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五章 二人で沈みながらも
これだけで済んでマシ?
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皿をチラリと見やってから、ローレンさんは小首を振った。
「まだまだね。これでは誰も納得してくれないわ」
はあ、と大きな息をついた後、ローレンさんの視線が俺を刺してくる。
「ミスター幸正。約束の時には間に合うのですか?」
「確約はできませんが、問題ないかと……むしろ順調すぎるほどですから。後はライナスが何を作るか、ですね」
「そう。ライナスの作品なのですから、さぞ高く売れたことでしょうね」
漆器まつりのことをよく知らないローレンさんに、いくらで売ったか言わないほうが良さそうだ。俺は黙秘することを決め込んだが、
「お皿、一枚千円でしたわよ?」
悪気なく素直におばちゃんが教えてしまう。
ローレンさんの体が固まった。そして俺に詰め寄り、胸倉を掴んでユサユサと揺さぶった。
「何を考えているの! ライナスの処女作がたった千円? あり得ないわ!」
「いや、あれは、練習を兼ねてのものですし、今日の祭りは、気軽にっ、漆器に、触れてもらうための――」
俺が説明しても興奮したローレンさんの耳には届かず、揺さぶりがますます酷くなっていく。その時、
「Stop Loren !」
ライナスがローレンさんの腕を掴み、動きを止めてくれる。
軽くめまいを覚えていると、庇うようにライナスは俺とローレンさんの間に割って入り、手に持っていた何かを彼女に突き付けた。
ローレンさんが微動だにしなくなる。周りもなんだろうと覗き込んで、目を丸くする。
そして皆がゆっくりと俺を見てきた。
嫌な予感がして俺も体を傾け、ライナスの手元を覗き込む。そこには漆黒に浮かぶ俺の顔――俺を描いた蒔絵の板だった。
「……っ! ライナス、家に置いて来いと言っただろ!」
「で、でも、常に持っていたくて……」
「本人がいるのになぜ持つ必要がある!?」
「どっちもあったら幸せです。サイコーです!」
力説するライナスに、ローレンさんを覗いた女性陣の目がなぜか輝き出す。男性陣は理解不能と思考を停止させて固まっている。そしてローレンさんは、顔の至る所を引きつらせていた。
「まさか、それが、貴方の処女作?」
「はい。これは絶対に手放しません。最愛の人を誰かに譲れません」
言い切りやがった……っ! しかも公衆の面前で!
羞恥で熱くなるやら、この後の反応に背筋が凍り付くやらで訳が分からなくなる俺に、ライナスが眩しく笑いかけた。
「カツミさんも、この蒔絵も、私の大切なもの……それを離せなんて、ワタシにはムリです」
俺の怒ろうと開いた口が息を止める。そりゃあもう本気で想ってくれている顔と声を向けられたら、何も言えなくなってしまう。
しばらくして女性陣が、各々に顔を合わせて頷き合った。
「仲の良い師弟ってステキだわ。ドラマみたい」
「いつも一緒にいるものねえ。微笑ましいわあ」
やけに女性陣の眼差しが温かくて落ち着かない。白い目で見られるよりはマシ、か?
早く平常心を取り戻そうとしている俺に、濱中がうっすらと笑いながら近づいてきた。
「最近は男同士の恋愛ドラマやったりしてますから、その影響だと思いますよ。良かったですね」
「良いのか、本当に?」
「娯楽と刺激が少ない田舎ですから、それは大切に重宝されるかと」
「井戸端会議で延々とオモチャにされるのか……」
安易に女性陣が嬉々として俺たちのことを夢中で話す姿が脳裏に浮かび、俺は頭を抱える。
ああ、祭りの前まで時間を戻して、ライナスから俺の蒔絵を取り上げてしまいたい。
切実なことを考えていると、濱中が声を落とし、俺にしか聞き取れない呟きを漏らす。
「それぐらいで済むなら楽なものです。ずっと秘めたまま、というのは思いのほか辛いですよ」
濱中の言葉が重い。まだ一年経たずの俺たちと違い、何年も辻口への想いを抱え込んでいるのだ。重みも出て当然だろう。
俺としては羞恥でしかない状況だが、これだけで済むのは微笑ましいことなのだろうな……と思っていると、ローレンさんが頭を振って我を取り戻してから、俺を睨んだ。
「ミスター幸正。いくらライナスのファンだからと言って、私欲に走られては困ります!」
「いや、勝手に描かれてしまったんです。ライナスのファンなのは認めますが、こんなむさ苦しい顔を蒔絵になど悪趣味でしょう」
「だとすれば監督不行き届きですね。二度とやらせないで下さい」
「ぜひそうして欲しいので、貴女からもライナスに言い聞かせて下さい」
「……ええ、もちろん」
了承の言葉を口にした割に、ローレンさんの反応が弱い。おそらく言っても無駄だと分かっているのだろう。
俺とローレンさん。二人でライナスに目をやれば、いつの間にか俺の蒔絵をうっとりと見つめていた。隠す気なくなったな……と遠い目をしそうになっていると、ライナスが俺に視線を向ける。
俺の蒔絵を見るよりも優しく、川面が日差しを弾くように輝きながら見つめられて、思わず目頭が熱くなりかけた。
「ちょっと席を外します。ローレンさん、積もる話もあると思います。ゆっくりしていって下さい」
言いながら俺は逃げるようにテントから出て、人混みを抜けていった。
「まだまだね。これでは誰も納得してくれないわ」
はあ、と大きな息をついた後、ローレンさんの視線が俺を刺してくる。
「ミスター幸正。約束の時には間に合うのですか?」
「確約はできませんが、問題ないかと……むしろ順調すぎるほどですから。後はライナスが何を作るか、ですね」
「そう。ライナスの作品なのですから、さぞ高く売れたことでしょうね」
漆器まつりのことをよく知らないローレンさんに、いくらで売ったか言わないほうが良さそうだ。俺は黙秘することを決め込んだが、
「お皿、一枚千円でしたわよ?」
悪気なく素直におばちゃんが教えてしまう。
ローレンさんの体が固まった。そして俺に詰め寄り、胸倉を掴んでユサユサと揺さぶった。
「何を考えているの! ライナスの処女作がたった千円? あり得ないわ!」
「いや、あれは、練習を兼ねてのものですし、今日の祭りは、気軽にっ、漆器に、触れてもらうための――」
俺が説明しても興奮したローレンさんの耳には届かず、揺さぶりがますます酷くなっていく。その時、
「Stop Loren !」
ライナスがローレンさんの腕を掴み、動きを止めてくれる。
軽くめまいを覚えていると、庇うようにライナスは俺とローレンさんの間に割って入り、手に持っていた何かを彼女に突き付けた。
ローレンさんが微動だにしなくなる。周りもなんだろうと覗き込んで、目を丸くする。
そして皆がゆっくりと俺を見てきた。
嫌な予感がして俺も体を傾け、ライナスの手元を覗き込む。そこには漆黒に浮かぶ俺の顔――俺を描いた蒔絵の板だった。
「……っ! ライナス、家に置いて来いと言っただろ!」
「で、でも、常に持っていたくて……」
「本人がいるのになぜ持つ必要がある!?」
「どっちもあったら幸せです。サイコーです!」
力説するライナスに、ローレンさんを覗いた女性陣の目がなぜか輝き出す。男性陣は理解不能と思考を停止させて固まっている。そしてローレンさんは、顔の至る所を引きつらせていた。
「まさか、それが、貴方の処女作?」
「はい。これは絶対に手放しません。最愛の人を誰かに譲れません」
言い切りやがった……っ! しかも公衆の面前で!
羞恥で熱くなるやら、この後の反応に背筋が凍り付くやらで訳が分からなくなる俺に、ライナスが眩しく笑いかけた。
「カツミさんも、この蒔絵も、私の大切なもの……それを離せなんて、ワタシにはムリです」
俺の怒ろうと開いた口が息を止める。そりゃあもう本気で想ってくれている顔と声を向けられたら、何も言えなくなってしまう。
しばらくして女性陣が、各々に顔を合わせて頷き合った。
「仲の良い師弟ってステキだわ。ドラマみたい」
「いつも一緒にいるものねえ。微笑ましいわあ」
やけに女性陣の眼差しが温かくて落ち着かない。白い目で見られるよりはマシ、か?
早く平常心を取り戻そうとしている俺に、濱中がうっすらと笑いながら近づいてきた。
「最近は男同士の恋愛ドラマやったりしてますから、その影響だと思いますよ。良かったですね」
「良いのか、本当に?」
「娯楽と刺激が少ない田舎ですから、それは大切に重宝されるかと」
「井戸端会議で延々とオモチャにされるのか……」
安易に女性陣が嬉々として俺たちのことを夢中で話す姿が脳裏に浮かび、俺は頭を抱える。
ああ、祭りの前まで時間を戻して、ライナスから俺の蒔絵を取り上げてしまいたい。
切実なことを考えていると、濱中が声を落とし、俺にしか聞き取れない呟きを漏らす。
「それぐらいで済むなら楽なものです。ずっと秘めたまま、というのは思いのほか辛いですよ」
濱中の言葉が重い。まだ一年経たずの俺たちと違い、何年も辻口への想いを抱え込んでいるのだ。重みも出て当然だろう。
俺としては羞恥でしかない状況だが、これだけで済むのは微笑ましいことなのだろうな……と思っていると、ローレンさんが頭を振って我を取り戻してから、俺を睨んだ。
「ミスター幸正。いくらライナスのファンだからと言って、私欲に走られては困ります!」
「いや、勝手に描かれてしまったんです。ライナスのファンなのは認めますが、こんなむさ苦しい顔を蒔絵になど悪趣味でしょう」
「だとすれば監督不行き届きですね。二度とやらせないで下さい」
「ぜひそうして欲しいので、貴女からもライナスに言い聞かせて下さい」
「……ええ、もちろん」
了承の言葉を口にした割に、ローレンさんの反応が弱い。おそらく言っても無駄だと分かっているのだろう。
俺とローレンさん。二人でライナスに目をやれば、いつの間にか俺の蒔絵をうっとりと見つめていた。隠す気なくなったな……と遠い目をしそうになっていると、ライナスが俺に視線を向ける。
俺の蒔絵を見るよりも優しく、川面が日差しを弾くように輝きながら見つめられて、思わず目頭が熱くなりかけた。
「ちょっと席を外します。ローレンさん、積もる話もあると思います。ゆっくりしていって下さい」
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