていく。けれど、そんな痛みさえも、翔太の心を占める巨大な恐怖の前では、あまりに些細なものだった。
母の病室にたどり着いた時、カーテンの奥から聞こえてきたのは、かすかな機械音と、点滴が落ちる静かな音だけだった。
「……翔太……来てくれたのね」
弱々しい母の声。
翔太がカーテンを開けると、母は痩せてしまった顔で、それでも優しく笑っていた。その表情を見た途端、必死に張りつめていた心の何かが、音を立てて崩れ落ちる。
翔太は、ベッドのそばに崩れるように膝をつき、その細く、骨ばった手を両手で握りしめた。
「ごめん、ごめんね母さん。ずっと、一人にさせて……」
泣いてはいけない。ここで俺が泣いたら、母さんを不安にさせてしまう。そう頭ではわかっていた。でも、一度溢れ出した涙は、もう止まってはくれなかった。
どんな時も、ただ一人、自分を支え続けてくれた母。その手が、今はこんなにもか細く、頼りない。もう二度と、この温かい手で自分の手を引いて歩いてくれることはないのだと直感で悟ってしまった。
「……翔太。あなた……ずいぶん、疲れた顔をしてるわね」
「平気だよ。大丈夫だから。……俺、もう、一人でちゃんとやってるから」
そう言った瞬間、自分の言葉で心が引き裂かれそうになった。ひとり……。
そう、もう翔太は怜司のそばにはいないのだ。
あの夜、怜司に背を向け、逃げるようにマンションを飛び出して以来、翔太は連絡を一切断ち、病院近くの古い安アパートに身を移していた。
怜司からの着信は、最初の数日こそ毎日続いていたが、今はもうない。きっと、諦めてくれたのだろう。
──いっそ、嫌いになれたら、どれだけ楽だっただろう。
怜司が自分を選ぼうとしてくれたあの覚悟も、不器用な優しさも、翔太の胸に今も熱く、そして痛いほどに焼き付いている。その記憶だけが、この孤独な現実を、余計に苦しくさせていた。
病室の外に、ふいに人の気配がした。
静かに扉が開く音。振り返った翔太は、思わず息を呑んだ。
「……怜司……さん?」
そこに立っていたのは、いつものように上質なスーツを纏い、けれど明らかに憔悴した表情の、鷹城怜司だった。
隈の刻まれた目の下、わずかに伸びた無精髭。それでも、その瞳だけは、まっすぐに翔太を射抜いていた。
「……君がどこにいるか、やっとわかった」
翔太は言葉を失った。
逃げて、電話にも出ず、完全に繋がりを断ち切ったはずなのに。それでも、探し続けてくれていたのかと思うと、胸が締めつけられるように痛んだ。
「どうして……来たんだ……?」
「君に、伝えなければならないことがある」
怜司は一歩、また一歩と、翔太に近づいた。
「……最初に、謝らせてほしい。俺は、君を仮の番という契約で縛っていた。
あの契約には、確かに君が耳にした通り、盾としての意味合いがあった」
翔太は、小さく目を伏せた。やはり、そうだったのか。その事実が、冷たい楔のように心を打ち付ける。
けれど怜司は、そのまま言葉を重ねた。
「だが、それだけではなかった。最初は、そうだったのかもしれない。だが、君と過ごす時間の中で……俺は、変わってしまったんだ」
「……変わった?」
「あんなにも、誰かの笑顔に心が揺さぶられたのは初めてだった。誰かに認められなくても、自分の足で必死に立とうとする君の姿に……俺は、恋をしたんだ」
その言葉は、あまりにもまっすぐで、翔太の心の最も柔らかい場所に深く温かく突き刺さる。
怜司は続ける、その声は、もう迷ってはいなかった。
「翔太。どんなに周りがお前を否定しようと、俺がお前を選んだ。過去も、未来も、俺の立場も、すべてを懸けて、お前だけを選んだんだ」
「……でも、俺じゃ……あなたの人生、守れないよ。あの人たちは、俺を見下して……」
「関係ない。俺が守るべきものは、俺が決める。……いいか、翔太。君を選ぶことで壊れるような、そんな脆い立場なら、俺は最初からそんなものはいらない」
翔太の目から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちた。
「……卑怯だ、よ。そんな言い方……。俺だって、ずっと……あんたのことが、好きだった……っ」
もう、言葉にならなかった。喉の奥が熱く詰まり、しゃくりあげる声だけが漏れる。
怜司は、そっと翔太の手を取った。
「今夜、臨時の理事会がある。もう一度、君を俺の正式な番として迎えると宣言する。だが、今度は俺一人では行かない。……君も一緒に、俺の隣に来てほしい」
「……俺が、隣に?」
「ああ。もう仮じゃない。誰にも文句は言わせない。俺の、本物の番としてだ」
翔太は一瞬、言葉を失ったまま怜司の瞳を見つめた。自分をまっすぐに見つめてくるその瞳に、嘘も、偽りも、憐れみもなかった。
それでも、最後の不安が、か細い声となってこぼれる。
「……俺、怖いよ。また……誰かに否定されるのが、見下されるのが怖い」
「大丈夫だ。俺が全部、受け止める。どんな罵声も、悪意も、俺がお前の盾になる。だから、翔太。今度は君自身の意思で、俺の手を取ってほしい」
翔太は、震える指先で、差し出された怜司の大きな手を強く握り返した。
「……うん。行くよ、怜司。あんたが一緒なら」
その瞬間、冷たく感じていた病室の蛍光灯の灯りが、なぜだか、やけにあたたかく感じられた。
翔太は夜の闇の中を無我夢中で病院まで駆けた。
肺が張り裂けそうになるほど息が苦しく、冬の始まりを告げる冷たい風が容赦なく頬を切りつけていく。けれど、そんな痛みさえも、翔太の心を占める巨大な恐怖の前では、あまりに些細なものだった。
母の病室にたどり着いた時、カーテンの奥から聞こえてきたのは、かすかな機械音と、点滴が落ちる静かな音だけだった。
「……翔太……来てくれたのね」
弱々しい母の声。
翔太がカーテンを開けると、母は痩せてしまった顔で、それでも優しく笑っていた。その表情を見た途端、必死に張りつめていた心の何かが、音を立てて崩れ落ちる。
翔太は、ベッドのそばに崩れるように膝をつき、その細く、骨ばった手を両手で握りしめた。
「ごめん、ごめんね母さん。ずっと、一人にさせて……」
泣いてはいけない。ここで俺が泣いたら、母さんを不安にさせてしまう。そう頭ではわかっていた。でも、一度溢れ出した涙は、もう止まってはくれなかった。
どんな時も、ただ一人、自分を支え続けてくれた母。その手が、今はこんなにもか細く、頼りない。もう二度と、この温かい手で自分の手を引いて歩いてくれることはないのだと直感で悟ってしまった。
「……翔太。あなた……ずいぶん、疲れた顔をしてるわね」
「平気だよ。大丈夫だから。……俺、もう、一人でちゃんとやってるから」
そう言った瞬間、自分の言葉で心が引き裂かれそうになった。ひとり……。
そう、もう翔太は怜司のそばにはいないのだ。
あの夜、怜司に背を向け、逃げるようにマンションを飛び出して以来、翔太は連絡を一切断ち、病院近くの古い安アパートに身を移していた。
怜司からの着信は、最初の数日こそ毎日続いていたが、今はもうない。きっと、諦めてくれたのだろう。
──いっそ、嫌いになれたら、どれだけ楽だっただろう。
怜司が自分を選ぼうとしてくれたあの覚悟も、不器用な優しさも、翔太の胸に今も熱く、そして痛いほどに焼き付いている。その記憶だけが、この孤独な現実を、余計に苦しくさせていた。
病室の外に、ふいに人の気配がした。
静かに扉が開く音。振り返った翔太は、思わず息を呑んだ。
「……怜司……さん?」
そこに立っていたのは、いつものように上質なスーツを纏い、けれど明らかに憔悴した表情の、鷹城怜司だった。
隈の刻まれた目の下、わずかに伸びた無精髭。それでも、その瞳だけは、まっすぐに翔太を射抜いていた。
「……君がどこにいるか、やっとわかった」
翔太は言葉を失った。
逃げて、電話にも出ず、完全に繋がりを断ち切ったはずなのに。それでも、探し続けてくれていたのかと思うと、胸が締めつけられるように痛んだ。
「どうして……来たんだ……?」
「君に、伝えなければならないことがある」
怜司は一歩、また一歩と、翔太に近づいた。
「……最初に、謝らせてほしい。俺は、君を仮の番という契約で縛っていた。
あの契約には、確かに君が耳にした通り、盾としての意味合いがあった」
翔太は、小さく目を伏せた。やはり、そうだったのか。その事実が、冷たい楔のように心を打ち付ける。
けれど怜司は、そのまま言葉を重ねた。
「だが、それだけではなかった。最初は、そうだったのかもしれない。だが、君と過ごす時間の中で……俺は、変わってしまったんだ」
「……変わった?」
「あんなにも、誰かの笑顔に心が揺さぶられたのは初めてだった。誰かに認められなくても、自分の足で必死に立とうとする君の姿に……俺は、恋をしたんだ」
その言葉は、あまりにもまっすぐで、翔太の心の最も柔らかい場所に深く温かく突き刺さる。
怜司は続ける、その声は、もう迷ってはいなかった。
「翔太。どんなに周りがお前を否定しようと、俺がお前を選んだ。過去も、未来も、俺の立場も、すべてを懸けて、お前だけを選んだんだ」
「……でも、俺じゃ……あなたの人生、守れないよ。あの人たちは、俺を見下して……」
「関係ない。俺が守るべきものは、俺が決める。……いいか、翔太。君を選ぶことで壊れるような、そんな脆い立場なら、俺は最初からそんなものはいらない」
翔太の目から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちた。
「……卑怯だ、よ。そんな言い方……。俺だって、ずっと……あんたのことが、好きだった……っ」
もう、言葉にならなかった。喉の奥が熱く詰まり、しゃくりあげる声だけが漏れる。
怜司は、そっと翔太の手を取った。
「今夜、臨時の理事会がある。もう一度、君を俺の正式な番として迎えると宣言する。だが、今度は俺一人では行かない。……君も一緒に、俺の隣に来てほしい」
「……俺が、隣に?」
「ああ。もう仮じゃない。誰にも文句は言わせない。俺の、本物の番としてだ」
翔太は一瞬、言葉を失ったまま怜司の瞳を見つめた。自分をまっすぐに見つめてくるその瞳に、嘘も、偽りも、憐れみもなかった。
それでも、最後の不安が、か細い声となってこぼれる。
「……俺、怖いよ。また……誰かに否定されるのが、見下されるのが怖い」
「大丈夫だ。俺が全部、受け止める。どんな罵声も、悪意も、俺がお前の盾になる。だから、翔太。今度は君自身の意思で、俺の手を取ってほしい」
翔太は、震える指先で、差し出された怜司の大きな手を強く握り返した。
「……うん。行くよ、怜司。あんたが一緒なら」
その瞬間、冷たく感じていた病室の蛍光灯の灯りが、なぜだか、やけにあたたかく感じられた。
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