【完結】獣王の番

なの

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第七章:立場逆転の愛

第二十九話:始まりの朝

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ライオネルが意識を取り戻し、二人が本当の意味で心を通わせたあの日から穏やかな時間が流れた。

王と、その番が命の危機から生還したという報せは、城下に安堵と喜びをもたらした。
しかし、王がその力の大部分を失ったという事実は、ごく一部の者しか知らない極秘事項とされた。

「……美味いか?」

「はい。とても」

王の私室のバルコニーで、ユリアンは、ライオネルの手ずから、スープを匙で口に運んでもらっていた。
まだ、お互いに体力は完全には戻っていない。
だが、こうして寄り添い、同じ時間を過ごせるだけで二人は満たされていた。

「まさか、この俺が、お前に飯を食わせてやることになるとはな」

ライオネルは、自嘲するように笑う。その表情は、以前の冷徹な王の面影はなく、ただ愛する者を慈しむ、一人の男の顔だった。

「……もう、以前のように、剣を振るうことはできないかもしれない」

ぽつり、とライオネルが呟く。
その声に、ユリアンは、スープを飲むのをやめ、彼の顔を真っ直ぐに見つめた。

「それでも、あなたは、僕の王様です」

「……ユリアン」

「あなたの強さは、その腕力だけではありません。
その知性、そのカリスマ、そして何より……民を想うその優しい心。それこそが、真の王の力です。
僕が、あなたの剣になります。あなたの盾になります。
だから……一人で、背負わないでください」

その言葉に、ライオネルは、息を呑んだ。
ずっと、一人で戦ってきた。
王として、αとして弱さを見せることなど、決して許されなかった。
だが今、目の前の愛しい番は、その全てを、共に背負うと言ってくれている。

「……お前は、本当に、敵わんな」

ライオネルは、ユリアンの頬にそっと触れた。

「俺は、お前に何もしてやれていない。与えるどころか、奪ってばかりだ」

「いいえ、そんなことはありません。あなたは、僕に、生きる意味をくれました。愛される喜びを、教えてくれました。……僕には、あなたがいれば、それだけでいいのです」

二人の視線が、絡み合う。
どちらからともなく、顔を寄せ、そっと唇を重ねた。
それは、夜の闇の中で交わされる、激しいものではない。陽の光の中で、互いの魂を確かめ合うような、穏やかで、優しいキスだった。

その日から、二人の立場は、完全に入れ替わった。
体力の戻らないライオネルに代わり、ユリアンは、宰相グレンの補佐として、本格的に政務に関わるようになる。以前、被災地を視察した経験を元に、彼は誰もが思いつかなかったような効率的な復興計画を立案し、財政を預かるグレンをも唸らせた。 彼の聡明さと、民に寄り添う姿勢は、瞬く間に大臣たちの信頼を勝ち得ていった。

一方、ライオネルは、そんなユリアンの姿を、少しだけ複雑な思いで見守っていた。
誇らしい。自分の番が、これほどまでに優秀で、民に愛されていることが、自分のことのように嬉しい。
だが、同時に、これまで自分がいた場所に、ユリアンが立っていることに、一抹の寂しさと、そして焦りを覚えてしまう。
自分は、もう彼の隣に立つに、相応しくないのではないか。
力を失った自分は、もう、彼の重荷になるだけではないのか。

そんなライオネルの不安を、ユリアンは敏感に感じ取っていた。

その日の夜。
政務を終えたユリアンが部屋に戻ると、ライオネルは、一人で窓の外を眺めていた。その背中が、ひどく小さく、そして孤独に見えた。

「……ライオネル」

ユリアンは、そっと背後から彼を抱きしめた。
びくり、とライオネルの肩が震える。

「……お前が、どんどん、遠くへ行ってしまうような気がする」
か細い、弱々しい声だった。
ユリアンは、胸が締め付けられるような思いで、彼の背中にぎゅっと顔を埋めた。

「どこにも、行きません」
「だが、俺はもう……」
「いいのです」

ユリアンは、彼の体を自分の方へと向き直らせると、その唇を、自らの指でそっと塞いだ。

「今度は、私が、あなたを守る番です。あなたが、私にしてくれたように」

そして、ユリアンは、ライオネルの服の合わせに、そっと手を入れた。
驚いて目を見開くライオネル。

「ユリアン……?何を……」

「あなたを、感じたいのです。……今夜は、私が、あなたを愛したい」

それは、二人の関係が、また新しいステージへと進む、始まりの合図だった。
これまでは、常にライオネルが与え、ユリアンが受け入れるだけだった関係。
だが、今夜は違う。
ユリアンが、自らの意志で、愛する人を求め、そして、その全てを、愛で満たそうとしている。

立場が逆転した、新しい愛の形。
二人は、互いの傷を舐め合うように、そして、互いの存在を確かめ合うように、深く、そして優しく、求め合った。

夜が明ける頃。
疲れ果てて眠るユリアンの寝顔を見ながら、ライオネルは、静かに涙を流した。
失ったものは、大きい。だが、得たものは、それ以上に、計り知れないほどに、大きかった。
この腕の中にある温もりこそが、自分の全てだ。
もう二度と、この手を、離さない。

ライオネルは、愛しい番の額に、誓いのキスを落とした。
彼の心の中で、燻っていた嫉妬や焦りの炎は、完全に消え失せていた。
そこにあったのは、ただ、ひたすらに、深く、そしてどこまでも穏やかな、溺愛の感情だけだった。


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