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11話 節分がきた
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「それでね、あの人ったら耳を赤くしながら私にってエクレアを買ってきてくれたのよ」
「そうなんですか。それは嬉しいですね」
午後三時過ぎ。
長い白髪を左側で結んでいる年のいった女性がうふふと可愛らしく笑った。
常連である彼女は雪乃といい、一緒に暮らしている娘夫婦の話と仲の良い旦那さんの話をよくしてくれる。
ぶっきらぼうで愛情表現が分かりにくいけれど大切にしてくれるという旦那さんは、若い学生の客に教えてもらったツンデレというタイプのようで、聞いていて微笑ましい。
雪乃は烈の祖母の趣味仲間でもあった。
「雪乃さんと旦那さんは、本当に仲がいいですね」
「あら、嬉しいわあ。烈君はいい人いないのかしら?」
雪乃は昔から良くしてくれる。
おっとりとした優しい人だ。
噂話なんかの類もせず、のんびりとした雰囲気は癒し系だった。
いい人、と言われて思い浮かんだのは一人だった。
いやいやと頭の中で首を振り、穏やかに笑うピアニストを思考から追い出そうとする。
けれど最近烈の中で居座ってしまった男のことがチラついて仕方なく、烈は名前なんかの詳細は伏せて当たり障りないように知臣のことを話した。
誰かに相談めいたことをしたかったのかもしれない。
それを楽しそうに聞いていた雪乃が、驚いたように目を丸くする。
それもそうだろう。
列と彼女の仲は長いが、こんな話は欠片もしたことはない。
「あらあら、春ねえ」
「ち、違いますよ!」
「でもあの人もお付き合い前は遠回しにプレゼントくれたり、こまめに会いに来たり、手料理も強請られたのよ」
雪乃の言葉に、今度は烈が目を丸くした。
雪乃夫婦は時代背景としては珍しい恋愛結婚で、この界隈で評判のおしどり夫婦だ。
旦那さんは無愛想にしているけれど、いつも雪乃を気にかけていることは見ていればわかる。
そんな人と知臣の行動が一緒。
ぽかんと口が半開きになってしまった。
「一緒でしょう?あの人はわかりにくくてちょっと大変だったけど、烈君のお相手は直球ねえ。よほど烈君が好きなのかしら」
「ちが、そんなんじゃ、ただ」
慌てて言い募ろうとしたとき、サンキャッチャーが揺れながら引き戸の開く音がした。
「こんにちは」
よりによってタイミング悪く知臣だ。
何で!と声にならない悲鳴を上げてしまう。
「あら知臣さん」
「こんにちは雪乃さん、烈君」
常連同士の挨拶のあと、知臣が烈にしんなりと瞳を細める。
最近よく見る柔らかい微笑みに、烈は顔が熱くなるのを自覚した。
「ど、どうも、いらっしゃいませ」
赤くなってしどろもどろな声かけになってしまった。
ああーとしゃがみ込みたい衝動に駆られていると、視界の中の雪乃が目を丸くして烈と知臣を交互に見ていた。
「烈君もしかして」
「しー!」
慌てて口の前で人差し指を立てると、雪乃は「あら、うふふ」とコロコロと笑って了承するように口元を手で押さえた。
「何です?内緒話かな」
知臣が柔らかい笑みでカウンターに座る。
話をしていた内容に、烈は内心動揺しながら目を泳がせた。
「ええ、と」
「ええ、内緒話ですよ」
楽しそうに笑いながら、雪乃が目くばせしたことにホッとしながお冷を知臣の前に出した。
「ほうじ茶ラテですね」
「うん、お願い」
残念ながら、今日は知臣は甘味を食べられない日だ。
こういう日のためにカロリー控えめのビスケットか何か用意しようかとも思ったけれど、当然のように特別扱いしようとしていることに我に返りその計画は頓挫した。
ほうじ茶ラテも出して、三人で和やかにお喋りをする。
しばらくそんなゆっくりとした空間に、ガラガラと勢いよく引き戸が引かれた。
「こんにちはー!」
入ってきたのは小学生の女の子だった。
まだまだランドセルが大きく見える彼女は、日曜日にたまに母親と来るお客さんだ。
鍵っ子なので、たまに少しだけお喋りしにひょっこり顔を見せることがあるのだ。
母親からも平日に提供してあげたジュースやお菓子の金額は払わせてくれと言われている。
烈自身は善意での提供だからと言ったけれど、しっかりしている母親はそれでは逆に通いにくくなる。
たまの息抜きのための場所だから憂いを残したくないと言われれば、お金をしっかり貰うことにした経緯があった。
「こんにちは友梨香(ゆりか)ちゃん」
「こんにちは!あ、雪さんと知さんもいる」
にこにこと笑う友梨香に、名前を呼ばれた二人はこんにちはと微笑んだ。
常連の二人とは顔見知りだ。
人見知りしない友梨香ははじめて顔を合わせたときに元気よく自己紹介をして、打ち解けていた。
「今日はね、見せたいものがあって寄ったの」
「へえ、何かな?」
「これ!」
ランドセル以外に手に持っていた手提げから友梨香が取り出したのは鬼のお面だった。
友梨香の顔を隠せるほどの大きさで、耳の部分に輪ゴムがついていて、装着出来るようになっている。
「学校で作った!」
目や鼻が印刷されたお面に、友梨香が色を塗ったのだろう。
鬼の目は少女漫画のようにキラキラと星が描いてあり、全体の色合いはパステルカラーで何とも可愛らしく出来上がっている。
たまに来る女子高生のお客がゆめかわいい系などと言って見せてくれた画像を思い出した。
「ああ、そういえば今日は節分だっけ」
「そう!」
元気よく頷く友梨香に、知臣も烈同様に今気づいたというような顔でなるほどと頷いた。
「節分か。日本の行事はよく知らないから、気づかなかったな」
「学校で豆まきもしたの」
「あらいいわね。私の家も今日は恵方巻よ」
雪乃がおっとりと笑うのを、飲んでいたカップをソーサーに戻しながら知臣が不思議そうにする。
「恵方巻?」
そういえば日本文化にはあまり詳しくないだろうなと思い、烈が説明を口にした。
「巻き寿司ですよ。縁起物で商売繁盛や無病息災を祈願する風習として始まったのが最初らしいですね。それを節分では食べるんです」
「へえ、そんなのあるんだ」
「知さん知らないの?」
知臣の言葉に、お面を手提げになおしながら友梨香が驚いた声を上げた。
保育園でも小学校でもする所ではする行事だ。
知らない方が珍しい。
「知臣さんは外国で育ったから、日本の行事は詳しくないんだよ」
「へえ!凄い」
烈の説明に友梨香が弾んだ声を上げるのを、知臣が笑う。
小学生にとっては外国なんて想像もつかないのだろう。
正直地元を出たことがない烈にも想像はつかない。
「友梨香のおうちもね、今日は恵方巻って言ってた」
「そうなんだ。烈君も?」
知臣の疑問に烈は苦笑した。
残念ながらそんな予定はない。
「いえ、俺は一人ですし。でも婆ちゃんがいた頃は、恵方巻一本を恵方の方向に向いて食べてましたよ」
「恵方の方角?」
「それも節分行事ですね。福徳を司る神様のいる方向です」
祖母は行事のある日はなるべく烈に体験させようとしてくれた。
おかげで一年間に沢山の思い出がある。
「へえ、面白い。それに烈君の作る恵方巻は美味しいんだろうな」
「あらあら、じゃあ烈君に作ってもらったらどうかしら?」
「え!」
突然の雪乃の提案に、烈は素っ頓狂な声を出してしまった。
友梨香もそれいいねなどと笑っている。
「一人分作るのは寂しいけれど、二人で恵方巻を食べるのはきっと楽しいわよ」
何てことを提案するのだ。
知臣だって困るだろうと口を開きかけたけれど。
「烈君さえよければ一緒に食べたいな」
にっこりと微笑まれてしまった。
これでは迷惑だろうなんて思えないし、言えない。
「嫌?」
「そんなことないです!」
「よかった」
食い気味に返事をしてしまった。
知臣は満足そうにしているし、雪乃も同じように満足そうな笑みを浮かべている。
(うう、雪乃さん絶対誤解してる)
知臣はただの客なのだ。
そりゃあちょっと親しくしてくれているけれど、好きなんてそんなこと思っていないのに。
うっすらと頬が熱くなるのを誤魔化すように烈は無意味にカウンターの下へしゃがんで、冷蔵庫を確認する振りをした。
「お店閉める頃に迎えにくるよ」
カウンターの向こうから聞こえる知臣の声に、冷蔵庫から出る冷気に負けない熱さが頬に灯っていた。
※ ※ ※ ※
カフェが閉店した頃に知臣は迎えに来た。
店の前で閉店作業を終えて鍵をかけていた烈はそれに気づいて顔を上げる。
「おまたせ」
「いえ」
少しぎこちなくなってしまった気がして、これでは駄目だと烈は気合いを入れなおした。
「材料買って帰ろうか。僕の家でかまわない?」
「道具があるので、知臣さんさえよければ家に来ませんか?」
「烈君の家に?」
「狭いですけど」
知臣のマンションに比べたら大概の部屋は狭いだろうけれど、二人暮らしの密やかな生活をしていたアパートは本当に慎ましやかなのだ。
けれど、知臣はとろりと瞳をしならせて笑った。
「嬉しいな」
何でそんな甘やかに笑うのか。
直視しづらくて不自然に目線を逸らした。
動揺を悟られたくはない。
「恵方巻は何を入れるのかな?」
「恵方巻は七福神という七人の神様にあやかって、海や山の幸を七種類入れるそうなんですよね。定番はかんぴょうとかですけど知臣さんが食べやすいようにサラダ巻きみたいにしようかと思ってます」
「サラダ巻きっていうと卵とか入れるんだよね?」
「あとはツナとかキュウリとかをマヨネーズで味付けですね」
かんぴょうは好き嫌いが別れやすいし、しいたけ煮なんかは時間がかかる。
今日は美味しくも手っ取り早くがテーマだった。
「商店街の方に行きましょう」
「お金は僕が出すからね」
「え!そんなわけには、割り勘とかで」
「押しかけるんだから当然だよ」
「でも」
もだもだと答えていると、ひょいと手を取られた。
「ほら行こう」
そのまま歩き出されてしまう。
(え、え!待って待って、何だこれ)
どうして手を引かれているんだ。
動揺に体を固く強張らせても、知臣はそのまま歩みを止めない。
商店街に入ると、人目を引くのを感じた。
そりゃあ知臣は綺麗な顔をしているし、神秘的な青い目は注目してしまうだろう。
(なのに手を繋いでるのが俺!)
今すぐ引き返したい。
さりげなく手を引き抜こうにもしっかりと握られている。
恥ずかしくて仕方がない。
「楽しみだな、恵方巻は初めてだ」
弾んだ声を聞くと手を強引に振りとく気にはなれなくて。
「頑張って美味しいの作ります」
林檎のように赤くなりながら、ポツリと零した。
「そうなんですか。それは嬉しいですね」
午後三時過ぎ。
長い白髪を左側で結んでいる年のいった女性がうふふと可愛らしく笑った。
常連である彼女は雪乃といい、一緒に暮らしている娘夫婦の話と仲の良い旦那さんの話をよくしてくれる。
ぶっきらぼうで愛情表現が分かりにくいけれど大切にしてくれるという旦那さんは、若い学生の客に教えてもらったツンデレというタイプのようで、聞いていて微笑ましい。
雪乃は烈の祖母の趣味仲間でもあった。
「雪乃さんと旦那さんは、本当に仲がいいですね」
「あら、嬉しいわあ。烈君はいい人いないのかしら?」
雪乃は昔から良くしてくれる。
おっとりとした優しい人だ。
噂話なんかの類もせず、のんびりとした雰囲気は癒し系だった。
いい人、と言われて思い浮かんだのは一人だった。
いやいやと頭の中で首を振り、穏やかに笑うピアニストを思考から追い出そうとする。
けれど最近烈の中で居座ってしまった男のことがチラついて仕方なく、烈は名前なんかの詳細は伏せて当たり障りないように知臣のことを話した。
誰かに相談めいたことをしたかったのかもしれない。
それを楽しそうに聞いていた雪乃が、驚いたように目を丸くする。
それもそうだろう。
列と彼女の仲は長いが、こんな話は欠片もしたことはない。
「あらあら、春ねえ」
「ち、違いますよ!」
「でもあの人もお付き合い前は遠回しにプレゼントくれたり、こまめに会いに来たり、手料理も強請られたのよ」
雪乃の言葉に、今度は烈が目を丸くした。
雪乃夫婦は時代背景としては珍しい恋愛結婚で、この界隈で評判のおしどり夫婦だ。
旦那さんは無愛想にしているけれど、いつも雪乃を気にかけていることは見ていればわかる。
そんな人と知臣の行動が一緒。
ぽかんと口が半開きになってしまった。
「一緒でしょう?あの人はわかりにくくてちょっと大変だったけど、烈君のお相手は直球ねえ。よほど烈君が好きなのかしら」
「ちが、そんなんじゃ、ただ」
慌てて言い募ろうとしたとき、サンキャッチャーが揺れながら引き戸の開く音がした。
「こんにちは」
よりによってタイミング悪く知臣だ。
何で!と声にならない悲鳴を上げてしまう。
「あら知臣さん」
「こんにちは雪乃さん、烈君」
常連同士の挨拶のあと、知臣が烈にしんなりと瞳を細める。
最近よく見る柔らかい微笑みに、烈は顔が熱くなるのを自覚した。
「ど、どうも、いらっしゃいませ」
赤くなってしどろもどろな声かけになってしまった。
ああーとしゃがみ込みたい衝動に駆られていると、視界の中の雪乃が目を丸くして烈と知臣を交互に見ていた。
「烈君もしかして」
「しー!」
慌てて口の前で人差し指を立てると、雪乃は「あら、うふふ」とコロコロと笑って了承するように口元を手で押さえた。
「何です?内緒話かな」
知臣が柔らかい笑みでカウンターに座る。
話をしていた内容に、烈は内心動揺しながら目を泳がせた。
「ええ、と」
「ええ、内緒話ですよ」
楽しそうに笑いながら、雪乃が目くばせしたことにホッとしながお冷を知臣の前に出した。
「ほうじ茶ラテですね」
「うん、お願い」
残念ながら、今日は知臣は甘味を食べられない日だ。
こういう日のためにカロリー控えめのビスケットか何か用意しようかとも思ったけれど、当然のように特別扱いしようとしていることに我に返りその計画は頓挫した。
ほうじ茶ラテも出して、三人で和やかにお喋りをする。
しばらくそんなゆっくりとした空間に、ガラガラと勢いよく引き戸が引かれた。
「こんにちはー!」
入ってきたのは小学生の女の子だった。
まだまだランドセルが大きく見える彼女は、日曜日にたまに母親と来るお客さんだ。
鍵っ子なので、たまに少しだけお喋りしにひょっこり顔を見せることがあるのだ。
母親からも平日に提供してあげたジュースやお菓子の金額は払わせてくれと言われている。
烈自身は善意での提供だからと言ったけれど、しっかりしている母親はそれでは逆に通いにくくなる。
たまの息抜きのための場所だから憂いを残したくないと言われれば、お金をしっかり貰うことにした経緯があった。
「こんにちは友梨香(ゆりか)ちゃん」
「こんにちは!あ、雪さんと知さんもいる」
にこにこと笑う友梨香に、名前を呼ばれた二人はこんにちはと微笑んだ。
常連の二人とは顔見知りだ。
人見知りしない友梨香ははじめて顔を合わせたときに元気よく自己紹介をして、打ち解けていた。
「今日はね、見せたいものがあって寄ったの」
「へえ、何かな?」
「これ!」
ランドセル以外に手に持っていた手提げから友梨香が取り出したのは鬼のお面だった。
友梨香の顔を隠せるほどの大きさで、耳の部分に輪ゴムがついていて、装着出来るようになっている。
「学校で作った!」
目や鼻が印刷されたお面に、友梨香が色を塗ったのだろう。
鬼の目は少女漫画のようにキラキラと星が描いてあり、全体の色合いはパステルカラーで何とも可愛らしく出来上がっている。
たまに来る女子高生のお客がゆめかわいい系などと言って見せてくれた画像を思い出した。
「ああ、そういえば今日は節分だっけ」
「そう!」
元気よく頷く友梨香に、知臣も烈同様に今気づいたというような顔でなるほどと頷いた。
「節分か。日本の行事はよく知らないから、気づかなかったな」
「学校で豆まきもしたの」
「あらいいわね。私の家も今日は恵方巻よ」
雪乃がおっとりと笑うのを、飲んでいたカップをソーサーに戻しながら知臣が不思議そうにする。
「恵方巻?」
そういえば日本文化にはあまり詳しくないだろうなと思い、烈が説明を口にした。
「巻き寿司ですよ。縁起物で商売繁盛や無病息災を祈願する風習として始まったのが最初らしいですね。それを節分では食べるんです」
「へえ、そんなのあるんだ」
「知さん知らないの?」
知臣の言葉に、お面を手提げになおしながら友梨香が驚いた声を上げた。
保育園でも小学校でもする所ではする行事だ。
知らない方が珍しい。
「知臣さんは外国で育ったから、日本の行事は詳しくないんだよ」
「へえ!凄い」
烈の説明に友梨香が弾んだ声を上げるのを、知臣が笑う。
小学生にとっては外国なんて想像もつかないのだろう。
正直地元を出たことがない烈にも想像はつかない。
「友梨香のおうちもね、今日は恵方巻って言ってた」
「そうなんだ。烈君も?」
知臣の疑問に烈は苦笑した。
残念ながらそんな予定はない。
「いえ、俺は一人ですし。でも婆ちゃんがいた頃は、恵方巻一本を恵方の方向に向いて食べてましたよ」
「恵方の方角?」
「それも節分行事ですね。福徳を司る神様のいる方向です」
祖母は行事のある日はなるべく烈に体験させようとしてくれた。
おかげで一年間に沢山の思い出がある。
「へえ、面白い。それに烈君の作る恵方巻は美味しいんだろうな」
「あらあら、じゃあ烈君に作ってもらったらどうかしら?」
「え!」
突然の雪乃の提案に、烈は素っ頓狂な声を出してしまった。
友梨香もそれいいねなどと笑っている。
「一人分作るのは寂しいけれど、二人で恵方巻を食べるのはきっと楽しいわよ」
何てことを提案するのだ。
知臣だって困るだろうと口を開きかけたけれど。
「烈君さえよければ一緒に食べたいな」
にっこりと微笑まれてしまった。
これでは迷惑だろうなんて思えないし、言えない。
「嫌?」
「そんなことないです!」
「よかった」
食い気味に返事をしてしまった。
知臣は満足そうにしているし、雪乃も同じように満足そうな笑みを浮かべている。
(うう、雪乃さん絶対誤解してる)
知臣はただの客なのだ。
そりゃあちょっと親しくしてくれているけれど、好きなんてそんなこと思っていないのに。
うっすらと頬が熱くなるのを誤魔化すように烈は無意味にカウンターの下へしゃがんで、冷蔵庫を確認する振りをした。
「お店閉める頃に迎えにくるよ」
カウンターの向こうから聞こえる知臣の声に、冷蔵庫から出る冷気に負けない熱さが頬に灯っていた。
※ ※ ※ ※
カフェが閉店した頃に知臣は迎えに来た。
店の前で閉店作業を終えて鍵をかけていた烈はそれに気づいて顔を上げる。
「おまたせ」
「いえ」
少しぎこちなくなってしまった気がして、これでは駄目だと烈は気合いを入れなおした。
「材料買って帰ろうか。僕の家でかまわない?」
「道具があるので、知臣さんさえよければ家に来ませんか?」
「烈君の家に?」
「狭いですけど」
知臣のマンションに比べたら大概の部屋は狭いだろうけれど、二人暮らしの密やかな生活をしていたアパートは本当に慎ましやかなのだ。
けれど、知臣はとろりと瞳をしならせて笑った。
「嬉しいな」
何でそんな甘やかに笑うのか。
直視しづらくて不自然に目線を逸らした。
動揺を悟られたくはない。
「恵方巻は何を入れるのかな?」
「恵方巻は七福神という七人の神様にあやかって、海や山の幸を七種類入れるそうなんですよね。定番はかんぴょうとかですけど知臣さんが食べやすいようにサラダ巻きみたいにしようかと思ってます」
「サラダ巻きっていうと卵とか入れるんだよね?」
「あとはツナとかキュウリとかをマヨネーズで味付けですね」
かんぴょうは好き嫌いが別れやすいし、しいたけ煮なんかは時間がかかる。
今日は美味しくも手っ取り早くがテーマだった。
「商店街の方に行きましょう」
「お金は僕が出すからね」
「え!そんなわけには、割り勘とかで」
「押しかけるんだから当然だよ」
「でも」
もだもだと答えていると、ひょいと手を取られた。
「ほら行こう」
そのまま歩き出されてしまう。
(え、え!待って待って、何だこれ)
どうして手を引かれているんだ。
動揺に体を固く強張らせても、知臣はそのまま歩みを止めない。
商店街に入ると、人目を引くのを感じた。
そりゃあ知臣は綺麗な顔をしているし、神秘的な青い目は注目してしまうだろう。
(なのに手を繋いでるのが俺!)
今すぐ引き返したい。
さりげなく手を引き抜こうにもしっかりと握られている。
恥ずかしくて仕方がない。
「楽しみだな、恵方巻は初めてだ」
弾んだ声を聞くと手を強引に振りとく気にはなれなくて。
「頑張って美味しいの作ります」
林檎のように赤くなりながら、ポツリと零した。
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