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4.受け入れるわ
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「奥様、手鏡です」
「ありがとう」
侍女のメリッサが心配そうに見つめる。正確にはまだ“奥様”じゃないのよね、とは思ったが、それどころじゃない。
手が勝手に震える。指先に力を入れようとしても、微かに揺れて止まらない。
「アイラ、大丈夫だ。出会ったときから君は何も変わっていない。むしろ、綺麗になった。私はそう思っている」
「お母様は自慢の美しいお母様です」
周りからの声援が耳に入る。ありがたいけれど、今は集中したい。だから、どうか黙っていてほしい。けれども、言葉にはしない。
深呼吸して、精神をひとつにまとめる。未来の自分を思い描く。予想できる限りの十年後の姿を。
そっと、手鏡をひっくり返す。
「ど、どうだい、アイラ……?」
レオナール様が、心配げに私の顔をのぞき込む。
鏡に映る自分の顔は、頬の丸みがすっきりと落ち、大人びた表情に変わっている。髪も肌も丁寧に手入れされ、光を受けて柔らかく艶めいていた。ハリは……。いや、理想を言えばきりがない、やめよう。ええ、全体的に悪くはない。緊張が、ふっと緩む。
「大丈夫です。受け入れられました」
「そうか! よかった。もうすぐ君のご両親も到着する。記憶喪失、ご両親も、きっと驚くだろうな」
そう言いながら、レオナール様の横顔はどこか陰りを帯びていた。
そんな空気を破るように、メリッサが慌ただしく駆け込み両親の到着を告げる。
*****
「アイラ、階段から落ちたと聞いたが、もう大丈夫なのかい?」
「アイラ、どこか痛いところは? 歩けるの?」
息を切らしながら、両親がこちらへ駆け寄ってくる。その顔を見た瞬間、息が止まりかけた。
歳を重ねている。
当たり前のはずなのに、私の知っている“少し若い”両親ではない。
そうよね、私だけが時間を置き去りにされたのだもの。
「お義父様、驚かないで聞いてください。実は、アイラは記憶喪失なのです。しかも、学院に入ってから今までの記憶が、すっかり抜け落ちてしまっておりまして」
レオナール様が丁寧に説明してくれる。
「え? 記憶喪失? ま、また?」
お父様の声がわずかに裏返った。
そうだわ。私は一度、“ララ”になった。私同様、ララが私の記憶を持っていたとは限らない。日記を読む限り私のことは知っていたようだったけど。
そうなると、両親からしたら、また記憶を失った、ということになるのだわ。
「お父様、お母様。私は大丈夫ですので、とりあえずいったん座りましょう」
努めて冷静に告げると、両親は目を丸くした。
「っ! ご覧の通りなのです。アイラはこんなふうに冷静で、まるで別人のようでして。ああ、もちろんアイラへの愛は変わりません。ただ、あの天真爛漫なララは、もう……」
レオナール様が言い淀む。その声はひどく寂しげだった。私の知らない私を恋しがるなんて、少し不思議な気持ち。
でも、残念そうなその姿は、少し私に失礼だわ。
「ああ、そうなのか」
「冷静、ですか。……ええ、そうだったわね」
両親は意外と落ち着いていた。というより、どこか納得したような顔。
「え? 驚かないのですか?」
レオナール様が目を丸くする。
当然よ。
「ああ、アイラは、もともと冷静沈着でね。感情を大きく表に出すことなんて滅多になかった。むしろ、この十年間のほうが別人のようだったんだ」
「ええ、十年前にいきなり人が変わったようになって。あのときはとても驚いたの。今の話し方のほうが、むしろ昔のアイラらしいわ。懐かしいくらい」
ほほえむ両親。
でも、笑っている場合じゃありませんよ。私はこれからふたりを問い詰めるのですから。
覚悟してくださいな。
自然と、目が細くなった。
「そ、そうでしたか。では、いつまでも立たせてしまうのも失礼ですので、こちらへ」
レオナール様の案内でソファに腰掛ける。
お茶を運んできたメリッサにラルを別室につれていってもらった。ここからが本題。
「お父様に、聞きたいことがあります」
「なんだい、アイラ?」
「……目覚めたら、私は愛人になっていました。しかも、子供までいる。これは、一体どういうことでしょうか?」
「ど、どういうことと言われても……」
お父様はしどろもどろ。視線があちこち泳いでいる。
「なぜ反対しなかったのです? 娘が身分にそぐわぬ真似をしているのですよ。他に何か家同士の取り決めでもあったのですか? それに息子の姓もラングフォードだなんて……可哀想でしょう」
そう告げると
「家の取り決めなどないわ」
お母様がきっぱりと否定した。
「お母様! それなら、なぜこのような状況を許しているのです!」
お父様とお母様が、互いに目を交わす。そして、絞り出すように言った。
「それは……お前が。認めてくれないなら死ぬ、と言ったからだ。どうしてもレオナール様がよいと」
「ええ。狂ったように暴れ、ほかの縁談は嫌だと部屋に閉じこもって……思い出すだけでもぞっとする。大変だったのよ」
ええ……。
「ご迷惑をおかけしたようで、すみません」
思わず頭を下げてしまう。
「我々も積極的に賛成していたわけではない。ほかの貴族から冷たいの目を向けられるしな。まあ、お前は記憶がないだろうし、もう慣れたから気にするな」
気にしますわよ。
「そうよ。『貴族の娘を愛人にさせる親』と陰で言われ。育て方の何がいけなかったのかしらって……悩んだものよ」
「重ね重ねすみません……」
重く暗い空気が漂う。レオナール様もさすがに肩身が狭いのか、小さくなって、目線を伏せている。
けれど次に返ってきたお父様の言葉は、意外なほど温かかった。
「アイラ、十年間のお前も愛嬌があってな。娘が二人できたみたいで……い、嫌ではなかったぞ? まあ、大変なこともあったが」
お父様……。
大変……聞くのが怖いわ。きっと日記に書いてあるはず。後で読みましょう。
「もう、あなたったら。私はね、ずっと、アイラ、“あなた”に会いたかったのよ。人が変わったようになってからは、母親として慕われている実感がなくなってしまって、とても寂しかったの。今あなたは辛くて混乱しているでしょうけど、私は嬉しいわ」
そう言って、お母様が私を抱きしめてくる。その腕は少しやせていた。思っていたより老けた気がしたのは、きっと、“ララ”、私のせいなのね。
私はそっと抱きしめ返した。
「もちろん私だって、会えて嬉しい」
お父様も、ぎゅっと抱きしめてくる。
視線を向ければ、レオナール様がこちらを羨ましそうにそわそわしていた。
……嫌ですよ? まだ会って二日目の方に抱きつかれるなんて。
「ありがとう」
侍女のメリッサが心配そうに見つめる。正確にはまだ“奥様”じゃないのよね、とは思ったが、それどころじゃない。
手が勝手に震える。指先に力を入れようとしても、微かに揺れて止まらない。
「アイラ、大丈夫だ。出会ったときから君は何も変わっていない。むしろ、綺麗になった。私はそう思っている」
「お母様は自慢の美しいお母様です」
周りからの声援が耳に入る。ありがたいけれど、今は集中したい。だから、どうか黙っていてほしい。けれども、言葉にはしない。
深呼吸して、精神をひとつにまとめる。未来の自分を思い描く。予想できる限りの十年後の姿を。
そっと、手鏡をひっくり返す。
「ど、どうだい、アイラ……?」
レオナール様が、心配げに私の顔をのぞき込む。
鏡に映る自分の顔は、頬の丸みがすっきりと落ち、大人びた表情に変わっている。髪も肌も丁寧に手入れされ、光を受けて柔らかく艶めいていた。ハリは……。いや、理想を言えばきりがない、やめよう。ええ、全体的に悪くはない。緊張が、ふっと緩む。
「大丈夫です。受け入れられました」
「そうか! よかった。もうすぐ君のご両親も到着する。記憶喪失、ご両親も、きっと驚くだろうな」
そう言いながら、レオナール様の横顔はどこか陰りを帯びていた。
そんな空気を破るように、メリッサが慌ただしく駆け込み両親の到着を告げる。
*****
「アイラ、階段から落ちたと聞いたが、もう大丈夫なのかい?」
「アイラ、どこか痛いところは? 歩けるの?」
息を切らしながら、両親がこちらへ駆け寄ってくる。その顔を見た瞬間、息が止まりかけた。
歳を重ねている。
当たり前のはずなのに、私の知っている“少し若い”両親ではない。
そうよね、私だけが時間を置き去りにされたのだもの。
「お義父様、驚かないで聞いてください。実は、アイラは記憶喪失なのです。しかも、学院に入ってから今までの記憶が、すっかり抜け落ちてしまっておりまして」
レオナール様が丁寧に説明してくれる。
「え? 記憶喪失? ま、また?」
お父様の声がわずかに裏返った。
そうだわ。私は一度、“ララ”になった。私同様、ララが私の記憶を持っていたとは限らない。日記を読む限り私のことは知っていたようだったけど。
そうなると、両親からしたら、また記憶を失った、ということになるのだわ。
「お父様、お母様。私は大丈夫ですので、とりあえずいったん座りましょう」
努めて冷静に告げると、両親は目を丸くした。
「っ! ご覧の通りなのです。アイラはこんなふうに冷静で、まるで別人のようでして。ああ、もちろんアイラへの愛は変わりません。ただ、あの天真爛漫なララは、もう……」
レオナール様が言い淀む。その声はひどく寂しげだった。私の知らない私を恋しがるなんて、少し不思議な気持ち。
でも、残念そうなその姿は、少し私に失礼だわ。
「ああ、そうなのか」
「冷静、ですか。……ええ、そうだったわね」
両親は意外と落ち着いていた。というより、どこか納得したような顔。
「え? 驚かないのですか?」
レオナール様が目を丸くする。
当然よ。
「ああ、アイラは、もともと冷静沈着でね。感情を大きく表に出すことなんて滅多になかった。むしろ、この十年間のほうが別人のようだったんだ」
「ええ、十年前にいきなり人が変わったようになって。あのときはとても驚いたの。今の話し方のほうが、むしろ昔のアイラらしいわ。懐かしいくらい」
ほほえむ両親。
でも、笑っている場合じゃありませんよ。私はこれからふたりを問い詰めるのですから。
覚悟してくださいな。
自然と、目が細くなった。
「そ、そうでしたか。では、いつまでも立たせてしまうのも失礼ですので、こちらへ」
レオナール様の案内でソファに腰掛ける。
お茶を運んできたメリッサにラルを別室につれていってもらった。ここからが本題。
「お父様に、聞きたいことがあります」
「なんだい、アイラ?」
「……目覚めたら、私は愛人になっていました。しかも、子供までいる。これは、一体どういうことでしょうか?」
「ど、どういうことと言われても……」
お父様はしどろもどろ。視線があちこち泳いでいる。
「なぜ反対しなかったのです? 娘が身分にそぐわぬ真似をしているのですよ。他に何か家同士の取り決めでもあったのですか? それに息子の姓もラングフォードだなんて……可哀想でしょう」
そう告げると
「家の取り決めなどないわ」
お母様がきっぱりと否定した。
「お母様! それなら、なぜこのような状況を許しているのです!」
お父様とお母様が、互いに目を交わす。そして、絞り出すように言った。
「それは……お前が。認めてくれないなら死ぬ、と言ったからだ。どうしてもレオナール様がよいと」
「ええ。狂ったように暴れ、ほかの縁談は嫌だと部屋に閉じこもって……思い出すだけでもぞっとする。大変だったのよ」
ええ……。
「ご迷惑をおかけしたようで、すみません」
思わず頭を下げてしまう。
「我々も積極的に賛成していたわけではない。ほかの貴族から冷たいの目を向けられるしな。まあ、お前は記憶がないだろうし、もう慣れたから気にするな」
気にしますわよ。
「そうよ。『貴族の娘を愛人にさせる親』と陰で言われ。育て方の何がいけなかったのかしらって……悩んだものよ」
「重ね重ねすみません……」
重く暗い空気が漂う。レオナール様もさすがに肩身が狭いのか、小さくなって、目線を伏せている。
けれど次に返ってきたお父様の言葉は、意外なほど温かかった。
「アイラ、十年間のお前も愛嬌があってな。娘が二人できたみたいで……い、嫌ではなかったぞ? まあ、大変なこともあったが」
お父様……。
大変……聞くのが怖いわ。きっと日記に書いてあるはず。後で読みましょう。
「もう、あなたったら。私はね、ずっと、アイラ、“あなた”に会いたかったのよ。人が変わったようになってからは、母親として慕われている実感がなくなってしまって、とても寂しかったの。今あなたは辛くて混乱しているでしょうけど、私は嬉しいわ」
そう言って、お母様が私を抱きしめてくる。その腕は少しやせていた。思っていたより老けた気がしたのは、きっと、“ララ”、私のせいなのね。
私はそっと抱きしめ返した。
「もちろん私だって、会えて嬉しい」
お父様も、ぎゅっと抱きしめてくる。
視線を向ければ、レオナール様がこちらを羨ましそうにそわそわしていた。
……嫌ですよ? まだ会って二日目の方に抱きつかれるなんて。
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