16 / 44
本編
女主人と使用人
しおりを挟むカトリーナの態度が変わっていったのは、ディートリヒに対してだけでは無かった。
「……っ」
ある朝、着替えの為に侍女ソニアに介添えをしてもらっていたが、ソニアの手がカトリーナの肌に触れた。
「申し訳ございません、奥様!」
ソニアは慌てて手を引っ込めた。
痛かったわけではない。ざらりとした感触に違和感があったのだ。
「あなた……その手はなに?」
ぎろりと睨むカトリーナに、ソニアは萎縮した。自身の手を擦り合わせながら震えている。
「す、すみません……」
がたがた震えるソニアの手を、カトリーナはそっと持つ。その手は水仕事のせいかカサカサしていた。
「……奥方付きの手では無いわね」
「もっ、申し訳……」
「あなた、ハリーを呼んで下さる?」
「えっ、あっ、はい、ただいま!」
もう一人の侍女エリンに執事を呼んで貰う間、カトリーナは手の荒れたソニアを自身のドレッサーに座らせた。
「あ、あの、奥様……?」
先程まで涙目になっていたソニアは困惑していた。カトリーナは自身の化粧品の中から見繕い瓶の蓋を開ける。
「あなたの手、荒れ過ぎですわ。こんな手でよく私に触れられましたわね」
瓶の中のクリームを一掬いし、ソニアの手に乗せ塗り込めていく。すると、薔薇の良い香りが二人の間を漂った。
「わ、私に触れるなら、まず自分の手を荒らさないようにしなさいっ。
じゃなきゃ、私の肌がざらついてしまうわ」
誰かに塗った事は無いのだろう。
それはムラになりながら、カトリーナはソニアの手を揉みながら塗っていく。
その事にソニアはぽかんとした。
「あ……ありがとう、ございます……」
「いいのよ。これからしっかり保湿して、私に触る手はきれいでいてちょうだい」
ともすればその言葉はきつく聞こえるが、そこにはカトリーナの優しさしかなかった。
そっぽを向いたカトリーナは、照れか恥ずかしさか、手を組み換え所在なげに立っていた。
そんな女主人を見て、自身の薔薇の香りがする手を見て、ソニアは知らず口元が緩んだ。
「奥様、お呼びと伺いましたが」
執事のハリーが扉をノックしてカトリーナを伺い、なぜかすぐに視線を逸らした。
「ハリー、この屋敷の使用人は男女それぞれ何名?」
「は、はい、えーと、男性が10名、女性が13名、でしょうか。……あの、奥様」
ハリーは壮年の男性執事である。
ディートリヒの両親の代からランゲ家に仕えてきたベテラン執事だ。
使用人の全てを取り仕切り、屋敷の全てを把握する。
だがハリーはこの時カトリーナの姿が見えないように視線をずらした。
その事にカトリーナは少し不満に思いながらもハリーに告げる。
「ではマダムリグレットの保湿用のハンドクリームを使用人に購入しようと思うのだけど、予算は確保できますか?」
「は、はあ、それくらいならば大丈夫だと思います。それより奥様……」
「では定期的に購入して皆に配ってくださる?
手荒れによく効くの。男性用は無香料がいいかしら。女性用は色んな香りがあるから好きなのを選べばいいわ」
照れながら、そっぽを向きながら、カトリーナは指示を出す。
ハリーは視線をずらしたままだが、カトリーナの真意を汲み取り思わず微笑んだ。
「かしこまりました。準備致します。……それで奥様、あの」
「カトリーナ?そろそろ朝食を……」
そこへディートリヒの登場である。彼はカトリーナの姿を見るなり固まってしまった。
「あ」
先程カトリーナにハンドクリームを塗って貰ったソニアは気付いてしまった。
今のこの状況を。
先程から執事のハリーが女主人であるカトリーナを全く見ようとしない理由を。
「旦那様、奥様、そろそろ朝食を……」
「あ」
ぱたぱたと二人を呼びに来た侍従のトーマスも顔を赤くしてばっと逸らした。
ディートリヒは相変わらず顔を赤くして固まっている。
「……?皆さんどうなさいました…───?
───っ!!?」
「はい、皆さん出て行ってくださいね!後ほど食堂にご案内しますからね!!」
ソニアは男性陣を扉の外に追いやり、バタンと閉めた。
そして。
カトリーナは羞恥から布団に潜り込んだ。
自分の格好を思い出したのだ。
そう。
彼女は着替えの途中だった。
それをすっかり忘れていた。
ゆえ、下着姿のまま執事を迎え、ディートリヒとトーマスに見られたのである。
「わ、わたくし、もうお嫁にいけませんわ……」
ベッドの布団に包まるカトリーナに、ソニアは突っ込みたかった。
(奥様はご結婚されてますよ~)
「奥様、大丈夫です。どなた様も見てません」
しくしく聞こえる白い固まりに侍女が語りかけるが、ややあって外から
「ハリー、トーマス、今のは記憶から消せ!今すぐ忘れろ!!無理なら俺が記憶を消してやる!!」
そんな怒号が聞こえて益々固まりがぎゅっとなった。
それでも何とか宥め、ようやくカトリーナが食堂に現れた時、ディートリヒは既に朝食を食べ終えこれから家を出るところだった。
「あー、その、先程は、すまない」
「いえ……私こそはしたなくてすみません……」
「そんな事無い!きれいだった!眼福だった!」
慌てて言い放った言葉にみるみる顔を赤らめるカトリーナに、ディートリヒはしまったと手で口を覆った。
「それ、なら、良かった……です」
消え入りそうな語尾にディートリヒの理性がキレかけた。
だが、トーマスが呼ぶ声に我に返る。
「そっ。それじゃあ、行ってくる」
離れ難い気持ちを何とか抑え、ディートリヒは食堂を出て行く。
「い、行ってらっしゃいませ……」
か細くなった声はディートリヒに届き。
扉の角で足をぶつけたディートリヒは悶絶しながら仕事に行った。
その日、ディートリヒの中で雑念が消えず、鬼のような訓練を強いられた騎士団の仲間たちが多数犠牲になったが、その理由を彼らが知る由は無かった。
438
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
【完結】私を忘れてしまった貴方に、憎まれています
高瀬船
恋愛
夜会会場で突然意識を失うように倒れてしまった自分の旦那であるアーヴィング様を急いで邸へ連れて戻った。
そうして、医者の診察が終わり、体に異常は無い、と言われて安心したのも束の間。
最愛の旦那様は、目が覚めると綺麗さっぱりと私の事を忘れてしまっており、私と結婚した事も、お互い愛を育んだ事を忘れ。
何故か、私を憎しみの籠った瞳で見つめるのです。
優しかったアーヴィング様が、突然見知らぬ男性になってしまったかのようで、冷たくあしらわれ、憎まれ、私の心は日が経つにつれて疲弊して行く一方となってしまったのです。
【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。
扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋
伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。
それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。
途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。
その真意が、テレジアにはわからなくて……。
*hotランキング 最高68位ありがとうございます♡
▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス
【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。
MIRICO
恋愛
第二章【記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。】完結です。
記憶を失った私は侯爵夫人だった。しかし、旦那様とは不仲でほとんど話すこともなく、パーティに連れて行かれたのは結婚して数回ほど。それを聞いても何も思い出せないので、とりあえず記憶を失ったことは旦那様に内緒にしておいた。
旦那様は美形で凛とした顔の見目の良い方。けれどお城に泊まってばかりで、お屋敷にいてもほとんど顔を合わせない。いいんですよ、その間私は自由にできますから。
屋敷の生活は楽しく旦那様がいなくても何の問題もなかったけれど、ある日突然パーティに同伴することに。
旦那様が「わたし」をどう思っているのか、記憶を失った私にはどうでもいい。けれど、旦那様のお相手たちがやけに私に噛み付いてくる。
記憶がないのだから、私は旦那様のことはどうでもいいのよ?
それなのに、旦那様までもが私にかまってくる。旦那様は一体何がしたいのかしら…?
小説家になろう様に掲載済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる