遊び人の令嬢が目を付けたのは、私の真面目な婚約者でした

おいどん

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あれから二週間、エリーネの穏やかな日常は一変した。
ノルトとべルティーナが共にいるのを見かけるのは、あれが最後ではなかった。
そもそもノルトは学園の中でも交流が広く、男女問わず誰かといる場面を見ることは少なくなかった。
それについてとやかく思うこともなかったのに、べルティーナだけは違った。

「きっと、彼女の美しさに嫉妬しているのだわ…」

鏡に映る自分の姿を見て、エリーネはそう呟く。
まだ幼さの抜けない顔立ちに、女性になり切れていない身体。

「少しでもべルティーナ様のようになれたなら、ノルト様は私のことを見てくださるかしら…」

コンコン、とノックの音が部屋に響く。

「お嬢様、そろそろお支度を」
「…ええ、そうね」

今夜はランヴァール家御用達のレストランに招待されていた。
久しぶりのノルトとの時間。

「…アンナ、赤いドレスがあったわよね」
「ええ、ございますが…」
「今日はあれにするわ」
「派手過ぎると嫌がっていたではありませんか」
「…今日はそういう気分なのよ。似合うようにお化粧もかえてくれる?」
「承知いたしました」

社交界デビューし、パーティーに呼ばれ出した頃、両親が新調してくれた赤いドレス。
ドレスに着られてるみたいだと、一度袖を通しただけでクローゼットの奥に仕舞い込んでいた。

「…似合う、かしら」
「とても良くお似合いですよ」

完成された姿は、いつもの自分ではなかった。
全身鏡の前で両手を組み、不安そうにするエリーネの背を、アンナがぐっと押す。

「アンナ?」
「お嬢様、背筋をピンと伸ばしてください。…ほら、いつもの可愛らしいお嬢様ではなく、美しい大人の女性になるでしょう」

そう言われて、エリーネはもう一度自分の姿を真っ直ぐに見る。
胸元に光る宝石も、赤く染められた唇も、背伸びしようとした自分を後押ししてくれているような気がした。

「ありがとう、アンナ。行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ、お嬢様」



―――――



エリーネが屋敷を出ると、ランヴァール家の馬車が彼女を出迎えた。
その傍らに立ち、従者と話していたノルトは、エリーネに気付いて佇まいを整える。
白いシャツに紺色のベストを合わせ、黒いコートを身に纏ったノルトは、いつもよりも大人びて見えた。

彼が、私を見ている。

すぐそこにいるはずなのに、ノルトの元へ向かう一歩一歩の足取りが、緊張で震える。

変だと、思われてないかしら。
食事を共にするのに、恥ずかしいと思われてないかしら。
―――少しでも、綺麗だと思ってくれていたら。

ノルトの前に立ったエリーネは、スカートを摘まんで持ち上げ、片足を下げて身を屈めた。

「本日はお誘いいただきありがとうございます」
「…ああ、こちらこそ」

ノルトの顔を見ながら、ゆっくりと上体を起こす。
きっと彼は、「良く似合っている」と言ってくれるだろう。
それはもはや貴族の男性における挨拶の一つであり、この状況で誉め言葉の一つもないのは失礼になる。
そのような社交辞令であっても、エリーネにとっては十分だった。
ノルトの口から言ってもらえるだけで、安心できた。

「エリーネ嬢、あぁ、いや…その―――」

スムーズに発せられるかと思われたその言葉はいつまでも紡がれることは無く、ノルトは何かをもごもごと言い淀む。
眉間に皺を寄せ、ふっとエリーネから目を逸らすと、ノルトは左手を差し出した。

「…行こう」

呟くように言われた言葉に、エリーネは従うしかなかった。

「…はい」

ノルトの左手をとり、馬車に乗り込む。
彼は、何も言ってはくれなかった。
その事実だけが、エリーネの胸を締め付けた。



―――――



翌朝、カーテンの隙間から差し込む明かりでエリーネは目を覚ました。
昨夜のことは、正直あまり覚えていなかった。
つつがなく食事をし、屋敷まで送ってもらったのだと思う。

支度を済ませ、鞄の中を確認する。
身なりを確認するために鏡を見ると、そこに映る自分がどことなくやつれて見えた。
エリーネはドレッサーの引き出しを開け、赤い口紅を手に取る。
昨日アンナがしてくれたように優しく唇にのせると、少しだけ顔が明るくなったような気がした。




「エリーネ!?どうしたの!そのお化粧!」

昼下がり、人気のあまりない園庭で偶然会ったルチアが大きな声をあげた。
エリーネを見るや否や、その肩を両手でぐっと掴んで、まじまじと顔を覗き込む。

「へ、変かしら…」

ルチアは勢い良く首を横に振り、目を輝かせてルチアの手を握る。

「とっても可愛い!」

何の迷いもなくそう言ったルチアに、エリーネは安心したように表情を緩めた。

「いつもと違う雰囲気だったから驚いただけ!」
「似合ってるのか、自信なくて…」
「何言ってるの、すごく可愛いよ!」
「本当?」
「私が嘘言ってるように見える?」

ルチアの目を見れば、本心からそう言ってくれていることはわかった。
沈んでいたエリーネの心に、暖かい風が吹き込む。

「ありがとう、ルチア」

ただ礼を言っただけのつもりだったが、その声色から感じる僅かなエリーネの心の揺らぎを、ルチアは聞き逃さなかった。

「…何かあった?」

エリーネの胸がドキッと音を立てる。
心配そうに眉を寄せるルチアを前に、エリーネは唇を噛みしめた。
こんな浅はかな嫉妬心を話して、ルチアに呆れられたりしないだろうか。
そんな不安が頭をよぎる。
そのエリーネの心境を見通しているかのように、ルチアは優しく微笑んだ。

「どんなことでも、私はエリーネが相談してくれたら嬉しいよ」
「…聞いてくれる?」
「もちろん!」

ぼつぼつと、これまでのことをエリーネはルチアに話した。
ノルトとべルティーナが一緒にいるのを何度か目にしていること。
べルティーナを真似て、化粧をしてみたこと。
着飾った自分を前にして、ノルトが何も言ってくれなかったこと。
不安ともどかしさで、どうしたら良いのかわからなくなっていること。

エリーネが全て話し終えた後、黙って話を聞いていたルチアがおもむろに口を開いた。

「…エリーネは、ノルト様に恋してるんだね」
「…恋?」
「好きな人に見てもらいたい、自分だけのものであってほしい、そう思うのは当然じゃない?」
「好きな、人…」

ルチアにそう言われ、エリーネはもやもやとしていた感情にすとんと何かがはまった気がした。
ランヴァール伯爵家の子息であるノルトに相応しい婚約者にならなければと思っていたが、それがいつしか、ノルト個人に向けた感情へと変わっていた。

私はとっくに、ノルト様を好きになっていたのだわ―――

「私…どうしたらいいのかしら」
「エリーネはそのままでもとても素敵な女性だよ。もしノルト様がエリーネを差し置いて他の人に惹かれてるとしたら、見る目がない残念な男だなってだけ!」
「残念だなんて…ノルト様は冷静に判断できる方だわ!」
「それなら何も心配することないじゃない。そんな方なら、とっくにエリーネの魅力に気付いてるはずだよ」

ルチアにはっきりとそう言われ、エリーネは何も言えずに押し黙る。
本当にそうなのだろうか。
それならば、なぜこんなにも、彼との距離を感じてしまうのだろうか。

「とにかく!エリーネはちゃんと自分の気持ちをノルト様に伝えるべきだよ。…ってほら、噂をすれば」

ルチアの視線を追って、エリーネは振り返る。

「ノルト様…」
「ちゃんと言うんだよ!がんばってね」

エリーネをぎゅっと抱きしめた後、ルチアは「邪魔者は退散」とおどけたように言って、校内へと立ち去った。



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