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六章 おっさんにミューズはないだろ!
別れの時
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◇ ◇ ◇
ローレンさんの説得もあったのか、家に戻ってからのライナスは俺を困らせることはしなかった。
作業途中の物があるから、それを仕上げてから出ていきたいと言われ、俺は了承した。
日常はそのままにしながらも、終わりの支度をしていくライナス。俺は何も言わず好きなようにさせた。触れたいなら触れさせてやるし、夜も抱きたいようにやらせてやる。でも終わりの期日を変える気は一切なかったし、ライナスも絶対に離れたくないと訴えることはなかった。
それを口にしたら、残り少ない日々すら俺が切り捨てると肌で感じていたのだろう。ライナスは俺の性格をよく分かっている。
どれだけライナスの背中が寂しげでも、俺に微笑む顔が切なげでも、俺は気づかぬフリをして過ごしていった。
本当は無理に抑えないと、俺から手を伸ばして「ここにいろ」と引き留めたくてたまらない。それでもライナスを羽ばたかせるためだと自分に言い聞かせ、変わらぬ日常を演じた。
十二月半ば――ライナスが俺の家から去る日になった。
広々とした土間の玄関で、ライナスは荷物を詰め込んだ大きなリュックを背負い、俺と真っ直ぐに向き合う。
「カツミさん、今までお世話になりました」
「おう。まあ元気にやってくれ」
「はいっ……あの、ひとつ、いいですか?」
「なんだ?」
「一度本国に戻りますが、必ず山ノ中に来て、ちゃんと工房を構えます。そうしたら、カツミさんに会いに来てもいいですか?」
「それなら構わん。二度と会わないとは言っていないからな」
俺の答えにライナスの表情が輝く。だが、
「その代わり期待はするなよ。俺たちはずっと師弟だ」
もう恋人に戻ることはないのだと俺が釘を刺すと、ライナスの目が泣きそうに歪む。
胸が鋭く痛み、俺はそっと目を閉じてライナスを視界から消した。
「ほら、もう行け。ローレンさんが待っているぞ」
「……はい。さようなら、カツミさん」
ライナスが一歩、二歩と俺から離れていく。その足音を耳に入れながら、俺は自分の一番胸の深い所で鳴り響く心音を聞く。
ずくん、と濁った嫌な音だ。吐き気がする。俺の体がライナスと離れることを嘆いているのが分かって泣きたくなる。
だがライナスが俺のことを引きずってしまう材料は与えたくない。奥歯を噛み締め、グッと堪える。
不意にライナスの足音が止まる。まだ玄関ドアは開けていない。立ち止まって俺を見ているのかもしれない。
うっすらとまぶたを開けて見てみれば、ライナスは背を向けたまま立ち尽くしていた。
俺の最後の言葉を待っているのだろうか?
せめて、頑張れよ、と声をかけるべきなのかもしれない。しかし唇を開こうとすると震えてしまい、堪えていた涙が零れ、嗚咽を漏らしてしまいそうだ。
俺の本心をライナスに気づかれたくない。だから俺は無言を選ぶ。師匠失格だな、と弱い自分を情けなく思いながら。
ライナスは振り向かないまま玄関ドアを開け、そして何も告げずに家を出る。優しく丁寧にドアを閉め、家から離れた所に車を停めているローレンさんの元へライナスが向かっていく。
足音が完全に聞こえなくなり、車が走り去っていく音を耳に入れてから、俺は目元を手で覆いながら大きく息をついた。
あっという間に目に熱が集まり、俺の頬へ流れていく。
別れの悲しさもあったが、安堵からの涙もあった。
予報では今日明日中に雪が積もるとのことだった。本格的に降れば、この家は雪に閉ざされてしまう。ライナスの旅立ちに間に合って――雪に閉じ込められる前で良かった。
あとひと冬、あの密度の高い温かな日々を過ごせば、二度とライナスを送り出せなかっただろうから。取り返しのつかない不幸に染まる前に手放してやることができて、本当に良かった。
俺は止まらない涙を拭いながら、唇だけで笑っていた。
ローレンさんの説得もあったのか、家に戻ってからのライナスは俺を困らせることはしなかった。
作業途中の物があるから、それを仕上げてから出ていきたいと言われ、俺は了承した。
日常はそのままにしながらも、終わりの支度をしていくライナス。俺は何も言わず好きなようにさせた。触れたいなら触れさせてやるし、夜も抱きたいようにやらせてやる。でも終わりの期日を変える気は一切なかったし、ライナスも絶対に離れたくないと訴えることはなかった。
それを口にしたら、残り少ない日々すら俺が切り捨てると肌で感じていたのだろう。ライナスは俺の性格をよく分かっている。
どれだけライナスの背中が寂しげでも、俺に微笑む顔が切なげでも、俺は気づかぬフリをして過ごしていった。
本当は無理に抑えないと、俺から手を伸ばして「ここにいろ」と引き留めたくてたまらない。それでもライナスを羽ばたかせるためだと自分に言い聞かせ、変わらぬ日常を演じた。
十二月半ば――ライナスが俺の家から去る日になった。
広々とした土間の玄関で、ライナスは荷物を詰め込んだ大きなリュックを背負い、俺と真っ直ぐに向き合う。
「カツミさん、今までお世話になりました」
「おう。まあ元気にやってくれ」
「はいっ……あの、ひとつ、いいですか?」
「なんだ?」
「一度本国に戻りますが、必ず山ノ中に来て、ちゃんと工房を構えます。そうしたら、カツミさんに会いに来てもいいですか?」
「それなら構わん。二度と会わないとは言っていないからな」
俺の答えにライナスの表情が輝く。だが、
「その代わり期待はするなよ。俺たちはずっと師弟だ」
もう恋人に戻ることはないのだと俺が釘を刺すと、ライナスの目が泣きそうに歪む。
胸が鋭く痛み、俺はそっと目を閉じてライナスを視界から消した。
「ほら、もう行け。ローレンさんが待っているぞ」
「……はい。さようなら、カツミさん」
ライナスが一歩、二歩と俺から離れていく。その足音を耳に入れながら、俺は自分の一番胸の深い所で鳴り響く心音を聞く。
ずくん、と濁った嫌な音だ。吐き気がする。俺の体がライナスと離れることを嘆いているのが分かって泣きたくなる。
だがライナスが俺のことを引きずってしまう材料は与えたくない。奥歯を噛み締め、グッと堪える。
不意にライナスの足音が止まる。まだ玄関ドアは開けていない。立ち止まって俺を見ているのかもしれない。
うっすらとまぶたを開けて見てみれば、ライナスは背を向けたまま立ち尽くしていた。
俺の最後の言葉を待っているのだろうか?
せめて、頑張れよ、と声をかけるべきなのかもしれない。しかし唇を開こうとすると震えてしまい、堪えていた涙が零れ、嗚咽を漏らしてしまいそうだ。
俺の本心をライナスに気づかれたくない。だから俺は無言を選ぶ。師匠失格だな、と弱い自分を情けなく思いながら。
ライナスは振り向かないまま玄関ドアを開け、そして何も告げずに家を出る。優しく丁寧にドアを閉め、家から離れた所に車を停めているローレンさんの元へライナスが向かっていく。
足音が完全に聞こえなくなり、車が走り去っていく音を耳に入れてから、俺は目元を手で覆いながら大きく息をついた。
あっという間に目に熱が集まり、俺の頬へ流れていく。
別れの悲しさもあったが、安堵からの涙もあった。
予報では今日明日中に雪が積もるとのことだった。本格的に降れば、この家は雪に閉ざされてしまう。ライナスの旅立ちに間に合って――雪に閉じ込められる前で良かった。
あとひと冬、あの密度の高い温かな日々を過ごせば、二度とライナスを送り出せなかっただろうから。取り返しのつかない不幸に染まる前に手放してやることができて、本当に良かった。
俺は止まらない涙を拭いながら、唇だけで笑っていた。
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