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15.策略は、香り高く
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side ライラ
「そろそろ、来る頃かしら?」
カップの中で冷めかけた紅茶を揺らしながら、私はゆっくりとつぶやいた。オスカーが静かに頷く。
「そうですね」
彼の声は穏やかだったけれど、すでに扉の向こうから慌ただしい足音が迫っているのが聞こえていた。
あれは……走っている音。しかも、かなり苛立っている足取り。予想通りね。扉が勢いよく開かれた。
「これは何だ、ライラ!」
荒々しい声とともに、父が部屋に飛び込んでくる。額には汗、顔は紅潮し、手には何やら分厚い封筒が握られていた。
私はゆっくりと、カップを受け皿に戻す。そして、笑みを浮かべて、首を傾げた。
「あら? 何かの請求書でも届きましたか?」
けれど、父の顔は私の台詞を受け止めるような余裕など持ち合わせていなかった。
「そんなかわいい物ではない。なぜお前は、っ……! 実の親を告訴するのだ!!」
あらかじめ温めておいたセリフを、私は涼しい顔で口にする。
「ああ、そちらでしたか? 私、お父様から爵位を継ぐとばかり思っていましたので、黙っていたのですが――継がないのであれば、国民として。明らかにした方が、国のためかと思いまして」
口元に指を当てて、控えめに笑ってみせる。
――正義感から、などというつもりはないけれど。
「なっ……!」
父の顔が一瞬にして青ざめる。その動揺を、私はじっくりと味わうように眺めた。
「事実でしょう? お父様が領地の税率を国に黙って上げていることも、国に納める税を巧妙にごまかしていたことも。……それから、私が亡き母から受け継いだ鉱山の利益の一部を、黙って自分の懐に入れていたことも」
父の手がピクリと震えた。握っていた書類の角が折れる。
「なぜ……なぜお前がそんなことを知っているんだ!」
心の中で肩をすくめる。
「知らないわけないですわ。爵位を継がせると豪語して、商会の仕事や領地の書類仕事をすべて私に回してきたのは……他ならぬお父様ですもの。帳簿の流れを見れば、お金の“異常な動き”なんて一目瞭然ですわ」
「くそ……! よりによって、査問機関から呼び出しを受けるとは……。くっ、追加税を払うことで何とかなるだろうか……。いや、それより……娘のお前の金を使ったことを咎めるなど、大袈裟な真似を……っ! 親が娘の資産を管理することは当然だろう!」
その言葉に、私は小さく笑った。
「私の財産を“管理する”のと、“勝手に使う”のは違いますわよ。鉱山の利益はすべて私の正式な個人資産。国の法律にもそう記されています」
ゆっくりと一歩、父に近づく。
堂々と、まっすぐその目を見据えながら言い放つ。
「使った分をすぐにでも返してくださるというのであれば、私の分の訴えは取り下げてもいいのですけど」
微笑む私の顔を、父は悪夢でも見ているように見つめていた。
「……と、とりあえず、今すぐ行かねばならない。帰ってからだ。この話の続きは……!」
逃げ口上。情けない台詞ね。
「ああ、そうだ、決めた! お前の結婚相手は、一番金を持っていそうな者にする! どんな人物だろうがな……覚悟しておくとよい!」
父は踵を返し、部屋を飛び出していった。
その背中が、道化のよう。ふふ。
扉が閉まったあと、部屋に静寂が戻る。私は椅子に腰を下ろし、冷めかけた紅茶を口に含んだ。
*****
夜も更けて、館の空気がひんやりと静まり返ったころ。重く軋むような音を立てて、扉が開く。
「あら、お帰りなさいませ。お父様」
私は、オスカーが淹れてくれたナイトティーを味わっていた。
「……っ!」
父の足取りは重く、顔色は土気色で、汗はまだ拭い切れていない。その手には、査問機関で渡されたであろう“支払命令書”が握られていた。
「あの査問官ども……! まるで、悪魔だ!」
ずかずかと部屋に入り、私の前の机にその紙を叩きつける。
「支払い額は……十年分の追加税と、鉱山収益の返還……罰金も加えて……五千万リーヴル超えだぞ!? しかも、まずは今週中に五百万払えなど、どうやって払えというんだっ!!」
さも理不尽だと言いたげな怒声。
でも、ね。
「五千万、でしたか? 思っていたより少ないですわね。一億はいくかと」
私は肩をすくめて笑ってみせた。
父の顔が怒りと絶望で歪むのを見ると、胸の奥がすうっと冷えて、けれど、どこか愉快だった。
「貴族にあるまじき行為をした対価ですわ。お金を払うだけで許されるのですもの。お父様は運がいい方よ」
「……っ! 貴様……っ」
「ふふ、娘に“貴様”呼ばわりですか? もう親子の情もありませんのね」
とっくに知っていたけれど。
私は微笑みを崩さず、父の目をじっと見据えた。
「納めなければ爵位は剥奪、牢獄行きもありえますわね――そうなったら、爵位はだれのものかしら?」
「おまえ……まさか、最初から……!」
その瞬間、父の肩が崩れ落ちるように力を失った。座るでもなく、立ち尽くしたまま、声も出せずに私を見ている。
かわいそう? いいえ。少しも。お母様が亡くなってすぐ、血のつながっているという3ヶ月だけ年下の妹を連れてきたときから情など持ち合わせていないわ。
私は立ち上がり、父の横をすっとすり抜けた。
「ご機嫌よう、お父様。今夜はぐっすりお休みになってくださいね。夢の中でなら、まだ侯爵でいられるかもしれませんもの」
足音を立てずに扉を閉じると、背後からは何も聞こえてこなかった。
怒声も、詫びも、ましてや悔し涙も。――抜け殻になった人形のようね。
隣に立つオスカーを見上げる。
「こういう夜には、花の香りでも楽しみながら散歩がしたいわ」
「仰せのままに。お付き合いいたします」
微笑む彼の声に、ようやく心の底から笑みがこぼれた。
「そろそろ、来る頃かしら?」
カップの中で冷めかけた紅茶を揺らしながら、私はゆっくりとつぶやいた。オスカーが静かに頷く。
「そうですね」
彼の声は穏やかだったけれど、すでに扉の向こうから慌ただしい足音が迫っているのが聞こえていた。
あれは……走っている音。しかも、かなり苛立っている足取り。予想通りね。扉が勢いよく開かれた。
「これは何だ、ライラ!」
荒々しい声とともに、父が部屋に飛び込んでくる。額には汗、顔は紅潮し、手には何やら分厚い封筒が握られていた。
私はゆっくりと、カップを受け皿に戻す。そして、笑みを浮かべて、首を傾げた。
「あら? 何かの請求書でも届きましたか?」
けれど、父の顔は私の台詞を受け止めるような余裕など持ち合わせていなかった。
「そんなかわいい物ではない。なぜお前は、っ……! 実の親を告訴するのだ!!」
あらかじめ温めておいたセリフを、私は涼しい顔で口にする。
「ああ、そちらでしたか? 私、お父様から爵位を継ぐとばかり思っていましたので、黙っていたのですが――継がないのであれば、国民として。明らかにした方が、国のためかと思いまして」
口元に指を当てて、控えめに笑ってみせる。
――正義感から、などというつもりはないけれど。
「なっ……!」
父の顔が一瞬にして青ざめる。その動揺を、私はじっくりと味わうように眺めた。
「事実でしょう? お父様が領地の税率を国に黙って上げていることも、国に納める税を巧妙にごまかしていたことも。……それから、私が亡き母から受け継いだ鉱山の利益の一部を、黙って自分の懐に入れていたことも」
父の手がピクリと震えた。握っていた書類の角が折れる。
「なぜ……なぜお前がそんなことを知っているんだ!」
心の中で肩をすくめる。
「知らないわけないですわ。爵位を継がせると豪語して、商会の仕事や領地の書類仕事をすべて私に回してきたのは……他ならぬお父様ですもの。帳簿の流れを見れば、お金の“異常な動き”なんて一目瞭然ですわ」
「くそ……! よりによって、査問機関から呼び出しを受けるとは……。くっ、追加税を払うことで何とかなるだろうか……。いや、それより……娘のお前の金を使ったことを咎めるなど、大袈裟な真似を……っ! 親が娘の資産を管理することは当然だろう!」
その言葉に、私は小さく笑った。
「私の財産を“管理する”のと、“勝手に使う”のは違いますわよ。鉱山の利益はすべて私の正式な個人資産。国の法律にもそう記されています」
ゆっくりと一歩、父に近づく。
堂々と、まっすぐその目を見据えながら言い放つ。
「使った分をすぐにでも返してくださるというのであれば、私の分の訴えは取り下げてもいいのですけど」
微笑む私の顔を、父は悪夢でも見ているように見つめていた。
「……と、とりあえず、今すぐ行かねばならない。帰ってからだ。この話の続きは……!」
逃げ口上。情けない台詞ね。
「ああ、そうだ、決めた! お前の結婚相手は、一番金を持っていそうな者にする! どんな人物だろうがな……覚悟しておくとよい!」
父は踵を返し、部屋を飛び出していった。
その背中が、道化のよう。ふふ。
扉が閉まったあと、部屋に静寂が戻る。私は椅子に腰を下ろし、冷めかけた紅茶を口に含んだ。
*****
夜も更けて、館の空気がひんやりと静まり返ったころ。重く軋むような音を立てて、扉が開く。
「あら、お帰りなさいませ。お父様」
私は、オスカーが淹れてくれたナイトティーを味わっていた。
「……っ!」
父の足取りは重く、顔色は土気色で、汗はまだ拭い切れていない。その手には、査問機関で渡されたであろう“支払命令書”が握られていた。
「あの査問官ども……! まるで、悪魔だ!」
ずかずかと部屋に入り、私の前の机にその紙を叩きつける。
「支払い額は……十年分の追加税と、鉱山収益の返還……罰金も加えて……五千万リーヴル超えだぞ!? しかも、まずは今週中に五百万払えなど、どうやって払えというんだっ!!」
さも理不尽だと言いたげな怒声。
でも、ね。
「五千万、でしたか? 思っていたより少ないですわね。一億はいくかと」
私は肩をすくめて笑ってみせた。
父の顔が怒りと絶望で歪むのを見ると、胸の奥がすうっと冷えて、けれど、どこか愉快だった。
「貴族にあるまじき行為をした対価ですわ。お金を払うだけで許されるのですもの。お父様は運がいい方よ」
「……っ! 貴様……っ」
「ふふ、娘に“貴様”呼ばわりですか? もう親子の情もありませんのね」
とっくに知っていたけれど。
私は微笑みを崩さず、父の目をじっと見据えた。
「納めなければ爵位は剥奪、牢獄行きもありえますわね――そうなったら、爵位はだれのものかしら?」
「おまえ……まさか、最初から……!」
その瞬間、父の肩が崩れ落ちるように力を失った。座るでもなく、立ち尽くしたまま、声も出せずに私を見ている。
かわいそう? いいえ。少しも。お母様が亡くなってすぐ、血のつながっているという3ヶ月だけ年下の妹を連れてきたときから情など持ち合わせていないわ。
私は立ち上がり、父の横をすっとすり抜けた。
「ご機嫌よう、お父様。今夜はぐっすりお休みになってくださいね。夢の中でなら、まだ侯爵でいられるかもしれませんもの」
足音を立てずに扉を閉じると、背後からは何も聞こえてこなかった。
怒声も、詫びも、ましてや悔し涙も。――抜け殻になった人形のようね。
隣に立つオスカーを見上げる。
「こういう夜には、花の香りでも楽しみながら散歩がしたいわ」
「仰せのままに。お付き合いいたします」
微笑む彼の声に、ようやく心の底から笑みがこぼれた。
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