38 / 40
38.祝福の記憶を思い出す
しおりを挟む
「今日は、精霊の姿が見えるアクルム石のネックレスをしていないのね?」
向かいの席から、ヴィアが興味深そうに私を見つめてきた。紅茶の湯気の向こうで、その瞳がわずかに好奇心を帯びて輝く。
「ええ。邸にいる数時間、あとは式典などのときだけにすることにしたの」
私は微笑みながら、そっとカップを受け皿に戻した。
――精霊は、おしゃべりで、そして、とびきりのいたずら好き。
夜更けまで精霊とおしゃべりをし、思わず、うっかりネックレスをつけたまま眠ってしまった、あの夜のことがよみがえる。
翌朝、目を開けて最初に感じたのは、妙に髪が重たいという違和感だった。鏡の前に立った瞬間、その理由がわかる。
見事なまでに巻き上げられた髪は、色とりどりの花や小さなリボンで飾られ、まるで祝祭の花冠をかぶっているかのよう。しかもその巻き具合は、熟練の髪結い師も顔負けの完成度だった。
けれど、その精緻な芸術作品をほどくのに、一時間以上を費やしたのだ。髪を引っ張られるたびにため息をつき、頭は痛み、鏡の中の私は途方に暮れるばかり。
――どうやら精霊たちは、私を飾り立てれば私が喜んでくれると思ったらしい。
「よく、精霊が許してくれましたわね」
ライラは目を丸くして言った。彼女の言葉に、私は肩を小さくすくめる。
「ええ、前、精霊たちの無邪気な振る舞いの結果に私が、ひどく悲しそうな顔をしたから……お願いを聞いて今度は喜ばせようと思ってくれたみたい。あとは……これも理由のひとつ」
そう言って、私はそっとテーブルの上に小さな木箱を置いた。磨き込まれたマホガニーの木肌には繊細な蔦の彫刻が施され、蓋を開けると、ふわりと甘い香りが広がる。
中には色とりどりのマカロンが花の輪のように並び、ラベンダー色、ミントグリーン、苺のようなピンク――淡い光沢をまとって、小さな宝石のように輝いていた。
「まあ、素敵! もしかしてこれもフェリシア様がお作りになったのですか?」
ライラの瞳がぱっと輝き、その喜びに満ちた顔は春の陽だまりのように柔らかい。
「ええ、今朝焼いたばかり。近くにいる精霊たちへの、おすそ分けなの」
そう告げた、その瞬間――マカロンのひとつがふわりと宙に浮き、淡い光の粒を散らしながら、風に攫われるようにすっと姿を消した。
「あっ、ああ……マカロンが……!」
ライラの声がわずかに震える。視線は消えたお菓子の行方を追い、唇を小さく尖らせている。きっと、本気で食べたかったのだろう。
「ふふ、大丈夫。ちゃんとライラの分も取ってあるわ」
私は笑みを含ませながら、もうひとつの小箱を取り出す。花柄の箱に入ったマカロンを、彼女とヴィアの前へひとつずつ置いた。
それぞれの好みに合わせて焼き上げた、小さな贈り物――甘い香りがテーブルの上でふんわりと溶け合っていった。
「私が許可を出すと、精霊たちにお菓子を分け与えることができるの。毎日一回、という約束をしたわ」
紅茶の香りに混じって、マカロンの甘い香りが漂う。
「見えないだけで、すぐそばにいるということね」
ヴィアがそう呟いた。落ち着いた低い声で、紅茶のカップを唇に運ぶ。彼女の深緑のドレスが午後の光を受けて、静かに煌めいた。
「ええ、そうみたい。どんなお菓子でも喜んでくれるけれど、特に私の手作りは格別に嬉しいみたいなの。だから、お菓子作りをこれからも続けてもいいと、国王陛下から正式に許可をいただけたのよ」
「確かに、精霊たちは嬉しそうね。雨も降っていなかったのに、虹が出てきたもの」
ヴィアが空を観ながら微笑む。
「ふふ、これからはお菓子作りを始める令嬢たちも増えそうですわね。私は食べる専門ですので、フェリシア様、どうかこれからもよろしくお願いいたします」
「ええ、任せて」
私はそう言って微笑んだ。午後の光がレースのカーテン越しに差し込み、ティーカップの影を淡くテーブルに落としている。優しくて、満ち足りた、静かなひとときだった。
しばらくして、ヴィアが懐かしそうに目を細める。
「それにしても……フェリが“精霊姫”だなんて。けれど思い返せば、小さい頃から、あなたがうちに遊びに来ると、庭の花が一斉に美しく咲いたのよ。不思議なくらいに」
「一緒にお出かけした日も、雨が降ったことなんて一度もありませんでしたわね」
ライラも頷きながら、遠い記憶を手繰るように目を伏せる。
「自然豊かな土地に現れる“精霊姫”の伝説は昔からあるけれど、これからは王都の令嬢たちも儀式の対象になるそうね」
ヴィアが言い、私は静かに頷く。
「ええ。私のように、自然に恵まれた領地で育った者の存在が、“前例”として認められたもの」
幼い頃、体の弱かった母と一緒に、湖の綺麗な領地で静かに過ごした日々。あの時間こそが、私の精霊との繋がりを深めていたのかもしれない。
「令息たちも調べたら、案外、“精霊王子”もいるかもしれませんわね」
ライラがおかしそうに言う。確かに、精霊に愛されるのが女性だけとは、限らないわね。
精霊が見えて話しかけられたら愛し子という思い込み、自然豊かな地にのみ精霊姫が現れるという思い込み、そうね、姫しかいないという思い込みもあるかもしれない。
紅茶を一口すすると、香りが鼻先をくすぐる。けれど、その穏やかな空気を切り裂くようにライラがそっと言った。
「――もう一人の姫は、どうしているのでしょうか」
向かいの席から、ヴィアが興味深そうに私を見つめてきた。紅茶の湯気の向こうで、その瞳がわずかに好奇心を帯びて輝く。
「ええ。邸にいる数時間、あとは式典などのときだけにすることにしたの」
私は微笑みながら、そっとカップを受け皿に戻した。
――精霊は、おしゃべりで、そして、とびきりのいたずら好き。
夜更けまで精霊とおしゃべりをし、思わず、うっかりネックレスをつけたまま眠ってしまった、あの夜のことがよみがえる。
翌朝、目を開けて最初に感じたのは、妙に髪が重たいという違和感だった。鏡の前に立った瞬間、その理由がわかる。
見事なまでに巻き上げられた髪は、色とりどりの花や小さなリボンで飾られ、まるで祝祭の花冠をかぶっているかのよう。しかもその巻き具合は、熟練の髪結い師も顔負けの完成度だった。
けれど、その精緻な芸術作品をほどくのに、一時間以上を費やしたのだ。髪を引っ張られるたびにため息をつき、頭は痛み、鏡の中の私は途方に暮れるばかり。
――どうやら精霊たちは、私を飾り立てれば私が喜んでくれると思ったらしい。
「よく、精霊が許してくれましたわね」
ライラは目を丸くして言った。彼女の言葉に、私は肩を小さくすくめる。
「ええ、前、精霊たちの無邪気な振る舞いの結果に私が、ひどく悲しそうな顔をしたから……お願いを聞いて今度は喜ばせようと思ってくれたみたい。あとは……これも理由のひとつ」
そう言って、私はそっとテーブルの上に小さな木箱を置いた。磨き込まれたマホガニーの木肌には繊細な蔦の彫刻が施され、蓋を開けると、ふわりと甘い香りが広がる。
中には色とりどりのマカロンが花の輪のように並び、ラベンダー色、ミントグリーン、苺のようなピンク――淡い光沢をまとって、小さな宝石のように輝いていた。
「まあ、素敵! もしかしてこれもフェリシア様がお作りになったのですか?」
ライラの瞳がぱっと輝き、その喜びに満ちた顔は春の陽だまりのように柔らかい。
「ええ、今朝焼いたばかり。近くにいる精霊たちへの、おすそ分けなの」
そう告げた、その瞬間――マカロンのひとつがふわりと宙に浮き、淡い光の粒を散らしながら、風に攫われるようにすっと姿を消した。
「あっ、ああ……マカロンが……!」
ライラの声がわずかに震える。視線は消えたお菓子の行方を追い、唇を小さく尖らせている。きっと、本気で食べたかったのだろう。
「ふふ、大丈夫。ちゃんとライラの分も取ってあるわ」
私は笑みを含ませながら、もうひとつの小箱を取り出す。花柄の箱に入ったマカロンを、彼女とヴィアの前へひとつずつ置いた。
それぞれの好みに合わせて焼き上げた、小さな贈り物――甘い香りがテーブルの上でふんわりと溶け合っていった。
「私が許可を出すと、精霊たちにお菓子を分け与えることができるの。毎日一回、という約束をしたわ」
紅茶の香りに混じって、マカロンの甘い香りが漂う。
「見えないだけで、すぐそばにいるということね」
ヴィアがそう呟いた。落ち着いた低い声で、紅茶のカップを唇に運ぶ。彼女の深緑のドレスが午後の光を受けて、静かに煌めいた。
「ええ、そうみたい。どんなお菓子でも喜んでくれるけれど、特に私の手作りは格別に嬉しいみたいなの。だから、お菓子作りをこれからも続けてもいいと、国王陛下から正式に許可をいただけたのよ」
「確かに、精霊たちは嬉しそうね。雨も降っていなかったのに、虹が出てきたもの」
ヴィアが空を観ながら微笑む。
「ふふ、これからはお菓子作りを始める令嬢たちも増えそうですわね。私は食べる専門ですので、フェリシア様、どうかこれからもよろしくお願いいたします」
「ええ、任せて」
私はそう言って微笑んだ。午後の光がレースのカーテン越しに差し込み、ティーカップの影を淡くテーブルに落としている。優しくて、満ち足りた、静かなひとときだった。
しばらくして、ヴィアが懐かしそうに目を細める。
「それにしても……フェリが“精霊姫”だなんて。けれど思い返せば、小さい頃から、あなたがうちに遊びに来ると、庭の花が一斉に美しく咲いたのよ。不思議なくらいに」
「一緒にお出かけした日も、雨が降ったことなんて一度もありませんでしたわね」
ライラも頷きながら、遠い記憶を手繰るように目を伏せる。
「自然豊かな土地に現れる“精霊姫”の伝説は昔からあるけれど、これからは王都の令嬢たちも儀式の対象になるそうね」
ヴィアが言い、私は静かに頷く。
「ええ。私のように、自然に恵まれた領地で育った者の存在が、“前例”として認められたもの」
幼い頃、体の弱かった母と一緒に、湖の綺麗な領地で静かに過ごした日々。あの時間こそが、私の精霊との繋がりを深めていたのかもしれない。
「令息たちも調べたら、案外、“精霊王子”もいるかもしれませんわね」
ライラがおかしそうに言う。確かに、精霊に愛されるのが女性だけとは、限らないわね。
精霊が見えて話しかけられたら愛し子という思い込み、自然豊かな地にのみ精霊姫が現れるという思い込み、そうね、姫しかいないという思い込みもあるかもしれない。
紅茶を一口すすると、香りが鼻先をくすぐる。けれど、その穏やかな空気を切り裂くようにライラがそっと言った。
「――もう一人の姫は、どうしているのでしょうか」
2,800
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』
ふわふわ
恋愛
婚約者である王太子アルベルトから、一方的に婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。
だが彼女は、涙も復讐も選ばなかった。
「婚約は、役目でしたもの。終わったのなら、それで結構ですわ」
王宮を去ったエレノアは、領地に戻り、
干渉しない・依存しない・無理をしない
ただそれだけを軸に、静かに領地運営を始める。
一方、王となったアルベルトもまた、
彼女に頼らないことを選び、
「一人の判断に依存しない国」を作るための統治に身を投じていた。
復縁もしない。
恋にすがらない。
それでも、二人の選択は確かに国を安定へと導いていく。
これは、
交わらないことを選んだ二人が、
それぞれの場所で“続けられる世界”を完成させる物語。
派手なざまぁも、甘い溺愛もない。
けれど、静かに積み重なる判断と選択が、
やがて「誰にも壊せない秩序」へと変わっていく――。
婚約破棄から始まる、
大人のための静かなざまぁ恋愛ファンタジー
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ】伯爵令嬢の責務
ごろごろみかん。
恋愛
見てしまった。聞いてしまった。
婚約者が、王女に愛を囁くところを。
だけど、彼は私との婚約を解消するつもりは無いみたい。
貴族の責務だから政略結婚に甘んじるのですって。
それなら、私は私で貴族令嬢としての責務を果たすまで。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる