おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

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二章 『好き』は一日一回まで

気になるのは創作者として

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 一日一回の『好き』を呟かれ、俺は非日常に浮上させられた。

「い、いきなり言うな!」

 俺の作業の手が止まったのを狙って言われたおかげで、椀に被害はない。ただ俺が動揺で思うように言葉が出せないだけだ。

 一度深呼吸してから、俺はライナスをジロリと睨む。

「……作業中にそれを言うのは禁止だ。次言ったら追い出す」

「すみませんっ。横顔を見てたら、つい言いたくなって」

 言ってきたライナス本人に動揺されてしまい、俺は思わず脱力して肩を下げる。

「ひとつ言っておくが、応える気は一切ないからな。金を積まれたって嫌だ」

「ワタシが男だから、ですか?」

「違う。確かに男に興味はないが、女性を受け入れる気もない。まあ俺みたいなおっさんは相手にされんがな」

「そんなこと、ないです。カツミさんは魅力的です」

「いや、それは気のせいだ。正気に戻れ……まあとにかく俺は誰が相手でも嫌だ」

 口に出しながら、なんとも自分を卑下した発言だと思う。だが本心だ。俺は心の深い所に誰かを招きたくない。

 一緒に居れば流されるだろうなんて夢見るな。諦めろ。いい機会だ、しっかり意思を伝えておこうと話を続けかけたその時。

「分かりました。イヤなことはしません。ムリを言ってすみませんでした」

 ライナスが床に手を付き、土下座してくる。それはもうゆっくりと丁寧な所作で、危うく目を奪われかける。これが世に言う、イケメンは正義というやつか。

 まあとにかく、分かってくれたなら良かった。内心胸を撫で下ろしていると、ライナスは顔を上げて俺を真剣に見つめてきた。

「カツミさん、ワタシ、毎日好きと言います! あ、この好きはカウントしないで下さいっ」

「人の話を聞いてたか? 時間の無駄だ。俺は絆されんからな」

「ワタシは、カツミさんがジブンを少しでも好きになるよう、言い続けます」

 おい、一日一回の約束を破るな。浮いた意味じゃないのは分かっているが。

 注意するのも面倒で、俺はそのまま流してしまう。
 何を言われようが俺は変わらない。誰であっても好きにはならない――俺自身も例外なく、だ。こんな人気のない所で自分の気が済むまでやりたいことに没頭して、自分のためだけに生きている人間だ。

 もし俺と同じヤツがいたら、絶対に仲良くなんかなりたくない。身勝手過ぎるんだ、俺は……。

 小さく苦笑を零していると、ライナスから息をつく音がする。そして俺に対して笑みを向ける。太陽の子供みたいな奴だと思っていたのに、その顔はほのかに陰りながらも優しく輝く朧月のようだった。

「少しだけ、待ってて下さい。カツミさんと同じ所にいきますから」

「すぐ一人前になる気か?」

「カツミさんから見れば、ワタシはずっと半人前……ゼッタイ、敵いません。だから――」

 ライナスはスッと漆の桶を指さす。

「同じ世界を見られるよう、ガンバります。ずっと本当の黒を探します。カツミさんと一緒に……」

 ……分かるのか、ライナス。俺が漆黒の世界に沈んでいたいということが。

 驚きで思わずライナスの目をまじまじと見てしまう。しかし何か応えることはできなくて、俺はおもむろに作業台へ視線を戻し、今日の仕事をこなしていく。

 ライナスはそれきり口を閉ざし、俺の仕事を見学し続ける。見ているのは俺でなく、黒を重ねていく工程。俺と同じ世界を見ようとしている。

 ふと、途中でライナスが逃げるだろうという展望が、俺の中から消えた。
 漆芸の腕は追いつかなくても、俺と同じものが見えるようにだなんて――真っ当な感覚の持ち者ではない。どこか頭のネジが飛んでいる。

 ライナス。お前は一体何者なんだ?
 覚えてしまった興味を呑み込み、俺は作業を続けていった。



 俺は懇切丁寧に教えられる類ではない。しかしライナスはどんどん漆芸を覚えていった。

 下地の厚さはなかなか思うようにつけられないが、漆を塗り重ねるのは上手い。もしかすると、別の芸術に慣れ親しんできたのかもしれない。パレットに乗せる絵具を漆に変え、漆芸の海に沈んでいる最中なのだろう。

 ライナスとの一日が積み重なるほどに、俺はこの押しかけ弟子のことが気になっていく。愛だ恋だではない。創作者として気になる。

 前は何をしていたのか。なぜ漆芸をする気になったのか。覚えが早いのは、芸術の素人ではないからか?
 それぐらいのこと、気軽に聞けばいいのに。なぜか俺から知りたがるのは、ライナスに心を許したような気がして口にできなかった。

 住み込み弟子なのに、ライナスのことを何も知らない俺。師匠としてどうなんだ? と心の中で頭を抱えながら、一か月が過ぎた――。
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