おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい

文字の大きさ
72 / 79
六章 おっさんにミューズはないだろ!

ライナスが作り出したもの

しおりを挟む
   ◇ ◇ ◇

 約束の十一月になった。ローレンさんなりに気遣ったのだろうか、俺たちの前に現れたのは月末ギリギリだった。

 家まで来てもらうのは大変だと思い、漆芸館で落ち合う約束をし、辻口の好意で事務所を使わせてもらうことになった。

 ソファに座ったライナスとローレンさんが木製のローテーブルを挟んで睨み合う中、俺や辻口、濱中はライナスの後ろで様子を見守る。

 そっとライナスは脇に置いていた浅い木箱を持ち上げ、テーブルに置く。ゆっくりと蓋を開き、蒔絵の全貌が分かるにつれて皆が息を呑む音が聞こえてきた。

「これをライナスが作ったのか……やっぱりセンスが違うな」

 ボソリと辻口が感嘆の言葉を漏らす。濱中がすかさず頷き、俺に耳打ちしてくる。

「反応が良さそうですね。ローレンさん、驚いてますよ」

「そりゃあライナスが本気出して作ったやつだ。驚いてもらわんと困る」

 俺たちが声を潜めて話をしている中、ローレンさんが早口にライナスへ話しかける。あまりに早すぎて単語が一切聞き取れない。

 英語ができる辻口が聞き耳を立て、ざっくりと訳してくれた。

「めちゃくちゃ感動してるみたいだ。なんだこの宝石は、だと。ベタ褒めだ」

 そりゃあそうだろう、と俺は心の中で胸を張る。あれが俺との思い出のひとつということが分からなくても、色にこだわったライナスの蒔絵は誰が見ても惹かれるものがあると思う。

 小さな粉の一粒すら計算しているかのような繊細さ。様々な輝きを重ね、浮かび上がらせる漆黒。少なくとも現地でのライナスの知名度を考えれば、十分に高く売れるだろう。文句のつけようがない作品に仕上がったと思うが――。

 俺が考えていると、不意にローレンさんはライナスの手を両手で握る。そして首を少し傾け、俺のほうを見た。

「ミスター幸正、感謝します。素晴らしい作品ですわ」

「すべてライナスの努力の賜物です。俺は漆器の基本を教えただけです」

「この作品なら今までの絵画の代わりになります。最初の宣伝が肝心ですから、しばらくライナスには英国で活動してもらおうと考えています」

 話を聞いた瞬間、ライナスが全力で首を横に振る。

「嫌です! カツミさんから離れたくないです。ずっとここにいます。宣伝はローレンが――」

「ライナス、師匠命令だ。しばらくあっちで活動して、土台をしっかりと作って来い」

 俺の言葉にライナスは勢いよく振り返り、今にも飛び出そうなほど目を見開いていた。

「カツミさんと一緒がいいです……そうだ。旅行も兼ねて、カツミさんも来て下さい。それなら行きま――」

「俺は行かんぞ。あと、お前はもう一人前だ。弟子卒業だ。だから、これからは自分の作業場を持って活動しろ。いいな」

 まさか俺から突き放されるなんて、ライナスは思ってもいなかっただろう。しばらく茫然となってから、急に立ち上がってソファから身を乗り出す。

「ワタシはカツミさんと一緒に居たいです! これからも、ずっと……」

「駄目だ。俺は独りがいいんだ」

 ズキリ、と胸の奥が痛む。
 だがこれは前から決めていたこと。ライナスが外へ羽ばたくための、最後の仕上げだ。

「今すぐにとは言わんが、本格的に冬が始まる前に家から出て行ってもらうぞ。一人で工房構えて、完全に独り立ちするまでは会わんから、そのつもりでな」

「そんな、どうして急に……」

「急にも何も、俺はお前の師匠だ。師匠の役目は弟子を早く一人前にすること。今までのことは全部その一環だ」

 ライナスの目が、驚きから悲しみへと歪む。

「じゃあ、ワタシを受け入れてくれたことも……」

「早く一人前にするためだ。漆に集中してもらったほうが良いと思ってな。実際、もう一人前になれただろ? そして一緒にいる理由はなくなった」

 本気だと伝わるよう、俺はライナスの目を見据えた。

「終わりだ、ライナス。弟子の飛躍を邪魔する師にはなりたくない」

「……っ、イヤ、です。ワタシは……っ!」

 こっちに来かけたライナスを、俺は眼力を強めて制する。
 もう俺はお前を受け入れない。視線に気迫を込めてぶつければ、ライナスはよろめき、事務所から飛び出ていった。

 誰もこの事態を想定していなかったのか、俺以外の人間が全員キツネにつままれたような顔で押し黙る。

 しばらくして、ローレンさんが目を細くしながら俺を見つめてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

姉が結婚式から逃げ出したので、身代わりにヤクザの嫁になりました

拓海のり
BL
芳原暖斗(はると)は学校の文化祭の都合で姉の結婚式に遅れた。会場に行ってみると姉も両親もいなくて相手の男が身代わりになれと言う。とても断れる雰囲気ではなくて結婚式を挙げた暖斗だったがそのまま男の家に引き摺られて──。 昔書いたお話です。殆んど直していません。やくざ、カップル続々がダメな方はブラウザバックお願いします。やおいファンタジーなので細かい事はお許しください。よろしくお願いします。 タイトルを変えてみました。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。

カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。 異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。 ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。 そして、コスプレと思っていた男性は……。

最弱白魔導士(♂)ですが最強魔王の奥様になりました。

はやしかわともえ
BL
のんびり書いていきます。 2023.04.03 閲覧、お気に入り、栞、ありがとうございます。m(_ _)m お待たせしています。 お待ちくださると幸いです。 2023.04.15 閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m 更新頻度が遅く、申し訳ないです。 今月中には完結できたらと思っています。 2023.04.17 完結しました。 閲覧、栞、お気に入りありがとうございます! すずり様にてこの物語の短編を0円配信しています。よろしければご覧下さい。

異世界召喚チート騎士は竜姫に一生の愛を誓う

はやしかわともえ
BL
11月BL大賞用小説です。 主人公がチート。 閲覧、栞、お気に入りありがとうございます。 励みになります。 ※完結次第一挙公開。

処理中です...