【百合】Liebe

南條 綾

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1章 出会い

3話A 栞がいない部屋は、少しだけ広く感じた。前と同じはずなのに

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 コン、コン、コン、コン……。
規則正しい包丁の音が、朝の冷えた空気を細かく刻んでいく。
新聞配達から帰ってきても、昨日の朝拾った少女栞が、布団で、まだ小さく規則的な寝息を立てている。
熱はすっかり下がったようで、頬に血の色が戻っている。

 米を研ぎ、出汁を取る。自分の分だけなら適当で済ませるが、熱を出した同居人がまた倒れでもしたら、目覚めが悪い・
背後で、布が擦れる乾いた音がした。
味噌汁に豆腐とわかめを入れ、卵をひとつ溶き落とす。さして鮭を焼いてるとふと背後で、布団が擦れる音がした。「……綾さん?」掠れた、眠たそうな声が聞こえてきた。

 振り返ると、寝乱れた髪を片手で押さえながら、栞が立っていた。
私の大きすぎるシャツの裾が膝まで届き、袖は指先が隠れるほど長い。
彼女はまだ夢うつつの瞳で、こちらを正確には、私のエプロン姿を、まるで初めて見るもののようにじっと見つめている。
なぜそんなに見つめられてるのか全く分からない。本当に変な女の子だ。

「起きた。ご飯作った」 

「あ、ありがとう……」 

「一人作るのも二人作るのも、手間は変わらないから。食べれる?」

「あ、うん。……食べれる」

 短く返事をして、栞は並んだ朝食を見下ろした。

「ご飯、味噌汁、焼き魚、沢庵って昔のドラマの食卓みたい」

 少し呆れた顔で、小さく呟いてた。
でも一口食べると、ふっと表情がほどけた表情をした。

「美味しい」

その仕草が、私の単調な朝に、見慣れない色を落としていく。
落ち着かない。なのに、目を逸らすのも変で、私は黙って箸を進めた。

「私は学校に行く。……栞は?」

「まだ、ここにいていいの?」

「……乗りかかった船だから。別にいい」

 私は制服に着替え、栞を部屋に残したまま学校に向かった。
学校が終わるとすぐにガソリンスタンドに行く。

「レギュラー満タン入ります!」

 お客さんが窓を少し下げるより先に、私はもうノズルを給油口に差し込んでいた。
ガソリンが勢いよく流れ出す匂いが、空気に混じった。
窓ガラスを拭きながら、タイヤの空気圧をチラッと確認。預かったお金をポケットにしまい、指先がキンキンに冷えているのも構わず、次の車を誘導するためにオレンジの誘導灯を振った。

 それが終わると、今度は19時から23時までファミリーレストランのバイトが待っている。
ピークが過ぎた深夜の店内は、ようやく少し落ち着いてきた。
重いトレイを指先だけでバランスを取りながら、最短ルートでテーブルを回る。
注文を端末に打ち込み、空いた皿を下げて、テーブルをサッと拭く。
客の笑い声やグラスの音が遠くに聞こえながら、ひたすら動き続ける。
時計が23時を指した瞬間、裏口でタイムカードをパチンと切った。

 ファミレスの駐車場に出ると、冷たい風が頰を叩いた。
空はどんよりと曇っているけど、なんだか雨が降りそうな天気になっていた。
制服の上に薄手のジャケットを羽織って、自転車にまたがった。
街灯の下を抜け、いつもの道を漕ぎ始めた。
ところが、家まで半分くらい来たところで、突然、空が割れたみたいに雨が降り出してきた。

 最初はぽつぽつだったのが、数秒で滝のように叩きつけてくる。アスファルトに染み込んだ雨の匂いが、鼻の奥を鋭く刺した。
慌ててペダルを速めても、なかなか前に進んでくれない。
シャツが肌にべったり張り付き、髪の毛から水が滴り落ちる。

 街灯の光が激しい雨粒を白く浮かび上がらせ、前方がぼやけてほとんど見えない。
顔を打つ雨は氷みたいに冷たいはずなのに、首筋から背中へ、嫌な熱がじわりと這い上がってくる。

 向かい風に抗って重いギアを回し続けると、肺に吸い込む空気だけが妙に熱い。
24時を過ぎてようやくアパートに着く。びしょ濡れの体で階段を上のぼる。
鍵を開けて、ドアを押し開けたとき。
暗闇が待っているはずの部屋から、暖色の明かりが漏れてきた。


「起きてたんだね」
玄関先に立っていた栞を見て、私は声を絞り出した。

「一応ご飯作っといたけど……学校ってこんなに遅かったっけ?」

「……バイト」

「こんな時間まで?」

「……そうだね」

私は濡れて重くなった靴を脱ぎ捨てた。  栞が慌ててタオルを持って駆け寄ってくる。

「綾さん、ずぶ濡れじゃない。すぐにお風呂沸かすね」

「……いい。自分でやる」

「沸かすまで時間かかるし、とりあえずこれで体拭いていて!」

「あぁ、ありがとう。なんだか家の主人が反対になった気分だね」

「一日中居たからかな。この部屋何にもないから」

「そうかもね」

「あの、差し支えなければ何のバイトしてるの?」

「今日は、4時から7時30分までG・Sで」

「で・・・」

「8時から11時までファミレスのバイトだよ」

「そんなにしているの?」

「あと3時から新聞配達をしてる」

「・・・・・・」

「余り干渉しないで、この家に居たければ」

「ちょっと興味があったから」

「あなたは興味があるとタンスを開けたりするの?」

 私がそう言ったら、栞がなんでわかったのみたいな顔をしていた。

「別に難しい話じゃない。タンスの引き出しが少し開いてるから」

 私はそのまま浴室へ向かい、熱いお湯を浴びた。
でも、どれだけ体を温めても、背中を這うような悪寒は一向に引いてくれない。
肩が重く、頭の奥がずきずきと疼く。
……疲れが溜まってるのかな。今日は学校の復習を諦めて、早めに寝よう。
そう決めて、濡れた髪をタオルで軽く拭き、寝間着に着替える。

 栞はもう布団に入っていて、私の帰りを待っていたらしい。
小さな体を丸めて、布団をあごまで引き上げていた。

「おかえり、綾さん……」
眠たげな声に頷き返すだけで、私は隣の布団に滑り込んだ。
昨日と同じように、二人並んで横になる。
いつものように深い眠りについた。

「……綾さん?」どれくらい時間が経っただろう。
隣から、栞の心配そうな声が聞こえた。

 私は返事ができない。息が熱く、喉が焼けるように痛い。
まぶたを開けるのがやっとで、体が鉛のように重い。

 彼女が身を起こす気配がした。布団がすれる音。そして、冷たい小さな手が、
私の額にそっと触れる。

「……!」栞の息が詰まるのが分かった。

「すごい熱……綾さん、すごく熱いよ」焦りと震えが混じった声。
彼女の指先の冷たさが、火照った肌に心地よく染み込む。

 朦朧とする頭の中で、時計の針が浮かんだ。

「……い、かないと……3時……」
新聞配達の時間がんもうすぐだった。
必死に体を起こそうとした。でも、力の入らない腕を、栞が優しく、けれど決して離さない強さで押さえつけた。

「だめだよ、そんな体で無理……寝てて。ね?」彼女の声が、すぐ耳元で響く。
温かい体温が、そっと寄り添うように近づいてきた。それが最後の記憶だった。意識が、深い闇に沈んでいく。

次に目を覚ましたとき、視界に入ってきたのは夕闇が迫る天井だった。  
勢いよく布団から起き上がり、枕元の時計を見る。

「……4時?」

 夕方の4時だ。凄まじい虚脱感があるが、体は軽い。  ふと横を見ると、栞が床に座り込んだまま、ベッドの端に頭を預けて眠っていた。
私を看病していたのだろうか。起こしてはいけないと思い、私は自分の布団を静かに彼女の肩にかけた。

学校にバイト。すべてを穴開けてしまった。
みんなに迷惑をかけてしまった。
自己管理がしっかりできてないからだね。
私は着替えて部屋を飛び出した。謝罪して回らなければならない。

 仕事場に行くと、奇妙な事実に直面することになった。
まず向かいの新聞屋で、店主が目を丸くして私を見た。

 「綾ちゃん、もう大丈夫か? お友達が来て、君が倒れたから代わりに配るって、昨日も一昨日も全部やってくれたぞ」

 ガソリンスタンドでも、ファミレスでも同じだった。
 「昨日まで来てたお友達から聞いてるよ。無理しちゃダメだって。今日と明日は大事をとってお休みにしといたから」

 私は、そこで自分が3日3晩眠り続けていたことを、そこで初めて知った。
店主たちは皆、口を揃えて同じことを言った。
見知らぬ少女が突然現れ、私の友人だと名乗り、滞りなく仕事をこなしてたよと。
呆然としながら、お礼の為にチョコを買ってからアパートに戻った。

「……ただいま」

 返事はなかった。  部屋にはもう、誰もいなかった。
丸テーブルの上には、一枚の手紙だけが残されていた。 

『綾さんへ 治ったんだね良かった。 でも本当は帰ってからお話したかったんだけれど・・・ そうそうちょっと勝手なことやってごめんね。 綾さん自分の体よりバイトの方が大事みたいだったし、行かせれないぐらい意識がなかったから、 勝手に手伝わせてもらいました。でもこの数日間 本当に楽しかったよ。シンデレラの気分だった。こんな気分になったことしばらくなかったから、 綾さんには本当に感謝してるよ。 でもその時間も終わっちゃった。このままいなくなったら心配すると思うので、 手紙を書かせていただきました。 本当にありがとう綾さん。 栞より』

 彼女がいなくなった部屋は、以前よりも広く、冷たく感じられた。
違うね。以前と同じ温度に戻っただけ。

 数日後。新聞配達のチラシを整理していると、一枚の広告が滑り落ちた。
煌びやかな衣装を纏い、不敵なほど完璧な笑顔を浮かべる少女
霧生 栞と書いてあった。

同僚のパートのおばさんが「そういや綾ちゃんがお休みしていた時の友達この子に似ていたね」って言ってくれた。

 そういえば初めて会った時「私の事知らないの?」って聞いてきた覚えがある。

 きらびやかな芸能人と私ならならもう会うことなんてないわね。
チラシでも元気そうで安心したよ。

 少しの期間だったけど意外と楽しかったよ。
私がそんなこと思うなんて少しだけ自分の感情にびっくりした。

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