18 / 79
二章 『好き』は一日一回まで
ライナスの宣言
しおりを挟む
俺は風呂ばかりが並ぶ隣の部屋へ行き、下地を塗って乾いた椀をひとつ手にする。
作業場へ戻ってライナスに手渡せば、一瞬で体を硬直させる。急にどうした? と首を傾げていると、ぎこちない動きでライナスが俺を見上げた。
「カ、カツミさん……しても、いいのですか?」
「ああ。最悪、駄目にしても構わない。漆が縮んで失敗する分を計算に入れて、余分に作っているからな」
最初から使い物にならなくなるだろうと見越しての提供。ひとつくらいなら痛くも痒くもない。だがライナスはそう割り切れないようで、何度も深呼吸したり、大きく息を呑んだりを繰り返す。
「ムダにしませんっ! ガンバります」
異様に力んで大丈夫か? と心配しながら下地の研ぎを教えてやる。
一回目は荒い下地を塗っている。だから研ぐ時も同じくらい荒さのある砥石。消しゴムぐらいの砥石を貸してやり、湯につけてから下地の椀を研いでいく。下地がたちが剥げないように気をつけつつ、全体を研いで表面を平らにする。
最初こそライナスはおっかなびっくりで生地を研ぐ。力を入れなければ、いつまで経っても終わらない。俺が促そうと手に力を入れるよう告げたのだが、ライナスは確かめるように力を制し、黙々と作業に向き合っていく。
そして無事にひとつ研ぎ終えたところで、ライナスは大きなため息をともに肩を落とした。
「これ、毎度されるのですか?」
「ああ。地域や技法によって違うが、こっちだと下地と下地研ぎは三回やる」
「塗りに入るまで、遠いです」
「そうだな。しかも塗りも下塗りやって研いで、中塗りやって研いで、やっと上塗りだからな。そこまでやったのに上塗りで失敗して、全部無駄になる時もある。理不尽なもんだ」
これは脅しじゃない。事実だ。どれだけ作り手が苦慮しても、季節や気候、その時の材料の質など、人の思い通りにならないことを受け入れて、俺たちは漆器を作り上げていく。
特に失敗した時は、自然を相手にしていることを痛感する。千尋の谷から元の場所まで這い上がりかけた瞬間、無残にも突き落とされるごとくの理不尽。それを理解して受け入れていけるかどうかは、漆芸と向き合っていくためには重要なことだ。
ライナスはどうなのだろうかと注視していると――顔を脱力させて微笑んだ。
「漆、面白いです。初めてできたら、スゴく嬉しくて倒れそうです」
……強がり、じゃなさそうだな。少なくとも心の見込みはある。思わず俺が口元を綻ばせていると、ライナスがまじまじと見てくる。慌ててゴホンと咳込み、俺はふすまを指さした。
「今日は終わりだ。少し休んでからやりたいことをすればいい。俺は仕事する」
「あの、しばらく見学、良いですか?」
「……好きにしろ」
俺は自分の作業台へ戻り、下地の椀を持つ。
台の上に漆を出し、刷毛で椀に塗っていく。幾度となくこなしてきた工程。ライナスの視線があっても、手は自然といつも通りに動く。
……近づいてきたな。顔を上げずとも、ライナスの気配がこちらへ寄ってくるのが分かる。
隣に来て、ライナスが静かに座る。そこからしばらく無音が続く。
塗ったものを板に置き、また別の椀を取って塗り――板に乗せていたものすべてを塗り終えたら、風呂へ入れて新たに取り出して塗っていく。黙々と俺が日常をこなしている最中――。
「好きです、カツミさん」
作業場へ戻ってライナスに手渡せば、一瞬で体を硬直させる。急にどうした? と首を傾げていると、ぎこちない動きでライナスが俺を見上げた。
「カ、カツミさん……しても、いいのですか?」
「ああ。最悪、駄目にしても構わない。漆が縮んで失敗する分を計算に入れて、余分に作っているからな」
最初から使い物にならなくなるだろうと見越しての提供。ひとつくらいなら痛くも痒くもない。だがライナスはそう割り切れないようで、何度も深呼吸したり、大きく息を呑んだりを繰り返す。
「ムダにしませんっ! ガンバります」
異様に力んで大丈夫か? と心配しながら下地の研ぎを教えてやる。
一回目は荒い下地を塗っている。だから研ぐ時も同じくらい荒さのある砥石。消しゴムぐらいの砥石を貸してやり、湯につけてから下地の椀を研いでいく。下地がたちが剥げないように気をつけつつ、全体を研いで表面を平らにする。
最初こそライナスはおっかなびっくりで生地を研ぐ。力を入れなければ、いつまで経っても終わらない。俺が促そうと手に力を入れるよう告げたのだが、ライナスは確かめるように力を制し、黙々と作業に向き合っていく。
そして無事にひとつ研ぎ終えたところで、ライナスは大きなため息をともに肩を落とした。
「これ、毎度されるのですか?」
「ああ。地域や技法によって違うが、こっちだと下地と下地研ぎは三回やる」
「塗りに入るまで、遠いです」
「そうだな。しかも塗りも下塗りやって研いで、中塗りやって研いで、やっと上塗りだからな。そこまでやったのに上塗りで失敗して、全部無駄になる時もある。理不尽なもんだ」
これは脅しじゃない。事実だ。どれだけ作り手が苦慮しても、季節や気候、その時の材料の質など、人の思い通りにならないことを受け入れて、俺たちは漆器を作り上げていく。
特に失敗した時は、自然を相手にしていることを痛感する。千尋の谷から元の場所まで這い上がりかけた瞬間、無残にも突き落とされるごとくの理不尽。それを理解して受け入れていけるかどうかは、漆芸と向き合っていくためには重要なことだ。
ライナスはどうなのだろうかと注視していると――顔を脱力させて微笑んだ。
「漆、面白いです。初めてできたら、スゴく嬉しくて倒れそうです」
……強がり、じゃなさそうだな。少なくとも心の見込みはある。思わず俺が口元を綻ばせていると、ライナスがまじまじと見てくる。慌ててゴホンと咳込み、俺はふすまを指さした。
「今日は終わりだ。少し休んでからやりたいことをすればいい。俺は仕事する」
「あの、しばらく見学、良いですか?」
「……好きにしろ」
俺は自分の作業台へ戻り、下地の椀を持つ。
台の上に漆を出し、刷毛で椀に塗っていく。幾度となくこなしてきた工程。ライナスの視線があっても、手は自然といつも通りに動く。
……近づいてきたな。顔を上げずとも、ライナスの気配がこちらへ寄ってくるのが分かる。
隣に来て、ライナスが静かに座る。そこからしばらく無音が続く。
塗ったものを板に置き、また別の椀を取って塗り――板に乗せていたものすべてを塗り終えたら、風呂へ入れて新たに取り出して塗っていく。黙々と俺が日常をこなしている最中――。
「好きです、カツミさん」
2
あなたにおすすめの小説
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
姉が結婚式から逃げ出したので、身代わりにヤクザの嫁になりました
拓海のり
BL
芳原暖斗(はると)は学校の文化祭の都合で姉の結婚式に遅れた。会場に行ってみると姉も両親もいなくて相手の男が身代わりになれと言う。とても断れる雰囲気ではなくて結婚式を挙げた暖斗だったがそのまま男の家に引き摺られて──。
昔書いたお話です。殆んど直していません。やくざ、カップル続々がダメな方はブラウザバックお願いします。やおいファンタジーなので細かい事はお許しください。よろしくお願いします。
タイトルを変えてみました。
雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―
なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。
その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。
死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。
かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。
そして、孤独だったアシェル。
凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。
だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。
生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー
【完結】少年王が望むは…
綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。
15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。
恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか?
【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし
【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム
【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。
カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。
異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。
ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。
そして、コスプレと思っていた男性は……。
最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。
はやしかわともえ
BL
のんびり書いていきます。
2023.04.03
閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m
お待たせしています。
お待ちくださると幸いです。
2023.04.15
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
更新頻度が遅く、申し訳ないです。
今月中には完結できたらと思っています。
2023.04.17
完結しました。
閲覧、栞、お気に入りありがとうございます!
すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる