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第三章 松井柊子
最終話 二人の家
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木馬の修繕が終え、柊子は貴久と共に梓の家に納品に向かった。
検品が終えたとき、梓の長女がやってきて柊子に挨拶をした。
「卓朗叔父さんは、元気ですか」
彼女は、柊子が誰なのかを知ると、すかさずそう聞いてきた。元気だと答えると、彼女はそれ以上、卓朗のことは聞かなかった。
「本当は、孝文兄さんのところの葉月君に、この木馬をあげたくないんです。私はもう乗れないけど、好きだから。でも、乗ってほしいとも思って。小さな子が乗ってるのが、本当に可愛いんです」
「なら、葉月君が乗らなくなったら、返してもらいましょう。とてもいいものだから、返ってきてもまだ綺麗だと思うんです」
柊子の返事に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
柊子と貴久が帰るとき、梓は二人を見送りに出てきた。気を利かせた貴久が先に車に戻った。
「私はまだ卓朗に会いたいなんてこれっぽっちも思えないんだけど」
「はあ」
「万が一、将来、もう一度卓朗に会いたいって思ったときに、柊子さんにもあいだに入ってほしいです」
柊子は、分かりましたと深々頭を下げた。梓もまた、柊子と同じくらいに丁寧に頭を下げた。
◇◇◇
まあこうなるだろうと思ってたと、やはり福海は笑って言った。
「そりゃそうですよね。コンセプトをきっちり教えて下さったクライアントさんでしたから」
卓朗と福海はまた休憩スペースにいた。
二人の提出したデザインは、どれも似たようなものだった。それからお互いに調整を入れ、「主に考えたのは松井卓朗」という体で提出した。クライアントは納得した。さらに調整が入り、再来月には施工に入る。
「福海さん、よかったんですか」
「クライアント様のお願いだからねえ」
福海は肩をすくめた。
「福海さんあのとき、ああ言って、俺に発破かけました?」
「お、いいねえ。その俺を上げてくれる感だいすき。スポ根漫画みたい。サンデーで連載してそう」
卓朗は持っている珈琲が急に不味くなったかのような顔をした。福海は空いている手を胸に当てた。
「俺には俺の特権があるって気付いたんだよ」
「なんですかそれは」
福海は顎を斜め上にあげ、ふっと達観した笑みを浮かべた。
「松井が有名になって、NHKで『巨匠松井卓朗、その軌跡を辿る』ってタイトルの特集が組まれたときに」
「絶対に組まれませんよ」
「まあ聞けよ。そういう番組はな。中盤くらいから知人の証言ってのが入るんだよ。そんときに俺のインタビュー映像が映る。俺は自分ちの書斎でこう言うんだ、『彼は私が育てました』って。渋すぎじゃねえ? 俺今から自分ちの書斎の設計図描くわ」
卓朗はしらけた目で福海を見た。
「おいおい。そんな目で見てもさあ、松井は俺みたいな得体のしれない系大好きだろ?」
「自分で得体がしれないとか言いますかね」
「うるせえよそうだよお前はいつだって養殖でなくて天然にこだわってさあ。いつだってそうだよ本当に」
◇◇◇
柊子は、ベッドの足下にある卓朗の寝間着の上を手に取り、それを羽織った。彼の匂いがする。さっきまで共に眠っていたシーツと同じ匂い。
卓朗の体温から離れた、ちょっとした寂しさを紛らわすにはちょうどいい。
夫の部屋を出ながら釦を留め、素足でぺたぺたと階段を降り、一階のリビングの端にある自分の椅子にこしかけた。
朝の光がすでに部屋に、短くであるが射している。遮光でないカーテンからは日が漏れていた。暑くなりそうな日差しだ。
大きな窓の向こうではヤマボウシが満開に咲いている。
「おはよう。いいね」
声をかけられ、奥を見ると、卓朗が寝間着のズボンだけを履いた格好で立っていた。
「おはよう……いいねって、何が?」
「今の柊子の格好。絵にして置いておきたい」
その言葉を聞いて、柊子は笑った。卓朗も柊子と同じ事を考えているのがおかしかった。
「こんな格好、あなた以外に見せたくない」
「俺もだよ。だから俺が描く」
「……本気?」
「本気」
卓朗は冷蔵庫から麦茶を出し、二本のグラスに注いでから、それを持って柊子のそばまでやってきた。グラスの一つを柊子に手渡し、対面の卓朗用の椅子に座る。妻と同じように足を組んで、その指先で柊子の足先をつついた。
「寒くない?」
「大丈夫よ。卓朗さんは?」
「俺も平気」
柊子も改めて、上半身裸で、椅子にくつろぐ夫を見た。
「私も、卓朗さんの今の姿を絵でも見たい。描いて」
「……いや、それは勘弁してくれ」
二人は笑い合ってお茶を飲んだ。空になった柊子のグラスを卓朗が受け取り、それをサイドテーブルの上に置いた。
新しい家に入ってから買ったものだ。柊子が選んだ。フィン・ユールの椅子に雰囲気が合っていて一目惚れした。
ただ、卓朗もまた別のサイドテーブルを買おうとしていた。じゃんけんで決め、柊子が選んだものがここにある。ただし卓朗が選んだものは別の場所で使われている。
柊子の部屋で、オオサンショウウオの住処のひとつになっている。
終
検品が終えたとき、梓の長女がやってきて柊子に挨拶をした。
「卓朗叔父さんは、元気ですか」
彼女は、柊子が誰なのかを知ると、すかさずそう聞いてきた。元気だと答えると、彼女はそれ以上、卓朗のことは聞かなかった。
「本当は、孝文兄さんのところの葉月君に、この木馬をあげたくないんです。私はもう乗れないけど、好きだから。でも、乗ってほしいとも思って。小さな子が乗ってるのが、本当に可愛いんです」
「なら、葉月君が乗らなくなったら、返してもらいましょう。とてもいいものだから、返ってきてもまだ綺麗だと思うんです」
柊子の返事に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
柊子と貴久が帰るとき、梓は二人を見送りに出てきた。気を利かせた貴久が先に車に戻った。
「私はまだ卓朗に会いたいなんてこれっぽっちも思えないんだけど」
「はあ」
「万が一、将来、もう一度卓朗に会いたいって思ったときに、柊子さんにもあいだに入ってほしいです」
柊子は、分かりましたと深々頭を下げた。梓もまた、柊子と同じくらいに丁寧に頭を下げた。
◇◇◇
まあこうなるだろうと思ってたと、やはり福海は笑って言った。
「そりゃそうですよね。コンセプトをきっちり教えて下さったクライアントさんでしたから」
卓朗と福海はまた休憩スペースにいた。
二人の提出したデザインは、どれも似たようなものだった。それからお互いに調整を入れ、「主に考えたのは松井卓朗」という体で提出した。クライアントは納得した。さらに調整が入り、再来月には施工に入る。
「福海さん、よかったんですか」
「クライアント様のお願いだからねえ」
福海は肩をすくめた。
「福海さんあのとき、ああ言って、俺に発破かけました?」
「お、いいねえ。その俺を上げてくれる感だいすき。スポ根漫画みたい。サンデーで連載してそう」
卓朗は持っている珈琲が急に不味くなったかのような顔をした。福海は空いている手を胸に当てた。
「俺には俺の特権があるって気付いたんだよ」
「なんですかそれは」
福海は顎を斜め上にあげ、ふっと達観した笑みを浮かべた。
「松井が有名になって、NHKで『巨匠松井卓朗、その軌跡を辿る』ってタイトルの特集が組まれたときに」
「絶対に組まれませんよ」
「まあ聞けよ。そういう番組はな。中盤くらいから知人の証言ってのが入るんだよ。そんときに俺のインタビュー映像が映る。俺は自分ちの書斎でこう言うんだ、『彼は私が育てました』って。渋すぎじゃねえ? 俺今から自分ちの書斎の設計図描くわ」
卓朗はしらけた目で福海を見た。
「おいおい。そんな目で見てもさあ、松井は俺みたいな得体のしれない系大好きだろ?」
「自分で得体がしれないとか言いますかね」
「うるせえよそうだよお前はいつだって養殖でなくて天然にこだわってさあ。いつだってそうだよ本当に」
◇◇◇
柊子は、ベッドの足下にある卓朗の寝間着の上を手に取り、それを羽織った。彼の匂いがする。さっきまで共に眠っていたシーツと同じ匂い。
卓朗の体温から離れた、ちょっとした寂しさを紛らわすにはちょうどいい。
夫の部屋を出ながら釦を留め、素足でぺたぺたと階段を降り、一階のリビングの端にある自分の椅子にこしかけた。
朝の光がすでに部屋に、短くであるが射している。遮光でないカーテンからは日が漏れていた。暑くなりそうな日差しだ。
大きな窓の向こうではヤマボウシが満開に咲いている。
「おはよう。いいね」
声をかけられ、奥を見ると、卓朗が寝間着のズボンだけを履いた格好で立っていた。
「おはよう……いいねって、何が?」
「今の柊子の格好。絵にして置いておきたい」
その言葉を聞いて、柊子は笑った。卓朗も柊子と同じ事を考えているのがおかしかった。
「こんな格好、あなた以外に見せたくない」
「俺もだよ。だから俺が描く」
「……本気?」
「本気」
卓朗は冷蔵庫から麦茶を出し、二本のグラスに注いでから、それを持って柊子のそばまでやってきた。グラスの一つを柊子に手渡し、対面の卓朗用の椅子に座る。妻と同じように足を組んで、その指先で柊子の足先をつついた。
「寒くない?」
「大丈夫よ。卓朗さんは?」
「俺も平気」
柊子も改めて、上半身裸で、椅子にくつろぐ夫を見た。
「私も、卓朗さんの今の姿を絵でも見たい。描いて」
「……いや、それは勘弁してくれ」
二人は笑い合ってお茶を飲んだ。空になった柊子のグラスを卓朗が受け取り、それをサイドテーブルの上に置いた。
新しい家に入ってから買ったものだ。柊子が選んだ。フィン・ユールの椅子に雰囲気が合っていて一目惚れした。
ただ、卓朗もまた別のサイドテーブルを買おうとしていた。じゃんけんで決め、柊子が選んだものがここにある。ただし卓朗が選んだものは別の場所で使われている。
柊子の部屋で、オオサンショウウオの住処のひとつになっている。
終
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