【完結】ご期待に、お応えいたします

楽歩

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24.幕間 休息 side 王太子

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 side 王太子



「ルキウス殿下、口元が緩んでいますよ」


 カイエンの声が、静まり返った執務室にふわりと落ちる。


「おっと、油断していたよ」


 手にしていた羽ペンを止めて、苦笑する。


「いや、その緩む気持ち、分かりますよ? ウィンチェスター公爵令嬢のことを考えていたのでしょう?」

「はは、ばれたか」


 カイエンには、見抜かれてしまう。



「ウィンチェスター公爵令嬢のおかげで、精霊姫様が急に執務室に押しかけてくることもなくなりましたし、本当に、感謝しています」


 カイエンの声には、心底ほっとした色が滲んでいた。

 精霊姫は、“知りたいことがあるのです”と、頻繁に執務室に現れ、お付きの者でも分かるようなことを聞いては帰って行くのだから。


 もちろん断ることはできた。

 しかし彼女は“精霊姫”──精霊庁が認定した、この国に恵みと均衡をもたらす存在。どんな高位貴族も、軽々しく扱える相手ではない。王族とて同じ。

 精霊姫の存在を確かめる方法は、各地を巡って行われる《響きの儀》と呼ばれる儀式だった。握らせるのは、古代より伝わる《アクルム石》──深碧色をした小さな宝石。

 精霊の気配を宿す者の手に渡ると、まるで波紋のように光を放つのだ。

 しかし、それだけではない。

《アクルム石》に触れている間は、精霊姫の周囲にいる精霊たちの姿が目に見えるようになり、その“声”さえも聞こえるようになる。

 それは、精霊姫だけではなく、その場にいる誰もが──目の当たりにし、耳にすることができる現象だった。

 だからこそ、精霊姫が見つかったとき、国は歓喜に沸き、祝福の声で満ちた。


 けれど、私にとって、その代償は、決して小さなものではなかった。



「本当に、フェリが、世話役を引き受けてくれたおかげだ」


 ふと書類から目を上げる。


「ええ、殿下。理由がなくなりましたからね。精霊姫が頻繁に来る口実が──」


 万が一泣かせてしまい、精霊が怒り出すかと思えば、正面から苦言を呈することができなかった。




「きっと殿下が、お疲れなのに気付いたのですよ」



 落ち着いた口調でそう言うカイエンの声が、執務室の静寂に溶けていく。


「そうだろうか?」



 フェリから、一通の手紙が届いたのは二週間ほど前だった。丁寧な筆致で、けれどどこか彼女らしく真っすぐに書かれていた。


『ベス様と私とのやりとりを、できるだけ干渉せず見守ってほしいのです』


 最初は、何のことだかよく分からなかった。

 ただ、彼女が何か考えて行動しているという確信だけはあった。フェリは聡明だ。



「そうですよ! 学院で、精霊姫と自称“ご友人”の方々に囲まれることもなくなりましたし。あの時間、本当に苦痛でした」


 カイエンの声に、わずかな苛立ちが混じる。

 彼もまた、護衛としてあの場に何度も居合わせていたのだ。周囲に集まる令嬢たちの、見え透いた笑顔と牽制の応酬。

 そのどれもが、時間と心を削る無意味な儀式に思えてならなかった。


「カイエンは、退屈という顔が隠しきれていなかったよ」

「殿下は常に笑顔で、さすがです。“ご友人”、間違いなく殿下の側室狙いでしたよ」

「困ったものだ。私は父上同様、側室など持つ気はないというのに」

「媚びるような目、甘ったるい言い方、牽制し合う会話……あー、怖いですね令嬢って」



 冗談交じりに言いながらも、カイエンの声には疲れがにじんでいた。

 フェリの悪い噂──それが流れていることは、とうに把握している。誰が流したか、見当はついていた。ベス嬢とあの場で“ご友人”を名乗っていた面々。そして、お付きの者たち。

 私のフェリを“悪役令嬢”と呼ぶなど、笑止。

 ありもしない物語をねつ造する者たちに、密かに怒りを燃やしていた。

 ──制裁は、必ず行う。

 しかし、フェリが何かを仕掛けようとしているなら、それを尊重するのも一つの選択だ。



「今は、いないだろうが、お前もいずれは、婚約者を持つのだぞ」


 ふと、話題を変えるように口を開いた。


「……分かっています。実家の父もうるさくて。あー、どこかに、常識ある、冷静で、しっかり者の美しい令嬢いませんかね」


 苦笑混じりに言いながら、カイエンは窓の方を仰いだ。

 彼は侯爵家の次男。

 立場的には家の後継ではないが、卒業後は、私付きの近衛騎士として私に仕え、いずれは爵位を得て、隊長の座を任される身だ。その未来を羨む者たちは、少なくない。

 あの“ご友人”たちが、カイエンのことを密かに狙っていたことに、本人だけが気付いていない。まったく、純粋というか、無防備というか。


「はは、探しておくよ」

「絶対ですよ、殿下。ウィンチェスター公爵令嬢にも頼んでくださいね」



 ふとお茶会の記憶が差し込む。

 ──あのタルトの香り。


 フェリが作ったタルトは本当においしかった。



「殿下、今度は顔全体が緩んでいますよ。タルトのことを考えていましたね?」

「よく分かったね」

「分かりますよ。殿下が好きなタルトを、殿下が好きなウィンチェスター公爵令嬢がつくったんです。顔くらい、緩みますって」


 言われてみれば、と自嘲気味に微笑む。

 公爵令嬢であるフェリが、自ら厨房に立ち、火を使い、菓子を作る。それは、貴族社会において簡単に許されることではなかった。



「よく公爵が許したものだ」

「それこそ、お疲れの殿下のために必死でお願いしたのではないですか? 私は感動しております」


 娘を溺愛していることで知られるウィンチェスター公爵ですら、娘が厨房に立つことには反対したに違いない。火傷でも、怪我でもすれば、それだけで取り返しのつかない事態となるのだから。


「厨房に立って、一生懸命作っているフェリを想像しながら食べると、よりおいしい気がしたよ」

「私しかいませんから、思いっきり、にやついていいのですよ、殿下」


 からかうようなカイエンの言葉に、つい口元がゆるむ。いや、もはや緩んでいるどころではないのかもしれない。


「フェリのタルトは、まだ残っていたかな?」


 我ながら子どもじみた問いだと思いつつも、口をついて出た言葉は抑えようがなかった。


「ええ、二つあります。休憩に持ってきましょうか?」

「ああ、そうしてくれ。一緒に食べよう」


 私の提案に、カイエンは目を細めて笑った。


「私もいただいてよろしいのですか?」

「もちろんだ。おいしいものは、誰かと食べた方がよりおいしい。フェリは、きっとまた作ってくれるよ」



 きっとまた──その想いに、根拠のない確信があった。


「じゃあ、遠慮なく、いただきます」



 カイエンの表情に、珍しく無邪気な笑みが浮かぶ。

 タルトの甘さが、嬉しさとして心に残っている。タルトが彼女の手によるものだというだけで、嬉しさが何倍にも膨らんでしまうのだから……本当に、厄介だ。



 ──次は、一体何をするつもりなのやら。

 ふと、そんなことを思った。フェリは静かに、しかし確実に私の世界を変えていく。

 タルトひとつで、ここまで私の心を軽くする。

 そう思うと、また頬が緩むのだった。



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