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36.猪は永久に駆け、飛来するは魚の暦……
しおりを挟む主に俺に惜しまれつつ十眼猪の月が過ぎ、飛燕魚の月……七月になった。
浴場完成から数日が過ぎ、今なおまだまだ完成の感動の余韻が続いている昨今である。
やれ剣術訓練に勤しみ汗を掻き土埃に塗れれば、疲れた身体を引きずるようにして風呂に浸かり、風呂上がりにフルーツ牛乳を飲み懐かしい味が水分の失われた身に染み込み、改めて作ってよかったと思うのだ。
風呂は、いい。
現代日本ではまったく意識しなかったことだが、それこそあたりまえにあるものと考え、感覚が麻痺していたのだ。
あんなに良いものをあって当然あってあたりまえなんて思えるとは、俺が育った日本ってのはなんて贅沢な国なんだろう。日本人は世界から見ても特に風呂好きって言われているからな。そりゃ一家に一風呂作られるのもわかるってもんだ。
あと、最後に、あえて欲を言うならば。
「瓶ではないのよね……」
購買にて早速商品となった牛乳を購入してみると、木製のコップに注いで渡されるのだ。あの懐かしいガラスの瓶が良いのだが……まあ、さすがにそこまで求める気はない。
風呂上がりに購買部に寄るのは、最早恒例となっている。
レンとともに受付嬢から牛乳を購入し、俺は腰に手を当てて牛乳を一気飲みし。
「――おう。早いな」
その直後、野太い声で話しかけられた。
「ああ、キルフェコルト殿下。今でしたか」
同じく風呂上がりらしきアニキとクローナが、奥の魔法陣からやってきた。双方とも髪が濡れているのでひとっ風呂浴びていたようだ。――まあクローナとはさっきまで風呂で一緒だったから、そろそろ来るだろうとは思っていたのだが。
「もうすぐラインラックとヴァーサスも来るぜ。――エールくれ。冷えたやつな」
石鹸などが入った桶を渡しつつ、キルフェコルトは受付嬢に注文をする。アニキは風呂上がりにはエールがお気に入りらしい。十代なのに堂々と酒とか飲んで。悪いメンズである。……一応言うと、この国では十六歳からアルコールOKなんだよね。
「ハーブミルクをお願いします」
同じく桶を返しつつ、クローナも注文した。彼女は冷えたミルクティーのような牛乳が好きみたいだ。名前は安直に「ハーブミルク」とアニキが付けて、それで商標登録したらしい。まあわかりやすい名前が一番いいよな。
――あの桶だが、あれはがめついおっさんバイトスが考えた商売の一つだ。魔法陣での転送の他、お風呂用品の貸出も始めたのだ。
いささか盲点だったのだが、風呂場に直行できるだけでは足りないんだよな。タオルとか石鹸とかシャンプーとか必要だろ? そこに目を付けて1セット100ジェニーでレンタル業までやり始めたのだ。さすががめついおっさん、抜け目がない。
なお、全然必要ない覚えなくてもいい無駄な知識だが、バイトスも風呂上がりのエールが好きらしい。どうでもいい。マジで。
「座るか」
「いえ、わたしたちはもう」
「いいから付き合え。もうすぐラインラックも来るから」
そんなの知らないしどうでもいいんだが。
正直周囲の目が気になるのでさっさと引き上げたいのだが、……うーん……まあいい。座るか。なんか話したいことがあるのかもしれないしな。
「同席させますよ?」
レンを指し言うと、アニキは「もちろんだ」と頷く。
「俺も風呂上がりはいつも座らせてる。こんなところで主従関係やってても邪魔くさいしな」
わかるー。連れだけ立たせておくなんて悪目立ちするだけだもんなー。
一気飲みした俺はお代わりを、出されるなり一杯目を豪快に飲み干したアニキも二杯目のエールと何か摘めるものを注文し、片隅のテーブルを陣取った。
時刻は、夕方から夜に変わろうという頃。
ぼちぼち冒険に出ている連中が帰ってくる時刻で、まだ購買部内に人は少ない。これからどんどん増えていくだろう。
まあそれでも、風呂上がりのラフな格好の王子が珍しいらしく、チラッチラッと視線を感じるのだが。あと俺に対する畏怖の視線ね。明らかに怯えてる感じのやつね。
「最近どうしてる?」
風呂が完成して以降、王子たちとは一緒に行動していない。
もちろん避けているわけでもないし、疎遠になったという気もしない。むしろ成り行きだとしても先月が一緒に居すぎただけの話である。浴場建設関係の手伝いで、マジで朝から晩まで一緒って感じだったからな。
それぞれやることもあるので、自然と別れただけだ。……まあ正直に言えば、ちょっと寂しいけどな。でも一緒に居ても一緒にやるべきことがないのだから仕方ない。しかも相手は王族だから、俺の用事で時間を取るのも憚られるしな。
「剣術の訓練をしています。それはもう、朝からこの時間までみっちりと」
「そうか。なんのつもりでいきなり剣なんか始めたのか知らないが、おまえ弱いもんな」
うるせー王子この野郎。自分がちょっと無双できるからってこの野郎。
「そう言う無駄に剣術だけがお得意な王子様は、何を?」
「今日はラインラックたちと冒険に出ていた」
お、マジで?
「随分早く引き上げてきたのですね」
「依頼は達成したからな」
なんでも王子たちは、しばらく緊急性の高い魔物退治みたいなのを優先的に引き受け解決する、という仕事で単位査定に提出するつもりらしい。
あ、正確には、ラインラック王子は違うって話は聞いたっけ。魔物退治はキルフェコルトの査定だな。もう一人の金髪王子は動植物の生態の研究レポートとか、そういう地味ーなやつにするとか言っていた気がする。
「ふうん」
ふとクローナに視線を向けると、彼女は言った。
「お風呂があるせいか、この数日は運動するために冒険しているという形に近いような気がします」
「おい」
「…? 私の意見ですが、何か不都合が?」
あれ? 珍しく語るに落ちたな。
王子が「余計なこと言うな」みたいに突っ込んだせいで、むしろ本心として際立ってしまった。
「へえー? わたしが作った浴場に随分熱心ですわね? わたしが作った浴場なのに」
「チッ、うるせーな。二度も言うなよ。風呂上がりのエールが美味すぎるだけだ」
エールの味はわからんが、風呂上がりの一杯が美味すぎるってのは同感である。この一杯のために生きてると思い始めたら、もう逃げられないからな。ガチで疲れている時は本当にたまらないからな。スポーツドリンクkなんかも美味いんだよなー。
「せっかく開放されているのですから、もう少し利用者が増えればいいのですが」
ああ、まあ、それは仕方ないだろう。
一応「全生徒が使ってもいい」という話は広めてあるが。
やはり天下の悪役令嬢様が作ったものであるからして、その辺の庶民には敷居が高くなっているみたいだ。俺とレンが入ってる時なんてほぼ貸切で、来るとすればクローナくらいだからな。
でも別にいいのだ。
開放しているのは、別に使ってほしいからではないからな。俺のついでに使いたければ使えばいい、というだけの話だからな。
おかげで、夜なんかは教職員や購買部の受付嬢、そして購買の上役であるバイトス辺りの専用になっているという話だ。俺とレンはだいたいいつも夕方くらいに入るからな。あと隙を見て女子は何人か入っているとかいないとか聞いた気がするが、好きにすればいいだろう。
そしてバイトスが営業よろしく風呂上がりの一杯を教職員に勧めたせいで、夜の購買部は若干教師の溜まり場になりつつあるのだとか。商魂たくましいことである。
「男湯は意外と入ってるんだぜ」
意外と言うべきなのかどうなのかはわからないが、アニキの話では男は結構入っているみたいだ。まあ中で俺と遭遇することは万が一どころか絶対にないから、それだけでも気が楽なんだろう。せっかくあるんだからどんどん入ればいいだろう。
「――やあ、アクロ。レン。久しぶりだね」
ラインラック王子とヴァーサスも、濡れ髪を揺らしてやってきた。
ほんの数日前までずっと一緒にいたのに、なんだか懐かしい。
たった一ヶ月だったけど、かなり付き合いの密度が濃かったせいかもしれない。
特に用事もないのだが、どうでもいい話をだらだらして、だらだらと時間が過ぎていく。
記憶にも残らないような、なんのためにもならないくだらないけど楽しいだけの話をした。
こういう無駄話をしていると、無性に日本の、弓原陽として生活していたあの頃を思い出す。
普通の男子高校生として過不足なく、友達とはこういう話ばっかりしていたからな。……今は処も性も世界も変わって、更に相手が王子様だったりするわけだが。俺を取り巻く環境は、なんとも遠く遠く遥か彼方まで来てしまったものだ。
随分長く座っていた気がする。いつの間にか購買部にも人が増えていたのに、視線も感じていたのに、全く気にしていなかった。
ふと話が止んだ時、何杯かのエールを引っ掛けたキルフェコルト王子が、悪い笑みを浮かべて俺に言った。
「――で? 次は何をやるんだ?」
次。
次、か。
俺の動く理由として掲げていた査定は終わったし、いつでも風呂に入れる環境はできた。完成の余韻もまだまだ続いているので、今すぐやりたいこともない。
目下俺がやりたいことは、やっぱり剣術の鍛錬である。
この数日はもうほんと、朝から夕方までずっとレンさんに殴られっぱなし。事実だけ言うとなんだかアレなんだが、ただのヘンタイなんだが、でもこれがもう楽しくて楽しくて。毎日これでいいんじゃないかって思うくらい楽しくて。
まあ、でも、アレだな。
今俺が言えるのは、これだけだろう。
「このわたしの成すことが気になるのはわかるけれど、あなたには関係ないでしょう?」
――そもそも、俺がしたいことも、行きたいところも、俺が一番知りたいくらいだからな。
これから悪役令嬢はどこへ行くのか。何を成すのか。
キルフェコルトにはもったいぶってみせたが、考えなければいけないだろう。
とりあえず、夏休みまでは時間ができた。
あと一ヶ月、飛燕魚の月が過ぎるまで、己を磨きながら考えてみようと思う。
――と、思っていたのだが。
この後、思いがけない問題が勃発し、急遽ドラゴンの巣まで行かねばならなくなることを、俺はまだ知らなかった。
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