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(遥希視点)初恋の人に罰ゲームで告白したと勘違いされて逃げられましたが、どこまでも追いかけます!
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きっかけは、些細な出来事だった。
「ねぇ。この記事って、吉川君が書いたんだよね?」
中学校の放課後の図書室。
当番なんて面倒だと思いつつ、カウンターに座って適当に仕事をしていると、同じ当番の女子に話しかけられた。
(この人って…確か、同じクラスの三原さんだっけ?)
髪型やメイクを気にする周囲の女子と違い、ノーメイクで黒髪を一つに縛っただけの地味な女子。
いわゆる『陰キャ』の彼女は1年の時から同じクラスだが、存在感が薄くてあまり話したことはなかった。
「そうだけど。何?」
ぶっきらぼうな言い方になったのには、理由がある。
昔はモデルをしていたという母親ゆずりの整った顔に、父親が商社の役員という比較的裕福な家庭で育った俺は、幼い頃から女子に声をかけられることが多かった。
最初はモテている事に喜んでいたが、だんだんと俺の見た目や環境だけを見ていることに気付き、女子と話すのが煩わしくなってしまったのだ。
(どうせこの人も、俺の外見しか興味ないんだろうな)
そう思っていたのに、彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「すごく綺麗な文章だなって思ったの。私もこの作者さんが好きで、特にこの作品が一番好きだったから吉川君の文章を読んで、嬉しくなっちゃって」
図書新聞の片隅に載った『今月のおすすめの本』というコラム。
その記事は確かに俺が書いたが、選んだ本はマイナーなミステリーで、周囲の人間は誰も知らなかったというのに。
意外なところで同志が見つかって嬉しくなり、思わず声が弾んだ。
「じゃあ、○○って作品は知ってる?この先生の初期の作品なんだけど」
「勿論!あれも読んだよ!面白いよね!」
そんな会話がきっかけで、俺と三原さんは委員会で一緒になる度に話すようになった。
最初は本の趣味が合う友達くらいにしか思っていなかったけれど、だんだんと一緒に居る時の心地よさや、笑った時の可愛さを知って、恋愛感情を抱くようになった。
(いつかは告白しよう。高校は離れてしまうから、卒業前までには付き合えたらいいな)
そんな中学時代の初恋が、少しの誤解と幼い感情のせいでこじれることになるなんて、この時の俺はまだわかっていなかったんだ。
***
「…三原菜々香です。よろしくお願いします」
(ああ。やっと会えた)
仕事終わりの居酒屋の個室。
俺の存在に動揺しながらも自己紹介する彼女を見つめて、静かに安堵の息を漏らす。
吉川遥希。25歳。G商事勤務。
いつもならば誘われても絶対に行かない合コンを、自らが幹事になってまで来たのには理由がある。
それは、中学の頃からずっと好きだった彼女に会う為だ。
『じゃあ、合コンを主催してくれたら三原さんに会わせてあげる。ハイスペックな男を集めてね。私、本気で婚活中だから』
そう言ったのは、三原さんの職場の先輩であり、女性側の幹事でもある人物。
たまたま俺の大学時代の友人の元カノだった人で、以前から三原さんと会えるようにお願いしていたが、今回ようやくその願いが叶ったというわけだ。
三原菜々香は、中学の同級生であり俺の元カノだ。
10年ぶりに見た彼女は、昔の面影はそのままに、大人っぽく綺麗に成長していた。
水色の長袖ブラウスに、紺色のタイトスカート。
肩までの長さの黒髪をハーフアップにして、茶色のシュシュで結んでいる。
周囲の女性に比べれば地味かもしれないが、ピンと伸びた背筋に控えめな笑顔が目を惹く可愛い女性だ。
クラスは違うが同じ図書委員という接点で話すようになり、俺の方から告白したのは中学3年生の春のこと。
OKの返事をもらった時は本当に嬉しくて、近所でデートをしたり、手を繋ぐだけの中学生らしい付き合いだったけれど、初めての恋はとても楽しくて世界が輝いて見えていた。
幼い俺は何の疑いもなく、この先もずっと大好きな彼女と一緒にいられると思っていた。
彼女に別れを告げられたあの日までは。
---
それは、忘れもしない中学3年のある秋の出来事。
お互いに部活は引退しているので、ほぼ毎日一緒に帰っていたが、その日は俺が日直だったので彼女は先に帰っていたはずだった。
日直の仕事を終えて、荷物を取ろうと教室に向かった時だった。
階段の踊り場に立っていた彼女を見つけたのは。
「あれ?三原さん。先に帰ったんじゃなかった?」
「っ!?」
不思議なもので、どんなに遠くにいても好きな人はその場所だけ輝いているように感じるからすぐに見つけられる。
主人を迎えに行く犬のように、ウキウキした気持ちで足早に彼女に近づく。
(もしかして待っててくれたとか?だったら嬉しいな)
毎日電話しているし、一緒に帰っているというのに、すぐに会いたくなってしまう。
「俺は今まで日直の仕事してたんだ。あ、ちょうどいいから一緒に帰ろうよ!日曜日の詳細を決めたいし。楽しみだね、水族館」
普段は自転車で行ける範囲のデートしかしたことがないけれど、週末に少し遠出して彼女の行きたがっていた水族館に行く話になっていた。
(昨日の映画も楽しかったし。楽しみだな、水族館)
だが、彼女は何故かこわばった顔で俯いて返事がない。
そういえば、会った時から顔色が悪い気がする。何かあったのだろうか。
「三原さん?どうしたの?具合悪い?」
デート中に具合が悪くなっても言い出せなかった彼女の事だ。
また何か我慢しているのだろうかと心配して顔を覗き込むと、彼女は涙目で俺を睨みつけて静かに言った。
「…そうやって、ずっと演技するつもり?」
「え?」
(演技?…何の話?)
言っている言葉の意味がわからずにきょとんとすると、彼女は苛立った口調で続けた。
「私知ってるんだから!さっき教室で、あなたの友達が話しているのを聞いたの。あなたが私に告白したのは全部罰ゲームだって!」
「っ!?」
『罰ゲーム』
その単語にハッとして、記憶がよみがえる。
心当たりは確かにあった。
あれは、半年前の春の事。
幼稚園からの幼馴染みである渡辺にカラオケに誘われ、いつも部活を理由に断っていたからたまには行くかと思って行ったのが間違いだった。
カラオケの後、苦手なボウリングに無理矢理連れていかれ、案の定最下位になった俺に、あいつらは悪趣味な罰ゲームを言い渡したのだ。
『ってことでぇ。三原さんに告白するのが、遥希君の罰ゲームです!いえーい!』
『は?』
(罰ゲーム?こいつら、何を言ってるんだ?しかも三原さん?俺の気持ち、バレてたのか?誰にも言ってないのに)
同じ図書委員としてよく話すようになってから、俺は密かに三原さんに恋心を抱いている。
もう1年近く片想いをしているが、男友達もいなそうな彼女にいきなり告白しても本気にしてくれない気がして、今は様子を見ているところだった。
俺の気持ちがバレたのかと思ったが、次の言葉でそれは違うことがわかる。
『この前、陰キャって学校以外でもダサいのかって話になってさ。俺が、「デートの時は絶対変わる」って言ってんのに、こいつはないって言うんだよ。で、実際に陰キャとデートして確かめようって話になったわけ』
『陰キャなら誰でもよかったんだけど、ちょうどお前と三原さんが図書室で仲良く話してるのを見ちゃって。遥希に告られたら断る女子なんていないだろ?頼む!三原さんと一回だけデートして、写真を撮ってきてくれ!ハンバーガーを奢るかどうかの瀬戸際なんだよ!』
(知るか。そんな下らない事に三原さんを巻き込めるわけがないだろ)
『嫌だ。罰ゲームで告白なんて、相手に失礼だろ。絶対にやらないからな!』
と、きっぱり断ったはずだった。
そんなやり取りもすっかり忘れた頃、偶然休日に本屋で会った時に嬉しくなって、俺から彼女に告白をした。
当然、渡辺たちには三原さんと付き合い始めた事は言ってないし、あいつらもそんな話は忘れたと思っていたんだ。
なのに、どうして今頃。
混乱して言葉の出ない俺に、彼女は更に続ける。
「だっさい私が精いっぱいお洒落してデートに来る姿を見て、さぞ、面白かったでしょうね?ご丁寧に写真を撮って友達に見せるなんて!」
「は…え…。ちがっ。俺は写真なんて撮ってない…」
「言い訳なんか聞きたくない!いつまで罰ゲームの期間か知らないけど、もう十分でしょ?二度と私に話しかけないで!」
「っ、三原さん!待って!話を聞いて!」
(違う!罰ゲームなんかじゃない!俺は本気で三原さんが!)
心の叫びは言葉にならずに、あっという間に去っていく彼女を止める事ができなかった。
それからあいつらが教室で何を話したのかを知り、怒りで腸が煮えくり返る思いをした。
抑えきれず、数年ぶりに渡辺と本気の喧嘩をして殴ってやった。
周囲はめったに怒りを露わにしない俺に驚いていたが、子供同士の喧嘩ということで大事(おおごと)にはならなかった。
一番腹が立ったのは、三原さんを誤解させたあいつらではなく、自分自身。
あの時ちゃんと話をしていたら。
そもそも早く悪友と縁を切っていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。
今更悔やんでも遅いことくらい、わかっているけれど。
---
そして10年後の現在。
何回か告白されることはあったが、初恋の彼女を忘れることが出来ず、未だに童貞だなんて笑い話にもならないだろう。
(こじらせてんな、俺)
「菜々香ちゃん。連絡先を交換しようよ。おススメの映画を教えるからさ」
「いいですよー」
(はぁ?『菜々香ちゃん』?俺だって呼んだことないのに!ってか、何であっさりOKしてるんだよ!)
聞こえてきた声に敏感に反応してしまう。
彼女の隣に座っている男は、俺の職場の同僚だが、チャラくて有名だから今日の合コンには声をかけなかったはずだ。
なのにどこから聞きつけてきたのか、参加予定だった後輩の代わりに出席することになり、さらには目当ての女性の隣を陣取られる始末。
(最悪だ。本当は俺があの場所にいて、ゆっくり話をするつもりだったのに)
やはり俺は嫌われているのか、目が合った時から嫌そうな顔をされ、あからさまに避けられた。
自分が彼女にしたことを考えれば当然かもしれないが、俺にだって言い分はある。
彼女に別れを告げられた後に何度も話そうとしたが、俺が罰ゲームで告白したことが噂で広まり、彼女の友人たちに邪魔をされて近づくことも出来なかったのだ。
高校も大学もどこに行ったかはわかっていたのに、会えなかったのは同じ理由だ。
結局、色々な伝手を辿って、ようやく彼女の職場の先輩と縁が出来たまではよかったが、会うのに10年もかかってしまうなんて。
(三原さんが他の男と付き合ったらって考えたら気が気じゃなかったけど…。定期的に受けてた報告じゃずっと彼氏いないって言ってたし。今日会えるのを楽しみにしてたのに、なんでこんな…)
離れた場所に座っていても、彼女の変化には気づく。
アルコールを飲みすぎたのか、頬はピンク色に色づき、目がとろんとしている。
そんな状態でチャラ男の隣に座るなんて、お持ち帰りしてくれと言っているようなものだ。
(ああ、可愛い。俺だったら絶対に家に連れて帰る。ってか今すぐ押し倒したい。…はぁ!?あの男、なんで俺の三原さんに勝手に触ってんの!?ふざけんな!)
彼女の肩にさりげなく手を回したチャラ男を見て、一瞬で怒りが沸きあがり、俺は乱暴に席を立った。
***
(さて。どうしようか…)
ホテルに連れ込もうとしていたクズ男を退散させたまではよかったが、そのまま寝てしまった彼女をとっさにホテルに連れてきてしまった。
閉じられた瞳から生えるバサバサの睫毛に、右目の泣き黒子。
気持ちよさそうな寝顔も可愛い。
「んんっ」
小さく息を漏らして寝返りを打つ彼女をじっと見つめる。
『これからも、色んな初めてを吉川君と経験していきたいなぁ』
中学3年の夏。
花火大会の夜、初めて手を繋いだ日に彼女が言った言葉だ。
俺は嬉しくて、これからもずっと彼女と一緒にいられると信じて疑わなかった。
…なのに。
『二度と私に話しかけないで!』
「っ」
今でも思い出すたびに胸が締め付けられる別れの瞬間。
あの時、どんなに『違う』と訴えても彼女は聞く耳を持ってくれなかった。
俺ではない人の言葉を信じて、恋人である俺の言葉は一切信じてくれなかったことが、悲しかった。
「…っ…馬鹿」
「え?」
聞こえた声でそちらを見ると、彼女が眠りながら目尻に涙を滲ませている。
(うなされている。怖い夢でも見ているのかな?)
「三原さ…」
「馬鹿…。吉川君の、馬鹿ぁ…」
「っ!?」
彼女の口から出た自分の名前に、頭を撫でようとした手を止める。
(…そう、だよな。恨まれて当然だよな。彼女にとって俺は、黒歴史でしかないって事くらいわかっていたはずなのに。…でも)
さらりとシーツに落ちる黒髪をそっと指に絡ませる。
何故彼女じゃないとダメかなんて、そんなの理屈じゃない。
時間が経てば忘れられるかと思ったけれど、強くなる一方だった。
(この気持ちを、過去のことになんかできない)
俺の中で、何かがプチンと切れた瞬間だった。
***
いくらカッとなったからとはいえ、アルコールと睡魔のせいで力が入らない無抵抗の彼女を好きに触るのは、自分でもやり過ぎたと思う。
だけど、10年振りに近づいた彼女の香りやぬくもりに触れて、もう歯止めが聞かなかった。
キスして、身体中に触れて、俺の指や舌で甘い声をあげる彼女が可愛くて仕方なくて、止まらなかった。
「可愛い。…好きだよ、三原さん。ずっと会いたかった」
そんな言葉と共にもう一度キスをしようとした時だった。
顔を歪めた彼女に思いっきり突き飛ばされたのは。
「ふざ、けんなっ!」
動きが止まった俺に、彼女は怒りを露わにして言葉を続ける。
「『好き』?『会いたかった』?今更、何?馬鹿にしてるの?あの時、私がどれだけ傷ついてたかわかってる?好きな人とのデートに浮かれてたら、その様子を勝手に友達に見せたあげく、私に告白したのが罰ゲームだって知った時の気持ちわかる?あなたたち全員、ぶん殴ってやりたいと思った!特に、あなたには二度と会いたくなかった!なのに…なのにぃっ…」
泣きながら訴える彼女をじっと見つめる。
(っ、そうだ。怒って当然だ。ひどいことをしたのはわかっている。…でも)
「…でもそれは、三原さんの気持ちだよね?」
「え?」
10年前、彼女を傷つけたのは紛れもなく自分なのはわかっている。
でも、彼女はどうして俺の気持ちを考えてくれなかったのだろう。
どうして、俺からの告白が罰ゲームだって決めつけたのだろうか。
それがずっと心に残って、悔しくて、悲しくて、辛かった。
「俺の気持ちは?何で全然話を聞いてくれないの?俺、何度も言ったよね?『別れたくない』『話を聞いてほしい』って。なのに三原さんは、あいつらの言葉だけを鵜呑みにして、俺の話なんか聞いてくれなかった。一方的に決めつけないで、ちゃんと俺の話も聞いてほしかったのに!」
昔から自己肯定感が低い彼女の事だ。
『どうせ自分なんて』って思っていたに違いないけれど、それでも恋人だった俺の言葉くらいは信じて欲しかったのに。
恨みというほどではないが、彼女に対する憤りはずっと抱えていた。
少しの沈黙の後、彼女がぽつんと声を出す。
「…ごめんなさい。…私、吉川君の気持ちを知るのが怖かった。だって、あなたの口からあの告白が罰ゲームだったなんて言われたら、もう立ち直れないと思ったから。だから電話も全部無視して、逃げたの。…ずっと傷つけられたのは自分の方だって思ってた。でも…。私も吉川君を傷つけてたんだって、今、やっと気づいた。…今更かもしれないけど、あの時のこと、ちゃんと聞いてもいい?」
じっとこちらを見る瞳に、ようやく乱暴な感情も落ち着いてきて、俺は静かに頷く。
2人掛けの黒い革張りのソファに少し間を空けて座り、話し始めた。
「…罰ゲームのことなんだけど、あの話があったのは本当なんだ。でも、俺はちゃんと断ったんだよ。中学2年の時からずっと三原さんが好きだったから、自分の意思で告白したんだ。告白したことも付き合ったこともあいつらには言ってなかったんだけど、渡辺が俺たちのデートをたまたま目撃して、その写真を他のヤツらに見せて笑っていたらしい。後からそのことを知って、渡辺を殴っておいた」
「え!?殴ったの!?」
「三原さんを傷つけたんだから当たり前でしょ。好きな人を勝手に賭けの対象にされて、なおかつ俺の告白を罰ゲーム扱いされたんだよ?それが原因で三原さんに嫌われたんだから怒らないわけないよ」
「でも、殴ったって…手を出したら大事にならない?傷害事件とか」
「そこは子供同士の喧嘩ってことで、騒ぎにはならなかったよ。前からあいつのああいうところは理解できなかったし。幼馴染ってだけで一緒にいたけど、あれ以来、連絡はとってない。風の噂で聞いたけど高校に入ってますますグレて悪い連中と付き合って警察のお世話になったこともあるって。つくづく、早めに縁を切っておいてよかったって思った」
「そうなんだ…」
ふと、少し乱れた彼女の服と、皴になったベッドのシーツが目に入り、自分がやらかした事実を痛感する。
(いくらカッとなったとはいえ、やり過ぎたな…)
「さっきはごめん」
「え?」
「他の男と連絡先を交換したのを見てカッとなったとはいえ、無抵抗の三原さんにひどいことをしたって反省してる。…でも、俺の気持ちはずっと中学の時から変わってないから。ずっと会いたくて、話したくて。久しぶりに会って、美味しそうにご飯を食べるところとか、笑い顔も声も仕草も、全部可愛くて大好きだなって思った」
俺の言葉に赤くなる三原さんがまた可愛い。
今なら言える。素直な自分の気持ちを。
俺はすうっと息を吐いてから彼女に向き直って言った。
「好きです。俺とまた、付き合ってくれますか?」
「っ!?」
自分でも調子がいいことを言っているのはわかっている。
でも、君じゃなきゃ駄目なんだ。
何度も諦めようと思ったけど、ずっと好きだった人。
叶うならばもう一度、チャンスが欲しい。
もう二度と君を傷つけないから。
祈るように彼女の返事を待っていると、信じられない言葉が聞こえてきた。
「…私も、好き。…今でも好きですっ…。あの時は逃げてごめんなさい。こちらこそ、お願いします…」
そう言った彼女の泣き顔があまりに可愛くて、俺は思わず抱き締めてその頬にキスを落とした。
***
(ああ、可愛い。すげぇ可愛い)
「んっ…はぁっ…」
ちゅっ、ちゅっと部屋にリップ音とお互いの甘い吐息が響く。
話し合いの末、ようやく10年前の誤解が解けて、気持ちが通じ合ったのはわずか数分前のこと。
嬉しくて思わずキスをしながらベッドに押し倒すと、彼女は困惑した顔で俺を見た。
「ね、こういうのまだ早いと思うの。普通はもっと段階を踏んで…」
「…でも、三原さん。すごくエロい恰好してるし…さっき中途半端で終わったからもう限界なんだけど」
「こ、これは吉川君が勝手にやったんでしょ!」
「うん。俺のせいだから責任とらせて。いいよね?こっちは10年も待ったんだから」
「そんなの知らな…んっ」
この10年、俺の性欲の発散方法は専ら自慰だった。
しかもおかずは中学時代に撮った彼女のプリクラだなんて知ったら、ドン引きされるだろうな。言わないでおこう。
そんな事を考えながら、彼女の可愛いピンク色の唇に吸い付くようなキスをする。
何度も何度もお互いの口内を求めあって、息継ぎの為に唇を離すと口から甘い息が漏れた。
唾液で濡れた半開きの唇。ピンク色の頬。少し潤んだ瞳は物欲しそうに俺を見ている。
(なんて顔してるんだよ…可愛すぎ…)
「…あのさ。自分が今、どんな顔してるかわかってる?」
「へ?」
「そういう顔。俺以外に見せちゃダメだからね?」
もう絶対に手放すものか。
俺が君から離れられないように、君も俺に夢中になればいい。
そんな願いを込めて、愛しい彼女の身体を優しく愛撫する。
「…あっ…はっ…んんっ…」
(さっきも思ったけど、乳首、すごく敏感なんだな。可愛い)
反応が可愛いので、その敏感な部分を指や舌で時間をかけて愛撫していく。
「なんで…そこばっかりっ…」
「だって、ここ好きでしょ?」
「っ、好きなんかじゃ…」
「嘘つき。こっちはぐちゃぐちゃになってるよ」
「…あっ」
股の間の蜜壺にそっと指を這わせ、中の蜜の音をわざと聞かせるようにくちゅくちゅと音を立てて指を出し入れする。
「…っ、やだ…」
「ああ。可愛い。大好き」
「…私も…好き」
「っ、だからそういう顔…ああ、もうっ!」
「え?んっ」
キスで塞いで、逃げられなくして、全部俺のものにしたい。
「もう限界。挿れるよ」
「え、あ、ちょっ!待って!…ああっ!!」
彼女の叫び声と共に、避妊具を付けた自身が勢いよく膣内に埋まっていく。
(すご…これが、三原さんの…)
初めて経験する感覚に感動と快感が混じり合うが、辛そうに歪める彼女の顔が目に入り、申し訳ない気持ちになる。
「っ、痛いよね。…ごめん」
こういう時、痛みを和らげるテクニックのない自分が恨めしいが、かといって他の女性で経験を積むなんて考えもしなかった。
涙の滲んだ目尻をそっと撫でると、彼女は何故か小さく笑う。
「三原さん?」
「変なの。さっきは無理やりしてきたくせに」
「っ、それは…。頭に血が上って…つい」
『ごめん』と続けようとした時、彼女が俺の髪に触れながら言った。
「痛いけど…嬉しいよ。吉川君と繋がれたから。初めてが吉川君でよかった」
「っ!?」
(この人は、もう!)
「…三原さんって、ほんと、無自覚だよね」
「え?…ひあっ!?…え、ちょっ!待っ!あっ!あっ!」
ぐんっと腰を動かした俺に驚いて、必死にしがみついてくる彼女に構わず、乱暴に快楽を貪る。
全部欲しい。俺の事だけ考えればいい。
「…好きっ…好きだっ…菜々香っ!」
「ああっ!」
愛しい人の名前を呼びながら、俺はゴム越しに欲望を吐き出した。
***
「誕生日おめでとう。菜々香」
「ありがとう、遥希君」
あの合コンで再会した日から2年。
無事に恋人同士に戻った俺たちは、順調に交際を続けている。
今日は菜々香の27歳の誕生日だ。
彼女の誕生日をお祝いするのは今回で2回目。
去年は彼女の誕生石のネックレスをプレゼントしたが、今年はちょっと特別だ。
「…は、遥希君。このブランド…」
ショッパーを見ただけで少し怖気づいている菜々香が可愛い。
それもそのはず。
菜々香の手にあるショッパーのロゴは、誰もが知っている高級ブランドだからだ。
「開けてみて」
笑顔の俺の圧力に負けたのか、菜々香は恐る恐るという感じで紙袋を広げて、中身を取り出した。
小さな紺色のリングケースを開けると、中に入っていたのはダイヤがついたプラチナリング。
少し歪曲したデザインに、小さなダイヤが3つついた指輪は、菜々香の好みを事前にリサーチして選んだ。
去年ペアリングを買った時にサイズは把握済みだし、デザインの好みも買い物中にさりげなく聞いてあったのでぬかりはないはずだ。
指輪を見て固まる彼女に俺はすかさず言う。
「俺と結婚して下さい」
「っ!?」
「この先もずっと、菜々香と初めてのことを増やしていきたいんだ。だから、家族になってほしい」
菜々香が俺に初めて人を好きになることを教えてくれたように、俺もこれからも一緒に彼女と初めてを経験していきたい。
そんな気持ちを込めて指輪を差し出すが、彼女は俯いたまま動かない。
「菜々香?」
「私で…いいの?」
「え?」
顔を上げた彼女が、不安そうに瞳を涙で揺らす。
「っ、だって私、美人でも可愛くもないっ。ネガティブだし、遥希君にはふさわしくないのにっ…んっ!?」
思わず頬に両手を添えて、その唇をキスで塞いだ。
「菜々香がいいの。菜々香じゃなきゃ駄目なんだよ。そんなの、菜々香が一番よくわかってるでしょう?」
この10年間、離れている辛さを嫌というほど痛感した。
これからも一緒にいたい。
俺が笑いかけると、彼女もようやく笑顔を見せて小さな声で言った。
「っ、よろしくお願いします…」
泣きながらも笑ったその顔が可愛くて、俺は幸せな気持ちで唇にまたキスを落とした。
「ねぇ。この記事って、吉川君が書いたんだよね?」
中学校の放課後の図書室。
当番なんて面倒だと思いつつ、カウンターに座って適当に仕事をしていると、同じ当番の女子に話しかけられた。
(この人って…確か、同じクラスの三原さんだっけ?)
髪型やメイクを気にする周囲の女子と違い、ノーメイクで黒髪を一つに縛っただけの地味な女子。
いわゆる『陰キャ』の彼女は1年の時から同じクラスだが、存在感が薄くてあまり話したことはなかった。
「そうだけど。何?」
ぶっきらぼうな言い方になったのには、理由がある。
昔はモデルをしていたという母親ゆずりの整った顔に、父親が商社の役員という比較的裕福な家庭で育った俺は、幼い頃から女子に声をかけられることが多かった。
最初はモテている事に喜んでいたが、だんだんと俺の見た目や環境だけを見ていることに気付き、女子と話すのが煩わしくなってしまったのだ。
(どうせこの人も、俺の外見しか興味ないんだろうな)
そう思っていたのに、彼女の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「すごく綺麗な文章だなって思ったの。私もこの作者さんが好きで、特にこの作品が一番好きだったから吉川君の文章を読んで、嬉しくなっちゃって」
図書新聞の片隅に載った『今月のおすすめの本』というコラム。
その記事は確かに俺が書いたが、選んだ本はマイナーなミステリーで、周囲の人間は誰も知らなかったというのに。
意外なところで同志が見つかって嬉しくなり、思わず声が弾んだ。
「じゃあ、○○って作品は知ってる?この先生の初期の作品なんだけど」
「勿論!あれも読んだよ!面白いよね!」
そんな会話がきっかけで、俺と三原さんは委員会で一緒になる度に話すようになった。
最初は本の趣味が合う友達くらいにしか思っていなかったけれど、だんだんと一緒に居る時の心地よさや、笑った時の可愛さを知って、恋愛感情を抱くようになった。
(いつかは告白しよう。高校は離れてしまうから、卒業前までには付き合えたらいいな)
そんな中学時代の初恋が、少しの誤解と幼い感情のせいでこじれることになるなんて、この時の俺はまだわかっていなかったんだ。
***
「…三原菜々香です。よろしくお願いします」
(ああ。やっと会えた)
仕事終わりの居酒屋の個室。
俺の存在に動揺しながらも自己紹介する彼女を見つめて、静かに安堵の息を漏らす。
吉川遥希。25歳。G商事勤務。
いつもならば誘われても絶対に行かない合コンを、自らが幹事になってまで来たのには理由がある。
それは、中学の頃からずっと好きだった彼女に会う為だ。
『じゃあ、合コンを主催してくれたら三原さんに会わせてあげる。ハイスペックな男を集めてね。私、本気で婚活中だから』
そう言ったのは、三原さんの職場の先輩であり、女性側の幹事でもある人物。
たまたま俺の大学時代の友人の元カノだった人で、以前から三原さんと会えるようにお願いしていたが、今回ようやくその願いが叶ったというわけだ。
三原菜々香は、中学の同級生であり俺の元カノだ。
10年ぶりに見た彼女は、昔の面影はそのままに、大人っぽく綺麗に成長していた。
水色の長袖ブラウスに、紺色のタイトスカート。
肩までの長さの黒髪をハーフアップにして、茶色のシュシュで結んでいる。
周囲の女性に比べれば地味かもしれないが、ピンと伸びた背筋に控えめな笑顔が目を惹く可愛い女性だ。
クラスは違うが同じ図書委員という接点で話すようになり、俺の方から告白したのは中学3年生の春のこと。
OKの返事をもらった時は本当に嬉しくて、近所でデートをしたり、手を繋ぐだけの中学生らしい付き合いだったけれど、初めての恋はとても楽しくて世界が輝いて見えていた。
幼い俺は何の疑いもなく、この先もずっと大好きな彼女と一緒にいられると思っていた。
彼女に別れを告げられたあの日までは。
---
それは、忘れもしない中学3年のある秋の出来事。
お互いに部活は引退しているので、ほぼ毎日一緒に帰っていたが、その日は俺が日直だったので彼女は先に帰っていたはずだった。
日直の仕事を終えて、荷物を取ろうと教室に向かった時だった。
階段の踊り場に立っていた彼女を見つけたのは。
「あれ?三原さん。先に帰ったんじゃなかった?」
「っ!?」
不思議なもので、どんなに遠くにいても好きな人はその場所だけ輝いているように感じるからすぐに見つけられる。
主人を迎えに行く犬のように、ウキウキした気持ちで足早に彼女に近づく。
(もしかして待っててくれたとか?だったら嬉しいな)
毎日電話しているし、一緒に帰っているというのに、すぐに会いたくなってしまう。
「俺は今まで日直の仕事してたんだ。あ、ちょうどいいから一緒に帰ろうよ!日曜日の詳細を決めたいし。楽しみだね、水族館」
普段は自転車で行ける範囲のデートしかしたことがないけれど、週末に少し遠出して彼女の行きたがっていた水族館に行く話になっていた。
(昨日の映画も楽しかったし。楽しみだな、水族館)
だが、彼女は何故かこわばった顔で俯いて返事がない。
そういえば、会った時から顔色が悪い気がする。何かあったのだろうか。
「三原さん?どうしたの?具合悪い?」
デート中に具合が悪くなっても言い出せなかった彼女の事だ。
また何か我慢しているのだろうかと心配して顔を覗き込むと、彼女は涙目で俺を睨みつけて静かに言った。
「…そうやって、ずっと演技するつもり?」
「え?」
(演技?…何の話?)
言っている言葉の意味がわからずにきょとんとすると、彼女は苛立った口調で続けた。
「私知ってるんだから!さっき教室で、あなたの友達が話しているのを聞いたの。あなたが私に告白したのは全部罰ゲームだって!」
「っ!?」
『罰ゲーム』
その単語にハッとして、記憶がよみがえる。
心当たりは確かにあった。
あれは、半年前の春の事。
幼稚園からの幼馴染みである渡辺にカラオケに誘われ、いつも部活を理由に断っていたからたまには行くかと思って行ったのが間違いだった。
カラオケの後、苦手なボウリングに無理矢理連れていかれ、案の定最下位になった俺に、あいつらは悪趣味な罰ゲームを言い渡したのだ。
『ってことでぇ。三原さんに告白するのが、遥希君の罰ゲームです!いえーい!』
『は?』
(罰ゲーム?こいつら、何を言ってるんだ?しかも三原さん?俺の気持ち、バレてたのか?誰にも言ってないのに)
同じ図書委員としてよく話すようになってから、俺は密かに三原さんに恋心を抱いている。
もう1年近く片想いをしているが、男友達もいなそうな彼女にいきなり告白しても本気にしてくれない気がして、今は様子を見ているところだった。
俺の気持ちがバレたのかと思ったが、次の言葉でそれは違うことがわかる。
『この前、陰キャって学校以外でもダサいのかって話になってさ。俺が、「デートの時は絶対変わる」って言ってんのに、こいつはないって言うんだよ。で、実際に陰キャとデートして確かめようって話になったわけ』
『陰キャなら誰でもよかったんだけど、ちょうどお前と三原さんが図書室で仲良く話してるのを見ちゃって。遥希に告られたら断る女子なんていないだろ?頼む!三原さんと一回だけデートして、写真を撮ってきてくれ!ハンバーガーを奢るかどうかの瀬戸際なんだよ!』
(知るか。そんな下らない事に三原さんを巻き込めるわけがないだろ)
『嫌だ。罰ゲームで告白なんて、相手に失礼だろ。絶対にやらないからな!』
と、きっぱり断ったはずだった。
そんなやり取りもすっかり忘れた頃、偶然休日に本屋で会った時に嬉しくなって、俺から彼女に告白をした。
当然、渡辺たちには三原さんと付き合い始めた事は言ってないし、あいつらもそんな話は忘れたと思っていたんだ。
なのに、どうして今頃。
混乱して言葉の出ない俺に、彼女は更に続ける。
「だっさい私が精いっぱいお洒落してデートに来る姿を見て、さぞ、面白かったでしょうね?ご丁寧に写真を撮って友達に見せるなんて!」
「は…え…。ちがっ。俺は写真なんて撮ってない…」
「言い訳なんか聞きたくない!いつまで罰ゲームの期間か知らないけど、もう十分でしょ?二度と私に話しかけないで!」
「っ、三原さん!待って!話を聞いて!」
(違う!罰ゲームなんかじゃない!俺は本気で三原さんが!)
心の叫びは言葉にならずに、あっという間に去っていく彼女を止める事ができなかった。
それからあいつらが教室で何を話したのかを知り、怒りで腸が煮えくり返る思いをした。
抑えきれず、数年ぶりに渡辺と本気の喧嘩をして殴ってやった。
周囲はめったに怒りを露わにしない俺に驚いていたが、子供同士の喧嘩ということで大事(おおごと)にはならなかった。
一番腹が立ったのは、三原さんを誤解させたあいつらではなく、自分自身。
あの時ちゃんと話をしていたら。
そもそも早く悪友と縁を切っていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。
今更悔やんでも遅いことくらい、わかっているけれど。
---
そして10年後の現在。
何回か告白されることはあったが、初恋の彼女を忘れることが出来ず、未だに童貞だなんて笑い話にもならないだろう。
(こじらせてんな、俺)
「菜々香ちゃん。連絡先を交換しようよ。おススメの映画を教えるからさ」
「いいですよー」
(はぁ?『菜々香ちゃん』?俺だって呼んだことないのに!ってか、何であっさりOKしてるんだよ!)
聞こえてきた声に敏感に反応してしまう。
彼女の隣に座っている男は、俺の職場の同僚だが、チャラくて有名だから今日の合コンには声をかけなかったはずだ。
なのにどこから聞きつけてきたのか、参加予定だった後輩の代わりに出席することになり、さらには目当ての女性の隣を陣取られる始末。
(最悪だ。本当は俺があの場所にいて、ゆっくり話をするつもりだったのに)
やはり俺は嫌われているのか、目が合った時から嫌そうな顔をされ、あからさまに避けられた。
自分が彼女にしたことを考えれば当然かもしれないが、俺にだって言い分はある。
彼女に別れを告げられた後に何度も話そうとしたが、俺が罰ゲームで告白したことが噂で広まり、彼女の友人たちに邪魔をされて近づくことも出来なかったのだ。
高校も大学もどこに行ったかはわかっていたのに、会えなかったのは同じ理由だ。
結局、色々な伝手を辿って、ようやく彼女の職場の先輩と縁が出来たまではよかったが、会うのに10年もかかってしまうなんて。
(三原さんが他の男と付き合ったらって考えたら気が気じゃなかったけど…。定期的に受けてた報告じゃずっと彼氏いないって言ってたし。今日会えるのを楽しみにしてたのに、なんでこんな…)
離れた場所に座っていても、彼女の変化には気づく。
アルコールを飲みすぎたのか、頬はピンク色に色づき、目がとろんとしている。
そんな状態でチャラ男の隣に座るなんて、お持ち帰りしてくれと言っているようなものだ。
(ああ、可愛い。俺だったら絶対に家に連れて帰る。ってか今すぐ押し倒したい。…はぁ!?あの男、なんで俺の三原さんに勝手に触ってんの!?ふざけんな!)
彼女の肩にさりげなく手を回したチャラ男を見て、一瞬で怒りが沸きあがり、俺は乱暴に席を立った。
***
(さて。どうしようか…)
ホテルに連れ込もうとしていたクズ男を退散させたまではよかったが、そのまま寝てしまった彼女をとっさにホテルに連れてきてしまった。
閉じられた瞳から生えるバサバサの睫毛に、右目の泣き黒子。
気持ちよさそうな寝顔も可愛い。
「んんっ」
小さく息を漏らして寝返りを打つ彼女をじっと見つめる。
『これからも、色んな初めてを吉川君と経験していきたいなぁ』
中学3年の夏。
花火大会の夜、初めて手を繋いだ日に彼女が言った言葉だ。
俺は嬉しくて、これからもずっと彼女と一緒にいられると信じて疑わなかった。
…なのに。
『二度と私に話しかけないで!』
「っ」
今でも思い出すたびに胸が締め付けられる別れの瞬間。
あの時、どんなに『違う』と訴えても彼女は聞く耳を持ってくれなかった。
俺ではない人の言葉を信じて、恋人である俺の言葉は一切信じてくれなかったことが、悲しかった。
「…っ…馬鹿」
「え?」
聞こえた声でそちらを見ると、彼女が眠りながら目尻に涙を滲ませている。
(うなされている。怖い夢でも見ているのかな?)
「三原さ…」
「馬鹿…。吉川君の、馬鹿ぁ…」
「っ!?」
彼女の口から出た自分の名前に、頭を撫でようとした手を止める。
(…そう、だよな。恨まれて当然だよな。彼女にとって俺は、黒歴史でしかないって事くらいわかっていたはずなのに。…でも)
さらりとシーツに落ちる黒髪をそっと指に絡ませる。
何故彼女じゃないとダメかなんて、そんなの理屈じゃない。
時間が経てば忘れられるかと思ったけれど、強くなる一方だった。
(この気持ちを、過去のことになんかできない)
俺の中で、何かがプチンと切れた瞬間だった。
***
いくらカッとなったからとはいえ、アルコールと睡魔のせいで力が入らない無抵抗の彼女を好きに触るのは、自分でもやり過ぎたと思う。
だけど、10年振りに近づいた彼女の香りやぬくもりに触れて、もう歯止めが聞かなかった。
キスして、身体中に触れて、俺の指や舌で甘い声をあげる彼女が可愛くて仕方なくて、止まらなかった。
「可愛い。…好きだよ、三原さん。ずっと会いたかった」
そんな言葉と共にもう一度キスをしようとした時だった。
顔を歪めた彼女に思いっきり突き飛ばされたのは。
「ふざ、けんなっ!」
動きが止まった俺に、彼女は怒りを露わにして言葉を続ける。
「『好き』?『会いたかった』?今更、何?馬鹿にしてるの?あの時、私がどれだけ傷ついてたかわかってる?好きな人とのデートに浮かれてたら、その様子を勝手に友達に見せたあげく、私に告白したのが罰ゲームだって知った時の気持ちわかる?あなたたち全員、ぶん殴ってやりたいと思った!特に、あなたには二度と会いたくなかった!なのに…なのにぃっ…」
泣きながら訴える彼女をじっと見つめる。
(っ、そうだ。怒って当然だ。ひどいことをしたのはわかっている。…でも)
「…でもそれは、三原さんの気持ちだよね?」
「え?」
10年前、彼女を傷つけたのは紛れもなく自分なのはわかっている。
でも、彼女はどうして俺の気持ちを考えてくれなかったのだろう。
どうして、俺からの告白が罰ゲームだって決めつけたのだろうか。
それがずっと心に残って、悔しくて、悲しくて、辛かった。
「俺の気持ちは?何で全然話を聞いてくれないの?俺、何度も言ったよね?『別れたくない』『話を聞いてほしい』って。なのに三原さんは、あいつらの言葉だけを鵜呑みにして、俺の話なんか聞いてくれなかった。一方的に決めつけないで、ちゃんと俺の話も聞いてほしかったのに!」
昔から自己肯定感が低い彼女の事だ。
『どうせ自分なんて』って思っていたに違いないけれど、それでも恋人だった俺の言葉くらいは信じて欲しかったのに。
恨みというほどではないが、彼女に対する憤りはずっと抱えていた。
少しの沈黙の後、彼女がぽつんと声を出す。
「…ごめんなさい。…私、吉川君の気持ちを知るのが怖かった。だって、あなたの口からあの告白が罰ゲームだったなんて言われたら、もう立ち直れないと思ったから。だから電話も全部無視して、逃げたの。…ずっと傷つけられたのは自分の方だって思ってた。でも…。私も吉川君を傷つけてたんだって、今、やっと気づいた。…今更かもしれないけど、あの時のこと、ちゃんと聞いてもいい?」
じっとこちらを見る瞳に、ようやく乱暴な感情も落ち着いてきて、俺は静かに頷く。
2人掛けの黒い革張りのソファに少し間を空けて座り、話し始めた。
「…罰ゲームのことなんだけど、あの話があったのは本当なんだ。でも、俺はちゃんと断ったんだよ。中学2年の時からずっと三原さんが好きだったから、自分の意思で告白したんだ。告白したことも付き合ったこともあいつらには言ってなかったんだけど、渡辺が俺たちのデートをたまたま目撃して、その写真を他のヤツらに見せて笑っていたらしい。後からそのことを知って、渡辺を殴っておいた」
「え!?殴ったの!?」
「三原さんを傷つけたんだから当たり前でしょ。好きな人を勝手に賭けの対象にされて、なおかつ俺の告白を罰ゲーム扱いされたんだよ?それが原因で三原さんに嫌われたんだから怒らないわけないよ」
「でも、殴ったって…手を出したら大事にならない?傷害事件とか」
「そこは子供同士の喧嘩ってことで、騒ぎにはならなかったよ。前からあいつのああいうところは理解できなかったし。幼馴染ってだけで一緒にいたけど、あれ以来、連絡はとってない。風の噂で聞いたけど高校に入ってますますグレて悪い連中と付き合って警察のお世話になったこともあるって。つくづく、早めに縁を切っておいてよかったって思った」
「そうなんだ…」
ふと、少し乱れた彼女の服と、皴になったベッドのシーツが目に入り、自分がやらかした事実を痛感する。
(いくらカッとなったとはいえ、やり過ぎたな…)
「さっきはごめん」
「え?」
「他の男と連絡先を交換したのを見てカッとなったとはいえ、無抵抗の三原さんにひどいことをしたって反省してる。…でも、俺の気持ちはずっと中学の時から変わってないから。ずっと会いたくて、話したくて。久しぶりに会って、美味しそうにご飯を食べるところとか、笑い顔も声も仕草も、全部可愛くて大好きだなって思った」
俺の言葉に赤くなる三原さんがまた可愛い。
今なら言える。素直な自分の気持ちを。
俺はすうっと息を吐いてから彼女に向き直って言った。
「好きです。俺とまた、付き合ってくれますか?」
「っ!?」
自分でも調子がいいことを言っているのはわかっている。
でも、君じゃなきゃ駄目なんだ。
何度も諦めようと思ったけど、ずっと好きだった人。
叶うならばもう一度、チャンスが欲しい。
もう二度と君を傷つけないから。
祈るように彼女の返事を待っていると、信じられない言葉が聞こえてきた。
「…私も、好き。…今でも好きですっ…。あの時は逃げてごめんなさい。こちらこそ、お願いします…」
そう言った彼女の泣き顔があまりに可愛くて、俺は思わず抱き締めてその頬にキスを落とした。
***
(ああ、可愛い。すげぇ可愛い)
「んっ…はぁっ…」
ちゅっ、ちゅっと部屋にリップ音とお互いの甘い吐息が響く。
話し合いの末、ようやく10年前の誤解が解けて、気持ちが通じ合ったのはわずか数分前のこと。
嬉しくて思わずキスをしながらベッドに押し倒すと、彼女は困惑した顔で俺を見た。
「ね、こういうのまだ早いと思うの。普通はもっと段階を踏んで…」
「…でも、三原さん。すごくエロい恰好してるし…さっき中途半端で終わったからもう限界なんだけど」
「こ、これは吉川君が勝手にやったんでしょ!」
「うん。俺のせいだから責任とらせて。いいよね?こっちは10年も待ったんだから」
「そんなの知らな…んっ」
この10年、俺の性欲の発散方法は専ら自慰だった。
しかもおかずは中学時代に撮った彼女のプリクラだなんて知ったら、ドン引きされるだろうな。言わないでおこう。
そんな事を考えながら、彼女の可愛いピンク色の唇に吸い付くようなキスをする。
何度も何度もお互いの口内を求めあって、息継ぎの為に唇を離すと口から甘い息が漏れた。
唾液で濡れた半開きの唇。ピンク色の頬。少し潤んだ瞳は物欲しそうに俺を見ている。
(なんて顔してるんだよ…可愛すぎ…)
「…あのさ。自分が今、どんな顔してるかわかってる?」
「へ?」
「そういう顔。俺以外に見せちゃダメだからね?」
もう絶対に手放すものか。
俺が君から離れられないように、君も俺に夢中になればいい。
そんな願いを込めて、愛しい彼女の身体を優しく愛撫する。
「…あっ…はっ…んんっ…」
(さっきも思ったけど、乳首、すごく敏感なんだな。可愛い)
反応が可愛いので、その敏感な部分を指や舌で時間をかけて愛撫していく。
「なんで…そこばっかりっ…」
「だって、ここ好きでしょ?」
「っ、好きなんかじゃ…」
「嘘つき。こっちはぐちゃぐちゃになってるよ」
「…あっ」
股の間の蜜壺にそっと指を這わせ、中の蜜の音をわざと聞かせるようにくちゅくちゅと音を立てて指を出し入れする。
「…っ、やだ…」
「ああ。可愛い。大好き」
「…私も…好き」
「っ、だからそういう顔…ああ、もうっ!」
「え?んっ」
キスで塞いで、逃げられなくして、全部俺のものにしたい。
「もう限界。挿れるよ」
「え、あ、ちょっ!待って!…ああっ!!」
彼女の叫び声と共に、避妊具を付けた自身が勢いよく膣内に埋まっていく。
(すご…これが、三原さんの…)
初めて経験する感覚に感動と快感が混じり合うが、辛そうに歪める彼女の顔が目に入り、申し訳ない気持ちになる。
「っ、痛いよね。…ごめん」
こういう時、痛みを和らげるテクニックのない自分が恨めしいが、かといって他の女性で経験を積むなんて考えもしなかった。
涙の滲んだ目尻をそっと撫でると、彼女は何故か小さく笑う。
「三原さん?」
「変なの。さっきは無理やりしてきたくせに」
「っ、それは…。頭に血が上って…つい」
『ごめん』と続けようとした時、彼女が俺の髪に触れながら言った。
「痛いけど…嬉しいよ。吉川君と繋がれたから。初めてが吉川君でよかった」
「っ!?」
(この人は、もう!)
「…三原さんって、ほんと、無自覚だよね」
「え?…ひあっ!?…え、ちょっ!待っ!あっ!あっ!」
ぐんっと腰を動かした俺に驚いて、必死にしがみついてくる彼女に構わず、乱暴に快楽を貪る。
全部欲しい。俺の事だけ考えればいい。
「…好きっ…好きだっ…菜々香っ!」
「ああっ!」
愛しい人の名前を呼びながら、俺はゴム越しに欲望を吐き出した。
***
「誕生日おめでとう。菜々香」
「ありがとう、遥希君」
あの合コンで再会した日から2年。
無事に恋人同士に戻った俺たちは、順調に交際を続けている。
今日は菜々香の27歳の誕生日だ。
彼女の誕生日をお祝いするのは今回で2回目。
去年は彼女の誕生石のネックレスをプレゼントしたが、今年はちょっと特別だ。
「…は、遥希君。このブランド…」
ショッパーを見ただけで少し怖気づいている菜々香が可愛い。
それもそのはず。
菜々香の手にあるショッパーのロゴは、誰もが知っている高級ブランドだからだ。
「開けてみて」
笑顔の俺の圧力に負けたのか、菜々香は恐る恐るという感じで紙袋を広げて、中身を取り出した。
小さな紺色のリングケースを開けると、中に入っていたのはダイヤがついたプラチナリング。
少し歪曲したデザインに、小さなダイヤが3つついた指輪は、菜々香の好みを事前にリサーチして選んだ。
去年ペアリングを買った時にサイズは把握済みだし、デザインの好みも買い物中にさりげなく聞いてあったのでぬかりはないはずだ。
指輪を見て固まる彼女に俺はすかさず言う。
「俺と結婚して下さい」
「っ!?」
「この先もずっと、菜々香と初めてのことを増やしていきたいんだ。だから、家族になってほしい」
菜々香が俺に初めて人を好きになることを教えてくれたように、俺もこれからも一緒に彼女と初めてを経験していきたい。
そんな気持ちを込めて指輪を差し出すが、彼女は俯いたまま動かない。
「菜々香?」
「私で…いいの?」
「え?」
顔を上げた彼女が、不安そうに瞳を涙で揺らす。
「っ、だって私、美人でも可愛くもないっ。ネガティブだし、遥希君にはふさわしくないのにっ…んっ!?」
思わず頬に両手を添えて、その唇をキスで塞いだ。
「菜々香がいいの。菜々香じゃなきゃ駄目なんだよ。そんなの、菜々香が一番よくわかってるでしょう?」
この10年間、離れている辛さを嫌というほど痛感した。
これからも一緒にいたい。
俺が笑いかけると、彼女もようやく笑顔を見せて小さな声で言った。
「っ、よろしくお願いします…」
泣きながらも笑ったその顔が可愛くて、俺は幸せな気持ちで唇にまたキスを落とした。
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