【完結】ご期待に、お応えいたします

楽歩

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38.祝福の記憶を思い出す

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「今日は、精霊の姿が見えるアクルム石のネックレスをしていないのね?」


 向かいの席から、ヴィアが興味深そうに私を見つめてきた。紅茶の湯気の向こうで、その瞳がわずかに好奇心を帯びて輝く。


「ええ。邸にいる数時間、あとは式典などのときだけにすることにしたの」


 私は微笑みながら、そっとカップを受け皿に戻した。

 ――精霊は、おしゃべりで、そして、とびきりのいたずら好き。

 夜更けまで精霊とおしゃべりをし、思わず、うっかりネックレスをつけたまま眠ってしまった、あの夜のことがよみがえる。
 翌朝、目を開けて最初に感じたのは、妙に髪が重たいという違和感だった。鏡の前に立った瞬間、その理由がわかる。

 見事なまでに巻き上げられた髪は、色とりどりの花や小さなリボンで飾られ、まるで祝祭の花冠をかぶっているかのよう。しかもその巻き具合は、熟練の髪結い師も顔負けの完成度だった。

 けれど、その精緻な芸術作品をほどくのに、一時間以上を費やしたのだ。髪を引っ張られるたびにため息をつき、頭は痛み、鏡の中の私は途方に暮れるばかり。

 ――どうやら精霊たちは、私を飾り立てれば私が喜んでくれると思ったらしい。

「よく、精霊が許してくれましたわね」


 ライラは目を丸くして言った。彼女の言葉に、私は肩を小さくすくめる。


「ええ、前、精霊たちの無邪気な振る舞いの結果に私が、ひどく悲しそうな顔をしたから……お願いを聞いて今度は喜ばせようと思ってくれたみたい。あとは……これも理由のひとつ」


 そう言って、私はそっとテーブルの上に小さな木箱を置いた。磨き込まれたマホガニーの木肌には繊細な蔦の彫刻が施され、蓋を開けると、ふわりと甘い香りが広がる。

 中には色とりどりのマカロンが花の輪のように並び、ラベンダー色、ミントグリーン、苺のようなピンク――淡い光沢をまとって、小さな宝石のように輝いていた。



「まあ、素敵! もしかしてこれもフェリシア様がお作りになったのですか?」


 ライラの瞳がぱっと輝き、その喜びに満ちた顔は春の陽だまりのように柔らかい。


「ええ、今朝焼いたばかり。近くにいる精霊たちへの、おすそ分けなの」


 そう告げた、その瞬間――マカロンのひとつがふわりと宙に浮き、淡い光の粒を散らしながら、風に攫われるようにすっと姿を消した。


「あっ、ああ……マカロンが……!」


 ライラの声がわずかに震える。視線は消えたお菓子の行方を追い、唇を小さく尖らせている。きっと、本気で食べたかったのだろう。


「ふふ、大丈夫。ちゃんとライラの分も取ってあるわ」


 私は笑みを含ませながら、もうひとつの小箱を取り出す。花柄の箱に入ったマカロンを、彼女とヴィアの前へひとつずつ置いた。
 それぞれの好みに合わせて焼き上げた、小さな贈り物――甘い香りがテーブルの上でふんわりと溶け合っていった。



「私が許可を出すと、精霊たちにお菓子を分け与えることができるの。毎日一回、という約束をしたわ」


 紅茶の香りに混じって、マカロンの甘い香りが漂う。


「見えないだけで、すぐそばにいるということね」


 ヴィアがそう呟いた。落ち着いた低い声で、紅茶のカップを唇に運ぶ。彼女の深緑のドレスが午後の光を受けて、静かに煌めいた。


「ええ、そうみたい。どんなお菓子でも喜んでくれるけれど、特に私の手作りは格別に嬉しいみたいなの。だから、お菓子作りをこれからも続けてもいいと、国王陛下から正式に許可をいただけたのよ」


「確かに、精霊たちは嬉しそうね。雨も降っていなかったのに、虹が出てきたもの」


 ヴィアが空を観ながら微笑む。


「ふふ、これからはお菓子作りを始める令嬢たちも増えそうですわね。私は食べる専門ですので、フェリシア様、どうかこれからもよろしくお願いいたします」

「ええ、任せて」


 私はそう言って微笑んだ。午後の光がレースのカーテン越しに差し込み、ティーカップの影を淡くテーブルに落としている。優しくて、満ち足りた、静かなひとときだった。

 しばらくして、ヴィアが懐かしそうに目を細める。



「それにしても……フェリが“精霊姫”だなんて。けれど思い返せば、小さい頃から、あなたがうちに遊びに来ると、庭の花が一斉に美しく咲いたのよ。不思議なくらいに」

「一緒にお出かけした日も、雨が降ったことなんて一度もありませんでしたわね」


 ライラも頷きながら、遠い記憶を手繰るように目を伏せる。



「自然豊かな土地に現れる“精霊姫”の伝説は昔からあるけれど、これからは王都の令嬢たちも儀式の対象になるそうね」


 ヴィアが言い、私は静かに頷く。


「ええ。私のように、自然に恵まれた領地で育った者の存在が、“前例”として認められたもの」


 幼い頃、体の弱かった母と一緒に、湖の綺麗な領地で静かに過ごした日々。あの時間こそが、私の精霊との繋がりを深めていたのかもしれない。



「令息たちも調べたら、案外、“精霊王子”もいるかもしれませんわね」


 ライラがおかしそうに言う。確かに、精霊に愛されるのが女性だけとは、限らないわね。

 精霊が見えて話しかけられたら愛し子という思い込み、自然豊かな地にのみ精霊姫が現れるという思い込み、そうね、姫しかいないという思い込みもあるかもしれない。


 紅茶を一口すすると、香りが鼻先をくすぐる。けれど、その穏やかな空気を切り裂くようにライラがそっと言った。


「――もう一人の姫は、どうしているのでしょうか」










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